人気ブログランキング |

タグ:青春18きっぷ ( 17 ) タグの人気記事

 二本松城跡のある県立霞ヶ城公園は、折しも、桜まつりが始まったところであった。
 
城のふもとの庭園で、ボクが訪れた時はソメイヨシノは二分咲き程度、本丸付近では開花直後か、つぼみ、花をつけているのは、ソメイヨシノではない。

 とにかく、これから本格的にお花見観光シーズンに突入というわけで、こんな幟が街中の至る所に立っていた。



b0018682_16392829.jpg


キャッチコピーは「ほんとの空に さくら舞う」。

まさしく「ほんとの空」なのだ。


さて、「ほんとの空」と聴くと、ボクのアタマの片隅で低くメロディが流れてくる。

ああ、二代目コロンビア・ローズが唄う歌謡曲「智恵子抄」。

東京の空 灰色の空

ほんとの空が見たいという

拗ねてあまえた智恵子

智恵子の声が

嗚呼安達太良の山に

今日もきこえる


おおなんと、歌詞を覚えているはないか。

昭和三十九年の楽曲なのだ、生意気盛りのボクの脳みそに刷り込まれた名残が、白髪頭の奧に残っていた。

歌謡曲畏るべし。


そこにいくと、ご本家光太郎さんの「あどけない話」はこうだ。


                   
                   智恵子は東京に空が無いといふ、
                   ほんとの空が見たいといふ。
                   私は驚いて空を見る。
                   桜若葉の間に在るのは、
                   切つても切れない
                   むかしなじみのきれいな空だ。
                   どんよりけむる地平のぼかしは
                   うすもも色の朝のしめりだ。
                   智恵子は遠くを見ながら言ふ。
                   阿多多羅山                           あたたらやまの山の上に
                   毎日出てゐる青い空が
                   智恵子のほんとの空だといふ。 


どうだろう、アル世代の多くにとって、あの幟の「ほんとの空」から連想するのは、光太郎かローズか。

もしも、ローズさんに軍配が挙がるとしてもボクは皮肉な結果だとは思わない。

こうして、「文学」なんてものは、生き残るのだ。



さて、ボクは「ほんとの空」を見ることができたのか、いなか。

息を切らせながら、ようやっと本丸の石垣の上にたった。

素晴らしい眺望でアル。

安達太良山は、雪の稜線を広く広く広げて、そこあった。

b0018682_17080810.jpg


空はというと、残念、それは灰色の曇り空だった。

それでも、東京の灰色の空ではないことに、満足だった。

故に、「ほんとうの空」は、次の機会に。




現在の福島の空は、智恵子のいう「ほんとの空」を取り戻せているのか?

そのことは、別問題というわけにも行かないだろう。

一日も早くと、祈らずにはいられない。












by ribondou55 | 2019-04-12 17:20 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

