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山東菜の花が咲いている

 ボクの畑には、彼方此方で勝手に芽を出し、葉を茂らせる輩がいる。

 それらは大体菜っ葉の連中であるが、冬の今でも元気だ。

 こやつらは、脱走者であるから摘まれて喰われることもなく、畑のそこここで命をまっとうして枯れて行く。

 菜っ葉ではないが、唐辛子やシシトウは今年勝手に育って、ボク等の味覚にサービスしてくれた。来年も行けるだろう。

 今は、山東菜が花を付けた。

 元旦の雑煮に浮かべて喰ってやろうと、今はだまって見ている。

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 ボクはこの時期になると、欝っぽくなる。

 欝には一茶が効く。

   としの暮池の心もさはぐらん

 明日は大掃除、いや間違い、すす払い。

 餅つきは三十日。

 あと、すこし。





  




 
by ribondou55 | 2013-12-26 10:26 | 畑にいます | Trackback | Comments(0)
 配偶者の快復途上の一区切りにしておこうと、吉野の桜を一目見ようと出かけた。

 この10日、奈良に二泊の宿を決めてのんびり出かけた。

 京都で途中下車して御室仁和寺の御室桜に立ち寄ることにした。

 ねぶたさの春は御室の花よりぞ  蕪村

 昔から数ある都の桜の名所でもっとも遅く見頃を迎えるという。

 満開。

 見事なものであった。
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 ついでにお隣の竜安寺の石庭越しのしだれ桜も見ておこうと足を延ばしてみた。

 おお、なんとこれも見頃であった。


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 翌日、吉野へ。

 吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ   西行

 奥千本まで行ってみた。

 
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 日本人の桜見巡礼の地として、吉野山は「聖地」といえるかも知れない。

 吉野は、大海人皇子が壬申の乱を起こすまでの期間を過ごした地であった。天武朝・持統朝では、天武朝の興隆の記念的な土地として、吉野離宮への数多い行幸があり、そこで吉野讃歌と呼ばれる和歌が詠まれた。しかし平安朝に入り、都が京へ移ってからは、吉野は地理的にも都から隔たった遠い地となる。さらに、役小角によって金峯山が開かれ、吉野は修験道の本拠地となり、蔵王権現の神木として桜が修験者たちによって植樹され、吉野は桜の山となった。11世紀になると、上皇や貴族たちによる御嶽精進(みたけそうじ)がたびたび行われ、吉野を訪れることも増えるが、それはあくまでも、めったに人々が訪れられない地だったからこそ、この地を浄土と見て参詣したのである。

 そうした歴史的な経緯、そして信仰の山そのものということもあるのだが、「願はくは花の下にて春死なんその二月の望月のころ」と詠んだ通りに、文治6年(1190)2月16日に入滅したという事実は、同時代の人々にも大きな衝撃をもって受け止められたたという、その西行が愛してやまなかった吉野の桜は、日本人の心性をくすぐる力を今なお有しているように思える。

 で、ボク的には疲れた疲れたというコトか。

 であるが、「一目千本」、まことに盛りのころは心を奪われよう。

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 染井吉野ばかりを「桜」と慣れてしまった目にも山桜のすらっと高い梢は清らかにさえみえる。

 それに、なんとボクらは奥千本から西行庵へとゆく崖っぷちの細道で花びらかとまがう雪に降られた。

 雪が通り雨のようにさっと降って消えた。

 敵である頼朝を前にして、義経との別離を静御前は歌う, 

 
吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき


そして、蔵王権現。

 念願が果たせた。





 

by ribondou55 | 2013-04-13 23:14 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 三叉路の理髪店前桜咲く    李凡堂

 彼岸が過ぎた。

 今年は、さくらの彼岸となった。

 墓参りも少し華やぐようであった。

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 ミモザも咲いた。

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 この間印象に残った映画は、『こころの湯』と「かくされた記憶』の二作。

