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 一茶の句の「小菜」とは、芽を出したばかりの菜を云う。
 
 一茶の句は、この秋も新米がとれた喜びと、青める小菜のめでたさが詠まれている、いい句だ。

  ところで、「小菜」にはちょっと異なる意味もあり、「間引き菜」を指すのだ。




 さて、画像は、大根、いままさに青みはじめたばかり。

 一カ所に5粒の種を蒔いたので、五本の芽がでるはずだ、勿論、発芽しない種もあるから、五本とは限らないが。

 ともあれ、いよいよ、間引きの時期、一本を残して、あとは抜きとる。

 これが、たいそうな手間で、さてどれを間引き、どれを残すか、案外、迷うものだ。

 間引き菜とて、一本一本が、一つづつの命でアル、なんて、・・・、そんなことはさらさら頭にない。

 丁寧に間引き菜を持ち帰って、食べる方も多いが、ボクは棄ててしまう。

 種を蒔くと同時に、青虫退治の農薬を散布しているので、残留農薬を気にするからだ。

 とはいえ、その効き目は如何?


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青虫は、お元気にとりついているのだ。

だが、大根は、青虫に食われるのだが、食われても案外大丈夫。

食い尽くされる前に、葉を更に茂らすから。

植物と動物の生き残りをかけた闘い、ボクは勿論大根の味方である。




問題は、白菜で、シンクイムシにやられ始めた。

これは、「芯食い」の名のとおり、成長点を食害する。

白菜は、そこをやられたら、万事休す。

さてどうしようか?

概ね、冬野菜の仕込みは終わった。

心配なのは、タマネギの芽が、生えそろわないことだ。




川上未映子さんの「夏物語」(雑誌「文學界」三、四月号・2019)を読み終えた。

充実した読書の時間を過ごせた。


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小説の主眼?には、触れるのどうかも分からないが、主人公の夏子さんとその出自周辺の人々の大阪弁が、とても生き生きとしていた。

ボクは、身近に関西弁の人物が登場して以来、その人物にまったく不満なんてなくすこぶるいい奴だと思っている。

だが、そやつのことばが、例えば「めっちゃ~やん」とか、少なからず耳障りな時がある。

(申し訳ない、これはあくまでもボクの偏った主観であり、他意はない。)

だが、この小説の大阪弁のリズムは、悪くない。

多くの人に読まれるといいなぁと思えた作品だ。





















by ribondou55 | 2019-09-30 22:51 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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ただ睡蓮と呼んだ方がわかりやすいが、この花の学名は、そのスイレン属の「ヒツジグサ(未草)」である。

 と書いたが、本当は自信ない、それどころか、間違い。

 ヒツジクサの花はとても小さく五百円玉ほどの大きさだと「尾瀬のマウンテンガイド」にある。

 そうであれば、森林公園で見たこの花は、

手のひら大の花であったから、セイヨウスイレンであるというのが、正しいだろう。

 ヒツジグサは日本特有の植物だという。




龍太さんの句は、「鰯雲」と「未草」の白つながりの視覚的なイメージが、目の前にパッと開けてとても爽快。

秋晴れの天上から空の青さを映す水面へ、その視線の移動も、映画のワンカットのようだ。

ヒツジグサの開花期は、6月から11月といわれる。

鰯雲は、秋の象徴的な雲だから、龍太さんは未草を、夏の草と思っていたのかも知れない。

ところで、未草という奇妙な名は、その昔この花は、未の刻に開くと信じられていた故だろうということだ。




さて、世情は混沌としているのでなく、厭なうねりが一つ方向へとはっきりと収斂してきた。

危機的な様相になってきた。













 



by ribondou55 | 2019-09-27 23:21 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 万葉集に次の一首がある。
 
  草に寄する

 野の辺の 尾花の下の 思ひ草 今さらさらに 何か思はむ  作者不詳 巻10

 (道ばたの 尾花の陰の 思い草のように いまさら 何を思い迷いましょうか。)

 この「思ひ草」は、秋の相聞に分類され、かつ、尾花が下とあることから、すすきの根に寄生し秋に花が咲く、ハマウツボ科のナンバンキセルを指すのだという。

 そのナンバンキセルに、森林公園で出会った。

 今日のことだ、久々の森歩き、秋晴れ、気持ちよい風、申し分がない、いい気分だった。

 場所は疎林帯の縁であった。

 どうやら、薄を綺麗に刈り取った後らしく、思い草は剝き出しにされて、そこにあった。

 
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葉は退化し、茎の先端についた円筒形の花が、下向きについている。

