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花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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タグ:武蔵丘陵森林公園 ( 74 ) タグの人気記事



武蔵丘陵森林公園にて。

異常に長い梅雨、そのちょとばかりの晴れ間に。

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季節は、すっかり夏に入っていて、森は濃い緑だ。

つかぬ間青空が見えたが、

むせかえるような蒸し暑さで、

ただブラウラブらと歩いているだけで、

汗がじっとりとにじみ出てくる。

それでも、森の空気はボクの頭をすっきりとしてくれた。












by ribondou55 | 2019-07-20 17:46 | 生きている | Trackback | Comments(0)

「0」とは、交尾の形。

「とうすみとんぼ」とは、イトトンボのこと。

森林公園の小さな池で。




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イトトンボの一種、キイトトンボの産卵。

見ていて飽きません。

参考に、↓、お借りしました。











by ribondou55 | 2019-07-18 16:55 | 生きている | Trackback | Comments(0)


長降りの節の明くらむ百合の花   一茶


というには、今年はぐずぐずと梅雨が続く。

それでもヤマユリ、開花。

まだ、おちこちにポツリポツリと。

野草コースで、いくつもの花をつけた株に、唯一出会えた。


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久々に青い空を見た。

この梅雨寒のせいか開花が遅れているようだ。




by ribondou55 | 2019-07-17 23:12 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
暑苦しい曇り空であるが、雨はかろうじてもっている。

閉じこもりがちのこの頃、体が重い。

エイヤっと、森林公園に散歩に出た。

だが、又しても、老いるショック

最近入手したデジカメに電池を投入せずにきた。

充電していたことを忘れていた。


それに、もう一つ。

公園につくまえに、手早く済めせられる回転ずしで昼食とした。

これまで何度か寄っている。

食べ終わって会計、妻がこれ持っていけばと渡してくれた一皿分サービスのチケットを提示した。

と、会計のお姉さん、顔色も変えず、「これH寿司さんのですので、使用できません」と。

会計を済ませて出がけに改めて看板を見ると、カタカナで「SUSIRO」とあった。

もう、この店には寄れません。


てな、二重のショックも、森を歩きだすと忘れた。

こういう調子よさは原平さんが発見された、あの「老人力」という。




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本日の収穫は、これ、マヤラン。

各地で絶滅が危惧されているそうだ。

菌類と共生することでのみ生きることのできる腐生植物。

勿論、盗掘厳禁。




梅雨時でも、この花に出会うと気持ちがちょっと晴れる。

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この湿度には、これだ、森はいまやキノコの山。

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と思えば、こんなのも。

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地に目をやれば。

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でも、にぎやかに。

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ガマも。

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さてヤマユリは、蕾であった。

七夕のころには、開花するものもあるとか。

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画像は、キャノンのminiXの静止画。

広角画像である。















by ribondou55 | 2019-07-05 17:40 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(2)


忘れ草(萱草)である。


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(森林公園5/30)



歌であればこんなのが。



それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ  山川登美子





明日の晩は、蛍を見にゆく。

五月が終わる。












by ribondou55 | 2019-05-31 23:11 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 今日の森林公園は、初夏の爽快な風が吹き渡って、まことにいい気分になれた。
 
中央口の近くで、コンクリートの歩道に、浅黒いシミが一面に。

さて?

 見上げると、桑の実。

一見してまさしく食べ頃である。

だが、ここ国営武蔵丘陵森林公園では、草一本虫一匹採集してはイケナイのだ。

 指をくわえて眺めるほかないのである。


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指をくわえて・・・、ボクに限れば嘘である。

貧しい家だったが、母は桑の実を「どどめ」と呼び、青梅と共に決して口のしてはいけないと、三人の子に厳しく言いつけた。

次男坊のボクは、好奇心に負けて、ある日、口にして家に帰ったところ、

紫色に染まったの口もとを真面目な兄に告げ口され、母に殴られた事を覚えている。

オヤジは穏やかであったが、なんとも、お袋にはゴキンガンをやられたものだ。

ゴキンガンというのは、拳で頭をゴツンとやることである。

故に、以来ボクは、一度もこれを食したことはない。




青梅は腹下しをすると云われているが、桑の実は大好物という人はすくなからずいる。

正岡子規というお方もそうであった。

年譜によると、25歳の6月、木曽路を経て松山に帰省とある。

その折の愉快な思い出の句だろう。

ありきながら桑の実くらふ木曽路かな

明治34年の「ホトトギス」に「くだもの」というエッセイが二ヶ月連載された。

亡くなる前の年、病状は最終局にむかうなか、この人はこういう。

病気になって全く床を離れぬようになってからは外に楽みがないので、食物の事が一番贅沢ぜいたくになり、終には菓物も毎日食うようになった。毎日食うようになっては何が旨いというよりは、ただ珍らしいものが旨いという事になって、とりとめた事はない。その内でも酸味の多いものは最もきにくくて余計にくうが、これは熱のある故でもあろう。夏蜜柑なつみかんなどはあまり酸味が多いので普通の人は食わぬけれど、熱のある時には非常に旨く感じる。これに反して林檎のような酸味の少い汁の少いものは、始め食う時は非常に旨くても、二、三日も続けてくうとすぐに厭きが来る。柿は非常に甘いのと、汁はないけれど林檎のようには乾いて居らぬので、厭かずに食える。しかしだんだん気候が寒くなって後にくうと、すぐに腹をいためるので、前年も胃痙いけいをやってりした事がある。梨も同し事で冬の梨は旨いけれど、ひやりと腹にみ込むのがいやだ。しかしながら自分には殆ど嫌いじゃという菓物はない。バナナも旨い。パインアップルも旨い。桑の実も旨い。まきの実も旨い。くうた事のないのは杉の実と万年青おもとの実位である。


