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秋が残していったもの


菜園の三つの隅に植えてある、柿と檸檬と蜜柑。

ボクはほとんど口にしないが、目は楽しませてくれる。

味はほどほどのようだ。

蜜柑はすこし酸っぱいのだが、そこが市販のものにない味わいだと喜んでくれる人もいる。

柿の甘さも、もうひとつと配偶者は言い言いしながら、よく食べる。

檸檬は、ほとんどが娘の元に送ってしまう。



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残った四隅の一つには、無花果の苗木を昨年植えた。



天に続く道

松本竣介


絵筆をかついで
とぼとぼと
荒野の中をさまよへば
初めて知つた野中に

天に続いた道がある
自分の心に独りごといひながら
私は天に続いた道を行く







参議院本会議中継を見た。

この国の首相の振る舞いを、子ども達はきっとお手本にする。

その結果やいかん。

火を見るより明らか。










by ribondou55 | 2019-12-02 22:38 | 畑にいます | Trackback | Comments(0)

ボクは「サラダ記念日」が刊行されて、程なく多分読んだ。

大いに楽しんだのではあるが、戸惑う感じもあった。

その感じは、今も消えていない。

さてさて、ボクの作った白菜だって、捨てたもんではない。

赤帯は締めてないが、青虫、ヨウトウムシ、ナメクジ・・・諸君に、大いに愛されている。


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久しぶりに都心に出た。

築地で馳走にあずかったあと、銀座で娘と孫に会った。


隠居暮らしに入って以来、今日は「東京」へ行くと、云うようになった。

現役の頃は、仕事へ行くと言っていたのだ。



今のボクにとっては、都心に出向くには、重い腰をどっこしょとあげて、という感じだ。

それでも、今日のように40年も通い続けた通勤電車に乗って、

文庫本を開くと、

なぜか電車の振動がしっくりと伝わってくる。

人だらけの往来の流れに乗って歩いている自分が

懐かしい日常へと帰ってきたような気がしてきた。



孫にクリスマスの絵本を買ってあげる約束?をしていた。

教文館の狭い階段を孫の手を引いて上って行ながら、やっぱりもう俺はおじいちゃんだな、

それが「うれしいような」と自覚したのだった。












by ribondou55 | 2019-12-01 23:32 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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一茶忌は、陰暦11月19日。

一茶の句には、こんなのがある。


柿の木の番しがてらの隠居哉


隣家の柿の実は、そこそこ甘い。

入れ替わり立ち替わり鳥たちがやってくる。

隣家のものだから、別に追っ払ったりしない。


今日は、まったく冬の寒さがやってきた。

散歩の途中に寒桜が咲いていた。

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たまたま向けたカメラに、こんなものも写り込んでいた。


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エナガのように見えるのだが、それでいいのだろうか?

シジュウガラも来ていた。


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安物のデジカメだから、黒色の部分がのっぺりとつぶれてしまう。

だが、野鳥の影が見えると、とりあえずは絵を撮ってしまう。

一足延ばせば、××沼公園という所があり、そこには水辺の渡り鳥ももう来ているはずだが、寒いので、それにちょっと尿意も催して、情けない。

帰路についた。


沢庵大根を干した。


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二週間ほど、寒風に曝す。














by ribondou55 | 2019-11-26 15:21 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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今年は、菜園の片隅に植えてあるレモン、収穫できた。

初物がこれ、一果。

まだ、小さな木で、たよりないのだが、健気にもあと七個の実。

よくやった。




ボクの好みから云うと、梶井基次郎の『檸檬』は、短編小説の内で五指にはいる。

ずっと昔、「二條の方へ寺町を下り其處の果物屋」から京都丸善まで行き、美術書の棚を探し、その前をゆっくり通り過ぎ、そのまま河原町通りへ出て、ほど近い喫茶店でぼんやりしたことがある。

とは言え、檸檬一個をポケットに忍ばせていたなんていうことはない。

勿論、ボクの行ったのは、『檸檬』の舞台となった三条通麩屋町の店舗ではなく、河原町通蛸薬師であったから、小説の「私」の散歩コースは再現できなかったのだが。


筑摩の梶井基次郎全集の一巻目は、親しかった人に貸したのだが、戻ってこない。


變にくすぐつたい氣持が街の上の私を微笑ほほえませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆彈を仕掛しかけて來た奇怪な惡漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆發をするのだつたらどんなに面白いだらう。




