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この夏の旅の一番の目的は、秋田県鹿角花輪のお祭り見物であった。

ユネスコ登録云々はさておき、東北にはねぶただ、竿灯だと、メジャーなお祭りが目白押しに夏を賑わわす。

そこへ行くと、「花輪ばやし」はいまひとつといえば、地元の方ゝは、ご立腹か。

実際に訪ねて見ると、スケールは想像の内にあった。

が、しかし、地に着いた熱気を感じて、つくづくよいお祭りであると思った。

嫌みがない。

それは、原則的に礼儀正しい祭りであるからだ。


同じくユネスコ登録の秩父夜祭りは、ボクにはよくよく知った祭であるが、年ごとに、ウーン、失礼ながら・・・客が劣化してゆく。

どちらが前かワカランが、祭自体もマンネリとういうか、「お金」問題がちらつくし、つまらなくなってきた。

ユネスコ登録には漏れてしまった熊谷祇園うちわ祭なんぞは、ボクがガキであった半世紀以前の素朴さが皆無、ただの「お金」が仕切る祭に堕落しているようだ。


さて、花輪ばやしの礼儀正しさとはなんぞや。

ボクは正直何が行われいるのかわからなくて、面食らった。


  
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 路上で鉢合わせした屋台と屋台が向き合い、それぞれの屋台に属する人たちが整列して神妙な面持ち。

 外交と書かれた提灯を掲げて、双方から人が出てきた。

 何やら、道の真ん中でやり取りしてして、別れた。

 さて、これは、お囃子のガチンコ勝負、戦線布告かと思いきや、そうではなかった。


 これは、「町境の挨拶」というここ花輪の祭りの重要なしきたりであったのだ。

 外交部は祭の花形で、外交部の働きを無くして花輪ばやしは語れません。外交と書かれた提灯を持った人が、その町内の屋台を先導する外交部です。外交には、他町内の通行許可をもらう、大事な役割があります。

花輪の町には七ヵ所の町内の境い目、つまり『町境』があります。舟場元町と舟場町、舟場町と新田町と六日町、六日町と谷地田町、谷地田町と大町、大町と新町と旭町、新町と横丁と組丁、横丁と組丁の境い目です。

花輪ばやしの屋台が、この町境に差し掛かったとき、外交による『町境乗り込みの挨拶』を見ることができます。

町境では写真のように、それぞれの町内の外交部が提灯をてかざし、話し合う場面があります。この時、以下のようなやりとりが行われております。

隣町内に乗り込む側「○○町内申し上げます。かねてお約束の時間に参上いたしました。ただ今から××町内をお通し願います。」
迎える側「××町内申し上げます。ただ今の○○町内のお申し出確かに承知いたしました。どうぞお通り下さい。」
                       ※

 町境のしきたりの中には、屋台が町内を通過し再びその町内を通って帰るとき、町内の外交担当者が、通過する町内の役員および屋台を出口となる町境において、見送るしきたりがあります。

 丁寧な気持ちのよいならわしで、相手側に対する最大限の敬意を表します。  (花輪ばやしガイドHPより)


 こうした整然とした祭の進行は、多所にも例があるのだろうか。

 その威厳を感じさせる礼儀正しさは、随所に見ることができた。

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 さて、祭とは、本来日常からの解放、逸脱という一面も併せ持つものだと、思われている。

 古くから伝わる各地の祭りにおいても、明治以降の近代化の過程で、風俗の紊乱ありとして、様々な弾圧があり、自粛や修正が加えられきているということを、聞き及んでいる。

 この祭りの「外交」による町境における挨拶という「制度」もそうした近代化の中で形を為したのだろうか。一体いつ頃からあるものなのだろうか。

 しかしそこはお祭り、やはりただではすまないということも、あったようだ。


 これはあくまでもスムーズにいった場合です。町境の位置があいまいなため、提灯を置く位置をめぐり、もめる場合がたびたびあります。昔は町境のいざこざがこじれて、屋台をぶつけて押し合ったり、血の雨が降ったという血気盛んな時代もあったようです。