 春の「青春18きっぷ」の使用期限は、四月十日、それまでに二回分消化しなければならない。


 九日、福島へ、福島県立美術館の「若冲展」を観に行った。

 展覧会は、十分に楽しめたので、この旅の目的は達成した。

 その日は、福島駅前のホテルに泊まった。

 十日、朝食は最上階のレストラン、予約サイトの評判では高評価であるの筈であったが、さほどのものではなし。

 しかし、その眺望が素晴らしかった。

 安達太良山が一望できた。

 すばらしいかった。

 天気予報は、午後から雪模様などと言っていたので、花見山にでもいって、時間をつぶし早めに帰ろうとぼんやり考えていた。

 ところが、この風景を見て、二本松城からじっくり安達太良山を眺めようと心変わりした。

だが、本当をいえば二本松城から安達太良山がどのように見えるか、これっぽっちも知らなかったのだ。


 ボクは、何だかんだいっても、光太郎のファンである。

 「智恵子抄」の『あどけない話」の『智恵子のほんとうの空』とはどんな?、長きにわたる疑問であった。

 なんといっても安達太良山の上に出る空こそ「ほんとうの空」なのだ。


 コーヒーのお替りも我慢して早々に朝飯を済ませ、チェックアウト、学生達ですし詰めの電車に乗り、二本松駅で下車。

 早朝、福島では薄日も差していたが、午前九時前の二本松の空は、灰色だった。

 
駅前の二本松神社の鳥居横の公園で花壇の世話をされていた同年配の婦人から、まず、二本松城までの道を教えて貰った。

 ボクは、この数年の旅の経験から、地元情報は中年以上のご婦人から収集するのが一番よいと云うことを学んだ。

 直近では、たまたまおばちゃんが見つからず、琵琶湖近くの××駅の観光案内所の横で茶を飲んでたむろしていた同年配からの爺さんの5、6人から、ひどいガセ情報をつかまされた。

 多分、暢気そうに旅などしている白髪爺ィをからかって遊んでやろうと云うことだったのだろう。

 まあまあ、しかたないな。

 爺さんたちは大体半可通か、または、思い込みの激しい蘊蓄話、あるいは口から出任せ思いつき、余りよいことはない。

その点、婦人たちは礼儀正しくすれば、嘘はつかない、知ったかぶりもしない・・、多分。

 だが、あちら様から話しかけてきてくれる年配男性の話には有益な情報が多い、こういう場合には丁重にお相手するのがよい。

 さて、さて、二本松の婦人も知っていることだけを丁寧に教えてくれた。


 城へは長い坂を上って行く。

 イイかげんいして欲しいと思う頃、坂の頂上から城門が見えてきた。

 
 城の観光案内所のやや中年色白婦人から、本丸までのあすすめルートを丁寧におしえてもった。

 行程、約一時間半、この二本松城は山城、上へ上と登って行くのだ。

 この道々の庭園風景はなかなかのものであるのだが、ココでは省略。

 ついに、本丸までの道のり半ばで、安達太良山を眺めることができた。

二本松城に来たことは大正解だった。



b0018682_11085679.jpg


 今度は、散歩中らしき同年配男性が、この風景の解説をしてくれてた。

 安達太良山はの頂上は、ぷくっととがっている。

 そのぷくっと加減から、「乳首山」と呼ばれているのだそうだ、とか。

 

(疲れたので、続きとする)








 



 

by ribondou55 | 2019-04-11 11:14 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 びわ湖巡りに買った青春18きっぷが三回分残っていた。

 そこで、この陽気にさそわれてトーハクへ足を延ばした。


 昔、よく行った御徒町のカレー屋で昼飯、忍ばずの池の淵からお山に登ってゆく、トーハクまでの道は上野公園一番の桜並木。

 桜は既に終盤ながら人出は相変わらず、しかし、博物館は意外にお客さんが少なめ、ゆっくり丁寧に仏さん達にお会いできた。

 結論で云えば、とてもよかった、楽しかった。

 午後一時前に入館して、出たのは五時半だった。

 もちろん、本館の平常展示もじっくり観ての滞在時間でアル。

 この間の旅行では、湖北においでのあの渡岸寺の十一面観音を拝むことができた。

 それは喜びであった。

 この展覧会は、仏さんに会う楽しさをまたもや味あわせてくれた。
 
 

 東寺の大日堂で朝の生身供に参拝したことがある。
 
 もう何年も経ったような気もするが、この時の印象は鮮明にある。

 そこでお舎利さんを授けていただいた。

 ちょうど今頃のことで、朝の五時にホテルを出て、東寺まで歩いた。

 まだ御影堂の前でおじちゃんおばちゃんが数十人、開門をまっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・

 ああ、思い出すと、懐かしいやら、ありがたいやら。



 こんな風に書くと、信心深いよい人のようだが、そんなことはない。

邪心疑心の人間でアル。

 だから、今の己を見直すといより、生き直すためのヒントを仏教から教えて貰いたいなあと、・・・。

 
b0018682_23082789.jpg
帝釈天

本日の撮影可の仏様。



博物館の裏庭は今年も開放されていて、お花見客が沢山おいでであった。

本館二階のベランダからの裏庭の眺めはこんな風だった。



b0018682_23150523.jpg
 

 とても気分がよかった。






by ribondou55 | 2019-04-05 23:16 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)

