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米英のロックは、ボクの如きぼんくら歌謡曲老人にも、これが陰に陽に影響している。

ということは、うすうすであるが、感じ続けてきた。

そこで、先行きの時間は限られているだろうが、ここに挙げられた、100のアルバムを聴いておきたいと、思った。

このテキスト「教養としてのロック名盤ベスト100」(川崎大助著・光文社新書)は、

100位から1位へと向かって、ページは進むのだが、

それだと、一番気持ちよさそうなアルバムまで到達できない可能性がある。

そこで、ボクは、今日1位の、ザ・ビートルズ「リヴォルヴァー」から下降して行くことにした。

このアルバムは、ボクのiTunesに収まっているので、YouTubeを漁る必要もない。

アルバムの歌詞の和訳は、ネット上で容易に見つかった。

加齢によって益々ぼんやり度を増しているオツムの中に、「風」を感じた。

大昔に聴いたことがあったような、「風」の音であった。

ボクが洟垂れ小僧に毛が生えた程度の青二才であった時分のアルバムが、

今もってボクのしなびた脳みそを刺激するのは、どうしたものか。


第1位〔1966年)



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by ribondou55 | 2019-10-15 17:24 | 古希の手習い | Trackback | Comments(0)


久々のポタリング。

夏の間、暑さにくじけてボクは、ぐうたらしていた。

ようやく、秋めいてきて、脇腹がタップタップしてたような気がして、ペタルを漕ぐ意欲が少し兆した。

この機を逃すまいと、老体にむち打つ感じで、行田方向へ向かった。

なぜ、行田か?

この方向が、昨日は、自転車にとって追い風になるからだ。


さて、さきたまの博物館までと、目論んだが、

ラグビーワールドカップの会場になっている熊谷ラクビー場の様子を覗いて置こうと、寄り道。

ここでは、全4試合のみだから、本日は試合はない。

それでも、まことに賑々しく開催中のこと推察され、ボクもなんとなくうれしくなった。


そこから、刈り取りの終えた田んぼを両脇に眺めながら、行田市街に向かった。

昼飯に寄ろうと思っていたラーメン屋を目指すのだが、道に迷った。

仕方なく、行田のメインストリートを羽生方向へと当てもなく走ってゆくと、我空薬師の入り口の標識があった。

ポタリングの面白さは、犬の散歩のように、道草すること。

といっても、マーキングはしない。

そこで、「我空薬師」に出会った。

「ガクウヤクシ」、おお、イイ感ジ、御利益ありそうと、お参りに行く。


比較的、小ぶりのお堂が建つ。

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さて、由緒書きを一読し、驚嘆したり、ニヤリとしたり。

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これは、ガクウヤクシではなく、「ガッカラヤクシ」様であったとは。

弘法大師はあちらこちらに通りかかられたようで、このガッカラ薬師様も弘法大師ゆかりの仏様であった。

「行田市研究2012」http://gyouda2012.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-87b2.html にこんな記事が。

