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 今日のような寒い日は、あまり愉快な気分になれない。

 やはり、こんな花壇が、待たれる。

 このあたりでは、ちょっと遠出して群馬フラワーセンターのチューリップがいい。





by ribondou55 | 2016-03-12 23:54 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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 サンシュ、この枝をミルクに浸しておくと一晩でヨーグルトになると、云う話を聞いたことがある。

 本当に?



 いよいよ、3月となり、菜園の作業が忙しくなってきた。

 きょうで、ほぼ雑草を始末し終えた。

 来週は、堆肥を鋤込んだり、なんやかやと、土の世話が始まる。

 それに、ジャガイモの植え付け。

 種蒔きの準備。

 どことなくそわそわする。

 地元の辺りのインゲンと南瓜の種を入手した。

 今年も瓜を作りますかと、通りがかりの見知らぬ人から尋ねられたり。

 また、お楽しみの季節が巡ってきた。





 

 

More オオイヌノフグリ
by ribondou55 | 2016-03-05 23:25 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 あるいは、

 梅咲いて身のおろかさの同哉  一茶

 こうして、入力してみると、どちらもつまらないが、一茶らしい。

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 森林公園の梅林で。
by ribondou55 | 2016-02-12 15:52 | この一首その一句 | Trackback(1) | Comments(0)
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 熊谷地方気象台の「植物季節観測」の対象には、土筆は入っていない。

 本日現在で、2016年に関しては、うめ2月2日、つばき2月2日、たんぽぽ3月1日とある。

 ソメイヨシノの開花は、まだ観測されていない。

 ボクは、桜も心待たれるのだが、土筆の顔をみたい。

 あるいは、ひそかに頭をもたげているかもしれない。

 明日は、すこし足元を見ながら、散歩しようか。

 これから、秩父の山村を訪ねるのも楽しくなる。




 ところで、草餅はうまくいった。

 ヨモギを多めにする。

 茹で上がったヨモギを、すり鉢で丁寧に粉砕し、つぶし、ゴリゴリとやる。

 そうすると、見事な緑色に発色する。

 それが、コツであった。
by ribondou55 | 2016-02-01 11:16 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 また、こうも続ける。

 有るものを摘み来よ乙女若菜の日

 おおらかで、ゆったり、まだ少し正月気分という感じが伝わってくる。

 
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 冷蔵庫に二三日前から、七草粥セットが入っていた。

 妻が、近くのJA直売所で買ってきたものだ。

 これに、畑でできている小松菜や人参、それに餅を加えて、粥にするのだ。

  「 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草 」 

 というが、「せり」はその芹、「すずしろ」がこの大根だと云うことぐらいしか云えない、他はどれがどれだか分からない。

 我が菜園は、雑草天国だから、その中に見覚えがあるものがある。

 もともと七草の粥を食うという習慣は、中国の伝来の習慣を真似たものだ。

 つまり、なんでもかんでも、たぶんその昔は中国の風がお洒落だったのだろう。

 荊楚歳時記【けいそさいじき】という、中国,梁の宗懍(そうりん)が6世紀に著した年中行事記の中に、こうあるそうだ。

 「正月七日、人日と為し、七種菜を以って羹(あつもの)と為す」、「人日」【じんじつ】とは、陰暦の正月1月7日のことで、五節句の一である。 

 「羹」は、魚・鳥の肉や野菜を入れた熱い吸い物をさすと云うが、雑煮というようなものもいうのだそうだ。

 とはいえ、この羹に煮込まれる具材が、ボクらがが食べてきた七草と同じである筈はない、一体何を食べていたのか?