再びの、只見線。

 性懲りもなく、只見線に乗車。
 
会津柳津の圓藏寺の「舞台」から、眼下の只見川の流れを眺望したいと、ふと思ったからだ。

 12月10日、小出経由会津柳津までの旅だ。

 小出で、約二時間ほど只見線に乗り継ぐまでの間に、魚野川にかかる橋を渡ってほど近い「そば処富永」で。

 美味しい、只見線に乗られる方に、お勧めできる。

 
b0018682_23491160.jpg
b0018682_23500895.jpg
b0018682_23511651.jpg
b0018682_23523196.jpg
b0018682_23531280.jpg
b0018682_23535756.jpg
b0018682_23543604.jpg


12月10日、青春18の冬の始まりの日、只見駅からバスに乗り換えたのは、ちょっとくたびれたおじさん達ばかりだった。

この日は晴天で、二日後の今日〈12日〉は大雪だと、只見線も運休となった。

柳津温泉で一泊して、翌朝圓蔵寺にお参り。

やはり、すばらしい眺めであった。

ちなみに、門前の粟まんじゅうも旨かった。


b0018682_00052743.jpg


南無虚空蔵菩薩。

















by ribondou55 | 2017-12-13 00:01 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)

 青春18きっぷの残り二日分で、「ローカル線の旅」的なTV番組などで見かける、

只見線に乗ってみた。

b0018682_23430788.jpg




上越線で小出まで出て、只見線に乗り換え只見駅まで、

ここから鉄道不通区間となり、会津川口までマイクロバスに乗り換えた。

そして、会津川口から会津若松まで鉄道となる。


b0018682_23444412.jpg




 只見駅から会津川口駅の区間は、

2011年の新潟・福島豪雨によって只見川に架かる橋梁が流失などして、

現在はバスの代替運行となっている。

 JR東日本と福島県は、2021年度全面復旧ということで、合意しており、

確かに復旧工事らしき様子も、バスの車窓から垣間見たのだが、

雑草の生い茂る鉄路が森の中に消えて行く風景が続いていたのも事実だ。



 ボクは、ミーハーな鉄道ファンで、

ただ各駅停車のスローな旅を、ぼんやりと行くのが好きなだけだ。

だから、鉄チャン的な蘊蓄を垂れる知識も資格もない。

 とりあえず残りすくない人生であるが、

今という時間はどのようにも使うことができる老人の身の上だから、

この「青春18きっぷ」というものは、とてもよいおもちゃである。



 さて、只見線に甚大なダメージを与えたはずの山間渓谷を流れて行く只見川の景観は、

本当にすばらしい。


b0018682_23461191.jpg



車内で、雪の頃来てみたいという声が聞えてきた。

 まさに然り、見事な山水画の世界を、現実のものとして見ることができるだろう。

 驚きであった。

 評判通りに、面白さに満ちたものだ。


b0018682_23465918.jpg

夏終わる大河を前に始発駅 泡六堂




 

 
 
 

by ribondou55 | 2017-09-09 23:27 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
 都心へ通う必要から、お得な「青春十八きっぷ」を購入したが、二日分しか使用しなかった。

