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働く人たち

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 秩父鉄道のとある小さな駅で下り電車を25分ほど待つことにした。

 ホームに立つと、保線の人々が4人でチームを組んで、枕木の交換作業をしていた。

 秩父線は単線であるから、上り下りの電車がこの駅に停車する、急行も通過する。

 その合間をぬって、交換作業をする。

 枕木一本の交換に、5分はかかる。

 老朽化した枕木を線路の下から抜く出して、新しい物と交換する。

 写真の白い枕木は、交換されたものだ。

 すべて手作業。





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 敷石に埋もれている枕木の周辺のごろごろした石を掻き出して、傷んだ枕木を抜き取るのだが、そのあとに新しい枕木を差し込むために、石をうまく処理するだけでも重労働のように見える。

 二人が石を掻き出し、もう二人が枕木の交換セッテングに当る。

 電車通過の合間にだ。

 
 若い作業員は、年長の人にびしびしと強い調子で注意される。

 それに、きちんと応答をして、身体を動かしている。

 鉄道の安全運行の裏方、この鉄路を保全する現場が誠実な人たちの職場であることが伝わってきて、これから秩父に夜祭りの宵宮見物見物へなんていう役立たずの隠居じいさんの目にはまぶしい。

 ありがたいことだ。

 
 新聞を開けば、金のためにはなりふりかまわないという話題ばかりだ。

 博打場を開いて、経済成長を・・・・、忘れている貯金は国家が召し上げる・・・・、イヤだイヤだ。


 額に汗して働く若者が、幸せになれる国になることを願う。







 

by ribondou55 | 2016-12-04 12:00 | 世界は昏いか? | Trackback | Comments(0)
 永六輔作詞、中村八大作曲、「遠くへ行きたい」は、1962年、はじめはNHK総合テレビの『夢であいましょう』の『今月の歌』として作られ、ジェリー藤尾が歌った。
 それが、1970年10月にスタートした旅番組『遠くへ行きたい』のテーマ曲としても使われて、デューク・エイセスをはじめとして多くの歌手によって歌われてきた。

 この「遠くへ行きたい』という曲は、この耄碌した爺さんのこけの生えた心をも、今もって揺さぶる。

 芭蕉は、そぞろ神に憑かれたようだが、ボクはこの曲を聞く度に、気分がそわそわしてくる。

 ボクが、はじめて一人で旅をしたのは、就職一年目の年末年始の休暇、実家に帰らず北海道に行った。

 その時、青函連絡船に乗ったのだが、たぶん、甲板から津軽海峡を眺めていたボクの中には、この曲が流れていた。

 ところが、この少しは冒険のきぶんであったはずの記憶がさっぱりときえてしまっている。

 かすかに、覚えているのは、ボクは青森駅まで乗った寝台列車の臭いである。

 
 最近、このCDに最近出会った。

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 音源は、昭和42年から48年頃に賭けて収録されたもの。

 例えば、青森駅に着く。

 車内放送の独特なイントネーションと声、ゆっくりと駅に近づいてゆく車輪の音、きしむ車両、ようやく着くかという感じの娘たちの笑い声、・・・・、長い長い放送、情報量の多さ、・・・、荷物を網棚からおろして、ブレーキ音、ドアが開かれる音。


あの記憶の中の匂いまで甦えって来るような臨場感。

 迎える駅ホームの放送。

 聞いているだけで、見知らぬ駅に降り立つときの、ワクワクドキドキが蘇ってくる。

 青函連絡船への乗船案内・桟橋・そして船内放送。

 実に音質はクリアーで、乗客の話し声も混じる。

 雑踏の音。

 たまらない。

 八甲田丸だ。

 ああ、乗船名簿、確かに書いたナ。

 このごろの画一的なアナウンスではない。

 語りかけてくる。

 声。

 なつかしい。

 銅鑼が鳴って、出港。


 いちいち、こんな調子。


 なんと、熊谷駅の放送もある。

 確かに聴いた、この声。

 この声。






 

by ribondou55 | 2016-09-12 21:12 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 現代訳「旅行用心集」(八隅廬菴著・桜井正信監訳、二〇〇九年刊・八坂書房)を手にした。

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 刊行は、文化庚午6月、つまり、1810年(文化7年)、ほぼ200年前の旅行のガイドブックである。

 自序のよれば、主にお伊勢参りに旅立つ人々向けの案内書のようだが、それにとどまらず、「諸国温泉、 二百九十二ヶ所」なども掲載する。

 その温泉湯治の注意事項を読んでいると、つい先頃訪れた温泉での配偶者の様子に、あまりにぴったりなので、吹き出した。

 廬菴先生はこのようにおっしゃる。

 湯治にあったって、病気に合う湯、合わない湯とがあるので、この区別をおろそかにしてはいけない、では、どのように見分けるのか?

