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花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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タグ:老いからの眺望 ( 85 ) タグの人気記事


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孫と摘んできたプチトマト。

だから、一段と美味しさを増す。

などと云うことはない。




令和初の敗戦記念日。

NHKのドキュメンタリーで、海軍は二二六のクーデターの実行者も殺害対象者も、事前に把握していたという。

それが、今日までずっと秘匿されていたともいう。

くそったれめ、というしかない。

「8月15日」、この日が盆の中日であるというのは、何かを意味するのだろうかと、毎年思う。

我が家のお寺は、施餓鬼である。

塔婆を頂いて、盆棚添える。

明日は、送り盆。









by ribondou55 | 2019-08-15 22:36 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)



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お盆には、二人の子がそれぞれの配偶者と孫と連れ立って帰省する。

もっとも、なんやかやと二月に一度は顔を指すので、そう大げさにすることもないのだが。


孫たちの目覚ましい成長の様子はおおいなる楽しみである。

で、それはさておき、

会う度に、我が子にもこんな一面があったのかと、驚かされたり、あらあらとため息でたりする。

それは、子は子なりに年齢を重ねて、もうボクら夫婦が知る「子」からは遠く生きているということだ。

当たり前というより、そうでなくてはならないのである。

だから、こちら側もその見知らぬ子の一面をさりげなく受け入れるか、

見過ごせないとして悩むか、

そんなこともおきてくる。


そこで、ボクラ夫婦と子の夫婦が対等に向き合うことができる、貴重な時期に到達したのだと、思うことにした。

そこで、サアどうする?


しかし、このバランスはそう長くは続かない。

こちらの老いがもっとはっきり進行すれば、・・・。


拙妻は、もうはりきっている。

ああもしてやしたい、こうもしてやりたい、と。

いい加減にすればとおもうのだが、そうでなくては、我が家の「おかあさん」ではなくなる。

その「おかあさん」も・・・・・、ときおり、ため息をついている。










by ribondou55 | 2019-08-11 06:01 | のらり句らり | Trackback | Comments(0)
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いろいろなことがあったが、

聞こえてくることは、どれもこれもウンザリさせられたが、

自分で足を運んで出会ったことは、楽しかった。

















by ribondou55 | 2019-07-24 23:46 | のらり句らり | Trackback | Comments(0)
 
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飛騨古川の近くに宿を取った。

この町を訪れたのは、初めてでアルハズ。

ところが、急な雷雨に軒を借りながら、この街を歩いていると、すっかり既視感に囚われていた。

この小道には見覚えが、

あの角を曲ると郵便局・・、とか。


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雨宿りの狭い軒下で、シー・ズーを散歩させていた初老の女性は、話しかけても言葉少なで、顔も伏せがちな人だった。


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雨あがりの町を歩く。

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この石碑にであった。


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ああ、飛騨古川とは、あの町だったと、はたと胸に落ちた。


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少女の足下には、こうある。

「野麦峠を越える娘たちは十二歳だった」




この頃、ここは初めて来たところと思いつつも、

その風景の中でしばらく過ごすと、

ここは見知った所ではないかと

感じてきて、

やがて、うっすらとしつつも、確信のようなものが、胸中に頭を擡げてくる。

デジャブ、・・・、これも、「老いるショック」?















by ribondou55 | 2019-06-19 06:07 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)

 岐阜県高山市国府町鶴巣においでの千手観音菩薩を拝すのが、今度の旅で願うところの一つであった。

 宿から電話で、清峯寺円空仏を管理されておいでの方に、拝観のお願いをした。

 約束の時間より20分ほど速く到着すると、清峯寺を管理されておらるAさんがすでに待っておいでだった。

 Aさんからご当地の方々のご尽力で無住になった清峯寺と円空仏を維持管理されてきたという事をうかがいながら、円空仏に対面した。


 ここの三体の仏像は、2013年にトーハクで拝観した。(この時の感想は、2013・1/25の本ブログ記載)

 しかし、実際にそこで間近くお参りすると、ずっと身近に仏さんを感じることができた。


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江戸時代・17世紀・十一面千手観音菩薩立像


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左・江戸時代・17世紀、竜頭観音菩薩


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右・江戸時代・17世紀、聖観音菩薩

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三尊の配置


三尊がおいでの円空堂。


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Aさん(仮名)は、丁寧に説明して下さった。

ご本人自身も含めてこの地域の人々は、浄土真宗の信者さんであるとのこと、この三尊は観音さんであるから拝むことはないのだろう。

であるから、この地域の人にとっては、他宗派の清峯寺の管理も、いわんや、長年打ち棄てられてあった円空仏など見向きもしなくともよかったはずだ。

しかし、無住となり朽ちて行きかねないお寺をみるに見かねて、地域の人々がお世話してきた来たのだとうかがった。

清峯寺の御本尊の台座下に放置されていた古材同然のものを思いだし、その円空の仏に光をあてたこともたいしたものだ。

円空が世に知られるにつけて、この三尊の存在が広く知られると、このお寺を小生のようなお調子者も訪ねてくる。

その相手を、親切になさってくれる、ありがたいことだとと思った。






                                            