 20日未明に行われる朝詰では、たびたび町境の挨拶がこじれます。この時、屋台をギリギリまで近づけ、お囃子合戦をしたり、中には屋台をはげしくぶつけ合う、けんか屋台に発展する町内があります。荒々しい祭りの一面を見ることが出来る、花輪ばやしみどころの一つでもあります。


 ウーン、そうだろう。

 それにしても、この整然とした祭の運行のシステムは、たいしたものだ。



 そんなこんなで、web上を、花輪ばやしの情報を求めて彷徨うと、とても優れたサイトに出会えた。一読を。

「秋田の伝承学 花輪ばやし」 https://nanmoda.jp/2017/08/1084/

 






by ribondou55 | 2019-09-07 16:22 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
 秋保温泉からの帰り道は、浜通りを国号6号で、いわき市の白水阿弥陀堂へ向かった。
 
あれから8年を経過した相馬からいわきまでの国道6号を走り抜けた。


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走る車から何枚もの写真を撮ったが、このくらいで。

云うべきことばは、月並みで陳腐だが、「原発はいらない」。




白水阿弥陀堂は、何時だって美しい。


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合掌。

南無阿弥陀仏






by ribondou55 | 2019-08-30 22:21 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
 今度の旅の三日目は、大館から秋保温泉への移動であった。
 
秋保温泉泊は、大館から一日で自宅へ直行するのには、七〇過ぎの爺さんとしては、きついからだ。

 それと、最終日、仙台からいわきまで、国道六号線で南下しようと計画したからだ。

 さて、大館からは二カ所の寄り道をした。

 石川啄木記念館と羅須地人協会の二カ所である。

 ボクは、啄木の渋民小学校を50年前に訪れている。

 一人で旅をする面白さを知った頃である。

 JRの渋民駅から北上川を越えて、炎天下を随分と歩いた記憶がある。

 今は、記念館の脇に移築されていた。

 当時は、元の場所に在ったのだろうか?分からない。



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未だ二十歳そこそこであったボクは、この教室に立って思ったことことを、今でも忘れない。

「渋民は、東京から遙かに遠い」、そこからはい出てきた早熟な石川一クンとは、何者だったのか、ということであった。

そして、七〇を過ぎた今のボクは、啄木をしみじみ可愛そうな男だったと、思うのだった。


で、そこから、花巻農業高校に復元された宮澤賢治の羅須地人協会へ向かった。


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初めて訪れた。

画像では何度見たか分からない、それが目の前に現われて、爺さんはちょっと感傷的になった。

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ああそうですか、下の畑ですか、とネ。

それと、思ったのは、やっぱり賢治はイイお家のボンボンでした、ということ。

賢治の祖父の隠居所というではないか、瀟洒な造りである、こんなとこに住んで、「雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ」、ですか?

とか、皮肉も言いたくなる。

借金まみれの啄木を訪ねた直後ですからね。


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さて、さて、この二人の岩手県人に、若かったボクはかなり影響されたのだったなあ、と。












by ribondou55 | 2019-08-26 23:10 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 西馬音内盆踊りを見た翌日は、横手市増田町の朝市を覗いて、北上し、角館で稲庭うどんの昼飯、さらに、大館へ移動した。

 大館駅近くのホテルにチェックインして、小休憩し、今度は鉄道で、鹿角花輪に向かった。

 花輪の夏祭り、「花輪囃子」もかねてから、一度は雰囲気を味わっておきたいと思っていた。

 この花輪囃子は、ユネスコの「山・鉾、舞台行事」の一つとして無形文化遺産に登録された。

 北関東の夏も、各地に祇園祭があって、屋台や山車の引き回しが行われる。

 ボクにもガキの時分から馴染んだ、屋台にお囃子という祭の形である。

 居住地の近くでは、秩父と川越の祭が、ユネスコ登録されている。

                         ※

 さて、増田の朝市のことだ。

 増田町は、こんなところだ、観光協会のHPによると。

 日本有数の豪雪地帯である秋田県横手市。その南東部に位置する増田は、成瀬川と皆瀬川が合流する地点に立地し、江戸時代以前より人と物資の往来でにぎわった地域です。両沢目で生産された養蚕や葉タバコのほか、様々な物資の流通に伴って増田は県内有数の商業地となっていきました。