第九話 ガッカラ薬師と霊泉長野我空薬師

 長野公民館がございます。あの公民館の前を東へ、工業団地の方面へ向かっていきますと、右手に保育園がございます。その保育園の手前を右へ曲がって、四,五十メートルほどの所に「ガッ薬師」といわれている小さなお堂がございます。昭和の初めまでは、この辺一帯は森われていたと云います。さいけれどもこのガッ薬師のおりは、んなものでした。のおに、元禄十四年から薬師像られていたといますが、そのまでは、姿のない薬師堂であったといいます。昔、弘法大師がこの地をまわられた時、人々を救うために薬師を祀るように言われ、この地を選んでよくめ、仏の助けを祈念して一本の木を植えられました。「ここに薬師さまがお祀りしてあります。信仰のい人が頼めば、必ずご利益を与えてくれるであろう。」と、こう言って立ち去りました。いつの頃からか、その木は光り輝き、夜道でも誤ることなく薬師堂にたどり着くことができたといいます。その、木の根元から泉が湧き、この泉で入浴すると万病に効いたといいます。そして「薬師せい」と呼ばれ評判なりました。その頃からか、夜になるとどこからともなく森の中で「ガッラ、ガッラ・・・」とく音が聞こえてくるようになりました。その音が薬師さまからの音だというので「ガッラ薬師といわれるようになったようです。「薬師の井」は近隣に評判となり、埼玉、、広田など遠くからも、この水をもらいに来る人が絶えませんでした。それがいつしかはしこい人間が目をつけるところとなって浴場を造ってしまいました。これがまた大繁盛し、次から次へと新しい浴場が造られ、この辺一帯が霊験あらたかな「霊泉の町」となってしまいました。何かまるで、現代のスーパー銭湯ブームを思わせるようですねえ。ついには遊楽街となり、いかがわしい湯屋までできるようになってしまいました。それが、今から二百八十年前も昔の享保の頃のことでございます。その浴場の権利のことで争いにまでなってしまったので、さすがに目に余ったのでしょうか。つい忍城主阿部豊後正喬侯はとうとうこの辺一帯浴場を禁止してしまわれました。しかし「薬水」の効き目は衰えず、各地から信仰として水をいただきに来る人は非常に多かったといいます。正徳六年、千七百十六年といいますから、公衆浴場騒動の少し前のこと、この地に住んでいたお坊さんが亡くなったといいますので、このガッラの森に葬りました。ところがそのからったたちがだれかれとなく高熱にうなされるようになりました。みなが「ここに死体を埋めて、薬師如来をけがたてまつったばつが・・・」と、高熱に狂いながら言いますので、坊さんの死体を違う場所に移しました。今度はたちどころに熱も引き、皆、元にもどったということです。この話が評判になり、ガッラ薬師の信仰はますます広がっていきました、とさ。

 あくまで、伝説としての紹介であるが、薬師堂前の格調高い由緒書きともほぼ重なる内容である。

 面白い。

 伝説にしても、謎多いお話で、全国にはこの類話のありやなしや?


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 一番面白いのは、この伝説を採録されたの方のおっしゃるとおり、聖水を汲んで沸かしてSPにした、この件である。
 
 いかがわし湯屋まで出来たという、いいねえ。

 由緒書きには「遊婦」とやや品良くあるが、つまりは「湯女」まで侍らせて、お湯三昧。

そうなら、霊験あらかた間違いなく、大抵の病も快癒したかも知れない。

 阿部正喬というお殿様は、1672年から1750年までご存命、幕府の老中もお勤めになった。

 元禄12年には寺社奉行にも就いている。

 確かに、聖水SPには、眉をしかめたかもしれない。

まして、享保の吉宗政権下では、こりゃ駄目でしょう。


 ともあれ、本来「我空」とは、立派な仏の教えである、

 大乗仏教の根本思想である二空の一つ。人空生空,人無我,衆生無我ともいう。一切の生類に心身があるとしても,色受想行識の五蘊 (ごうん) の集ったもので,実体としての自我というものはないとする見解。(ブリタニカ交際大百科事典)

 いいですねえ。


そもそも、湯屋の始まりは、寺院が衆生斎度のための浴場だという。

仏との因縁浅からず。

聖と俗も表裏、両面あって、足し引きするとプラマイゼロで「我は空っぽ」となるやならずや。

 ありがたや。

 「我空薬師」

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ボクはこのところ目がしょぼしょぼしたりするので、お賽銭をちょっとはずんで、手をあわさせていただいた。

 南無我空薬師如来。


ラーメンは、初めての店で食べた、可も無く不可も無し。











 





 



by ribondou55 | 2019-10-06 10:33 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)

