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花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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 二本松城跡のある県立霞ヶ城公園は、折しも、桜まつりが始まったところであった。
 
城のふもとの庭園で、ボクが訪れた時はソメイヨシノは二分咲き程度、本丸付近では開花直後か、つぼみ、花をつけているのは、ソメイヨシノではない。

 とにかく、これから本格的にお花見観光シーズンに突入というわけで、こんな幟が街中の至る所に立っていた。



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キャッチコピーは「ほんとの空に さくら舞う」。

まさしく「ほんとの空」なのだ。


さて、「ほんとの空」と聴くと、ボクのアタマの片隅で低くメロディが流れてくる。

ああ、二代目コロンビア・ローズが唄う歌謡曲「智恵子抄」。

東京の空 灰色の空

ほんとの空が見たいという

拗ねてあまえた智恵子

智恵子の声が

嗚呼安達太良の山に

今日もきこえる


おおなんと、歌詞を覚えているはないか。

昭和三十九年の楽曲なのだ、生意気盛りのボクの脳みそに刷り込まれた名残が、白髪頭の奧に残っていた。

歌謡曲畏るべし。


そこにいくと、ご本家光太郎さんの「あどけない話」はこうだ。


                   
                   智恵子は東京に空が無いといふ、
                   ほんとの空が見たいといふ。
                   私は驚いて空を見る。
                   桜若葉の間に在るのは、
                   切つても切れない
                   むかしなじみのきれいな空だ。
                   どんよりけむる地平のぼかしは
                   うすもも色の朝のしめりだ。
                   智恵子は遠くを見ながら言ふ。
                   阿多多羅山                           あたたらやまの山の上に
                   毎日出てゐる青い空が
                   智恵子のほんとの空だといふ。 


どうだろう、アル世代の多くにとって、あの幟の「ほんとの空」から連想するのは、光太郎かローズか。

もしも、ローズさんに軍配が挙がるとしてもボクは皮肉な結果だとは思わない。

こうして、「文学」なんてものは、生き残るのだ。



さて、ボクは「ほんとの空」を見ることができたのか、いなか。

息を切らせながら、ようやっと本丸の石垣の上にたった。

素晴らしい眺望でアル。

安達太良山は、雪の稜線を広く広く広げて、そこあった。

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空はというと、残念、それは灰色の曇り空だった。

それでも、東京の灰色の空ではないことに、満足だった。

故に、「ほんとうの空」は、次の機会に。




現在の福島の空は、智恵子のいう「ほんとの空」を取り戻せているのか?

そのことは、別問題というわけにも行かないだろう。

一日も早くと、祈らずにはいられない。












by ribondou55 | 2019-04-12 17:20 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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 埼玉県立こども動物自然公園まで、過日、孫のお供で出かけた。

 雨フラズの関東平野である。

 畑の白菜大根キャベツ人参タマネギ長葱のらぼう菜春菊ほうれん草小松菜、どれもこれもも冬干ばつに霜枯れて無惨。


 さて、フラミンゴは、地面から何を拾って食べるのか。

 蒔かれた餌の食べ残しだろうか。

 冬ざれた土砂の上、匂いすらないだろう。


 それにしても、どこもかしこも、カラカラになり、咽も痛んできた。

 しかたなく、安物の加湿器を求めてきて、居間に置いたら、それなりの効果がある。

 ともあれ、乾くのは心身によくない。

 つい、言葉まで素っ気なくなってくる。


 どこかの神様、雨をお恵みください。

 

 





by ribondou55 | 2019-01-22 15:38 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 健やかでありますよう。

 
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by ribondou55 | 2019-01-15 21:04 | 生きている | Trackback | Comments(0)

冬に残された柿の色。


 昨年暮れ以来の腰痛がようやく緩んできたので、軽くポタリングにでた。


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 柿と壁。


 特に親しんだ訳でないが、身近にいた人が昨年暮れになくなった。

 で、四十五日も過ぎぬ間に、その夫である方も逝ってしまった。

 当然お寺さんは同じで、若いお坊さんがあげるお経を二度聴いた。

 後の方が、丁寧で声もよく通っていた。

 正月五日のお通夜の経であった。










by ribondou55 | 2019-01-08 23:44 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

 四泊五日の旅から帰った。

 旅の途中は、不思議なくらいにシャンと腰が伸び、五日分の着替えやらを詰めたリュックを背負ってさくさく移動できたが、帰宅して一夜明けると、この五日間の疲労が一気に出て、てきめんの腰痛。

