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花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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タグ:花花に会う ( 144 ) タグの人気記事

 今月二度目の森林公園。

 あの花は見ておきたいと心づもりするが、しばしば見逃す。

 今日は幸いだった。

 植物園に新しく作られたダリア園で、見事に咲いているのを見ることが出来た。

 ダリアの花の多様さと美しさを再認識した。


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by ribondou55 | 2018-09-22 22:17 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 配偶者に誘われて巾着田を訪れた。

 しばらく前に一度、二度遊びに来たことがある。

 その記憶とはやや違って、随分と垢抜けた観光地になっていた。

 であるが、彼岸花は彼岸花であった。

 たいそうな人出であった。



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この彼岸花、不思議な形の花である。

歯っ欠けばばあとの異名の通り、一本の茎に6枚の花弁が放射状についている、葉がない。

花弁の形からか、「剃刀花」という異名もあるとか。

であるが、なぜ「ばばあ」なのか?

歯が抜け落ちている人、すなわち、「婆」ということだろうか。

爺では、ここの赤い色にはふさわしくないのだろう。

アルカロイドを含む有毒植物でもある。

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by ribondou55 | 2018-09-18 23:08 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
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 小学校でも、中学校でも、高校でも、教室の空気になじめたことはなかった。

 目を強く閉じて、時をやり過ごしてきた。

 そうして、それなりの大人になり、ここまでかろうじて生き延びて爺さんになれた。


 教室の中で屈託無くふるまえる人びとをうらやましいとは思わなかったが、そういう人に声をかけらるだけで惨めになった。

 大声で校歌をうたえなかった。

 本当は、休憩なしに授業がぶっ続けにあって、さっさと帰してくれないかと思った。

 
 そういう感じ方は、一生変わることはないだろう。

 変われない自分を許して、受け入れる。

 それが自分であり、自分は自分だと思えたのは二十歳半ばも過ぎた頃だろう。



学校であれ、職場であれ、100パーセント煮詰まってしまう一歩手前で、「ずる休み」に入ろう。

「ずる休み」は「苦い蜜」だが、でも「蜜」には変わりない。

「蜜」は「蜜」、すてきな「ずる休み」。



目を少しだけ遠くに向けて、そして、きつく目をつぶって、今をやり過ごす。

生き延びるためなら何をしたってOK。

もうすぐ後期高齢者になれるボクのサバイバル術である。

 こんなじめじめした陰惨な国の九月に命を落とすなんて馬鹿げている。







 

 

 
 
 

by ribondou55 | 2018-09-04 23:30 | 生きている | Trackback | Comments(0)
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強力な台風接近中。

旅行をキャンセルしたのは、正解だったようだ。

そこで、台風が通過後に出かけようと、計画を立てなおそうとするのだが、・・・。

気分が乗ってこない。

年のせいだろうか、旅への未練があっても、それ以上に、面倒くささが先にたつ。




庭先に咲いている、それぞれの蘂の風情がおもしろい。

家人は大輪の朝顔の種を蒔いたはずだと言っているのだが、直径3センチほどの花をたくさんつけている。

このごろ流行の「雑草」のようだ。

それでも、小さな蘂は、とても清潔に見える。

対して、松葉ボタンのたくましさよ。

朝日を浴びてしぼむ花と太陽の光に生き生きとする花の違いか。




ついでながら、「雑草魂」とか「雑草精神」とか「雑草のようにたくましい」とか云う表現は、ボクは嫌いだ。

いずれにしても、「君は雑草のようだね」といわれても褒められた気がしない。

他者を「雑草」になぞらえれ評価する側の人間の神経におごりを感じてしまう。










by ribondou55 | 2018-09-03 10:51 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)

秋雨前線

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台風と台風の間に、前線がゆるゆると。

昨日、所用で横浜に。

時間の余裕があったので、横浜美術館の「モネそれからの100年」を観た。

まあねえ、美術館も「手を変え品を変え」客寄せに必死なのだと、思わされた。







by ribondou55 | 2018-09-02 14:55 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
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幸か不幸か、まだ、精神科を受診したことはないのだが、もの悲しい「へろへろ」っとに心惹かれた。


