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 「平成」も、間もなく、「昭和」のように置き去りにされて行くのだろう。

そして、懐かしむ、それだけ。


 ※

 雨のため農作業はなし。





 

by ribondou55 | 2019-04-30 23:00 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

 さて、この頃なら、男女入れ替わって、女が立ち上がって、膝を折って縮こまる男を見下ろす図になるやもしれない。

 いずれにしろ、男女の修羅場を思わされる句なのだが、案外「蟻地獄」としてしまったのは、三鬼さんにしては月並みのような・・・。


 
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 ※


 本日の野菜畑での作業は、トマトと茄子、胡瓜の畝を立て、マルチ張った。

 土木作業である。

 苗は購入し終えた。

 明日から雨模様、雨上がりに定植。



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初めてのタイ映画だっだかな。

「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」(監督・ナタウット・プーンピリア、130分、タイ、2017年)をレンタルDVDで。

お洒落で、切れ味よく、おもしろかった。



主役のリンを演じた女優さんの名前がとても長いので覚えきれなないのだが、9頭身のスタイルでモデルさんであるそうな、とてもいい感じ。

いずこも同じ、格差社会、金で買える学歴、受験競争。

観てよかったと云える作品。

以下は、映画comから拝借。

中国で実際に起こったカンニング事件をモチーフに製作されたタイ映画で、同国で大ヒットを記録したクライムエンタテインメント。天才少女を中心とした高校生チームが世界規模のプロジェクトに挑む姿を描いた。小学校、中学校と優秀な成績を収め、その頭脳を見込まれて進学校に特待奨学生として転入を果たした女子高生リン。テストの最中に友人のグレースをある方法で手助けしたリンの噂を耳にしたグレースの彼氏パットは、試験中にリンが答えを教え、代金をもらうというビジネスを持ちかける。さまざまな高度な手段を駆使し、学生たちは試験を攻略。リンの売り上げも増加していった。そして多くの受験生の期待を背に受けたリンたちは、アメリカの大学に留学するため世界各国で行われる大学統一入試「STIC」攻略という巨大な舞台に挑むが……。








by ribondou55 | 2019-04-29 23:10 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

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  荻平歌舞伎での一場面。

  一茶の句を、眺めていたら何故か、この場面を思い出した。



  秩父市寺尾に埼玉県指定有形民俗文化財に指定された歌舞伎舞台がある。

  毎年10月に昔の農村歌舞伎のままに上演される。


                 ※


  映画「菊とギロチン」(監督・瀬々敬久、189分・2018年)を、DVDで観た。


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 令和の世がいかになろうとも、明治大正昭和平成と一筋の川の流れにつらなるものであることはいうまでもない。

 この映画をこんな時期に観たことは、ボクにとってはいいことであった。


                             ※

 孫達がやってくるまえに、野菜苗の定植を済ませたい。

 昨年より、一週間ほど早い。







 


  


  

   

by ribondou55 | 2019-04-28 21:10 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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今日も今日とて、この旨の言葉を放られた、このところ続けざまだな。

「ここにマニュアル置きますので、暇でしょうから読んでおいて下さいね、ちょっと次を急ぎますので」と。

「くださいね」の「ね」に引っかかった。

でも、本来ハお客サンである筈のボクはへいこら薄笑いでやり過ごした。

「ね」という終助詞は、大体において、なれなれしい上に断定的で押しつけがましい、ちょっと、相手を見下す感じもアル。

つまり、奴さんは、「オレを暇人と決めつけているな」と直感したのだ。

「暇人」・・・、感じの悪い云われ方だ。


ボクを「暇人」と決めつけた人は、ボクよりチョット高齢で糖尿で時折倒れるが、こまめにお金は稼いでいるらしい、この場も彼のお商売だ。

オオムネ、身体が動くうちは、働けるだけ働いていたい的な、楽しいコトや美味しいことを死ぬまで追求したい的、絶倫指向の人物ではないかとお見受けした。

ツマリ、人生100歳時代の 、一億総活躍社会の側の人である。

 対して、ボクは「暇人」、無駄に酸素まで吸っている非生産的存在というわけだ。



暇と云うことは、「用事」がないということだ。

お忙しいとは、用事だらけということだ。

ボクだって、長い間分刻みといえばおおげさだが、それなりに忙しかった。

だが、その時だって思っていた、ナント下らんどうでもいい「用事」の多さよ。

自分は多忙につき、これやっといてという輩の「用事」って一体何?

