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久々のポタリング。

夏の間、暑さにくじけてボクは、ぐうたらしていた。

ようやく、秋めいてきて、脇腹がタップタップしてたような気がして、ペタルを漕ぐ意欲が少し兆した。

この機を逃すまいと、老体にむち打つ感じで、行田方向へ向かった。

なぜ、行田か?

この方向が、昨日は、自転車にとって追い風になるからだ。


さて、さきたまの博物館までと、目論んだが、

ラグビーワールドカップの会場になっている熊谷ラクビー場の様子を覗いて置こうと、寄り道。

ここでは、全4試合のみだから、本日は試合はない。

それでも、まことに賑々しく開催中のこと推察され、ボクもなんとなくうれしくなった。


そこから、刈り取りの終えた田んぼを両脇に眺めながら、行田市街に向かった。

昼飯に寄ろうと思っていたラーメン屋を目指すのだが、道に迷った。

仕方なく、行田のメインストリートを羽生方向へと当てもなく走ってゆくと、我空薬師の入り口の標識があった。

ポタリングの面白さは、犬の散歩のように、道草すること。

といっても、マーキングはしない。

そこで、「我空薬師」に出会った。

「ガクウヤクシ」、おお、イイ感ジ、御利益ありそうと、お参りに行く。


比較的、小ぶりのお堂が建つ。

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さて、由緒書きを一読し、驚嘆したり、ニヤリとしたり。

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これは、ガクウヤクシではなく、「ガッカラヤクシ」様であったとは。

弘法大師はあちらこちらに通りかかられたようで、このガッカラ薬師様も弘法大師ゆかりの仏様であった。

「行田市研究2012」http://gyouda2012.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-87b2.html にこんな記事が。

第九話 ガッカラ薬師と霊泉長野我空薬師

 長野公民館がございます。あの公民館の前を東へ、工業団地の方面へ向かっていきますと、右手に保育園がございます。その保育園の手前を右へ曲がって、四,五十メートルほどの所に「ガッ薬師」といわれている小さなお堂がございます。昭和の初めまでは、この辺一帯は森われていたと云います。さいけれどもこのガッ薬師のおりは、んなものでした。のおに、元禄十四年から薬師像られていたといますが、そのまでは、姿のない薬師堂であったといいます。昔、弘法大師がこの地をまわられた時、人々を救うために薬師を祀るように言われ、この地を選んでよくめ、仏の助けを祈念して一本の木を植えられました。「ここに薬師さまがお祀りしてあります。信仰のい人が頼めば、必ずご利益を与えてくれるであろう。」と、こう言って立ち去りました。いつの頃からか、その木は光り輝き、夜道でも誤ることなく薬師堂にたどり着くことができたといいます。その、木の根元から泉が湧き、この泉で入浴すると万病に効いたといいます。そして「薬師せい」と呼ばれ評判なりました。その頃からか、夜になるとどこからともなく森の中で「ガッラ、ガッラ・・・」とく音が聞こえてくるようになりました。その音が薬師さまからの音だというので「ガッラ薬師といわれるようになったようです。「薬師の井」は近隣に評判となり、埼玉、、広田など遠くからも、この水をもらいに来る人が絶えませんでした。それがいつしかはしこい人間が目をつけるところとなって浴場を造ってしまいました。これがまた大繁盛し、次から次へと新しい浴場が造られ、この辺一帯が霊験あらたかな「霊泉の町」となってしまいました。何かまるで、現代のスーパー銭湯ブームを思わせるようですねえ。ついには遊楽街となり、いかがわしい湯屋までできるようになってしまいました。それが、今から二百八十年前も昔の享保の頃のことでございます。その浴場の権利のことで争いにまでなってしまったので、さすがに目に余ったのでしょうか。つい忍城主阿部豊後正喬侯はとうとうこの辺一帯浴場を禁止してしまわれました。しかし「薬水」の効き目は衰えず、各地から信仰として水をいただきに来る人は非常に多かったといいます。正徳六年、千七百十六年といいますから、公衆浴場騒動の少し前のこと、この地に住んでいたお坊さんが亡くなったといいますので、このガッラの森に葬りました。ところがそのからったたちがだれかれとなく高熱にうなされるようになりました。みなが「ここに死体を埋めて、薬師如来をけがたてまつったばつが・・・」と、高熱に狂いながら言いますので、坊さんの死体を違う場所に移しました。今度はたちどころに熱も引き、皆、元にもどったということです。この話が評判になり、ガッラ薬師の信仰はますます広がっていきました、とさ。

 あくまで、伝説としての紹介であるが、薬師堂前の格調高い由緒書きともほぼ重なる内容である。

 面白い。

 伝説にしても、謎多いお話で、全国にはこの類話のありやなしや?


