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映画『新聞記者』

 『新聞記者』(監督・藤井道人、113分、2019年)を観た。

政治サスペンスエンターテイメント映画。

ハリウッドあたりなら当たり前に存在するものだが、
 
ようやくにして、この国ではこんな映画が作られた。

 この作品に続くものがあることを、期待する。

 あれこれいうことはない。

 この作品を観ればわかることだ。

映画作品として。

 スタッフもキャストも実によく健闘している。

 特に、吉岡エリカ役のシム・ウンギョンに拍手を送りたい。



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それに、今年度の日本アカデミー賞にノミネートされるや、いなや、今後のお楽しみだ。







by ribondou55 | 2019-07-04 22:32 | 古希シネマ | Trackback | Comments(0)
  2011年4月11日掲載のものを再掲載。


 余震が続く。

 20km圏外「計画的」避難、、、、「計画的」とは、どういうこと?

 
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2011年、福島第一原子力発電所の事故から一ヶ月、その折の小生が本ブログに掲載したモノ。

トーハクのお花見イベントは全て中止になっている。

東日本大震災直後、お花見気分なんて・・・・。

 それから、8年目の今日この頃、春爛漫の桜にすっかり浮かれている。

 ぼーっと、生きていてはいけない。



現在、福島県立美術館では、東日本地震復興記念「伊東若冲展」開催中でアル。

訪れてみると、大変な盛況。

会場に地元のボクよいももっとお年の皆さんも大勢いらっしゃった。

喜ばしいことでアル。

そうであれば、

某お役所は所蔵の「動植綵絵」くらい貸し出してあげればよかっただろうに。

昨年は花のパリでお披露目したというではないか。

それなら、花見山で名高い福島にも。




二本松でも見かけたポスターである。
 
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by ribondou55 | 2019-04-14 22:18 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(1)
 櫟野寺のご開帳を拝観して、ボクはその日の宿泊地三重県の伊賀上野へと向かうのだった。

 JR草津線甲賀駅から柘植駅、そこから、関西線に乗り換えて伊賀上野駅まで。

 さらに伊賀鉄道に乗り換えて、上野市駅が今日の目的地である。

 どれも、乗り継ぎにたっぷり時間を要した。

 しかし、青春18切符を愛用してきたローカル線好きのボクにはいつものことである。

 
 とにかくあの甲賀からあの伊賀なのだ。

共に忍者がうようよいそうな土地なのだ。


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路かどに潜む少年忍者
 

忍者ハットリくんのライバルである甲賀少年忍者ケミマキケムゾウの里から、当のハットリくんの故郷伊賀忍者の里への移動なのだ。

 甲賀は滋賀県、伊賀は三重県であるものの、この二カ所の「忍者の里」はたった山一つ越えるだけの近距離にある。

忍者の足なら朝飯前のお茶の子さいさいの移動だったろう。

 
 さて、その昔より甲賀忍者と伊賀忍者の対立抗争は知れ渡っている。 

 その名残であろうか、今でも忍者の里の入り口である鉄道の駅舎には、忍者たちが大いに出没し、よそ者の出入りに目光らせているらしいことを、ボクは目撃した。

 まずは、甲賀駅構内のあちこちに。

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待合室のベンチにも。

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コンコースの天井に。

 
 柘植駅で乗り変えて、伊賀上野駅では向かいのホームに。

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伊賀鉄道へ乗り換えると、上野市駅では、ついに三次元の忍者がボクに疑いの目を向けていたようだった。

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甲賀忍者・伊賀忍者、共に恐るべし。

なんと言っても、このお方でさへ忍者であるという説があるのは、広く知られている。


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上野市駅前広場に立つ芭蕉翁の旅姿。


伊賀上野駅のホームにはこんな句が、是は、案外、一種の警告であろうか。

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名月を愛でてついつい池の回りを巡っていたら、朝を迎えてしまったという。

本当か?