 『こころの湯』(監督・チャン・ヤン、1999年)は、しみじみとした感動を呼ぶ。

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 このところの中国の経済発展の中でおそらくは失いがちになっているだろう家族の暖かな心の交流が身にしみる。なぜ失いがちかといえば、我々の国がそうであったからだ。高度経済成長期といわれた熱狂からさめて思い知ったことは、つまりこういうことであったではないか。
 老いた銭湯の親方を演じるチュウ・シュイは、すばらしい。

 『隠された記憶』(監督ミヒャエル・ハネケ、2005年)は、ちょっと理屈っぽい見方を要求されるので面倒くさい作品だった。だが、主人公のテレビキャスターが、いかにもパラノイアっぽくて、ボクの身の回りにも時折見かけた鼻持ちならないおっさんぶり。そこから、うすうす監督の意図に共感できそうな感じがあった。



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 それにジュリエット・ビノシュの熟女振りもあいかわらずよかった。

 「やましさ」という感情から人は逃れようとして、ますます馬鹿げたことの泥沼に入り込む。まったくもって、こまったことだと、・・・・我が身を振りかえったりもしたのだった。





 

by ribondou55 | 2013-03-24 22:55 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 
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 暖かな夕暮れである。

 日中は20度を超えた。

 通りかかった国道17号の道端の河津さくら。三分咲きというところか。

 春の夕暮れは、見えるものすべてが、おおむね美しい。

 こんなものまでも、

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 しかし、しかしだが、人並みに心中では、こんな言葉が今一番の拠り所。

 念仏の行者は智恵をも愚痴をもすて、善悪の境界をすて、貴賎高下の道理をすて、地獄をおそるる心をもすて、極楽を願う心をもすて、又諸宗の悟をもすて、一切の事をすてて申す念仏こそ、弥陀超世の本願にもつともかなひ候へ。かやうに打ちあげ打ちあげとなうれば、仏も我もなく、まして此内に兎角の道理もなし。善悪の境界、皆浄土なり。外に求むべからず厭うべからず。   一遍上人

 うたれるではないか。

 
 つくづく、こだわりばかり、己自身から解放されない自分が疎ましくてならない。

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   妻ありて慣れなれしくレタスをちぎる     李凡堂






by ribondou55 | 2013-03-09 18:21 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 妻の気分転換のため、夏が終わった湯ノ丸高原へ、ドライブにでた。

 池ノ平の駐車場から駒草が自生するあたりまで登り、持参したにぎりめしを食い、池のある低地の木道まで下りて、ゆっくりと歩いた。

 
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 蝦夷リンドウが、盛りであった。


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 秋が来ていることは、何より風の清浄な冷たさでわかる。

 咲き残り、マツムシソウ。


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 復調したようだ。

 帰宅すると、耕耘機が届けれてきた。

 楽しみというより、やれやれ、また,やっかいなことを引き受けてしまった、という気分。

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  りんどうの藍あをぞらの重さかな    李凡堂
  


  
by ribondou55 | 2012-09-14 21:26 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 妻は、昔の友人とランチ、夕方まで帰らない。

 ちょっと仕事をして、畑へ出るには、少し暑い。

 そこで、館林美術館へ出かけようと・・・・・。

 企画展示 「館林ジャンクション-中央関東の現代美術-」、ちょっと、そそられる。

 中央関東とは、よくぞ言いやったり!

 これが、始末に負えない「地方」なのだということは、長く住民でいないとわからない。

 都民の大多数が、この数世代に限っても、すすんでお上りになった田舎出身か、その子孫であることはいうまでもないが、中央関東の連中は、中途半端に都民になりすまそうとはしない傾向がある。