すごすぎる。

さてさて、この文章によると、桑の実は立派に「くだもの」に属する果実でアルと、子規はお考えであったとわかるのだ。

関係箇所を引用しておく。(青空文庫より拝借)


○くだものの字義 くだもの、というのはくだすものという義で、くだすというのは腐ることである。菓物くだものは凡て熟するものであるから、それをくさるといったのである。大概の菓物はくだものに違いないが、栗、しいの実、胡桃くるみ団栗どんぐりなどいうものは、くだものとはいえないだろう。さらばこれらのものを総称して何というかといえば、木の実というのである。木の実といえば栗、椎の実も普通のくだものも共に包含せられておる理窟であるが、俳句では普通のくだものは皆別々に題になって居るから、木の実といえば椎の実の如き類の者をいうように思われる。しかしまた一方からいうと、木の実というばかりでは、広い意味に取っても、覆盆子いちご葡萄ぶどうなどは這入らぬ。其処で木の実、草の実と並べていわねば完全せぬわけになる。この点では、くだものといえばかえって覆盆子も葡萄もこめられるわけになる。くだもの類を東京では水菓子という。余の国などでは、なりものともいうておる。

○くだものにじゅんずべきもの 畑に作るものの内で、西瓜すいか真桑瓜まくわうりとは他の畑物とは違うて、かえってくだものの方に入れてもよいものであろう。それは甘味があってしかもなまで食う所がくだものの資格を具えておる。


○くだものと色 くだものには大概美しい皮がかぶさっておる。覆盆子、桑の実などはやや違う。その皮の色は多くは始め青い色であって熟するほど黄色かまたは赤色になる。中には紫色になるものもある。(西瓜の皮は始めから終りまで青い)普通のくだものの皮は赤なら赤黄なら黄と一色であるが、林檎りんごに至っては一個の菓物くだものの内に濃紅や淡紅やかばや黄や緑や種々な色があって、色彩の美を極めて居る。その皮をむいで見ると、肉の色はまた違うて来る。柑類は皮の色も肉の色もほとんど同一であるが、柿は肉の色がすこし薄い。葡萄の如きは肉の紫色は皮の紫色よりもはるかに薄い。あるいは肉の緑なのもある。林檎に至っては美しい皮一枚の下は真白の肉の色である。しかし白い肉にも少しは区別があってやや黄を帯びているのは甘味が多うて青味を帯びているのは酸味が多い。


○桑の実を食いし事 信州の旅行は蚕時であったので道々の桑畑はいずこも茂っていた。木曾へ這入ると山と川との間の狭い地面が皆桑畑である。その桑畑の囲いの処には幾年も切らずにいる大きな桑があってそれには真黒な実がおびただしくなっておる。見逃がす事ではない、余はそれを食い始めた。桑の実の味はあまり世人に賞翫しょうがんされぬのであるが、その旨さ加減は他にくらべる者もないほどよい味である。余はそれを食い出してから一瞬時も手をかぬので、桑の老木が見える処へは横路でも何でもかまわず這入って行ってむさぼられるだけ貪った。何升なんしょう食ったか自分にもわからぬがとにかくそれがためにその日は六里ばかりしか歩けなかった。寐覚ねざめの里へ来て名物の蕎麦そばを勧められたが、蕎麦などを食う腹はなかった。もとよりこの日は一粒の昼飯も食わなかったのである。木曾の桑の実は寐覚蕎麦より旨い名物である。





この一週間ほどの間に生起したり、明らかになったりしたことが、

この「令和」の先行きを暗示するものでありませんように。





by ribondou55 | 2019-05-30 22:42 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)


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芥子ではないが、こんなのも。

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今夜は遅く激しい雨という予報。

その雨を待っているが、まだ降ってこない。







by ribondou55 | 2019-05-14 23:30 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

前に訪れてから二週間余り経過、今日の森は初夏の姿に変っていた。

この時期は、一週間ほどで、すっかり表情を変えてしまう。

新緑はとっくにすぎて、緑は深くなった。

しかし、この頃の梢をゆらして吹く風は、マコトニ、文字通リ「緑風」トイウガ如シデアル。

浮き世をなるべく離れて暮らしているつもりであるが、嫌みな輩はのこのことあちらからやってくる。

そんなクズたちのことも一時忘れさせてくれた。

ルピナスは野草でないが、ここにおいでのこびとクンたちが歓迎してくれるのは、嬉しい。


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さて、ルピナスの花畑は、また、明日にとして、ここは、野草コースで出会った花々を記録にとどめよう。