 この「人日」の習慣が、万葉の雄略帝の歌で親しみのある古来からの「若菜摘み」の習慣と結びつきてきたのだろう。
 
 その「七草」には諸説有るようで、ボクはhttp://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/haruna-tumi.htmlで蘊蓄を読ませてもらった、勉強になりました。

 さて、この七草粥、昼に喰うのだが、ボクが作る、美味くできるといいのだが・・・。


果たして、七草粥は美味しく食べることができた。

 これで一年、無病息災と願いたい。


 朝 トースト コーヒー ババナ蜜柑ミルク 林檎
 昼 餅入り七草粥 沢庵 松前漬け 
 夜 焼き魚(塩鯖)+大根おろし多め 焼き豚 ブロッコリーサラダ 白菜漬け 汁代わりの煮込みうどん ご飯

 
by ribondou55 | 2016-01-07 09:18 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 『老人としてナンボの価値があるかと値踏みされて迎えた新春。(玉木司さん訳・角川ソフィヤ文庫)』というわけだ。

 一茶は、それでもどの程度に値踏みされるのかと、気にしている。

 ボクは、まったくその気がないというと嘘になるが、それほどでもないように思う。

 ボクは、もう片足は確かにこの世の土を踏んではいるが、もう片方はかの世の冥界にはまっている、そんな気分でいる。

 これからの余生とその終わりくるまで生きるだけだ。

 お金は勿論、名を残すなんてこともない。



 「行く年来る年」を観て、そろそろ寝ようかと思いながらぐずぐずしていると、「朝生」がはじまってしまった、つい野坂昭如の懐かしさに惹かれて、見続けてみた。

 「朝生」を最期に観たのは、もう10年以上前だろう。

 果たして、つまらない。

 名物司会者の大御所は、もう降りた方がいい、というより、この番組はすでに命脈は尽ていた。

 冒頭、大御所が「A総理も観てますか」、いや、そうではなく、多分「観ているだろう」というような事を云っていた。

 ボクは、ウエーと思った、Aが観ていようが、いまいがどっちだって関心ないが、つまりそういう言葉を発する、この種の老人が毛虫より嫌いだ。

 大御所だって、どっちでもいいのだ、要は、「A」というお方の名を口のすることが、自分の大御所振りをアッピールする事になるからだ。

 イヤイヤ、そうではなく、必ず観ているに違いないと、思っていたとしても、同じくウエー。

 もし、そのAが、ホントに観てたら、三度目のウエー。

 

 こんなこともあった、「一個一〇〇〇円の苺を誰が食べられるのか」と、ボケか、トンチンカンか区別がムズカシイが、森永卓郎発言に元総務大臣らと組んで、森本をコケにするあたりの大御所振りにもウンザリした。

 宮城県山元町の成功事例は、めでたいことである。

 だが、「ミガキイチゴ」の生産者も、それを購入できる消費者も、ほんのほんの一部、多くの農民と、ボクラのような暖冬でも懐具合いは木枯らしが吹いているモノたちには、縁もゆかりもない話、そういう輩は、この場面で、卓郎さん的な発言はおおいにOKなんだ。

 是非、山元町はイチゴビジネスの御旗の元にじっちゃんばっちゃんの苺農家も大繁栄して、いずれは、行きつけのスーパーに出回る「栃木おとめ」ほどの庶民性も兼ね備えてほしいものだ。

 ボクのような俗な思いつきばかりの人間については、案外、山本一太が分かっていて、辻元清美の方はダメかも知れない、そんな風にも思った。

 一時間半余り観てしまったのだが、そこら辺までは発言回数は少なかったが、小林よしのりサンが、ナントナント一番穏当で筋が通っていた。


 今日のイエメシ

   朝 雑煮 ババナと牛乳のスムージ 林檎
   昼 カレーライス (おせちの煮物や焼き豚なんぞの再利用、ごった煮にしてカレールーを投入、美味し)
   夜 蟹チャーハン、おせちの残り、わかめスープ、たくわん(蟹は、いわゆる遠慮の塊的に残ったずわいの脚の切れっ端から身を頂いた、蟹風味が濃厚にあって、まあまあ。沢庵は、妹家の手製。)
   デザート 娘の年始モノ、抹茶のバームクーヘン

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 ことしも、よろしくね。




 


 
by ribondou55 | 2016-01-04 22:57 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
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 『おらが春』の巻末。