中之条まで行ったのに、ボクはあまり熱心に観てはいなかった。

どちらかというと、遠出の散歩のような気分で、ぶらぶらしてきただけだ。

歩いて行ける範囲は限られていて、数年前に観たような作品も置かれていたので、ちょっと、気分が弛緩したのだ。




印象に残った作品の一つ。

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樹の表面にボクも惹かれることがある。

樹木に宿る「力」を感じこともある。

気ままに歩き回ることができる武蔵丘森林公園の慣れ親しんだ林間の道で、理由もなくおびえてしまうようなこともある。

というわけだ。




 
三峯インゲンの収穫始まる。

 ゴーヤ、撤去。

白菜・ミニ白菜・大根、発芽。

タマネギはまだ発芽しない。

ブロッコリー、苗を定植。

九条葱・分葱葱を移植した。

明日、人参の種蒔き。

キャベツの畝、マルチ張りも明日。

ほうれん草、くき菜、小松菜、ベビーリーフは、10月になってから種蒔き。












by ribondou55 | 2019-09-22 22:39 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)



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「三つ子の魂百までも」ということを、ボクはそんなことあるものかと、思ってきた。

幼年期に形成される性格やら感性やらといったパーソナリティいうか、「その子らしさ」というのは、多く環境に影響される。

影響力の大きい環境と云えば、まず親、家族、「家」。

例えば、味覚なんてものも、幼少年期に決定される。

愛着、思いやり、憎しみ、悲しみ。

言葉遣い、語調、立ち居振る舞い、・・・。



俗に言う、「お里が知れる」というやつだ。

「お里」とは何事だ!

そんなものに、人は支配されない。

「再生産」されてたまるか。

これまで、ボクは、環境が人を決定しないという立場を取ってきた。

「お里」を人は選ぶことができないが、その「お里」の世界を超越して行くことが、「自立」って奴だと思ってきた。


だが、この頃思うのは、還暦・古希を過ぎる頃になると、人は「コドモかえり」を始める。

明らかに退行してゆく。

人目を気にして、気にして、ついに、とんでもない袋小路へとか。

おいしいこと、気持ちいいことが、価値判断の第一基準とか。

承認願望と、それが満たされないときの激しい怒りとか。

自己への盲信、とうらはらに自信のなさとか。



ついには、高齢者になった子が、「この親にして、この子あり」という、壁にぶち当たるとか。

・・・・・・・・・。



じっと、始末に負えない老人(己もそのうちに含まれる)を眺めていると暗澹タル気分になる。

その上、人生100歳時代だと、くそったれめ。



たとえば、健康体である限り、

正座でもなく、胡座でもなく、椅子に座るでもなく、

ただ足を投げ出して三度の飯を喰うことは、ボクには到底できないのだ。

嗚呼。



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by ribondou55 | 2019-09-21 23:14 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)


見てきた「もの」と「こと」と「なにか」



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以下のA~Eは作者不詳

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A

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B

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C

   
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D


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E


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F








by ribondou55 | 2019-09-19 22:52 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
今日は「敬老の日」であった、とか。

公益財団法人・全国有料老人ホーム協会が、毎年、この日に合わせてシルバー川柳を募集している。

そして、入選作が今年も発表されている。

今年の入選作でボクが、一番笑えた一句、これ。

 婚活の殺し文句は「看取ります」 大塚初子 女性・66歳・団体職員

昨年からは、こんなのが。

 デイサービス「お迎えです」はやめてくれ  相野正 男性・68歳・無職

2017年の作品。

 いつ死ぬか分かれば貯金つかうのに  遙 女性・77歳・主婦

2016年では、こんな。

 希望無し目標なくて自由あり  かつ子 女性・83歳・無職

ついでに、2015年度も。

 マイナンバー ナンマイダーと聞き違え  沢登清一郎  男性・67歳・自営業


詳しくは、https://www.yurokyo.or.jp/news.php?c=10 こちらを。


身につまされて思わず、苦い笑いです。




国民の祝日の制定の理由には、それぞれにご立派な趣旨があるだろう。

本日の「敬老の日」も、「多年わたり社会に尽してきた老人を敬愛し、長寿を祝う」のだそうだ。

ごもっとも、是非そうであって欲しいと、高齢者の一人として願わずにはいられない。

と、いうのは、嘘でアル。

小生、敬愛なんてほどほどに、長寿もあまり願わない。

若い人たちに、敬愛してなんてことをお願いしたところで、一顧だにされるはずがない。




例えば「敬老の日」商戦なんて聴いたことがない。

祝日でなんかなくとも、バレンタインやハローウィンでは、お金の匂いがぷんぷんする。

「敬老の日」?