香港情況、Twitterを頻繁にチェックしている。



芸能人は、権力にとっていろんな意味で、使い勝手がよい人たちなのだと、

こんなタイミングでの沢尻さん逮捕を観て、やっぱりね、と。










by ribondou55 | 2019-11-17 22:17 | 畑にいます | Trackback | Comments(0)

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二歳の孫と手をつないで、畑まで。

白菜についた青虫を、これが「はらぺこあおむしさん」だよと教えると、ぽかんとしていた。

ショウリョウバッタに触ってみるかと、からかうと、小さな手を引っ込める。

モンシロチョウがひらひらと彼方此方に飛ぶのが珍しいらしい。

畑の隅に植えてあるミカンを二つもぎり取り、これも畑の縁にある小菊を折って、ママへの土産とした。


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娘は、昨日帰宅するなりソファーに寝そべり、連休中、帰るまでここから動きませんと、いう。

二週間以上風邪気味であるが、家事と育児と仕事に追われている様子。

旦那は家に放置して、子供と実家でのんびりしたい、そう云う。

分からん訳ではない、この親にしてこの子あり。

ボクら夫婦もその日その日を追い立てられるように過ごしてきたのだ。

孫は文句なくかわいいのだし、のんびりさせてやりたい。


表題の句は、孫が持ち帰った小菊からの連想。

ボクの畑も、今頃が一番緑で映える季節。

大根葉が茂り、白菜が葉を広げる。



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小松菜、ほうれん草、茎菜、キャベツ、ブロッコリー、それに、春菊、水菜、人参、勢揃い。

今や、嵯峨の京野菜といえば、ブランド品なのかもしれない。

それでも、小さな無人の野菜販売所なんてあるかも。

粗末な小屋がけの店先に秋冬野菜の走りものの間に、ちょっこと小菊の束を置いてある。

いいな。







by ribondou55 | 2019-11-03 18:03 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
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 一茶の句の「小菜」とは、芽を出したばかりの菜を云う。
 
 一茶の句は、この秋も新米がとれた喜びと、青める小菜のめでたさが詠まれている、いい句だ。

  ところで、「小菜」にはちょっと異なる意味もあり、「間引き菜」を指すのだ。




 さて、画像は、大根、いままさに青みはじめたばかり。

 一カ所に5粒の種を蒔いたので、五本の芽がでるはずだ、勿論、発芽しない種もあるから、五本とは限らないが。

 ともあれ、いよいよ、間引きの時期、一本を残して、あとは抜きとる。

 これが、たいそうな手間で、さてどれを間引き、どれを残すか、案外、迷うものだ。

 間引き菜とて、一本一本が、一つづつの命でアル、なんて、・・・、そんなことはさらさら頭にない。

 丁寧に間引き菜を持ち帰って、食べる方も多いが、ボクは棄ててしまう。

 種を蒔くと同時に、青虫退治の農薬を散布しているので、残留農薬を気にするからだ。

 とはいえ、その効き目は如何?


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青虫は、お元気にとりついているのだ。

だが、大根は、青虫に食われるのだが、食われても案外大丈夫。

食い尽くされる前に、葉を更に茂らすから。

植物と動物の生き残りをかけた闘い、ボクは勿論大根の味方である。




問題は、白菜で、シンクイムシにやられ始めた。

これは、「芯食い」の名のとおり、成長点を食害する。

白菜は、そこをやられたら、万事休す。

さてどうしようか?

概ね、冬野菜の仕込みは終わった。

心配なのは、タマネギの芽が、生えそろわないことだ。




川上未映子さんの「夏物語」(雑誌「文學界」三、四月号・2019)を読み終えた。

充実した読書の時間を過ごせた。


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小説の主眼?には、触れるのどうかも分からないが、主人公の夏子さんとその出自周辺の人々の大阪弁が、とても生き生きとしていた。

ボクは、身近に関西弁の人物が登場して以来、その人物にまったく不満なんてなくすこぶるいい奴だと思っている。

だが、そやつのことばが、例えば「めっちゃ~やん」とか、少なからず耳障りな時がある。

(申し訳ない、これはあくまでもボクの偏った主観であり、他意はない。)

だが、この小説の大阪弁のリズムは、悪くない。

多くの人に読まれるといいなぁと思えた作品だ。





















by ribondou55 | 2019-09-30 22:51 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