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 一番面白いのは、この伝説を採録されたの方のおっしゃるとおり、聖水を汲んで沸かしてSPにした、この件である。
 
 いかがわし湯屋まで出来たという、いいねえ。

 由緒書きには「遊婦」とやや品良くあるが、つまりは「湯女」まで侍らせて、お湯三昧。

そうなら、霊験あらかた間違いなく、大抵の病も快癒したかも知れない。

 阿部正喬というお殿様は、1672年から1750年までご存命、幕府の老中もお勤めになった。

 元禄12年には寺社奉行にも就いている。

 確かに、聖水SPには、眉をしかめたかもしれない。

まして、享保の吉宗政権下では、こりゃ駄目でしょう。


 ともあれ、本来「我空」とは、立派な仏の教えである、

 大乗仏教の根本思想である二空の一つ。人空生空,人無我,衆生無我ともいう。一切の生類に心身があるとしても,色受想行識の五蘊 (ごうん) の集ったもので,実体としての自我というものはないとする見解。(ブリタニカ交際大百科事典)

 いいですねえ。


そもそも、湯屋の始まりは、寺院が衆生斎度のための浴場だという。

仏との因縁浅からず。

聖と俗も表裏、両面あって、足し引きするとプラマイゼロで「我は空っぽ」となるやならずや。

 ありがたや。

 「我空薬師」

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ボクはこのところ目がしょぼしょぼしたりするので、お賽銭をちょっとはずんで、手をあわさせていただいた。

 南無我空薬師如来。


ラーメンは、初めての店で食べた、可も無く不可も無し。











 





 



by ribondou55 | 2019-10-06 10:33 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 かわはくまで、概ね片道二〇㌔ちょい。

 いつものように、寄り道しながら。

 行きは、向かい風。

 苦にはならないが、走り出して15分ぐらいから足が重くなった、それでも少し走ると、だるさは消失して、粘り強くペタルを踏んでも、軽くなった。

 行きは、81号をたどった。

 所々、見知った道であるが、新鮮な部分の方が長丁場になったので、楽しかった。

 川の博物館は、荒川の河原に面して立地している。

 大きな水車は、今は止まっていて、少しさびしい。

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 ぼくが好きなのは、博物館の前庭にある荒川のジオラマである。

 奥秩父の源流から東京湾に流れ出るまでが立体的な地形模型の間を流れて行く。

 縮尺は1/1000とか。

 荒川の全長は、一七三㌔であるそうな。

 ゆっくり、東京湾から秩父の山並みにまでを、見て行く。

 実際に行ったことのある場所を模型の上で思い出したり、確かめたりして、おもしろいのだ。
 
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 小一時間ほどで一巡り、楽しかった。

 帰路は、荒川を渡って、昔の秩父往還から。


 寄り道の収穫。

 意外においしいラーメン屋に出会った、結構なお年のおばあさんが接客する、小さな店、美味しいと云っても、とびきりということでない、もっと穏やかな良心的なモノを喰わせてくれる、当たり前のお店だ。

 こういうお店が、本当に少なくなった。

 男衾というところにある、81号沿いの中華食堂、土曜日の昼時、お客さんは引きも切らず。


 その二、開花した桜、ソメイヨシノに似ていたが、・・・・。

 
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 この春、お初の。

 寄居町赤浜にある昌国寺。




 

 
 

by ribondou55 | 2017-03-18 21:38 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
 「利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟」、これ『天保水滸伝』、語るは故二代目玉川勝太郎師。

