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タグ:武蔵丘陵森林公園 ( 86 ) タグの人気記事

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数日前、今年最後かもしれない森林公園の散歩で、

ボクは幾層にも積もった枯れ葉を踏んで山道を行った。

不思議の満ち足りた気分になれた。

画像は、その折に見かけた風景。


さて、この句を引いたのは、平凡社版の俳句歳時記の冬。

昭和34年刊のもの。

ボクの愛読書の一つだ。

この歳時記には「時代」の雰囲気が息づいている。

どのような句があるか、そのうちここにあげておきたい。


「落葉日記」とは岸田國士の作品の題名にもある。

けれど、この句に本意にかかわるものかボクには分からない。

ちょっと若者のようなセンチメンタルな記憶の1ページのようなものだと

勝手に解釈してみた。











by ribondou55 | 2019-12-15 17:49 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

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穂村さんにしては、どーかな?




この秋初めて、先ほどエアコンを暖房にした。

暑ければ暑いで、寒ければ寒いで、外出が億劫になる。

それで済むのが、隠居暮らしのありがたさである。

隠居というのは、我ながら真に結構な身の上であるのだ。

いまのところ、三度の飯をきちんと食べることができるので、自分を縛るものは、自分自身しかいない。

口やかましい配偶者は、時に実に五月蠅いものだが、長年のお互い様、対立的な問題も予定調和となる。



だが、お上は「人生100年時代」は目前だと言い立てて、年金だけでは食べて行けないぞと、暢気な老後なんてあり得ないと恫喝してくる。

働ける間は、高く働く意欲を持続せよと、せっついてくる。

おめえら若年世代のお荷物になるんじゃないぜ、とばかりだ。

小生は30,40代の頃は、年寄りは六十過れば、大体死ぬものだと思っていた。

だが、こうしてなんとなく古希を過ぎる時点まで生きてしまうと、いつ頃この世からおさらばすればよいのか皆目分からなくなった。

お上の云うように、100まで生きるとしたら、あと約30年、「ウエー・・・!」、恐ろしい。

目減り必至の乏しい年金を頼りにどう食べてゆけばいいのだ。

とにかく、高齢者の不安は尽きないのだ。


とはいえ、今現在はとりあえず、食えて、寝て、糞をして、稼ぎもせず、生存している。

この程度の寒さでも暖房をかけることもできる。

これで、「足る」とせずして、何を望むのかと。

とりあえず、今を生きよ。

それでよし。




いやいや、実は、以上書いてきた来たこと全部が、ダメなんだなあ。

糞爺に、成り下がった自分よ、いっそのこと長生きせよということか。

生きて、移ろえ。

移ろい行くのだから、「怠ることなく努め励めよ」、とか。

南無釈迦如来。




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SFマガジン・2019/10

神林長平 デビュー40周年記念特集・エピグラフ集より










by ribondou55 | 2019-11-22 14:19 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

久しぶりの森林公園。

冷たい空気が心地よい。

コンビニでおにぎり三つ買ってきたので、のんびり歩こう。

紅葉の森は、見頃になってきたようだった。


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香港危機。

「御苑の花見」、権力の奢り。

森にいると、そんなことどうだっていいと、思いがちだが、

それこそ勘違い。

おにぎり三つをぺろっと平らげ、今日は知らない小道を行って、迷ったりした。








by ribondou55 | 2019-11-20 23:51 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(2)
 


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今夜も雨が降っている。

雨音が川の流れのように聞こえてくる。

被災地の方々の屈託悲哀、いかばかりか。




ニュースは、嫌な事ばかりだ。

ラグビーは一時、気持ちを賑わせてくれるが、それほどのものでない。

人の「劣化」、とどめることは、もはやできないらしい。





素十さんの句の女達は、ただただ静かにある。








by ribondou55 | 2019-10-18 23:01 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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ただ睡蓮と呼んだ方がわかりやすいが、この花の学名は、そのスイレン属の「ヒツジグサ(未草)」である。

 と書いたが、本当は自信ない、それどころか、間違い。

 ヒツジクサの花はとても小さく五百円玉ほどの大きさだと「尾瀬のマウンテンガイド」にある。

 そうであれば、森林公園で見たこの花は、

手のひら大の花であったから、セイヨウスイレンであるというのが、正しいだろう。

 ヒツジグサは日本特有の植物だという。




龍太さんの句は、「鰯雲」と「未草」の白つながりの視覚的なイメージが、目の前にパッと開けてとても爽快。

秋晴れの天上から空の青さを映す水面へ、その視線の移動も、映画のワンカットのようだ。

ヒツジグサの開花期は、6月から11月といわれる。

鰯雲は、秋の象徴的な雲だから、龍太さんは未草を、夏の草と思っていたのかも知れない。

ところで、未草という奇妙な名は、その昔この花は、未の刻に開くと信じられていた故だろうということだ。




さて、世情は混沌としているのでなく、厭なうねりが一つ方向へとはっきりと収斂してきた。

危機的な様相になってきた。













 



by ribondou55 | 2019-09-27 23:21 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 万葉集に次の一首がある。
 