 ので、残りきっぷを消化する第一日目、吾妻線に乗って、万座鹿沢口下車した。

 日本のポンペイなどとも云われる

天明の浅間噴火により埋没したという鎌原(群馬県嬬恋村)を訪ねた。

 鎌原は、天明3年(1783)7月8日の浅間の大噴火によって引き起こされた土石流によって、

崩壊埋没した。

 その際、かろうじて鎌原観音堂の階段をかけのぼり、生き延びることができた人が93名、

逃げ遅れて亡くなった人は477名。

b0018682_14575946.jpg
 
 観音堂への参道、手前の朱塗りの橋の下へは、発掘された埋没階段が続いている、

その埋没部分に老若二人の女性の遺骨が這い上がるような姿勢で発掘され、

その発掘当時の画像から、見るものは衝撃をうける。

b0018682_15025930.jpg

 さて、この災厄と後の復興について、「浅間山噴火大和讃」はこのように伝えている。


     帰命頂礼鎌原の
     月の七日の念仏を
     由来を委しく尋ぬれば
     天明三年卯の年の
     四月初日となりければ
     日本に名高き浅間山
     俄かに鳴動初まりて
     七月二日は鳴り強く
     夫れより日増しに鳴りひびき
     砂石をとばす恐ろしさ
     ついに八日の巳の刻に
     天地も崩るるばかりにて
     噴火と共に押し出し
     吾妻川辺銚子まで
     三十二ヶ村押通し
     家数は五百三十余
     人間一千三百余
     村村あまたある中で
     一のあわれは鎌原よ
     人畜田畑家屋まで
     皆泥海の下となり
     牛馬の数を数うれば
     一百六十五頭なり
     人間数を数うれば
     老若男女諸共に
     四百七十七人が
     十万億土へ誘われて
     夫に別れ子に別れ
     あやめもわからぬ死出の旅
     残りの人数九十三
     悲しみさけぶあわれさよ
     観音堂にと集まりて
     七日七夜のその間
     呑まず食わずに泣きあかす
     南無や大悲の観世音
     助け給えと一心に
     念じ上げたる甲斐ありて
     結ぶ縁もつき果てず
     隣村有志の情けにて
     妻なき人の妻となり
     主なき人の主となり
     細き煙を営みて
     泣く泣く月日は送れども
     夜毎夜毎の泣き声は
     魂魄子の土に止まりて
     子供は親を慕いしか
     親は子故に迷いしか
     悲鳴の声の恐ろしさ
     毎夜毎夜のことなれば
     花のお江戸の御本山
     東叡山に哀訴して
     聖の来迎願いける
     数多の僧侶を従えて
     程なく聖も着き給い
     施が鬼の段を設ければ
     残りの人々集まりて
     皆諸共に合掌し
     六字の名号唱うれば
     聖は数珠を爪ぐりて
     御経読誦を成し給う
     念仏施我鬼の供養にて
     魂魄無明の闇も晴れ
     弥陀の浄土へ導かれ
     蓮のうてなに招かれて
     心のはちすも開かれて
     泣き声止みしも不思議なり
     哀れ忘れぬその為に
     今ぞ七日の念仏は
     末世に伝わる供養なり
     慎み深く唱うべし
     南無阿弥陀仏
     明治初年
     南無阿弥陀仏
      (萩原鎌原司郎補正 滝沢対吉原作 1982 )・・・赤は泡六堂に責


 平日であったせいか、観音堂を訪れる人はまばらで、閑散としていた。

 今は、一つの観光資源であるのが、

どのような形であれ、天明の浅間大噴火では歴史上希有な大被害を祖先らは被った、その史跡である。

 とはいえ、本当に閑散としていた。

 側の嬬恋村の資料館は、まことに凡庸な展示で、アレで何を後世に伝えようとしてるのか?

 観光資源でよい、魅力ある観光資源にして集客し、長く語り伝えよ、そう思った。

 つまり、世間に役立つ金儲けをしてくれればいいのだ。

このような記憶でさえ、観光地化する以外に生き続けさせることがはできない。

 忘れやすい、このことはつい先だっての福島の原発事故ですら、言わずもがな。


 南無観世音菩薩。

 南無観世音菩薩。















by ribondou55 | 2017-09-06 15:24 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 さて、もう今日はお盆の最中、我が家も昨夕、ご先祖様をお迎えした。

 すでに会津に出かけたのは.2週間以上前のことになってしまった。

 であるから、ボクの脳みそでは、もう大方の記憶が消えている。

 風前の灯火のような思い出を書き留めておこう。


b0018682_18333820.jpg


 さて、バスツワーは、お蕎麦の昼飯を終えて、サンダル履きのガイドさんに引率されて恵隆寺に向かった。※「サンダル履き」、これ告げ口、嫌みではありません。このゆるーい感じが、会津らしくてよろしいと、いうこと。