 

by ribondou55 | 2019-06-14 14:06 | 合掌 | Trackback | Comments(0)

 今年の7月末にスイッチオンでもオフでも、うんともすんとも言わなくなったデスクトップは、作業机の下で眠っていた。

 しかし、又今年も年賀状という悪しき美習に屈して、作成する時期が近づいた。

 そこで、ハタと気づいた。

 買い換えたPCには賀状の住所録はない。

 住所録は、あの壊れたPCに、・・・・・バックアップなんてしていない。

 「仕方ない、あのPCを生き返らせルしかない」と無知なボクが、闇雲に思い立った。

 しかし、故障といえど、どの部品にトラブルがあるのかすら分からない。

 あれこれあってネット情報を漁りまくり、大凡、電源かマザーボードに問題ありと絞られてきた。

 最終的に、おそらくは電源にと、当たりをつけた。

 すべて、ネットからのお教えに基づいてのこと。

 そこで、我が眠れるDELL製PCの電源は、市販のどのような電源ユニットと交換可能か?

 またまたネット情報、YouTubeなどなどから当たりをつけ、金7000円余りで500ワットのユニットをアマゾンに発注。

 無謀である。

 年金暮らしのボクの小遣いに7,000円は大金である。

 それでも翌日に品物は届き、夕飯・入浴後に交換作業を開始。

 作業上の手順注意点心得をYouTubeの電源換装動画を繰り返し見て学習、さらにはイメージトレーニング。

 慎重に慎重に作業に着手。




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抜き出したDELL製電源ユニット


 一部、24ピンのなんとかで、手こずったが30分ほどで完了。

 モニターとキーボード、マウスを接続して、通電。

 果たして、モヤモヤっとした時間が数分あったが、見事に立ち上がった。

 うれしかった。

 古希に至って、pCの修理、多分、ごく初歩的なものだろうが、この爺さん、はじめて完遂できた。

 部品代以上の喜びであった。

 古希の手習いであった。

 ネットでの情報提供者のみなさまありがとう。









by ribondou55 | 2018-11-22 14:29 | 古希の手習い | Trackback | Comments(0)


腰痛と風邪、時雨模様の空、最悪である。

フリースのジャケットを着て、マスクして、お茶ばかり飲んでいる。

喉がぼっやと膨張しているようで、胸のあたりもじわっと重苦しい。

そんな日には、映画を観ることぐらいしかできない。


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『リバーズ・エッジ』(監督・行定勲、2,018年、118分、日本)をTSUTAYA レンタルDVDで、観た。


高齢者も結構つらいのだが、今どきの青年もタイヘンだ。

ポスターのキャッチコピーに「平坦な戦場で、僕らは孤独になる」とある。

うまい言葉だ。

高齢者のボクらはもはや退役した「兵士」のように青年達には見えるだろうが、同じように孤独になる。


さて、そんなんことはどうでもよい。


さすが行定作品、退役老人のボクなんぞでさへ、この頃の青年たちの「闇」へと思いをはせさせられた。


登場人物たちは、このごろの若者をシンボリックにあらわすように、それぞれへ「個性」が与えられている。

そのそれぞれが「生きている」という事実をどのように感じているかということが、見どころだ。

なかなか斬新な手法だが、登場人物に何者かがインタビューするのだ。

あなたは生きていますか?と。

一種のメタフィクション風の作りになっている。

これは、ちょっとした仕掛けで、観客自身もインタビューワーの発する問いにつられて、さては俺はどうだった?と・・。


ともあれ、青年たちはクソッタレだらけの世界ではあるが、生き抜いてくださいと願うのみだ。


二階堂ふみさんの普通の女の子ぽっさ、やはりいい感じです。

SUMIREという人を初めて知ったが、面白かった。


見終えたが、腰痛にも風邪にも効き目はなく、最悪な気分は持続している。











by ribondou55 | 2018-10-19 20:57 | 古希シネマ | Trackback | Comments(0)
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 笹川ながれは、日本百景の一つ、新潟県村上市のにある海岸。