 一 湯治に行って、その温泉が自分の病気に効くか効かないかを確かめるには、最初一、二回入った後、腹が空いて食べ物が美味しい場合は、効く温泉だと思えばいい。もし、一、二回入っても、腹が張って食欲が増さなければ、大体病気に合わないと思うこと。とにかく行った先の湯宿に病気のことを詳しく話してから、湯に入りなさい。まあ、二、三日入ってみれば、しぜんにようすがわかってくるものだ。

 と。

 過日、配偶者は宿に到着して、風呂に入り、それから夕食となったのだが、あら不思議、その日の昼飯はもりもり食べきったのに、旅館料理を目の前に箸を取らないのであった。

 胸が詰まるようで、食欲がないという。

 なんと、驚くべきか。

 この人は、旅先の旅館飯を食べ残すことは、絶対にこれまでなかった。

 ついに、ほとんど箸を付けずに夕食を終えた。

 その宿の湯は、正真正銘の源泉掛け流し、まことにイイ湯であったのだが、この湯にどうやらあの人はあったったらしい。

 そのお人の様子に、ボクとて大いに心配せざるを得なかったのだが、夕食後のイベントにはケロッとして機嫌良く参加した。

 翌朝は、いつのようにパクパクと沢庵一切れすら残さず食べたので安心したのだった。

 そんなこんなで、そこまでは、どことなく怪しげな廬菴先生のお言葉だと思っていたのだが、ボクは、この箇所に至って、大いに信用すようになった。



 この書は、ほんとうに現代のボクラでも、心得ていれば、大助かりのことが、満載である。

 あまりに、多いので、ここに書き写すのは面倒だから、ここまで。






 

 

More [旅行用心集」
by ribondou55 | 2016-07-30 11:24 | 読み捨てご免 | Trackback | Comments(0)
 無事に餅つきが終わる。

 今年で四回目。

 それ以前は、配偶者の実家で手伝っていたが、今は自宅で。

 薪窯で、釜に湯をわかし、せいろを載せて餅米を蒸す。

 今日は穏やかな日和で幸いだった。

 なぜなら、薪窯は庭先に設置する、だから煙がご近所迷惑になるのが一番気になる。

 今日は、その心配をせずにすんだ、風もゆらゆら程度であったからだ。

 30㌔の餅米を、搗く。

 搗くと云っても、電動の餅つき器だ。

 杵と臼は、高価であるし、それに腕力もない。

 30㌔を二軒でわける、餅つきはその二軒の共同作業だ。

 両家とも年末で帰省してきた子どもたちも参加して、賑やかになる。

 搗きたての餅は、おろし餅、あんこ餅、きなこ餅に、わいわいやりながら。

 餅つきの作業の合間に手早く作れる「煮ぼうと」の熱々をすすりながら一緒に喰う。

 やや塩っからい自家製の白菜漬けと沢庵をおかずに。

 毎年のこと。

 
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 正月の餅が特別な物だという感覚は、この頃では薄れてきている。

 餅嫌いの人も多いと聞く。

 餅そのものがハレの日のたべものだという感覚がきえてしまった。

 
 だが、ボクの生まれ育った家では、元旦の朝は餅の雑煮と決まっていたが、配偶者の生家では正月三が日の朝食はうどんと決まっていた。

 餅は、概ね焼いて食べるものであったという。

 さらには、餅なし正月という、餅の禁忌を守る地域も意外に広く分布するという。


 ともあれ、正月の間には食べきれないほどの餅を搗くのは、餅が便利な保存食であるということが我が家での理由だ。

 老人の二人暮らし、手軽に食事を済ませてしまいたい時に、重宝するのだ。

 それに亡くなったお袋の好物だ、喪中に餅つきはしないという言い伝えもあるが、元旦には雑煮をお供えしたい。

 その雑煮は、ボクがお袋の味をまねて調理することになっている。







 