 寺の歴史によれば、本尊「十一面千手観音菩薩」は、大同三年(808年)に弘法大師(空海)が観音菩薩の霊感を受け、根が付いた状態(立ち木)で巨木の枝を切り、彫刻されたことから「立木観音」と伝えられています。本尊の身丈は8m50cmあり、一木彫で根の付いている仏像としては日本最大級の大きさです。また、本尊の左右に安置される脇侍の二十八部衆、風神・雷神30体の仏像は、身の丈2m弱の大きさで、すべて揃っており、密教様式を忠実に表現しており全国的にも大変珍しく貴重な仏像です。30体の眷属が揃っているのは京都三十間堂とこの立木観音堂だけとも言われています。
みなさん、ご覧になれば必ず驚きますよ!

 「会津六詣出」http://www.aizu-reichi.gr.jp/tatiki/ というとても親切この上ない柳津町地域振興課によるHPから拝借した。

 実際、このHPの表現は、大げさなものではない。

 びっくりである。

 見学の折、ご法事と重なったために、失礼ながらご本尊のお参りは、仏さんの足下から見上げる体になった。

 一木造り、巨大である。
 
 ちなみに鎌倉・長谷寺の十一面観音の身の丈は9.18メートルである。

 そのご本尊を足下から見上げるのだが、圧巻は三十体の脇侍が居並ぶ威容である。

 これも、接近して見上げるので、実は全貌を見渡すことができない。

 ああもどかしい。

 ということで、次は如法寺へ。

b0018682_17454328.jpg

 ここで、こんな愉しげに説教なさるお坊さんにはじめてお会いした。

 奈良時代、天平八年(736年)の春、行基菩薩が会津巡錫された際、とある貧しい農家に宿をとられました。行基菩薩は、子に恵まれず、鳥獣害による不作の貧苦で悲嘆にくれる農夫を憐れみ、念持仏である一寸八分(約6㎝)の聖観音の御尊像をお授けになられました。
観音様の霊験は著しく、自ら鳴子の網をお引きになり、鳥や獣を追わせられたところ、その一家は豊作に恵まれ、子宝を授かり、皆幸福な人生を全うしたと伝えられています。
やがて西方極楽浄土に安楽住生が叶ったことが広まり、人々は「鳥追観音」又は「ころり観音」と呼び、多くの老若男女の信仰を集めるようになりました。
時代は移り、大同二年(807年)、徳一大師は、坂上田村麻呂公の帰依を受けて、金剛山如法寺を創建し、御本尊に行基御作と伝えられる聖観音像を奉安、胎内仏に「鳥追観音」を入仏秘されました。
御堂は、慶長十八年に再建されたものですが、その構造は東西向拝口というもので、東口から入り、参拝したら戻らずに西口から出るようになっており、全国でも珍しい構造の観音堂です。これは観音様の導きで人生を全うし、やがて西方浄土へ安楽往生が叶うという鳥追観音の御誓願を示しています。観音様に祈念して、「身代わりなで仏」をなで、肌守りを念持すれば、心願成就すると信仰されています。開創以来千二百年、「鳥追観音」は会津西方浄土の霊場、会津三十三観音番外二世安楽結願所、会津ころり三観音霊場のひとつとして、その広大無辺な慈悲を今に伝えています。([会津六詣出」より拝借。)


 お説教で、もっともリスペクト、強調されたのは、ボクのお目当ての徳一法師についてである。

 その内容は、如法寺公式HPhttp://www.torioi.com/rekishi.htmlを見よ!



 実は当日のツワー参加者は、たったの四名であった。

 にもかかわらず若いお坊さんは声をからしてお話下さり、締めにはご祈祷までシテくださった。

 本当をいうと、どんなありがたいお説教であったか内容は忘れた、ただケラケラと笑わせて頂いた。

 聴いていて、心が柔らかくなった、愉快になった、たとえコロリと逝かなくても、ありがたいではないか。

 ありがたいことだ。

 ボクはこれまでいろいろな宗派、お寺で法話を聞かせて頂いてきたのだが、これほどに愉快なことはなかった。

 ありがたし。


 もう一つ、妙法寺では、御堂に左甚五郎作と伝えられている「隠れ三猿」がある。


b0018682_17465290.jpg



 この説明が、とってもいい。

 あのお坊さんのお母様が、これもお声を張り上げてユーモアたっぷりになさる。

 それも、会津弁で語られる。

 すばらしい。


 





by ribondou55 | 2017-08-14 17:33 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
b0018682_10431429.jpg