  草に寄する

 野の辺の 尾花の下の 思ひ草 今さらさらに 何か思はむ  作者不詳 巻10

 (道ばたの 尾花の陰の 思い草のように いまさら 何を思い迷いましょうか。)

 この「思ひ草」は、秋の相聞に分類され、かつ、尾花が下とあることから、すすきの根に寄生し秋に花が咲く、ハマウツボ科のナンバンキセルを指すのだという。

 そのナンバンキセルに、森林公園で出会った。

 今日のことだ、久々の森歩き、秋晴れ、気持ちよい風、申し分がない、いい気分だった。

 場所は疎林帯の縁であった。

 どうやら、薄を綺麗に刈り取った後らしく、思い草は剝き出しにされて、そこにあった。

 
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葉は退化し、茎の先端についた円筒形の花が、下向きについている。

すでに、花の盛りは過ぎたらしくしなびたような感じがする。

「思ひ草」と万葉人がこの草を呼ぶのは、まるで花の部位が頭を垂れたというより、うなだれているかのような、この花の姿からだろうか。


以前、薄の根元にまったく目立つことなく生えていたナンバンキセルを見たことがある。

まことにひっそりと花をつける草であった。

見つけても、よくよく見るには、地面に頬をつけるくらいに、視線を下げなければならなかった。


ところで、「思ひ草」が詠まれているのは、万葉集中この一首のみだ。

ボクは、誰も気にとめそうもないこの草に「思ひ草」と命名したのは、この「よみ人知らず」クンであったのでないかと、想像している。

多分、いそがしい毎日で、こんな地味な植物に関心を持つものが沢山いたとは、ボクには到底思えない。

この花に関心を持って、さらに歌に詠んだ、そうまでするなんて、そうとうな変わり者ではないかと。

この歌の出来は不問にするが、「思ひ草、はて?なんじゃい、そんな花あったか?」と当時の人たちも思ったかも知れない、とか。









by ribondou55 | 2019-09-25 23:21 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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リコリス スプレンゲリ(ムラサキキツネノカミソリ)。




リコリスというのは、ヒガンバナ科ヒガンバナの総称だそうな。

「葉知らず、花知らず」とは、先ず花茎がのびて、花をつけ、

それが終わってから、

深緑の細い葉をロゼット状に出すところから言われる。

つまり、葉は花を見ず、花は葉を見ずと、いうことだ。



どうやら、キツネノカミソリは、マンジュシャゲの親戚筋であるらしい。

それなら、こんな句が好きだ。



曼珠沙華一茎一花夜が離れ  野澤節子

十二橋の一橋くぐりまんじゆさげ  桂伸子

恋の夢獏に食はさじ曼珠沙華  鈴木真砂女



ボクの畑の端にいくつか咲き出した。





















by ribondou55 | 2019-09-24 23:56 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
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片腕が既に鬼になっていると、

自覚できることが

重要だろう。



作品は、北村西望「浦島」


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狂言の「浦島」は、おとぎバナシの浦島太郎とは、逆のストーリー。

老いた浦島が、ある日孫がつかまえた亀を助ける。

亀は、お礼に「玉手箱」を浦島に贈る。

その「玉手箱」を開くと、老人が青年に変ると。

この像は、その瞬間だろうか。

あげた左手が異様に大きく、それは、もしかしたら、「鬼」のそれか、

ボクの妄想でアル。
















by ribondou55 | 2019-09-11 23:42 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

映画「タロウのバカ」

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たまたま、今日が封切り日だったそうな。

映画「タロウのバカ」(監督・脚本・編集・大森立嗣、119分、2019年)を、太田イオンシネマで。


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七面倒くさい映画でアル。

これから、沢山のお方がこの作品について語るだろう。

だが、耄碌爺のボクの語れることは無いに等しいが、

この夏のボクの観たなかでは、最も出色の作品。





今日は畑に出なかった。


















by ribondou55 | 2019-09-06 23:08 | 古希シネマ | Trackback | Comments(0)


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直径が6、70㎝程もあろう南瓜であった。

森林公園のハーブ園ゲート近くの東屋の入口に置いてあった。

朱色の綺麗な南瓜であった。

表題の句の「のふぞう」というのは、伊予の方言で「大胆な、横着な、図太い」といった意味らしく、始末に負えないというニュアンスもあるらしい。

この南瓜を形容するのにぴったりでアル。

ハローウィン用にというには、まだ気が早かろうが、これに目鼻と口をくり抜いてみたくなった。



午前中は、耕す。

今週中に、まず白菜の直播きを終えたい。




「のふぞう」をさらにあたると、「野風増」という表記もあるらしい。

中部地方でとか、岡山県とかという情報もアル。

こうなると、後日方言辞典で確認しよう。






by ribondou55 | 2019-09-05 23:22 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