中之条まで行ったのに、ボクはあまり熱心に観てはいなかった。

どちらかというと、遠出の散歩のような気分で、ぶらぶらしてきただけだ。

歩いて行ける範囲は限られていて、数年前に観たような作品も置かれていたので、ちょっと、気分が弛緩したのだ。




印象に残った作品の一つ。

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樹の表面にボクも惹かれることがある。

樹木に宿る「力」を感じこともある。

気ままに歩き回ることができる武蔵丘森林公園の慣れ親しんだ林間の道で、理由もなくおびえてしまうようなこともある。

というわけだ。




 
三峯インゲンの収穫始まる。

 ゴーヤ、撤去。

白菜・ミニ白菜・大根、発芽。

タマネギはまだ発芽しない。

ブロッコリー、苗を定植。

九条葱・分葱葱を移植した。

明日、人参の種蒔き。

キャベツの畝、マルチ張りも明日。

ほうれん草、くき菜、小松菜、ベビーリーフは、10月になってから種蒔き。












by ribondou55 | 2019-09-22 22:39 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)
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大根を蒔いた。

黒マルチ一穴につき、五粒。

それ以上だと、間引くのに難渋する。

この種は青首大根。

耐病総太りといえば、某大手種苗メーカーのおはこだが、この種は地元の種屋さんが販売している。

昨年まで4年作り続けたが、とても安定している。

ボクの定番の種の一つだ。

煮物にもするし、おろしにもするが、沢庵にもする。

ぶっとい、沢庵になる。


素十さんの句は、作り物でない。

ボクの畑にも、蛙が住んでいる。

愉快だ。



白菜はうまく発芽した。

明日は、タマネギの種を蒔く。

ブロッコリーやら、キャベツやらは、来週へ。

このところ、畑なんぞにかまけて、もっとイイ事ができなかった。

今週末にかけて、遊ぼう。










by ribondou55 | 2019-09-15 21:30 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)


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直径が6、70㎝程もあろう南瓜であった。

森林公園のハーブ園ゲート近くの東屋の入口に置いてあった。

朱色の綺麗な南瓜であった。

表題の句の「のふぞう」というのは、伊予の方言で「大胆な、横着な、図太い」といった意味らしく、始末に負えないというニュアンスもあるらしい。

この南瓜を形容するのにぴったりでアル。

ハローウィン用にというには、まだ気が早かろうが、これに目鼻と口をくり抜いてみたくなった。



午前中は、耕す。

今週中に、まず白菜の直播きを終えたい。




「のふぞう」をさらにあたると、「野風増」という表記もあるらしい。

中部地方でとか、岡山県とかという情報もアル。

こうなると、後日方言辞典で確認しよう。






by ribondou55 | 2019-09-05 23:22 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 
 この数日、急な炎暑の到来で、畑に出る気力が萎えた。

 腰も痛んでいた。


 

 ところで、今日の夕暮れ、拙妻が茄子や胡瓜の出来過ぎを気にして、収穫にでたところ、

 今度は、カボチャが

 アライグマによるものか、或いはハクビシンか、正体不明ながら

 荒らされていたと云う。

 仕方なしに、畑をのぞきに行くと、

 裂けたカボチャの果肉に、

 鋭く爪痕が残っていて、

 確かに、やられていたのだが、

 それよりも、気を重くさせたのが、

 すくすくと葉を茂らせている一面の雑草だ。

 長雨の間、けずってもけずっても、

 地面からわき出してくる雑草にウンザリしていた。

 それをこの三日ほどの間放置したら、

 もう、どこから手をつけようかというようなザマになった。

 憂鬱だ、

 明日の当地の最高気温予想は、三十六度である。




やはり、老いてゆくことを誤魔化すことはできない。

本来なら、運転免許証の返納を真剣に考える歳になっているのに、

この頃は、ますます、車への依存が強くなってきた。

この春までは、自転車で行った図書館までも、今は車を運転する。

実に、困ったことだ。

うまく、老いていって、

誰からも気にされないで、そっとフェードアウトしたいというのが、

小生の望みだが、

そうは問屋がおろさないかもしれない。




アンチエイジングって、もしかすると、

年寄りをかえって不幸にする考えかも知れない。

いや、もしかではない。

老いを老いとして受け入れて行くのは、

結構覚悟がいる。

最近、「還暦中二病」でなはないかと、心中密かに思わされたご婦人と出会った。

彼女は、この地ではどうやら訳知りの遣り手のお方らしく、

一部の皆様にとっては、尊敬を集めていらっしゃるらしいのだが、

ご本人とたまたまお話したところが、

まるで、思春期の屁理屈回しのような、六十五歳の言説に唖然としたのだが、

・・・・・、

止めておく。




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by ribondou55 | 2019-07-31 23:00 | のらり句らり | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