  「会津ころり三観音巡り」、バスガイドさんから初めて説明を受けたとき、思わず笑った。
  
  あいづ ころり さんかんのん とても語呂がいい。

  本当に、ころりといけそうである。

  立木観音(恵隆寺)、鳥追観音(如法寺)、中田観世音(弘安寺)の三霊場を指すのだそうだ。

  原始経典では、涅槃とは貧欲・瞋恚・愚痴の滅尽であると聴いている。

  観音経では、その貧欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(おろかさ)を淫欲・瞋恚・愚痴というのだが、それを三毒とし、観音経を信仰し正しく生きていけば、己の中の三毒を軽減できるというようなことが、説かれていたように記憶する。

  ボクは、この貧欲(トンヨク)を、観音経では「淫欲」と限定的にしているところが、好きだ。

  つまりは、会津三観音はその三毒から離脱するお導きをして頂けるということなのだろう。

  まことに、ありがたい。

  ボクは、煩悩まみれの糞ったれであることを、深く自覚している。

  そうであるから、涅槃なんてとんでもない希望を持つのは論外だが、できることなら、苦痛なくコロリと逝きたいというのは、ボクぐらいの年になると、本当に切実だ。

  

  バスツワーは、その内の立木観音から鳥追観音を巡るのだった。

  


  つづく。

by ribondou55 | 2017-08-10 10:34 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)

笑う縄文の人面

b0018682_21513497.jpg


 過日、三条市歴史民俗産業資料館で、展観されていた縄文時代の人面である。

 北三条駅のほど近くにあった。

 ボクは十日町の火炎土器のことは知っている。

 へぎ蕎麦を食べるのを目的に、立ち寄ったところ、国宝の火炎型土器の存在を知って、博物館を訪ねたのだった。

 しかし、火炎土器が出土される遺跡が、信濃川流域にそって広く分布するということを、多分、そこにパネルなんぞで紹介されいたのだろうが、全く見ていなかった。



b0018682_22124695.jpg

 
 さて、この縄文人のお顔、とてもシャープ、知的な笑い顔ではないか。

 目の周りを取り囲む線は、何なのだろう。

 興味は尽きない。




by ribondou55 | 2017-03-25 23:13 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 鈴木牧之の「北越雪譜」にみえる「浦佐の堂押」は、今日も裸押合大祭として、伝わっている。