ボクのような常識人では考えられない奇矯な行動である。

徹夜をしても、怪しい奴は監視しているぞということでないか。

大いに怪しい。


















 



by ribondou55 | 2018-12-01 20:55 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
 昨日は、『カメラをとめるな!』(監督 上田真一郎・2017年・96分・日本)をこうのすシネマで。

 (こうのすシネマはとても見やすい、音もいい、座席の座りここちもよい、好きな映画館だ。)

 それは、本題ではない。



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 『カメラを止めるな!』は、抜群の映画センスが満載、よく考えられた作品であった。

 評判通りの快作である。

 すでに、多くのことが語られてしまったので、ボクなんぞが口出しするのは、烏滸がましいので、手放しで「映画の快楽」に浸れたとだけ云いたい。

 ところで、日本アカデミー賞協会の皆さんは、この作品をどう評価されるか?

 或いは、シカトか?

 恒例来年3月1日の授賞式を刮目して待とう!

 

 で、昨夜、『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』(監督 イ・ジュニク、2016年、110分、韓国)をTSUTAYAレンタルdvdで観た。

 一日に、二本観たものもしばらくぶりだ。


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 詩人ユン・ドンジュと独立運動家ソン・モンギュの青春を描いている。

 日本統治下で創氏改名を強いられ、ユン・トンジュは平沼東柱、ソン・モンギュは宗村夢奎と名乗る。

 両名ともに、日本に留学中、朝鮮独立運動を画策・扇動したかどで、治安維持法違反にあたるとされ、拘束され、裁判にかけられる。

 ユン・ドンジュは懲役二年の実刑判決が下され福岡刑務所に収監される。

 同じくソン・モンギュも福岡刑務所へ。

映画では、過酷な取り調べの様子が描かれる。

 そこでの特高の台詞から、逆に韓国の人々が統治にあたった「日本」をどのようにみていたかということが、よく分かる。

 そして、両名ともに獄死をする。


 作品は、ユン・ドンジュのいかにも天性の詩人であるデリケートな感性と現実にさいなまれる苦しさであふれている。

 ユン・ドンジュが一詩人として人生を全うしたいという願いを踏みにじったのは、どのような力であったのか、よくみておこう。

 モノクロの映像が美しかった。

 役者さんたちも、よろしかった。

 

 いやはや、昨日の二本立ては、インパクトがあった。

 よいものを観た。






 
 




 

 
 

 

 
 
 

 

 

by ribondou55 | 2018-10-15 23:13 | 古希シネマ | Trackback | Comments(0)
 『メッセージ』(監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ、2016年)を、観た。

 
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SF超大作との触れ込みにのせられて映画館に足を運んだ。

どこが超なのか?ボクには分からないのだが、これまでに視たことのない映像、聴いたことのない音響であることは、確かだ。

どうでもいいことだが、突然飛来した未確認宇宙船の形が、おせんべいに似ているらしい。

まあ、話題作りだね、ばかばかしい。
 
ちょと、難解な味付け。

ポイントは「時間」だ。


さて、エイリアンが文字を書く、これはちょっと斬新だ。

地球人とエイリアンと文字を介在させて意思疎通が実現する。

その文字が、さながら禅坊主の円相ではないか。

あの一筆書きの○。

思えば、時間が円のように完結するものなら、時間の全体を鳥瞰できるはずだ。

ボクラは時間を過去から未来へとひたすら伸びて行くものとぼんやり思っている。

しかし、円なら過去も未来もない、始まりも終わりもない。


この映画が取っつきにくいのは、ルイーズがエイリアンから与えれた予知能力によって獲得される、彼女の未来の体験がストーリーの時間を無視して攪乱するように、フラッシュバックする、一種の映画的なレトリックに惑わされるからだ。