現在商店街となっている「中七日町通り」は、明治の中ごろまで「ホタル町」と呼ばれ、内蔵や裏庭など、家の奥にある施設に比べると質素な表構えの町並みであったといわれています。しかし、商業発展のゆえに、明治の中ごろからは細部まで特徴的な正面意匠をもった大型の町屋が立ち並ぶようになり、秋田県内の商業地の中でも大型で特徴的な景観を見せるようになりました。(下・YouTube参照)



 さて、行ってみると、とてもいい。


 町屋の立ち並ぶ景観は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

 それは、さておき。

 朝市のことだ。

 19日は、九のつく日、この日は市が立つとのことであった。


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店の数は10店ほど、簡素にして素朴。

街角の市というものは、こういうものだと教えられた。


佐竹藩の公認で約360年前(寛永20年)から始まったと言われている朝市は、毎月2.5.9のつく日、7:00~12:00に、開催されます。
        
 かつては、増田城の武士達が日常生活を営むため、物資の調達が行われたものと言われています。

朝市には近郊の農家や商店から50あまりの店が出店し、新鮮な季節の野菜が並びます。(横手市HP)

ということだ。

地域としては、観光客目当てのものにしたいのだろうが、お客さんは地元の方達が多かった。

いまでも、生活に根ざす商いなのだろうと思った。

よいものを見た。

店番の元気なおばあさん?から「ンダ」の用法を伝授された。

ところで、「ンダナ」と「ンダ」の違い、どうだった?










 

by ribondou55 | 2019-08-24 15:49 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)

「西馬音内盆踊り」へ。

 8月18日、秋田県羽後町西馬音内盆踊りを見にゆく。

 長年、訪れてみたいと思っていた。

 安いデジカメの手持ち撮影である.

満足な画像は一枚もないが、それはそれで悪くないと自分では思う。

 後々のボクの記憶探しのヒントになればいいのだ。



 
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 郡上踊りや八尾の風の盆の洗練度にたいし、僅かに鄙びたところがあるのだが、そこがとてもいい。

 踊り手さん達の衣装も美しい。

 音頭の歌詞は滑稽、諧謔、風刺、それに艶笑風な趣も、生活感が溢れていた。

 踊り手は、幼い子どもから相当のお年のお方までおいでであった。

 もっとも、編み笠を深く被ったり、目だけをだす黒頭巾で踊る姿に年齢は関係ないのだ。

すばらしいでないか。

  

ホラ西馬音内女ごはどこさえたたて 目に立つはずだんす 手つき見てたんせ足つき見てたんせ 腰つき見てたんせ

ホラ川原田の池には緋鯉に真鯉 じょろじょろ遊んでる たまには木陰にがさごそめかして 浴衣の鯉もいる

ホラ名物踊りは数ある中にも 西馬音内ぁ一番だ 嫁コも踊るし姑も踊る 息子はなお踊る





   

 

 盆踊は、全国各地でそれぞれの特色を伴なって伝承されているが、西馬音内で踊られている盆踊は、とくに洗練された流麗優雅な踊り振りにすぐれた芸態を示し、盆踊の一典型としての価値が高い。
 踊り手のうち、とくに女たちは端縫【はぬい】と呼ばれる端布【はぎれ】を縫い合わせた風雅な着物、あるいは浴衣に白足袋のいでたちで踊り、編み笠または彦三頭巾と呼ばれる黒頭巾をすっぼり冠り、顔を見せないようにしている。彦三頭巾のいでたちは亡者をかたどったという言い伝えを残し、盆に精霊とともに踊るという供養踊の伝承の面影をいまに伝えている。
 盆踊の囃子は、笛・大太鼓・小太鼓・三味線・鼓・鉦などで編成され、特設屋台の上でにぎやかに演奏され、これに合わせて地口と甚句が歌われる。
 宵のうちは秋田音頭と同じ地口で囃される「音頭」から踊りはじめ、夜が更けてくるにつれて、「甚句」の踊となるのが習わしになっている。「甚句」の踊は、また、がんげ踊とも亡者踊とも呼ばれる。
 快活でにぎやかな囃子でありながら、その踊りの振りは実に優雅で美しく、数ある盆踊の中でも傑出したものと評価されている。(国指定文化財等データベースより)