 三月三日、見物に出かけた。

 「北越雪譜」には、こうある。

 我住塩沢より下越後の方へ二宿(六日町、五日町)越て浦佐といふ宿あり。ここに普光寺といふあり、寺中に七間(約13m)四面の毘沙門堂あり。伝ていふ、此堂大同二年の造営なりとぞ。修復の度毎に棟札(むねふだ)あり、今猶歴然と存す。毘沙門の御丈三尺五六寸(約1m)、往古椿沢といふ村に椿の大樹ありしを伐て尊像を作りしとぞ。作名は伝らずとききぬ。像材椿なるをもつて此地椿を薪とすればかならず崇あり、ゆえに椿を植ず。又尊れい鳥を捕を忌たまふ、ゆえに諸鳥寺内に群をなして人を怖ず、此地の人鳥を捕かあるひは喰ば立所に神罰あり。たとひ遠郷へむこよめにゆきて年を歴ても鳥を喰すれば必凶応あり、霊験のあきらかたる事此一を以て知るべし。されば遠郷近邑信仰の人多し。むかしより此毘沙門堂に於て毎年正月三日の夜に限りて堂押といふ事あり、敢祭式の礼格とするにはあらねど、むかしより有来たる神事なり。正月三日はもとより雪道なれども十里二十里より来りて此浦佐に一宿し、此堂押に遇人もあれば近村はいふもさらなり。
さて押に来りし男女まづ普光寺に入りて衣服を脱ぎすて、身に持たる物もみだりに置きすて、婦人は浴衣に細帯まれにははだかもあり、男は皆裸なり。燈火を点ずるころ、かの七間四面の堂にゆかた裸の男女推入りて、錐をたつるの地なし。余も若かりしころ一度此堂押にあひしが、上へあげたる手を下へさぐる事もならざるほどにせまり立けり。押といふは誰ともなくサンヨウサンヨウと大音に呼はる声の下に、堂内に充満たる老若男女を、サイコウサイとよばはりて北より南へどろどろと押、又よぱはりて西より東へおしもどす。此一おしにて男女倶に元結おのづからきれて髪を乱す事甚奇なり。七間四面の堂の内に裸なる人こみいりてあげたる手もおろす事ならぬほどなれば、人の多さはかりしるべし。此諸人の気息正月三日の寒気ゆえ烟のごとく霧のごとく照せる神燈もこれが為に暗く、人の気息屋根うらに露となり雨のごとくに降、入気破風よりもれて雲の立のぼるが如し。婦人稀には小児を背中にむすぴつけて押も有ども、この小児啼ことなきも常とするの不思議なり。いはんや此堂押にいささかも怪我をうけたる者むかしより一人もなし。婦人のなかには湯具ばかりなるもあれど、暗き処に噪雑して一人もみだりがましき事をせず、これおのおの毘沙門天の神罰を怖るゆえなり。裸なる所以は人気にて堂内の熱すること燃がごとくなるゆえ也。願望によりては一里二里の所より正月三日の雪中寒気肌を射がごときをも厭ず、柱のごとき氷柱を裸身に脊負て堂押にきたるもあり。二たおし三おしにいたればいかなる人も熱こと暑中のごときゆえ、堂のほとりにある大なる石の手水鉢に入りて水を浴び又押に入るもあり。一と押おしては息をやすむ、七押七踊にて止を定とす。踊といふも桶の中に芋を洗ふがごとし。ゆえに人みな満身に汗をながす。第七をどり目にいたりて普光寺の山長手に簓を持、人の手車に乗て人のなかへおし入り大音にいふ。「毘沙門さまの御前に黒雲が降た モゥ」衆人「なんだとてさがつたモゥ」山男「米がふるとてさがつた モゥ」とささらをすりならす。此ささら内へすれば凶作なりとて外へ外へとすりならす。又志願の者兼て普光寺へ達しおきて、小桶に神酒を入れ盃を添て献ず。山男挑燈をもたせ人をおしわくる者二十人ばかりさきにすすみて堂に入る。此盃手に入れば幸ありとて人の濤をなして取んとす。神酒は神に供ずる状して人に散し、盃は人の中へ擲る、これを得たる人は宮を造りて祭る、其家かならずおもはざるの幸福あり。此てうちんをも争ひ奪ふにかならず破る、その骨一本たりとも田の水口へさしおけば、この水のかかる田は熟実虫のつく事なし。神霊のあらたかなる事あまねく人の知る所なり。神事をはれば人々離散して普光寺に入り、初めすて置たる衣類懐中物を視るに鼻帋一枚だに失る事なし、掠れば即座に神罰あるゆえなり。
○さて堂内人散じて後、かの山長堂内に苧幹(おがら)をちらしおく事例なり。翌朝山長神酒供物を備ふ、後さまに進て捧ぐ、正面にすすむを神の忌給ふと也。昨夜ちらしおきたる苧幹寸断に折てあり、是人散てのち諸神ここに集りて踊玉ふゆえ、をがらを踏をり玉ふなりといひつたふ。神事はすべて児戯に似たること多し、しかれども凡慮を以て量識べからず。此堂押に類せし事他国にもあるぺし、姑記して類を示す。(北越雪譜 二編巻之一)


 
b0018682_22522621.jpg


 押合に先立つ水行の様子である。

 (続く)




by ribondou55 | 2017-03-07 22:53 | 合掌 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
カレンダー