ボクのやや直感的な認識からすると、ルイーズは宇宙船内でエイリアンと触れあう以前にすでに触れあってしまっていた、ということなのだが。


しかし、エイリアンのメッセージは美しいものであった。

ますます剣呑になってゆくこの地球の人間たちが、一つにまとまるために。

やっぱり、円相ってことか。



ボクが観た映画館、13時15分からの回であったが、ほとんどがシニアであった。

勿論本日は、金曜日、暇人は老人ばかりということか。

いや、目利きはやはりシニアの中に在り、ということか。







by ribondou55 | 2017-05-19 23:16 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
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 「ICHI」(監督・曽根文彦、2008年)、Aプライムで観た。



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大いに楽しめた。

娯楽映画とはこういうものだ。

女座頭市なんて下手物風に思われそうだが、按摩ではなく離れ瞽女としたところが、現代に繋がる。

案外、勝座頭市より深い所に到達できそうな気がする。

とにかく、綾瀬はるかでなければ、こうはいかない。

シリーズ化したらよかったのにと思う。

決め台詞は、胸を打つ。


「なに斬るかわかんないよ、見えないんだからさ」






by ribondou55 | 2017-04-17 22:44 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 「シン・ゴジラ」(総監督/編集/脚本:庵野秀明・特技監督:樋口真嗣、2016年)を観てきた。

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 今、振り返ってみると、ボクが始めて見た歴代ゴジラは、第二作「ゴジラの逆襲」であったようだ。

 1955年(昭和30年)の作品である。

 内容は、記憶にないのだが、ただ兄から、「お前はゴジラが現れると、前の椅子の背もたれの影に隠れるようにしていた」と、母親の前で暴露されたことが、悔しくてならなかったことは、今でもよく覚えている。

 その後、何作かのゴジラを見てきたはずだが、「モスラ対ゴジラ」だけが、ザ・ピーナッツの歌声とともに、わずかに記憶されている。

 だから、今日観た「シン・ゴジラ」は本当に久しぶりにという以上のものだ。

 この作品、観る者のバックグランドによって、イロイロに楽しめるのだろうと思った。

 若者は、「エバンゲリオン」を思い起こすだろうし、ボクのような爺さんは、水爆実験で安住の地を追われて出現したといわれる元祖ゴジラの再来と見なしたりするだろう。

 ボクの目にも、フクシマ原発事故の再現のようにみえた。

 苦い、苦いパロディ。

 ラストシーンのゴジラの姿は、福島第二原発の現在の風景に重なる。

 この作品、おそらく数十年後には、ある種の歴史的な証言と云った意味合いを持つようになるかも知れない、そう思った。

 庵野監督、期待を裏切ることがなかった。

 石原さとみの力みすぎて滑舌不調なんぞも、ご愛敬としておこう。
by ribondou55 | 2016-08-12 23:26 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 こんな季節である。

 レンタルDVDをまとめて観る。

 「オデッセイ」(監督・リドリー・スコット、2015年)から始めよう。

 火星にひとり取り残された宇宙飛行士のサバイバルを緻密な科学描写とともに描いた、アンディ・ウィアーのベストセラー小説「火星の人」を映画化。極限状態の中でも人間性を失わず、地球帰還への希望をもって生き続ける主人公マーク・ワトニーをマット・デイモンが演じ、「エイリアン」「ブレードランナー」などSF映画の傑作を残してきた巨匠リドリー・スコットがメガホンをとった。火星での有人探査の最中、嵐に巻き込まれてしまったワトニー。仲間たちは緊急事態を脱するため、死亡したと推測されるワトニーを置いて探査船を発進させ、火星を去ってしまう。しかし、奇跡的に死を免れていたワトニーは、酸素は少なく、水も通信手段もなく、食料は31日分という絶望的環境で、4年後に次の探査船が火星にやってくるまで生き延びようと、あらゆる手段を尽くしていく。 (映画comから拝借)

 今でも行われているのか知らないが、中学か高校あたりの映画教室にうってつけのプログラムになるだろう。

 登場する人物たちも、皆が皆、「善きアメリカ人」である。

 まあ、毒にも薬にもならない。

 ただ、火星で初めての農作物であるジャガイモ、ボクも最近畑から収穫したのだが、・・・・ちょっと、姿が作り物・・・、できることなら、きちんとジャガイモの栽培をして欲しかった。