 
 



by ribondou55 | 2019-08-22 23:06 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)

松本城、二年ぶりに。

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飛騨からの帰り、松本で一泊。

松本は、父方に縁がある地であるので、ボクにとっても愛着がある。


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二年振りの松本は、どんどん変化していて、見慣れたままなのは、お城と縄手通り。

外国人観光客が多いのにも、驚いた。

お城の夜景を見に来ていたのは、欧米からの人ばかりのようだった。

この日は、クローズされた店が多くて、夕飯を食べるために、駅近くまで歩くハメになった。

飯屋ではないが、今度来たときには立ち寄りたい。


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松本では、しばしば宿泊したホテルのコンセプトが大分変ったらしく、ちょっと、ボクにはいただけない感じがした。






by ribondou55 | 2019-06-20 10:35 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
 
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飛騨古川の近くに宿を取った。

この町を訪れたのは、初めてでアルハズ。

ところが、急な雷雨に軒を借りながら、この街を歩いていると、すっかり既視感に囚われていた。

この小道には見覚えが、

あの角を曲ると郵便局・・、とか。


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雨宿りの狭い軒下で、シー・ズーを散歩させていた初老の女性は、話しかけても言葉少なで、顔も伏せがちな人だった。


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雨あがりの町を歩く。

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この石碑にであった。


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ああ、飛騨古川とは、あの町だったと、はたと胸に落ちた。


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少女の足下には、こうある。

「野麦峠を越える娘たちは十二歳だった」




この頃、ここは初めて来たところと思いつつも、

その風景の中でしばらく過ごすと、

ここは見知った所ではないかと

感じてきて、

やがて、うっすらとしつつも、確信のようなものが、胸中に頭を擡げてくる。

デジャブ、・・・、これも、「老いるショック」?















by ribondou55 | 2019-06-19 06:07 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
 
 飛騨からの帰路、立ち寄る。


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 武蔵丘陵森林公園の年間パスポートで入園できた。

 国営公園全てで、使用できる。



 さて、今朝も5時に目が覚めた。

 こういう現象を、みうらじゅんさんによると、老いるショックというのだと、・・。

 ああ、まったく「老いるショック」。

 













by ribondou55 | 2019-06-18 05:15 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
 二本松城跡のある県立霞ヶ城公園は、折しも、桜まつりが始まったところであった。
 
城のふもとの庭園で、ボクが訪れた時はソメイヨシノは二分咲き程度、本丸付近では開花直後か、つぼみ、花をつけているのは、ソメイヨシノではない。

 とにかく、これから本格的にお花見観光シーズンに突入というわけで、こんな幟が街中の至る所に立っていた。



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キャッチコピーは「ほんとの空に さくら舞う」。

まさしく「ほんとの空」なのだ。


さて、「ほんとの空」と聴くと、ボクのアタマの片隅で低くメロディが流れてくる。

ああ、二代目コロンビア・ローズが唄う歌謡曲「智恵子抄」。

東京の空 灰色の空

ほんとの空が見たいという

拗ねてあまえた智恵子

智恵子の声が

嗚呼安達太良の山に

今日もきこえる


おおなんと、歌詞を覚えているはないか。

昭和三十九年の楽曲なのだ、生意気盛りのボクの脳みそに刷り込まれた名残が、白髪頭の奧に残っていた。

歌謡曲畏るべし。


そこにいくと、ご本家光太郎さんの「あどけない話」はこうだ。


                   
                   智恵子は東京に空が無いといふ、
                   ほんとの空が見たいといふ。
                   私は驚いて空を見る。
                   桜若葉の間に在るのは、
                   切つても切れない
                   むかしなじみのきれいな空だ。
                   どんよりけむる地平のぼかしは
                   うすもも色の朝のしめりだ。
                   智恵子は遠くを見ながら言ふ。
                   阿多多羅山                           あたたらやまの山の上に
                   毎日出てゐる青い空が
                   智恵子のほんとの空だといふ。 


どうだろう、アル世代の多くにとって、あの幟の「ほんとの空」から連想するのは、光太郎かローズか。

もしも、ローズさんに軍配が挙がるとしてもボクは皮肉な結果だとは思わない。

こうして、「文学」なんてものは、生き残るのだ。



さて、ボクは「ほんとの空」を見ることができたのか、いなか。

息を切らせながら、ようやっと本丸の石垣の上にたった。

素晴らしい眺望でアル。

安達太良山は、雪の稜線を広く広く広げて、そこあった。

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空はというと、残念、それは灰色の曇り空だった。

それでも、東京の灰色の空ではないことに、満足だった。

故に、「ほんとうの空」は、次の機会に。




現在の福島の空は、智恵子のいう「ほんとの空」を取り戻せているのか?

