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昨夜、古希の祝いをしてくれた。

老妻がいて、息子夫婦がいて、孫も愉快そうにしていた。

一番小さな孫は、愚図りもせず、寝てばかりいた。



先週は、娘夫婦が祝ってくれた。

久々にナイフとフォークで食事した。

ここの孫は、おてんばでアル。



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〈古希〉とは、杜甫の「曲江」を出典にもつのだという。


朝廷を退出すると、毎日春着を質に入れ、そのたびに曲江のほとりで酒を飲んで帰ってくる。
 酒代の借金はあたりまえのことで行く先々にあり、
どうせ人生七十まで生きられるのはめったにない。
(だから今のうちに飲んで楽しんでおきたいものだ)
 あたりを見ると蝶は花のしげみに見えかくれして飛び、
とんぼは水面に尾をつけてゆるやかに飛んでゆくのどかな風景である。
 私はこの春景色にことづてしたい。
我が身も春光もともに流れに身をまかせ、
春のしばらくの間でも、その美しさを賞(め)で楽しみ、
そむくことのないようにしようではないかと。(関西吟詩文化協会HPより拝借)





誕生日は、とうに迎えているので、70歳になってからの「日常」には慣れてきた。

なんだって?

「60歳代の日常と、どこかに違いがあるというのか?」と。

そう正面切って問われると、言葉に窮するのだが。

大体、ボクはそんな歳まで生き延びるというのが、想定外の出来事のような感じがある。

どんなに丙凡で退屈な生活であろうと、「明日」という日は未知の領域にある。

明けない夜はないというが、もしかすると、あるのかも知れないのだ。

「そんなことなら、おぎゃっと生まれてこの方、ずっと変らずにあることではないか」・・・・。

左様云々ごもっともであるのだが、・・・。




さて、杜甫の詩であるが、杜甫は70歳まで生きている人は稀だとしか云っていない。

一見すると、お酒を飲んでケセラセラ、長生きを望むより今の春を楽しもうよ、と。

いやいや、苦いではないか。

反吐が出そうになる人の世であるからこその、春の景色のうららなさ・美しさ。

暫時相賞莫相違

全く、ここが、ムズカシイのだ。


実際に杜甫は、770年59歳で不遇の内に亡くなった。(「杜甫詩選」黒川洋一編、岩波文庫)

還暦までも生きていなかったのだ。

70歳まで生きていたら、どんなことを考えただろうか。




良寛さんは、1831年72歳で亡くなっている。

良寛さん、・・・、よくわからん、歯が立たない。








(注)「丙凡」とは、小生の造語で、平凡以下のありきたりといことだ。









by ribondou55 | 2019-06-08 09:41 | 生きている | Trackback | Comments(0)
 「金玉歌合」は、伏見院の歌を左に、藤原為兼の歌を右に配し、六十番百二十首からなる歌合。

 新編日本古典文学体系の「中世和歌集・鎌倉篇」をぱらぱらとめくっては、歌を拾って読んでいたら出会った。

 ボクのような風流を解さない人間でも、この頃の気分として共感できる。


  五番
      左
 しられずも心のそこや春になる 時なる頃と花の待たるゝ
  
      右
 梅が枝睦月のころの花にして さくらは末の弥生如月

 
 まあ、そういうことだなあ。


 配偶者と世間話をしている内に、今年は琵琶湖の桜が観たいと、どちらともなく云いだした。

 四月にはいると都合がつかないので、今月末に宿の予約をした。

 というわけで、開花予想が気になるのだが、今年は例年より遅くなるらしい。

 さて、どうしよう。

 

 ジャガイモの植え付けを済ませた。

 あとは、夏野菜作りの準備、さくっと終わりたい。


 

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今度、孫が顔を見せてくれた時まで、とっておこう。





 

by ribondou55 | 2019-03-18 23:09 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 今年のひな祭りはつまらない。

 孫が顔をみせないからだ、・・・、情けない孫呆け爺さんに成り下がったか。

 夕べ手慰みに、中沢圭子さんの「立体切り絵カード」から型紙を拝借してこんなのを雑に作った。


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 さて、昨日はよい陽気だった。

 年を取ったせいか、気分が天候に左右される、今日のような冷たい春の長雨は酷くよろしくない。

 で、アーツ前橋で「闇に刻む光ーアジアの木版画運動 1300sー2010s」を視た。

 「視た」であって、「観た」ではない。


 
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これは、展覧会のお知らせチラシであるが、ビラといっていい。