すでに、花の盛りは過ぎたらしくしなびたような感じがする。

「思ひ草」と万葉人がこの草を呼ぶのは、まるで花の部位が頭を垂れたというより、うなだれているかのような、この花の姿からだろうか。


以前、薄の根元にまったく目立つことなく生えていたナンバンキセルを見たことがある。

まことにひっそりと花をつける草であった。

見つけても、よくよく見るには、地面に頬をつけるくらいに、視線を下げなければならなかった。


ところで、「思ひ草」が詠まれているのは、万葉集中この一首のみだ。

ボクは、誰も気にとめそうもないこの草に「思ひ草」と命名したのは、この「よみ人知らず」クンであったのでないかと、想像している。

多分、いそがしい毎日で、こんな地味な植物に関心を持つものが沢山いたとは、ボクには到底思えない。

この花に関心を持って、さらに歌に詠んだ、そうまでするなんて、そうとうな変わり者ではないかと。

この歌の出来は不問にするが、「思ひ草、はて?なんじゃい、そんな花あったか?」と当時の人たちも思ったかも知れない、とか。









by ribondou55 | 2019-09-25 23:21 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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リコリス スプレンゲリ(ムラサキキツネノカミソリ)。




リコリスというのは、ヒガンバナ科ヒガンバナの総称だそうな。

「葉知らず、花知らず」とは、先ず花茎がのびて、花をつけ、

それが終わってから、

深緑の細い葉をロゼット状に出すところから言われる。

つまり、葉は花を見ず、花は葉を見ずと、いうことだ。



どうやら、キツネノカミソリは、マンジュシャゲの親戚筋であるらしい。

それなら、こんな句が好きだ。



曼珠沙華一茎一花夜が離れ  野澤節子

十二橋の一橋くぐりまんじゆさげ  桂伸子

恋の夢獏に食はさじ曼珠沙華  鈴木真砂女



ボクの畑の端にいくつか咲き出した。





















by ribondou55 | 2019-09-24 23:56 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 
涼しくなってきて、このところ、無闇に「蚊」に食われている。

居間に寝転んでモーニングショウをながめていると。

畑に出て、草を抜いていると。

昼飯の用意で、台所に立っていると。

風呂場の脱衣場で。

当然、就寝中に。

時も、所もおかまいなし。

そーっとやって来て、ちくりとやって、飛び立つ、くノ一のような奴。

ムヒやら、キンカンやらを手放せない。


一茶の句の通りのことも、・・・・。

本を読むにも中断を余儀なくさせる。

困ったものだ。



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一茶は、「蚊」を主人公にして、沢山の句を詠んでいる。

どうやら、「蚊」好きとみえる、酔狂すぎ。

朝顔に関して、こんな句もある。

朝顔や藪蚊のなかにりんとして   一茶

つまり、人は「蚊」如き極小なものにいらいらせず、朝顔のように超然とせよとか。

でも、これは一茶の願望でもある。

蠅と蚊は、一番生活臭い身近な虫だ。

つい、憎みきれいとこもある?


たとえば、憎たらしい奴にこんな同情も寄せている。

秋の蚊の壁にだまつて不憫さよ   一茶

ところで、血を吸いに来るのは、雌の蚊だけ。

そういわれれば、ちょっと、かわいい・・・・、厭、やはり断じてない。


とにかく、ボクとしては、はやくこうなって欲しい。


一夜二夜秋の蚊居らずなりにけり 子規


















by ribondou55 | 2019-09-23 22:45 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

中之条まで行ったのに、ボクはあまり熱心に観てはいなかった。

どちらかというと、遠出の散歩のような気分で、ぶらぶらしてきただけだ。

歩いて行ける範囲は限られていて、数年前に観たような作品も置かれていたので、ちょっと、気分が弛緩したのだ。




印象に残った作品の一つ。

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樹の表面にボクも惹かれることがある。

樹木に宿る「力」を感じこともある。

気ままに歩き回ることができる武蔵丘森林公園の慣れ親しんだ林間の道で、理由もなくおびえてしまうようなこともある。

というわけだ。




 
三峯インゲンの収穫始まる。

 ゴーヤ、撤去。

白菜・ミニ白菜・大根、発芽。

タマネギはまだ発芽しない。

ブロッコリー、苗を定植。

九条葱・分葱葱を移植した。

明日、人参の種蒔き。

キャベツの畝、マルチ張りも明日。

ほうれん草、くき菜、小松菜、ベビーリーフは、10月になってから種蒔き。












by ribondou55 | 2019-09-22 22:39 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)



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「三つ子の魂百までも」ということを、ボクはそんなことあるものかと、思ってきた。

幼年期に形成される性格やら感性やらといったパーソナリティいうか、「その子らしさ」というのは、多く環境に影響される。

影響力の大きい環境と云えば、まず親、家族、「家」。

例えば、味覚なんてものも、幼少年期に決定される。

愛着、思いやり、憎しみ、悲しみ。

言葉遣い、語調、立ち居振る舞い、・・・。



俗に言う、「お里が知れる」というやつだ。

「お里」とは何事だ!