そのことは、別問題というわけにも行かないだろう。

一日も早くと、祈らずにはいられない。












by ribondou55 | 2019-04-12 17:20 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

 春の「青春18きっぷ」の使用期限は、四月十日、それまでに二回分消化しなければならない。


 九日、福島へ、福島県立美術館の「若冲展」を観に行った。

 展覧会は、十分に楽しめたので、この旅の目的は達成した。

 その日は、福島駅前のホテルに泊まった。

 十日、朝食は最上階のレストラン、予約サイトの評判では高評価であるの筈であったが、さほどのものではなし。

 しかし、その眺望が素晴らしかった。

 安達太良山が一望できた。

 すばらしいかった。

 天気予報は、午後から雪模様などと言っていたので、花見山にでもいって、時間をつぶし早めに帰ろうとぼんやり考えていた。

 ところが、この風景を見て、二本松城からじっくり安達太良山を眺めようと心変わりした。

だが、本当をいえば二本松城から安達太良山がどのように見えるか、これっぽっちも知らなかったのだ。


 ボクは、何だかんだいっても、光太郎のファンである。

 「智恵子抄」の『あどけない話」の『智恵子のほんとうの空』とはどんな?、長きにわたる疑問であった。

 なんといっても安達太良山の上に出る空こそ「ほんとうの空」なのだ。


 コーヒーのお替りも我慢して早々に朝飯を済ませ、チェックアウト、学生達ですし詰めの電車に乗り、二本松駅で下車。

 早朝、福島では薄日も差していたが、午前九時前の二本松の空は、灰色だった。

 
駅前の二本松神社の鳥居横の公園で花壇の世話をされていた同年配の婦人から、まず、二本松城までの道を教えて貰った。

 ボクは、この数年の旅の経験から、地元情報は中年以上のご婦人から収集するのが一番よいと云うことを学んだ。

 直近では、たまたまおばちゃんが見つからず、琵琶湖近くの××駅の観光案内所の横で茶を飲んでたむろしていた同年配からの爺さんの5、6人から、ひどいガセ情報をつかまされた。

 多分、暢気そうに旅などしている白髪爺ィをからかって遊んでやろうと云うことだったのだろう。

 まあまあ、しかたないな。

 爺さんたちは大体半可通か、または、思い込みの激しい蘊蓄話、あるいは口から出任せ思いつき、余りよいことはない。

その点、婦人たちは礼儀正しくすれば、嘘はつかない、知ったかぶりもしない・・、多分。

 だが、あちら様から話しかけてきてくれる年配男性の話には有益な情報が多い、こういう場合には丁重にお相手するのがよい。

 さて、さて、二本松の婦人も知っていることだけを丁寧に教えてくれた。


 城へは長い坂を上って行く。

 イイかげんいして欲しいと思う頃、坂の頂上から城門が見えてきた。

 
 城の観光案内所のやや中年色白婦人から、本丸までのあすすめルートを丁寧におしえてもった。

 行程、約一時間半、この二本松城は山城、上へ上と登って行くのだ。

 この道々の庭園風景はなかなかのものであるのだが、ココでは省略。

 ついに、本丸までの道のり半ばで、安達太良山を眺めることができた。

二本松城に来たことは大正解だった。



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 今度は、散歩中らしき同年配男性が、この風景の解説をしてくれてた。

 安達太良山はの頂上は、ぷくっととがっている。

 そのぷくっと加減から、「乳首山」と呼ばれているのだそうだ、とか。

 

(疲れたので、続きとする)








 



 

by ribondou55 | 2019-04-11 11:14 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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