裏側はこんなだ。



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見出しにぐっと迫る文字が躍るが、この展覧会の骨子はその通りであった。

1月20日まで、福岡アジア美術館で展観されていたものが、群馬の前橋までやって来た。


さて、ガキの頃、図工の時間の木版画の制作をさせられた。

高学年になると毎年あった、おまけにコンクールもあった、ついでに云うと、くそったれの賞状コレクターであったので、この制作は嫌いではなかった。

つまり木版画というものは、「誰にだってできる表現」としての可能性を有する。

その木版画をソーシャル・メディアとして、世界の闇に向かって、自己主張するための「武器」にしようでないかということだ。


今も昔も、文学にしろ美術にしろ音楽にしろ、その種の表現に政治的社会的なメッセージなり主張なりを込めるのはいかがであろうかなどという、「脳天気な人々」もおいでだが、そういうのは相手にしない方がよろしい。


ボクにとっては、膨大な展示であったので、疲れたが、一晩寝て今思い出す印象的のことは次のようなことか。

中国の版画運動の仕掛け人であり推進者だったのが魯迅だったこと、知らなんだ。

インドネシアのパンクバンド〈マージナル〉の活動に木版画の制作があったこと。

三つ目、映画「タクシー運転手ー海を越えた約束」で少しだけ認識を深めた光州事件のドキュメント、ホン・ソンダムの光州民衆抗争連作版画を視られたこと。

もう一つ、北関東に中国木版画から影響を受けた戦後版画運動があったこと。

その代表的な作家飯野農夫也のこと、その展示作品中「濡れた稲束」?だったかな、稲を背負った女性がこのお堅い展覧会にあって、唯一艶っぽい線で描かれていたこと。


以上、疲れたので止める。










by ribondou55 | 2019-03-03 16:21 | 生きている | Trackback | Comments(0)
 沙石集のうちの一話。

 ざっくりとこんなお話。

 ある尼さんがいた。金色の立像の阿弥陀仏を、美しく造り申し上げて、本尊として拝み供養していた。

 そのうち、もともとは京の都に住んでいたのだが、縁あって片田舎に下った。このご本尊さまもお連れして、知り合いの持仏堂に安置して、花や香を絶やすことはなかった。
 実は、この尼さん何事に付けても四角四面な性格で、ひどくケチでもあった。香を供養するにつけても、持仏堂であるから回りにたくさんの仏様がおいでになるのが気になった。自分が供養した香の煙が傍の仏さまの方に流れて、己のご本尊に届かないのではないかと不安に駆られた。そこで一計を工夫した。香をたく器の蓋に細い竹の筒をねじ入れて、その片端を仏の鼻の穴にねじ入れて、ほんの僅かであっても香の煙が散らないようにしたのだ。そのようにして香を供養していると、しばらくすると金箔を貼ってあった仏の鼻が、漆を塗ったようになって、ついに金色の輝きが失せてしまったのだ。

 さてさて、この尼さんもやがて寿命が尽き、女人に生まれ変わった。
 生まれ変わりの女人は顔かたちは人並み以上であったのだが、なんとしたことか鼻の穴が真っ黒で、まるで墨を塗ったようであった。
 
 まことにもって、因果の理ということであろう。 (沙石集巻第八の七・佛の鼻薫ぶる事)


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 ところで、ボクは、この尼さんを笑うことが出来るだろうか?











by ribondou55 | 2019-02-12 23:03 | 今は昔 | Trackback | Comments(0)
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引きこもり老人は、独り遊びのあれこれを工夫するものだ。

このところのお遊びは、ハイカラにいえば、ペーパークラフトということか。

始まりは、本屋の店頭で世に言う「飛び出す絵本」にたまげたことだ。

実に高度だ。

通常の絵本作家の表現にくわえて、構造物を組み立てる仕事がくっつくのだ。

こういう紙の使い手をペーパーエンジニアと呼ぶのだそうだ。

ネット検索で関係事項を調べて行くと、実に奥が深い。

折り紙建築というジャンルの存在も知って、やってみた、これがムズカシイ。

紙に指がなじんで行かない、歯がゆいほどだ。

設計図通りにカッターで紙を切る、これとて、おいそれとはできないものだと知った。


これは、耄碌する脳みそには、悪くない遊びでないかと、勝手に考えている。


紙で遊ぶというのは、ガキの時分以来のことだ。

PONちゃんは、いたずらで作ったのだが、この数日、あわれで哀しい孤独な老人の話し相手である。





by ribondou55 | 2019-02-06 16:09 | 生きている | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