  
                       
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ササバギンラン

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フタリシズカ

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マムシグサ

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コバノタツナミソウ

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シライトソウ

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ミヤマヨメナ

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シラン

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ヤマオダマキ

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キンラン


この時期の野草では、キンランはスターだろう。



今日は、久しぶり拙妻を誘って森に来たのだった。

本当に見せたかったのは、シライトソウの群落である。

ここの野草コースのシライトソウは、植栽されたものとはいえ、見事なものだ。

木漏れ日の下、いかにもさりげなく自生したかのような風の。

すくすくと立ち上がる真っ白な糸くずを束ねたような花の姿は幻想的とさへ感じる。

珍しく、ボクの感想に妻も同意したのであった。

と、愛でたし。


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*

母の日、息子のお嫁さんからいい感じのプレゼント、拙妻はご機嫌だった。

















by ribondou55 | 2019-05-12 22:19 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
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今日も今日とて、この旨の言葉を放られた、このところ続けざまだな。

「ここにマニュアル置きますので、暇でしょうから読んでおいて下さいね、ちょっと次を急ぎますので」と。

「くださいね」の「ね」に引っかかった。

でも、本来ハお客サンである筈のボクはへいこら薄笑いでやり過ごした。

「ね」という終助詞は、大体において、なれなれしい上に断定的で押しつけがましい、ちょっと、相手を見下す感じもアル。

つまり、奴さんは、「オレを暇人と決めつけているな」と直感したのだ。

「暇人」・・・、感じの悪い云われ方だ。


ボクを「暇人」と決めつけた人は、ボクよりチョット高齢で糖尿で時折倒れるが、こまめにお金は稼いでいるらしい、この場も彼のお商売だ。

オオムネ、身体が動くうちは、働けるだけ働いていたい的な、楽しいコトや美味しいことを死ぬまで追求したい的、絶倫指向の人物ではないかとお見受けした。

ツマリ、人生100歳時代の 、一億総活躍社会の側の人である。

 対して、ボクは「暇人」、無駄に酸素まで吸っている非生産的存在というわけだ。



暇と云うことは、「用事」がないということだ。

お忙しいとは、用事だらけということだ。

ボクだって、長い間分刻みといえばおおげさだが、それなりに忙しかった。

だが、その時だって思っていた、ナント下らんどうでもいい「用事」の多さよ。

自分は多忙につき、これやっといてという輩の「用事」って一体何?

あんたの後生大事にしている「用事」について、まずご説明願いたい。


「用事」とは、一般にしなくてはならない事柄。

そのしなくてはならない事にも、公の場合と私的な場合とある。

私的な場合、例えば気のあったもの同士のランチの約束がある、なんてものも「用事」か。

ボクに云わせれば、そんなもん、ほとんど重要性を感じない「用事」である。

が、多分親の死に目に会えなくてもお友達とのランチを優先的「用事」とするお方もいるのだろう。

だからこそ、礼儀正しく、私には此れ此れこういう事情でありますので、あなたにこれこれを伏してお願いしたいと、ね。


   
確かに、ボクは世のため人のために何もしていない、自分本位の気ままな暮らしであることは認める。

いっちゃあなんだが、日々努力してしてそうしている。

では、気ままな暮らしの人間は、とりもなおさず「暇人」ということか?

あの人、定年になったらしいけであまり見かけないね、いつも家に籠もっているそうよなんて、噂されたら、「暇人すなわち無用の人」か?

案外人は、誰の目にも触れない大切な「用事」をかかえているかも知れないではないか。

ボクは全力でお「他者」様方のお世話にならないよう、邪魔にならないよう、目障りにならないよう、余命を生きている、それがボクの気ままな暮らしの「用事」だ。

それなのに「こいつは、暇人だ」と決めつけられてもなあと、思うだけだ。

こういってはなんだが、気ままに暮らしというものは、結構微妙なバランスの上になりたつものだ。

やっぱり、忙しくも無し、暇もなしというのが、気ままな暮らしと云うしかない。



だが、世の中のみんなが気ままに暮らしていたら、世の中は回っていかないだろうが。

そのようにあきれるお方がおいでだろう。

そうなんだろうが、気ままというのは、案外善良にして理念的なものだ。

世の中が危ない、その人あの人の生存が脅かされているとなれば、気ままにお節介するのだ。

そんなに捨てたものではない、そこは確かだ。


 
今振り返って気づいたのだが、ボクはわが奥さんから、一度たりとも「暇人」呼ばわりされたことがない。

これは、いいことだなあと、思った。

ありがとう。










by ribondou55 | 2019-04-25 23:04 | 生きている | Trackback | Comments(0)
 久しぶりの森歩き。
 
春、暖かな陽。

 空高く風。

 
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今年初めてのカタクリ。


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キクザキイチゲ


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十里香

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シュンラン

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赤松の肌

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チューリップ


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風の梢



さて、腰を伸ばすストレッチをはじめようか。

畑仕事で疲れた。









by ribondou55 | 2019-03-13 23:39 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)