 枝葉末節な感想である。

 「ブリッジ・オブ・スパイ」(監督・スティーヴン・スピルバーグ、2015年)は、好きだな。

 スティーブン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演、ジョエル&イーサン・コーエン脚本とあっては、手堅すぎるほどで、つまらなくなるはずがない。

 トム・ハンクス演ずるところのジェームス・ドノバンは、弁護士であるとともに、政治的交渉者。ドノバンは1962年の捕虜となった米国のパイロット、フランシス・ゲーリー・パワーズ (Francis Gary Powers)とソビエトスパイ、ルドルフ・アベル(Rudolf Abel)の人質交換、および1962年のキューバーでのピッグス湾事件失敗による1113人の米国人捕虜の帰還交渉で広く知られている。(ウイキより拝借)

 まさに、さまざまな「思惑」で、「法」が揺らぐ、捻じ曲げられる、骨抜きにされる、そんな今日この頃、一見之価値有り。


 「残穢 ー棲んではいけない部屋ー」(監督・中村義洋、2015年)

 小野不由美の原作の方が、もっと怖いだろうなァと、思いつつ観た。

 せっかくの竹内結子も橋本愛も、ぱっとしなかった。

 ホラーとしても、煮詰まっていない。

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 「ボーダレス ぼくの船の国境線」(監督脚本・アミルホセイン・アスガリ、2015年)、主役の少年を演ずるアリレザ・バレディがすばらしい。

 サヘル・ローズさんのトークイベントでのことば。

 出演している3人は、ペルシア語、アラビア語、英語と言葉は違うけど、ぶつかりあいながら、次第に心が通じていきます。最初、船の中にヒモで境界線を作ったのが、子どもたちはいつのまにかヒモで作った境をはずしています。国境があるからこそ出来た溝を、子ども目線で教えてくれる。
 舞台はおそらくホッラムシャハルだと思います。去年、自分が生まれた町を訪れたのですが、川から観た風景にすごく似ています。イ・イ戦争の時に一番被害にあった場所で、廃船もいっぱい浮いています。川に、いつのまにか、誰かが国境線を引いて、向う側には兵士がいる。生まれた場所が違って、言葉が違うだけで、同じ人間なのに敵対している。なんのためのボーダーなのだろうかと思いました。
中東というと、いっしょくたにされますが、それぞれ人も文化も違います。小さい時に大人から教わった隣の国の人は怖いということをほんとうだと思い込んでしまったりしています。この映画では、アメリカ兵を悪者に描いてない。闘っているのは家族のため。闘いたくて、ここに来ているのじゃない。どこかで犠牲になっているのが人だと思います。 「シネマジャーナル スタッフ日記」から拝借。
 

 ほんの一瞬に近い間であったが、この廃船の中は、ボーダレスになりえた、これは「希望」につながるのがが、・・・、いつだって「希望」打ち砕かれてしまう、・・・、砕かれ続けている。




 

  
by ribondou55 | 2016-07-05 22:39 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 『牡蠣工場』(監督・想田和弘、2016年)を観た。

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 映画comの解説を借用する。

 「選挙」「精神」の想田和弘監督が、岡山県の牡蠣工場で働く人々の姿を記録したドキュメンタリー。ナレーションやBGMなどを排した想田監督独自のドキュメンタリー手法「観察映画」の第6弾として製作された。瀬戸内海に面した岡山県牛窓。かつては20軒近くあった牡蠣工場も過疎化などにより、今では6軒に減ってしまった。宮城県南三陸町で牡蠣工場を営んでいた渡邊さんは、東日本大震災で自身の工場が壊滅的な被害を受け、牛窓の地に移住し工場を継ぐこととなった。労働力不足のため、渡邊さんの工場でも中国からの労働者を雇い始めたが、言葉や文化の違いによるコミュニケーションの難しさに直面する。隣の工場では、早くも国に帰る脱落者が出た。牛窓という小さな町の日常から、グローバル化、少子高齢化、過疎化、労働問題、移民問題、さらに震災の影響など、日本が抱えるさまざまな問題が浮かび上がる。


 そういうことである。

 ボクらは、さりげなく過ごしている日常が実はさまざまな問題に浸食され、変えられ、揺さぶられているということに、自覚的でない。

 いつものように、観客はスクリーンを見続けるだけの作品である。

 でも、ちょっと今回は、「私」が垣間見えるか?