そんなものに、人は支配されない。

「再生産」されてたまるか。

これまで、ボクは、環境が人を決定しないという立場を取ってきた。

「お里」を人は選ぶことができないが、その「お里」の世界を超越して行くことが、「自立」って奴だと思ってきた。


だが、この頃思うのは、還暦・古希を過ぎる頃になると、人は「コドモかえり」を始める。

明らかに退行してゆく。

人目を気にして、気にして、ついに、とんでもない袋小路へとか。

おいしいこと、気持ちいいことが、価値判断の第一基準とか。

承認願望と、それが満たされないときの激しい怒りとか。

自己への盲信、とうらはらに自信のなさとか。



ついには、高齢者になった子が、「この親にして、この子あり」という、壁にぶち当たるとか。

・・・・・・・・・。



じっと、始末に負えない老人(己もそのうちに含まれる)を眺めていると暗澹タル気分になる。

その上、人生100歳時代だと、くそったれめ。



たとえば、健康体である限り、

正座でもなく、胡座でもなく、椅子に座るでもなく、

ただ足を投げ出して三度の飯を喰うことは、ボクには到底できないのだ。

嗚呼。



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by ribondou55 | 2019-09-21 23:14 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)


見てきた「もの」と「こと」と「なにか」



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以下のA~Eは作者不詳

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A

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B

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C

   
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D


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E


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F








by ribondou55 | 2019-09-19 22:52 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
今日は「敬老の日」であった、とか。

公益財団法人・全国有料老人ホーム協会が、毎年、この日に合わせてシルバー川柳を募集している。

そして、入選作が今年も発表されている。

今年の入選作でボクが、一番笑えた一句、これ。

 婚活の殺し文句は「看取ります」 大塚初子 女性・66歳・団体職員

昨年からは、こんなのが。

 デイサービス「お迎えです」はやめてくれ  相野正 男性・68歳・無職

2017年の作品。

 いつ死ぬか分かれば貯金つかうのに  遙 女性・77歳・主婦

2016年では、こんな。

 希望無し目標なくて自由あり  かつ子 女性・83歳・無職

ついでに、2015年度も。

 マイナンバー ナンマイダーと聞き違え  沢登清一郎  男性・67歳・自営業


詳しくは、https://www.yurokyo.or.jp/news.php?c=10 こちらを。


身につまされて思わず、苦い笑いです。




国民の祝日の制定の理由には、それぞれにご立派な趣旨があるだろう。

本日の「敬老の日」も、「多年わたり社会に尽してきた老人を敬愛し、長寿を祝う」のだそうだ。

ごもっとも、是非そうであって欲しいと、高齢者の一人として願わずにはいられない。

と、いうのは、嘘でアル。

小生、敬愛なんてほどほどに、長寿もあまり願わない。

若い人たちに、敬愛してなんてことをお願いしたところで、一顧だにされるはずがない。




例えば「敬老の日」商戦なんて聴いたことがない。

祝日でなんかなくとも、バレンタインやハローウィンでは、お金の匂いがぷんぷんする。

「敬老の日」?

お金の匂いを嗅いでいるのは、オレオレ詐欺の犯人どもだけだろう。




とっくの昔に、高齢者はこの日本国において、成長の足かせとなった。

願うことは、ひとつ、いくら哀れに見えようとも、ボクの「自由と乏しい年金」を奪ってくれるな、ということだけだ。

惚ける前にさっさっと、フェードアウトできれば、さらによい。

ということか。


今日、森田童子を聴いた。


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困ったような気分になった。



仕方ないので、

忌野清志郎の「高齢化社会」で、気分を変えた。















by ribondou55 | 2019-09-16 22:43 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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大根を蒔いた。

黒マルチ一穴につき、五粒。

それ以上だと、間引くのに難渋する。

この種は青首大根。

耐病総太りといえば、某大手種苗メーカーのおはこだが、この種は地元の種屋さんが販売している。

昨年まで4年作り続けたが、とても安定している。

ボクの定番の種の一つだ。

煮物にもするし、おろしにもするが、沢庵にもする。

ぶっとい、沢庵になる。


素十さんの句は、作り物でない。

ボクの畑にも、蛙が住んでいる。

愉快だ。



白菜はうまく発芽した。

明日は、タマネギの種を蒔く。

ブロッコリーやら、キャベツやらは、来週へ。

このところ、畑なんぞにかまけて、もっとイイ事ができなかった。

今週末にかけて、遊ぼう。










by ribondou55 | 2019-09-15 21:30 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