 帰宅したら第一番目に、たくわん用の大根を収穫する予定であったが、到底出来そうもなく、しかたなしにPCに向かっている。

 農作業には格好の好天気である、情けないことだ。


 二年ほど前か?上野の国立博物館で、この櫟野寺の仏さんたちの展覧会があったことを記憶していた。

 たまたま見かけたツイッター情報で三十三年ごとのご開帳であるという十一面観世音菩薩のお顔を拝んでみたいと思い立った。

 今年なって、一人旅もおっくうになったと、だらしない気分で停滞したまま、一年を終えるのがおもしろくないという気持ちもあった。

 
 さて、櫟野寺にたどり着くのは、少々苦労した。

 まず、名古屋へ、関西線に乗り換えて亀山、更に乗り継ぎ柘植まで、草津線に乗り換えて甲賀、甲賀到着時刻は12時を少し過ぎていた。

 ボクは甲賀をずっとコウガと読んでが、実はコウカであった。


 甲賀といえば、白土三平の少年忍者・サスケであるのだが、それはさておき、駅からコミュニティバスで、お寺へ。

 バスへの乗り継ぎ時間は一時間半以上あって、昼飯のラーメンチャーハンセットを食べた後、さらに喫茶店で時間をつぶした。

 この手の旅にはありがちなのんびり具合である。

 喫茶店のご主人の話では、ご開帳が開始されて以来、日によってはバスツワーも加わって大変な人出であるということだった。

 でも、幸いにか、さほどの混み方ではなく、肝心の観音様をよくよく拝ませていただいた。



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 南無十一面観世音菩薩。


 
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 参拝する衆生を堂々と肉厚な重圧感で圧倒するのですが、同時に大変優美に観音さんは座っておられるのであった。

 やや下ぶくれの美しい顔立ちもさることながら、ボクが目を奪われたのは肩から流れるようにふっくらとした優しげな輪郭のお身体にまとっている薄衣の文様の繊細さであった。

 それはお体の線のゆったりとしたふくよかさの現れでもある。

 甲賀という鄙にあっても、平安の時代の優美さである。

 ゆっくりとお目にかからせていただいた。


 ご本尊の他にもたくさんの仏さんがおいでであった。

 以前のトーハクのポスターでお茶を濁すならこんな風に。

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 老人であればだれでもが抱く感慨であるが、三十三年に一度のご開帳、次回にはボクは生きてはいないはず。

 つまり、この観音さんにしろいずれの仏さんにしろ、そのお方に手を合わせた数え切れない人々はすべて死んだのだし、これらも死んで行くのだ。

 
 南無十一面観世音菩薩。


 ここコウカには、他にも多く仏があちらこちらにおいでであると、たまたま行き会った青年に教えられた。


 この夜は、伊賀上野のホテルに泊まった。

 伊賀鉄道はおもしろい。 









 


 

by ribondou55 | 2018-11-30 11:02 | 合掌 | Trackback | Comments(0)


紅葉の便りに惹かれて、古峰神社に向かった。

好天にめぐまれ、紅葉を堪能できた。

古峯神社、HPをみると

下野国古峯ヶ原鎮座古峯神社

開運・火防 天狗の社

とある。

祭神は日本武尊。

そして、天狗は大和猛の使いとなって、崇敬者の災難にあっては救援にただちに飛来してくださるのだという。


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ということだが、今回は紅葉見物という下心があっての参拝である。

さくっとお参りするとすぐに神社の奥の古峯園に向かった。

四季折々の美しさをみせてくれる庭園であると、噂には聞いていたが、期待以上であった。

今は、言うまでも無く紅葉である。

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鹿沼の奥、日光の手前の山中にこのような庭園があるが、まず驚きであった。

日頃の屈託をはらしていただけたような爽快な気分になることができた。

これも古峯神社のありがたい御神徳の一端であるに違いない。



古峯神社の所在地
栃木県鹿沼市草久3027







by ribondou55 | 2018-10-30 23:31 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
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是非とも訪れてみたいと思っていた。