 遠くても数時間で都心に出られる。

 テレビ局も中央と同じチャンネル。

 セブンも、ローソンも、ファミマも、みーなある。

 なんで東京に行く必要があろうか。

 「おらァ、おら、だんべェ」なんて、つい口にして、赤っ恥かいたあげくの自己嫌悪なんてのもまっぴら。

 だからかえって、あんなに近い「東京」に距離置く。

 
 そんな中央関東の「あーと」はいかに反「東京的」かと思ったら、妙に当たりまえ過ぎた。

 ただの、・・・・。

 僕は、中央関東が目指すべきことは、いってしまえば、「中央」と「地方」の狭間性だと思う。

 その中途半端さで、東京を嗤い、地方主義の偏狭さを白眼視してやれ。

 がさつな房総人とこましゃくれた湘南人を蹴っ飛ばせ。

 ともあれ、


 中央関東なんて、単純に地理的な位置づけにすぎないのだ。

 だが、この地域の「糞暑さ」をあーとにしてはくれなだろうか。

 たとえば、「山田うどん」、・・・・子供づれの農家のおしゃれファミリーが、田んぼが見えるカンター席で、パンチを食らっている、あの風景。ちなみに、パンチとは、モツの煮込みなのだが。

 いいぞ。


 光山 明さんと藤井龍徳さん、・・・・ユーモアときまじめ、対極の作風だが、好みです。


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by ribondou55 | 2012-06-24 17:05 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 これまでも、ドライブをかねて、あちこちのささやかなイベントを訪ね歩いてきた。

 そんなことを、記録しておきたい。

 同行者は、妻。時折、母の気分転換に。

 さて、今日は夕べ、ネットから見つけた「れんげの里フェスティバル」

 群馬県中之条町は山田地区の手ずくり感いっぱいのお祭り。

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 今年は、れんげの開花も遅れ気味であったとか。

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 れんげが咲く田んぼが催しものの会場。

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 傍らの農道にテントが並ぶ。

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 地区あげての楽しい祭りである。

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 帰り、伊香保で食事。石焼きカレーなるものを食べた。

 新緑映える、すがすがしいドライブであった。

 いつものように運転は、妻任せ。







by ribondou55 | 2012-05-12 23:30 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 内澤旬子「飼い喰い 三匹の豚とわたし」を読んだ。


 この駄洒落は、趣味がわるい、とボクは思う。

 ガキの時分のこと、豚の水浴びを、柵にもたれて眺めていた。

 ばしゃっと、プールの水がはねた。

 顔面にかぶった。

 糞尿のまじったやつだ。

 以来、ボクは豚舎には近づかないでいた。

 「飼い喰い」は、あの臭いと・・・吐き気を思い出させた。

 本が延長するのは、目ばかりではない。


 でも、ボクは今日もポークカレーをおいしく食べた。




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 夜の椿果肉のごとき重さもつ 加藤楸邨














by ribondou55 | 2012-03-21 22:51 | 読み捨てご免 | Trackback | Comments(0)
 新宿御苑の菊花展を見た。

 これが、たいしたもので、菊作りの技と洗練された菊の美しさに、まいったなと思った。

 菊というのは、かくも静謐にして、気品の薫るものかと、気づかされた。

 いや、まいった。


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by ribondou55 | 2011-11-10 23:25 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 昨日から仕事にもどった。

 ちょっと、まとめて休みが取れて、松本に出かけたのだ。

 昨夜は雨に降られて難渋した。

 夏物の薄手の上着では寒かった。

 今日はすばらしく晴れ上がり、新宿の空も美しかった。

 本当に東京の空はきれいになったものだ。

 (でも放射能に汚染されてしまったが・・・・・・)

 何処に行っても、そこはかとなく金木犀が香っている。

 昼休みに例の如く御苑を散歩した。

 たった30分ほどであるが、気分がずっと軽くなる。

 金木犀だが、あちこちに、小さな黄金色の花を密集して咲かせている。

 だが、意外にも、香りが薄い。

 満開の金木犀は、あまり香らないのだと、知った。

 ふーん、となんとなく納得するところもある。

 「さもあらん」と、思う。

 満開になれば、散るしかない。

 というより、金木犀の花はこぼれるように、地面に堕ちるのだ。

 ぽろぽろと。


 銀木犀もあった。


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by ribondou55 | 2011-10-06 23:11 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