More なぜ、三〇日か?
by ribondou55 | 2015-12-30 23:18 | 舌の幸い | Trackback | Comments(0)
 『カウボーイ & エイリアン』(監督・ジョン・ファヴロー、2011年)、Huluで観た。

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 この作品は、ボク的には好みである。

 〈カウボーイ &インディアン〉ではなく、エイリアンなのだ。

 そのエイリアン、地球侵略を目論見、宇宙空間を飛び回るロケットでやって来ながら、いざ人間達との戦闘となると、ひどく素朴に肉弾戦を挑んでくる、地球人の方がピストル、弓矢といった原始的な武器を持っているだけ、むしろ優位。

 突っ込みをいれればキリなくて、大いに笑える。

 それに、懐かしい「西部劇」のパロディ満載。

 西部の荒野を馬で疾走するカウボーイと、今や共に戦うインディアン達の姿は、少年時代来る日も来る日もテレビで放映されていた西部劇を思いさせる。

  ダニエル・クレイグは、いかにもお尋ね者のガンマン然としていて、おおいによい。

 ハリソン・ホードも頑固者の退役軍人を真面目に演じている。

 それに、オリヴィア・ワイルドは、地球を救いにきた異星人の女役だが、目元の辺りがミステリアスでまったくのそれっぽさ。

 まあ、そんなこんな、ボクはこんな荒唐無稽が好きだ。

 こんな手放しの「アメリカの正義」も、このレベルなら嫌いではない。



 追記

 野坂昭如の訃報。

 次々と、信頼に足る人が亡くなる。


More NHK「昭和の選択」
by ribondou55 | 2015-12-10 09:43 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 『岸辺の旅』(監督・黒沢清・2015年)を観た。

 ボクは、深津絵里のファンであるので、観ないわけには行かなかった。

 深津絵里(藪内の妻)が、既に死んでいる浅野忠信(夫)の不倫相手であった蒼井優(松崎朋子)に会いにいったシーンは、すごいナー、女の人は、怖いナーと、蒼井優って女優もほんとうにただものではない。

 それも、夫は、どこかで元気でやっていると、伝えるのであるから。

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 このところ、Huluでアメリカやイギリスのテレビドラマをついつい観てしまうのだが、ゾンビをはじめとして、死者が復活?してうろつき回るオカルトチックなもの、イヤ、ホラーだな!、が多いのに、ちょっとびっくりしているのだが、この映画のように繊細な死人の登場は見かけていない。

 亡くなった者が、配偶者や恋人、子どもといった親密なものの前に蘇って生活を共にするというストーリーは、珍しくない。

 だが、この映画の死者のように、死後3年もかけて妻の元に返ってくる、その上、その3年の間たどってきた場所を、夫婦して尋ねていく、こんな話はきいたことがない。

 当然、夫婦の旅の終わりには、亡くなっている夫は、この世にとどまれるわけもなく、彼岸へと旅立つわけである。

 つまりは、この旅は「みとり」の旅である。

 心を残して亡くなっていった人とその亡くなった想いを何時までも考え続けている人の間で、何かしらの了解できる心の交流があって、「みとる」「みとられる」ということが、為されるのかも知れないなと、・・・。

 それは、場合によっては、互いに「許し」「許される」ということかも知れない。

 この映画の死生観は、われわれの心の深層に共鳴するような気分もあった。

 此岸と彼岸が、トンネルのようなものでつながっている。

 黄泉比良坂のような黄泉の国への入口は、あちこちにあって、この世とあの世を行き来して、その誰かに会いに来る。


 死者はここにも、あそこにもいて、彼岸へと旅立つ日を待っている。


 酔っぱらった島影(小松政夫)を、藪内がおんぶして新聞配達店までかえるシーンは泣かせるのだが、いうなれば、ゾンビがゾンビをいたわるなんて、これまでみたこともないなァと、おかしくもあった。

 そして、島影が旅立ったその瞬間に、新聞配達店の壁一面に咲いた花は、音楽とあいまって、圧巻だった、映画ならではの表現である。

 音楽は大友良英・江藤直子、配偶者はちょっと盛り上げ過ぎ?というが、ボクはそれはそれでいいと思った、メロドラマなのだから。


 この映画は、いうなればオカルト映画ではあるが、観終えてうまく言葉にできないが味わいは、・・・・、やさしい。








More ヒッチコックの『サイコ』を思わせる音楽
by ribondou55 | 2015-10-10 09:30 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