湯殿山神社本宮。

そこは、やはり神の領域であった。

若い頃、不用意に入り込んだ恐山の賽の河原で、えもいわれぬ感覚に襲われたことがあった。

あの感覚が、本宮のご神体に向きあうと、よみがえってくるような気がした。

このお山の詳細を語ってはいけないと古来云われている。

月山から下って湯殿山に向かった芭蕉もこのように。


 日出でて雲消れば湯殿に下る。谷の傍に鍛治小屋といふあり。この国の鍛治、霊水をえらびてここに潔斎して劔を打ち、終ひに月山と銘を切りて世に賞せらる。かの龍泉に剣を淬ぐとかや。干将・莫耶のむかしをしたふ。道に堪能の執あさからぬことしられたり。岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあり。ふり積む雪の下に埋れて、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花ここにかほるがごとし。行尊僧正の哥の哀れもここに思ひ出でて、なほまさりて覚ゆ。

 そうじてこの山中の微細(みさい)、行者(ぎょうじゃ)の法式(ほうしき)として他言(たごん)することを禁(きん)ず。よりてて筆をとどめて記(しる)さず。坊(ぼう)に帰れば、阿闍利(あじゃり)のもとめによりて、三山(さんざん)順礼(じゅんれい)の句々(くく)短冊(たんじゃく)に書く。

 
  涼しさや ほの三か月の 羽黒山

  雲の峯 幾つ崩れて 月の山 

  語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな 

  湯殿山 銭ふむ道の 泪かな  曽良



山を下りて、麓の湯殿山注連寺に向かった。


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冷たい雨が瀟々と降るなか寺に着いた。

森敦さんの「月山」の寺である。

ここも、一度訪ねてみたいと長年思ってきた。

そこにおいでの女性から丁寧な説明をいただいた。

思うことはあるのだが、書かない。




by ribondou55 | 2018-09-17 22:34 | 合掌 | Trackback | Comments(0)
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 小学校でも、中学校でも、高校でも、教室の空気になじめたことはなかった。

 目を強く閉じて、時をやり過ごしてきた。

 そうして、それなりの大人になり、ここまでかろうじて生き延びて爺さんになれた。


 教室の中で屈託無くふるまえる人びとをうらやましいとは思わなかったが、そういう人に声をかけらるだけで惨めになった。

 大声で校歌をうたえなかった。

 本当は、休憩なしに授業がぶっ続けにあって、さっさと帰してくれないかと思った。

 
 そういう感じ方は、一生変わることはないだろう。

 変われない自分を許して、受け入れる。

 それが自分であり、自分は自分だと思えたのは二十歳半ばも過ぎた頃だろう。



学校であれ、職場であれ、100パーセント煮詰まってしまう一歩手前で、「ずる休み」に入ろう。

「ずる休み」は「苦い蜜」だが、でも「蜜」には変わりない。

「蜜」は「蜜」、すてきな「ずる休み」。



目を少しだけ遠くに向けて、そして、きつく目をつぶって、今をやり過ごす。

生き延びるためなら何をしたってOK。

もうすぐ後期高齢者になれるボクのサバイバル術である。

 こんなじめじめした陰惨な国の九月に命を落とすなんて馬鹿げている。







 

 

 
 
 

by ribondou55 | 2018-09-04 23:30 | 生きている | Trackback | Comments(0)
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 台風12号は、ぼくの住むあたりではさほどの影響を被るらずに済んだが、各地に大きな被害を与えている。

 これから、台風が移動するあたりに住まわれる皆様のご無事でありますよう。


朝方、自給菜園を見回ると、問題となることは何もなかった。

数日前購入しておいた秋用のキュウリ苗を雨後の畑に植え付けた。


孫にせがまれて、アンパンマンの顔を描こうとしたのだが、まあるい輪郭だけしか思い出せない。

オレンジ色の球体しか浮かんでこない。

数え切れないくらい目にしてきたはずだ。

かように、ぼくの目は節穴同然でものが見えていないのだ。

耄碌だけのせいだけではあるまい。

そんな風に70年近く生きているのである。





by ribondou55 | 2018-07-29 22:29 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
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  (森林公園・3/13)


つげ義春の「紅い花」でマサジがキクチサヨコをいたわろうとしてかけたことば。


キクチサヨコ

二十円分けてやるぞ

さっきの客人がくれたんじゃ

つりよこせ

うん

われそのように苦しんでおっても詮なかるまいに

店をたたんではどうじゃ

われの難儀はわしがオヤジに話してやる

のうキクチサヨコ山をおりたらどうじゃ

・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・

われはなぜそのようにおしだまっておるのか

わしらその気がしれん

ミーンミーン

オーシンツクツク

オーシンツクツク

ふうん仲なおりしおったかな.........

のうキクチサヨコ

うん

眠れや・・・・・・








by ribondou55 | 2018-03-14 23:26 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)