 ボクは、この一節を、耳で覚えている。

 二代目は、1969年に亡くなった云うから、NHKかどこかの演芸番組か、浪曲中継、はたまた・・、小沢昭一さん辺りのトークからか、でも聴き知っていたのは確かだ。

 まあ、『天保水滸伝』そのものは、血なまぐさいお話、今時の若者は平手造酒も、文字面からどこぞの酒造会社のの名前だろうと思うにちがいない。

 ここまで、実は本題には関係ないのだが。


 で、ボクが時折走る範囲は、利根川サイクリングロードの「海から160㌔」という標識の前後15、6㌔の範囲であろうか。

 ぎっくり腰で満足に身体を動かすことができない期間を含んで、しばらくサイクリングにでなかった。

 今日は、薄曇り、タマネギの収穫を朝方に終えて、お昼間前に走り出した。

 利根側の中流域に、利根大堰(埼玉県行田市と群馬県邑楽郡千代田町の県境、利根川本川・河口から154km地点に建設された堰)がある。

 ここから取水される武蔵水路は、荒川に通じ、その水は東京都の約4割の水道水をまかなっている。

 目指すは、この利根大堰、そこから行田市街にでて、帰宅。

 寄り道し放題で、五時間ほどのコース。

 で、利根川サイクリングロードを行くのだ。

 その目的地の手前(上流方向)に深谷から流れでる福川が、利根川に合流する地点がある。

 そこと、利根大堰の中間あたりに、ボクの大好きな利根川の眺めがある。

 ここに来ると、そう思い出すのだ、『利根の川風袂に入れて・・・』と。

 利根川の流れ、ちょっぴり、浮き世の憂さも流してくれるような気分がしてくる。

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 実はボクも、今日は福川のサイクリングロードからと利根川の自転車道に合流したのだ。

 この福川のコースは、最近整備された、まだ走る人はごく稀だが、とても気分がいい。

 ボクは、この頃、鳥見を趣味の一つに加えたのだが、水鳥の飛来も多くて、楽しい。

 福川の風景も。

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by ribondou55 | 2016-06-04 22:49 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
 寛保の洪水について、ネット上でさまよっていると、関連して、「くまがやねっと」が、〈妻沼聖天山界隈・25回 聖泉湧出碑〉について紹介していた。

 ボクもこの碑を見た記憶はあるのだが、聖泉ということで、へーと思うに過ぎなかったが、どうやら、それでは、何も見なかったことと同じになってしまった。

 で、「くまがやねっと」からの拝借だが、こんなことであるそうだ。

 「聖泉湧出碑」は、延享5年(1748年)に建立された。

 その碑文に、寛保洪水に関わるところだけを抜き出すと・・・・

   寛保二歳 壬戌之秋 久霖蕩陸 田園就荒 暴嵐烈々
   洪水湯々 塡溝塞壑 懐山裹岡 井泥不食 旦暮絶糧
   神徳不測 感応無量 社辺奇異 清泉沸揚 上忽平降
   吏走賜梁 止飢止渇 可茹可□  殆穫全命 永記難忘
   信 立碑・・・・・

   寛保二歳 壬戌の秋 久きゅうりん陸を蕩つつみ 田園荒に就く 暴嵐烈々洪水湯々 
   溝を塡うずめ   壑を塞ぎ 山を懐み岡を裹つつむ 井は泥して食くらへず 日は暮れて糧を絶つ
   神徳測られず 感応は量無し 社辺の奇異や 清泉沸揚し 上は忽たちまち降を平おさめ
   吏は走て梁を賜ふ 飢を止め渇を止め 茹くらう可く(飲む)可し 殆く命を全するを穫たり 
   永く忘れ難き   を記すべく  信(徒)碑を立てて、...。

 とか。

  ・・・・・・・・・・・

 で、碑文をもう少し丁寧に読もうとしてみると、どうもいくつか疑問が。

 手元の「妻沼町史」に当たってみたが、疑問に答えてくれない。

 仕方がない、資料をさがしに、妻沼図書館へ近いうちに。

 で、ここまで。

  ・・・・・・・・

 おまけ。

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 スポーツ公園にほど近い、大塚古墳の前の松、結構な巨木。聖天さまは、松が嫌いであったそうな。
by ribondou55 | 2015-12-17 17:34 | 世界は昏いか? | Trackback | Comments(0)

田を焼く。

by ribondou55 | 2015-11-01 23:06 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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