 ただ自力他力、何のかのいふ芥もくたを、さらりとちくらが沖へ流して、さて後生の一大事ハ、其身を如来の御前に投げ出して、地獄なりとも極楽なりとも、あなた様の御はからひ次第、そばされくださりませと、御頼ミ申ばかり也。
 斯くの如く決定しての上には、なみあミだ仏といふ口の下より、欲の網をはるの野に、手長蜘の行ひして、人の目を霞め、世渡る雁のかりそめにも、我田へ水を引く盗み心をゆめゆめもつべからず。しかる時ハ、あながつつくり声して念仏申ニ及ばず。願わずとも仏ハ守り給ふべし。
 是則ち、当流の安心とは申す也。穴かしこ。

 ともかくもあなた任せのとしの暮れ  一茶 (五十七齢)

  文政二年十二月二十九日


  巻頭では、

  ・・・・・・・・ことしの春もあなた任せになんむかへける。

            めでたさもちう位也おらが春 

  「あなた」とは、阿弥陀如来である。

 一切を阿弥陀如来にお任せして、如来の本願に抱かれて、必ず極楽へ往生させて頂けると信じることであった。


 あした、大掃除。
by ribondou55 | 2015-12-27 23:52 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 山茶花の垣根なのだが、その数本がどうしたことか続けざまに枯れてしまった。

 隙間になった部分に同じ山茶花を植え直すのも面白くないので、ついついもらい物などを気まぐれに植えてきた。

 山吹は、秩父のとある民家の脇の藪に咲いていたのを、許しを頂いて、数株引っこ抜いてきて植えたものだ。

 それが数年で生け垣の一部の体をなした。

 
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 正岡子規の根岸の子規庵にも山吹が植えられていた。

 タイトルの子規の歌は、明治34年春に詠まれている。

 翌35年没。

 子規の歌集によれば、

 世の中は常なきものと我愛づる山吹の花散りにけるかも (34年)が山吹を詠った最後の歌のようだ。



b0018682_018127.jpg 今日は、はっきりしないお天気だったので、こんな日は映画の日ということになった。

 『少女は自転車にのって』 (監督・脚本:ハイファ・アル=マンスール、2013年/サウジアラビア・ドイツ)を観た。

 サウジアラビアという国は,映画館のない国であるそうな。

 また、著しく女性の人権が制約されている国でもあるということも。

 こうした国で、女性が映画を作り上げるということは、とても困難なことであったろう。

 主人公の少女ワジダ役のワアド・ムハンマドがとてもしなやかでかわいらしい。

   この作品についての紹介は、NHKの[ワールドWave]『サウジアラビア 制約を受ける女性たちは今』(http://www.nhk.or.jp/worldwave/marugoto/2013/11/1111m.html)がわかりやすいし、ボクもこの映画について知ったのもこの番組であった。

 つべこべ云うことは何もない、映画館を去る時の気分がとてもいい感じになる。

 変革への意志というものは、こんな風に静かに語られることで信じることができるものになるのだという、お手本のような作品である。













 

 

  

 


More 子規「山吹の歌」より
by ribondou55 | 2014-04-19 00:03 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 椿は勿論、山吹や利休梅には目が向いていたのに、ひっそりと梅の実がなっていたのに気がつかなかった。

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 荒木一郎の『梅の実』という歌を思い出す。

  梅の実がなった この小さな朝に
  青く冷たい 朝もやの中に
  梅の実は 風のゆりかごに眠る
  やがて生まれる 子供のように
  あの空 あの雲 遠い調べよ
  山の頂きの 白い雪
 
 この歌、メロディがきれいなのでさりげなく歌われているが、歌詞の意味は、ボクには難解である。

 又、一茶には、

 青梅に手をかけて寝る蛙(かわず)かな 一茶

 があるが、季節は夏になるだろう。

この句、老いた一茶が若い妻に甘えている気分だという人もいる。

 さて。

 それに、坪井杜国は芭蕉の想われ人だったという説もある。

 そうな風に読むと、またそれはそれで、おもしろい。

 梅の実も隅には置けない



 熊谷は、乾燥していて最小湿度が8%であった、とか。









by ribondou55 | 2014-04-16 23:50 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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