お金の匂いを嗅いでいるのは、オレオレ詐欺の犯人どもだけだろう。




とっくの昔に、高齢者はこの日本国において、成長の足かせとなった。

願うことは、ひとつ、いくら哀れに見えようとも、ボクの「自由と乏しい年金」を奪ってくれるな、ということだけだ。

惚ける前にさっさっと、フェードアウトできれば、さらによい。

ということか。


今日、森田童子を聴いた。


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困ったような気分になった。



仕方ないので、

忌野清志郎の「高齢化社会」で、気分を変えた。















by ribondou55 | 2019-09-16 22:43 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

眼鏡

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普段使いは、遠近両用眼鏡。

デスクトップpcの前では、中近両用眼鏡。

映画館や展覧会は、近視用眼鏡。

車の運転時は、近視用度付きサングラス。

そして、今日は、だだの老眼鏡ができてきた。


この頃は、遠近でも中近でも、文字だけに向き合っていると、変な目の疲れを感じるようなった。

そこで、とうに昔に度が合わなくなったので、引き出しに放っておいた近視眼鏡のフレームを再利用して、老眼レンズに交換した。

とても、具合いい。

「注」の多い文庫本も読みやすくなった。

ちょっと、うれしい。







by ribondou55 | 2019-09-09 22:31 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)



この夏の旅の一番の目的は、秋田県鹿角花輪のお祭り見物であった。

ユネスコ登録云々はさておき、東北にはねぶただ、竿灯だと、メジャーなお祭りが目白押しに夏を賑わわす。

そこへ行くと、「花輪ばやし」はいまひとつといえば、地元の方ゝは、ご立腹か。

実際に訪ねて見ると、スケールは想像の内にあった。

が、しかし、地に着いた熱気を感じて、つくづくよいお祭りであると思った。

嫌みがない。

それは、原則的に礼儀正しい祭りであるからだ。


同じくユネスコ登録の秩父夜祭りは、ボクにはよくよく知った祭であるが、年ごとに、ウーン、失礼ながら・・・客が劣化してゆく。

どちらが前かワカランが、祭自体もマンネリとういうか、「お金」問題がちらつくし、つまらなくなってきた。

ユネスコ登録には漏れてしまった熊谷祇園うちわ祭なんぞは、ボクがガキであった半世紀以前の素朴さが皆無、ただの「お金」が仕切る祭に堕落しているようだ。


さて、花輪ばやしの礼儀正しさとはなんぞや。

ボクは正直何が行われいるのかわからなくて、面食らった。


  
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 路上で鉢合わせした屋台と屋台が向き合い、それぞれの屋台に属する人たちが整列して神妙な面持ち。

 外交と書かれた提灯を掲げて、双方から人が出てきた。

 何やら、道の真ん中でやり取りしてして、別れた。

 さて、これは、お囃子のガチンコ勝負、戦線布告かと思いきや、そうではなかった。


 これは、「町境の挨拶」というここ花輪の祭りの重要なしきたりであったのだ。

 外交部は祭の花形で、外交部の働きを無くして花輪ばやしは語れません。外交と書かれた提灯を持った人が、その町内の屋台を先導する外交部です。外交には、他町内の通行許可をもらう、大事な役割があります。

花輪の町には七ヵ所の町内の境い目、つまり『町境』があります。舟場元町と舟場町、舟場町と新田町と六日町、六日町と谷地田町、谷地田町と大町、大町と新町と旭町、新町と横丁と組丁、横丁と組丁の境い目です。

花輪ばやしの屋台が、この町境に差し掛かったとき、外交による『町境乗り込みの挨拶』を見ることができます。

町境では写真のように、それぞれの町内の外交部が提灯をてかざし、話し合う場面があります。この時、以下のようなやりとりが行われております。

隣町内に乗り込む側「○○町内申し上げます。かねてお約束の時間に参上いたしました。ただ今から××町内をお通し願います。」
迎える側「××町内申し上げます。ただ今の○○町内のお申し出確かに承知いたしました。どうぞお通り下さい。」
                       ※