これは、義母が昨夕届けてくれた。

本体は2メートルほど高く成長したサボテンで、いつ頃植えたものかも分からない。

葉はしゃくしのような形だ。

地面に直接植えられている。

花の部分だけを折って、ワンカップの空き容器に入れてきた。

これでも咲くものかと疑ったが、午後10時を過ぎたあたりから、ゆっくりと開き始めた。

感じようにもよるだろうが、とても官能的。

香りは、無かった。

そうして一夜明けた今朝、もうしなびかけていて、そのクったとした様も脱力感があってよろしい。

「へろへろ」とは、そんなふうなことかとも、思った。



今朝の「朝日新聞」の投稿川柳に

「熊谷」のテロップながれる大暑かな

と、和歌山県の女性の句があった。

地名が季語になるかどうかしらないが、「熊谷」が夏の季語になったら、困ったものだ。

そこで、ブログの意匠を涼しげにした。

雷雲の怪しい雲行きである。









by ribondou55 | 2018-07-25 10:07 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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つまり、夢見心地にさそわれるほどの天然の妙。

昼飯の後、ぼくは、敢えてエアコンを止めて、畳に寝転んでいた。

自殺行為?

今日は、風があって、部屋の中を通り抜けてゆく。

湿度もさほど高くはないようだった。

体を包む空気は体温よりも5度ほど高いのだから、それはこの上なく軽い羽布団に包まれているかのようで、・・・。

うつらうつらした。

気持ちよかった。

で、

ふと、目覚めた。

寝ていた時間は、半時間ほどか、ほんの数分であったかもわからなかったが、

全身、ぐっしょりと汗をかいていたのだった。


台所に行き、冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出して、ぐびっとやった。


この世に帰ってきたようだった。


冬山では凍死、ならば、エアコンが切れた部屋での死は「暖死」?


ぼくの好きな芙蓉の花である。





by ribondou55 | 2018-07-23 23:42 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
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「遠島御百首」は、承久の乱(1221)によって、隠岐に配流された後鳥羽法皇が詠出した歌を集めたもの。

帰京を待ち望む孤独な心境のなかでも、こんな慰めもあったのかと。


くそ暑いくそあついと嘆いている輩とは、やはりたいしたちがいだ。



写真は、森林公園の河原なでしこを加工。





by ribondou55 | 2018-07-22 11:08 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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 何の取り柄もない田舎町の熊谷が、マスコミに毎日露出できる季節がやってきている。

 市内の小中学校のホームルームには、エアコンが設置されているのだろうか?

 自転車でひとっ走りしなければ行けないマクドナルドには、150円Mサイズのアイスコーヒー一杯で、涼みに来ているご同輩の高齢者がちらほら。

 いうまでもないが、Sサイズ100円ではないところが、泣かせるのだ。

 老人、子供が生きていくのには冷たくて、そういう激しく暑い夏なのだ。



本日は、カジノばくち法案も成立確実だとか。

まことに狂ったというしかないような陽気である。

それでも、お子たちは夏休み、よかったね。

何の取り柄もないこの町は八坂の祇園祭りに突入する。

「うちわ祭り」と呼ばれる。

さて、さて、老骨に染みいる熱波をあびながら、お囃子に呼びかけられて、ふらりふらりと、通りに出るのも、実は、エライこっちゃ。




ヤマユリは、森林公園で、三日前に。




 




by ribondou55 | 2018-07-20 11:59 | 生きている | Trackback | Comments(0)
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陋屋の庭先の紫陽花は、しばらく前の母の日に娘が贈ってきた鉢植えを土に下ろしたものだ。

ガクアジサイに属するものだろうが、贈答品用とあって、どこか見慣れたものと違うような気がする。

今年も咲いた。

今は、さかりが過ぎて、赤みを帯びてきた。

本日は六月十一日。

台風が関東沖を通過中である。


雨が降ると一日中家に籠もるほかない。

今日は、海外ドラマ「SUITS」のシーズン4をだらだらと観ていた。

このドラマ、「嘘」によって成立している。

何処までも嘘だらけなのだが、「嘘」を基盤にしても人は誠実になれるというような・・・お話。

案外、ためになるかも。









by ribondou55 | 2018-06-11 16:46 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)