 笹川とは、この海岸にある集落の名であるが、ボクは長いことどこぞの渓谷の急流を指すものだと思い込んでいたのだった。

 そこには遊覧船があって、物見遊山の旅であるから乗らいないという手はない。

 この手の遊覧船では、カモメへ餌を放るというイベントがつきもの、一袋100円の「かっぱえびせん」を購入。

すると、カモメさん、かっぱえびせんを放る手先ではなく、ボクとタイマンを張るように、あの恐竜似の目でにらんでくるのだった。

それ、それ、うまく投げてこい、と。


 
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 なんとも、エライもんだ、カモメさん。

 

「キナーレ」は、新潟県十日町市の越後妻有里山現代美術館である。

今は、高名な「大地の芸術祭」の会期中、きわめてご盛況、慶賀の至りであります。

キナーレは、正方形の四辺を回廊のように建物が取り囲み、その正方形の内側が大きな中庭となっていて、この場所がこの美術館の最も美しい空間になっている。

今回は、水が張られて大きなプールとなっている。

たまたま行き合わせたのが、近隣の中学校の校外授業らしく、とてもいい感じの子供たちであった。

これが美術の授業であれば、ボクもこんなこと許してくれる先生に教えてもらいたかった。



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50人には満たない生徒さんたちだったが、そのプールの中を走り回り笑い転げていた。

男の子はみんな丸坊主。

勿論、このプールは「空の池」という題のアルゼンチンのお方の作品である。

その作品を、縦横にバシャバシャと動き回っているのは、痛快であった。

プールサイドに立ち並んでいたのは「方丈記私記」という企画展のアート作品で、HPによると、

  小さな庵に移り住み、動乱の世を見つめた鴨長明に倣い、旧来の価値観が崩れゆく現代における新たな可能性を、2.73m四方の小さな空間から考える。


ご大層なものだが、まあまあご苦労さんと一言ねぎらえば終わってしまう程度のもん。

たしか、長明さんの移動式庵は、これより一回り広かったのではないか。

この差はどうやら決定的で、お気楽さがお気楽さとしか見えてこなかった。

せめて、一つぐらい、四畳半的なエロさを、うまいこと出来なかったのか。

もしかした、あの密室がそれか?

ありがちな、独りよがりと誤解の上に成り立って「アート」様が・・・・、やめた。

つまり、この企画展に1500円也を払ったのは、「どぶへ金を・・」、と後悔したのだが、

中学生たちのが楽しげにしていたので、よしとしたのだった。

笹川ながれの遊覧船は、お一人1000円。

これは、文句なしに楽しめた。

なんせ、ボクらの後は欠航になるほどうねりが高かった。

おばあちゃんたちが黄色い声をあげていたのが、一層恐怖を誘ったし。


アートと言えども、見世物ではないか。

楽しませておくれよ。

毒にも薬にもならんものにお金を払いたくない。






by ribondou55 | 2018-09-13 23:00 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)
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「大きな鳥が下りてきた」なんて、思わせぶりな。

「考へつづけた」ところで、空っぽと、いうのがありふれたもんだろう。


「空っぽ」の自分がスーハースーハーと、息をして、心臓は勝手にドキドキ。

ボクの場合はそうなのだ。

で、そうこうして、この歳になった。


この歳なってみると、世界も空っぽ?と、思えてきた。




台風21号の被害。

ピーマン、シシトウ、万願寺、倒れる。

オリーブ、傾く。

ゴーヤの棚が半壊。

修復に一汗かく。

ついでに、残してあったトマトを撤去。








by ribondou55 | 2018-09-05 17:12 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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 小学校でも、中学校でも、高校でも、教室の空気になじめたことはなかった。

 目を強く閉じて、時をやり過ごしてきた。

 そうして、それなりの大人になり、ここまでかろうじて生き延びて爺さんになれた。


 教室の中で屈託無くふるまえる人びとをうらやましいとは思わなかったが、そういう人に声をかけらるだけで惨めになった。

 大声で校歌をうたえなかった。

 本当は、休憩なしに授業がぶっ続けにあって、さっさと帰してくれないかと思った。

 
 そういう感じ方は、一生変わることはないだろう。

 変われない自分を許して、受け入れる。

 それが自分であり、自分は自分だと思えたのは二十歳半ばも過ぎた頃だろう。



学校であれ、職場であれ、100パーセント煮詰まってしまう一歩手前で、「ずる休み」に入ろう。

「ずる休み」は「苦い蜜」だが、でも「蜜」には変わりない。

「蜜」は「蜜」、すてきな「ずる休み」。



目を少しだけ遠くに向けて、そして、きつく目をつぶって、今をやり過ごす。

生き延びるためなら何をしたってOK。

もうすぐ後期高齢者になれるボクのサバイバル術である。

 こんなじめじめした陰惨な国の九月に命を落とすなんて馬鹿げている。







 

 

 
 
 

by ribondou55 | 2018-09-04 23:30 | 生きている | Trackback | Comments(0)