 町境のしきたりの中には、屋台が町内を通過し再びその町内を通って帰るとき、町内の外交担当者が、通過する町内の役員および屋台を出口となる町境において、見送るしきたりがあります。

 丁寧な気持ちのよいならわしで、相手側に対する最大限の敬意を表します。  (花輪ばやしガイドHPより)


 こうした整然とした祭の進行は、多所にも例があるのだろうか。

 その威厳を感じさせる礼儀正しさは、随所に見ることができた。

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 さて、祭とは、本来日常からの解放、逸脱という一面も併せ持つものだと、思われている。

 古くから伝わる各地の祭りにおいても、明治以降の近代化の過程で、風俗の紊乱ありとして、様々な弾圧があり、自粛や修正が加えられきているということを、聞き及んでいる。

 この祭りの「外交」による町境における挨拶という「制度」もそうした近代化の中で形を為したのだろうか。一体いつ頃からあるものなのだろうか。

 しかしそこはお祭り、やはりただではすまないということも、あったようだ。


 これはあくまでもスムーズにいった場合です。町境の位置があいまいなため、提灯を置く位置をめぐり、もめる場合がたびたびあります。昔は町境のいざこざがこじれて、屋台をぶつけて押し合ったり、血の雨が降ったという血気盛んな時代もあったようです。

 20日未明に行われる朝詰では、たびたび町境の挨拶がこじれます。この時、屋台をギリギリまで近づけ、お囃子合戦をしたり、中には屋台をはげしくぶつけ合う、けんか屋台に発展する町内があります。荒々しい祭りの一面を見ることが出来る、花輪ばやしみどころの一つでもあります。


 ウーン、そうだろう。

 それにしても、この整然とした祭の運行のシステムは、たいしたものだ。



 そんなこんなで、web上を、花輪ばやしの情報を求めて彷徨うと、とても優れたサイトに出会えた。一読を。

「秋田の伝承学 花輪ばやし」 https://nanmoda.jp/2017/08/1084/

 






by ribondou55 | 2019-09-07 16:22 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)


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午前中は、畑を耕した。

とりあえず大根と白菜を蒔くために、汗を流した。

スコップで荒く掘り起こして、その土塊を鍬で砕く。

石灰と堆肥を入れて、また、鍬で耕す。


昼には、醤油ラーメンを丁寧に作った。

安く買ってあった焼き豚を厚く切って、どさっと。

畑の九条葱を山盛りに。


それから一時間ほど昼寝をした。


目覚めも気分がよかった。

配偶者は出かけていたので、ドアやら窓やらに鍵をかけ、留守番電話にして、自室に籠もった。

久々に部屋を片付け、内田百閒の「東京日記」(岩波文庫)を読んだ。

YouTubeで高橋優を聴いた。

Twitterで香港の様子を見た。


やがて配偶者が帰宅した。

留守電は一本もなかった。


夕飯にこの秋初めての秋刀魚を喰った。

痩せた秋刀魚であったが、腸はやっぱりほろ苦かった。


涼しいというのは、よろしいものだ。

虫が鳴いているのを聴きながら、寝よう。















by ribondou55 | 2019-09-04 23:09 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 
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素敵におかしい。

是非極楽はそうであって欲しい。



「笑う子規」(正岡子規・著、天野祐吉・編、南伸坊絵、筑摩書房・2011)。

大好きな一冊。

時折とりだして、笑う。




秋の句から、

いくつか、拾ってみる。

云うまでもなく獺祭書屋主人こと子規先生のお作である。


枝豆ヤ三寸飛ンデ口ニ入ル

秋の蚊のよろよろと来て人を刺す

螽焼く爺の話や嘘だらけ

からげたる赤腰巻きや露時雨

渋柿は馬鹿の薬になるまいか

ツクツクボーシツクツクボーシバカリナリ


パチパチ👏











by ribondou55 | 2019-09-01 14:46 | 読み捨てご免 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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