 ともあれ、牛窓という小さな港町とそこで営まれる牡蠣剥きの工場に起きていることは、身を凝らし耳をすませば、ボクの住む北関東にも、もうしばらく以前からあったぞと、いえば確かに見えていたことである。

 その問題の一つ一つをつまみ上げようとすると、芋づるのようにずるずるとあれもこれもと関わり合い絡み合った諸々の問題が引きずりだされてくる。

 もう、お手上げだ、そんな気分になる。

 ひたひたと寄せてくるあれやこれやは、ボクらの日常の全局面を変質させていく。

 なくしてもよいもの、なくしてならないもの、うけいれてよいもの、断固拒否を貫くべきもの、・・・、平穏に喰い、睡り、排泄できる日常をどう守ってゆけるか、考えよう。



 
by ribondou55 | 2016-05-20 23:26 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
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 今日もひとりの
              石垣りん

 ビルが建つ
 事務所が足りない、という
 卑近な目的にかりたてられて
 東京中にたくさんのビルが建つ。

 そのかしましい響きの中で
 今日
 「また一人工事現場で死んだよ」
 と、さりげない人々の物語り、

 あの危険な生活の足場から
 木の葉よりも軽く
 撃たれた小鳥よりも重くどさり、と落ちて死んでしまった。

 「それはね、一つのビルが建つには
 たいていあることなんだ」
 誰もが日常茶飯の中でそう言い捨てる
 この近世の非情に対して
 私たちは無力に相づちをうつのであろうか。

 その目の中に太陽を宿し
 その胸に海をいだき
 こころのぬくもりで
 むざむざと失ってならないものが
 たやすく否定されたりする

 たとえばひとつの建築
 あるいは大きな事業のためには
 ”やむを得ない”などと、
 だから
 平和のためのいくさ
 などともいえるのだろうか。

 道に横たえられていた鉄筋が
 生きているもののように立ち上がり組み立てられる
 その建築の
 その目的の
 それが造る人ひとりひとりにきざまれた
 希望であり
 目的であるような
 そのようにいのちも心も生かされる
 人間の仕事はないものだろうか、
 もしそうであったら
 建築と共に残る私たちの歴史は
 どんなに輝かしいことだろう。

 今日また一人のひとが足場から落ちて
 死んだ、
 あの危険な場所へ登って行ったのは
 ビルを建てる願いのためではなく
 食べるため
 或いは食べさせるrために
 
 今日もひとりの人が死んだ。



 よい陽気なので、終日畑の手入れをした。

 とりあえずは、ジャガイモを植えるためにだが、ついでに冬野菜の残りや、はるキャベツ、菜の花、イチゴ、かき菜、ネギ、玉ねぎなんかが育つ畝と畝の間をスコップで掘り起こし、牛糞たい肥を入れた。

 例によって、トランジスタラジオからイヤホーンで音楽を聴いたりしながらだが、大体は参議院の予算委員会の中継だった。

 腹が立つよりあきれた。

 あきれた。

 答弁に立つ首相Aやもろもろの大臣やら官僚やら

 質問する与党・野党の議員さん

 ぜーんぶ、残念。

 そこで、りんさんの詩を思い出した。

 こんなこころやまなざしが奴らには、まったくない!あるいは、どこかに置き忘れしまっている。

 尊大で

 はしたない。
by ribondou55 | 2016-03-18 21:02 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