あんたの後生大事にしている「用事」について、まずご説明願いたい。


「用事」とは、一般にしなくてはならない事柄。

そのしなくてはならない事にも、公の場合と私的な場合とある。

私的な場合、例えば気のあったもの同士のランチの約束がある、なんてものも「用事」か。

ボクに云わせれば、そんなもん、ほとんど重要性を感じない「用事」である。

が、多分親の死に目に会えなくてもお友達とのランチを優先的「用事」とするお方もいるのだろう。

だからこそ、礼儀正しく、私には此れ此れこういう事情でありますので、あなたにこれこれを伏してお願いしたいと、ね。


   
確かに、ボクは世のため人のために何もしていない、自分本位の気ままな暮らしであることは認める。

いっちゃあなんだが、日々努力してしてそうしている。

では、気ままな暮らしの人間は、とりもなおさず「暇人」ということか?

あの人、定年になったらしいけであまり見かけないね、いつも家に籠もっているそうよなんて、噂されたら、「暇人すなわち無用の人」か?

案外人は、誰の目にも触れない大切な「用事」をかかえているかも知れないではないか。

ボクは全力でお「他者」様方のお世話にならないよう、邪魔にならないよう、目障りにならないよう、余命を生きている、それがボクの気ままな暮らしの「用事」だ。

それなのに「こいつは、暇人だ」と決めつけられてもなあと、思うだけだ。

こういってはなんだが、気ままに暮らしというものは、結構微妙なバランスの上になりたつものだ。

やっぱり、忙しくも無し、暇もなしというのが、気ままな暮らしと云うしかない。



だが、世の中のみんなが気ままに暮らしていたら、世の中は回っていかないだろうが。

そのようにあきれるお方がおいでだろう。

そうなんだろうが、気ままというのは、案外善良にして理念的なものだ。

世の中が危ない、その人あの人の生存が脅かされているとなれば、気ままにお節介するのだ。

そんなに捨てたものではない、そこは確かだ。


 
今振り返って気づいたのだが、ボクはわが奥さんから、一度たりとも「暇人」呼ばわりされたことがない。

これは、いいことだなあと、思った。

ありがとう。










by ribondou55 | 2019-04-25 23:04 | 生きている | Trackback | Comments(0)

 今朝は夏野菜の種蒔き。
 
勇んで畑に出たが、何時になってもジャガイモの芽が出ないのが、気になった。

 そこで、掘り起こしてみると、嗚呼、なんとジャガイモの抜け殻が。

 皮のみ残し、消滅。

 種は100ほど、植えたはず。

 芽が出たのは、15株ぽっきり。

 ほぼ全滅。


 とぼとぼと家に帰り、食用にとってあった男爵のちっこい奴を、あるだけ抱えて、畑にもどり、植えた。

 こんな時期に。

 ジャガイモは高温になると生育しないとか聴いたことがある。

 だが、植付けてみた。

畝はあってもガラガラ、僅かな数の緑の株がパラパラ生えている眺めは、みっともなかろう。

 せめて、夏までの間、葉だけでも茂っていてね、という収穫度外視の、ボウキョ?

 阿呆か、と自嘲。

 
 原因は、種芋を丸ごと植えずに、カットして植えた、その切り口からなにやら悪いものが感染したとか、多分。

 例年は切り口に発芽促進・殺菌作用のある草木灰を購入、しっかり散布した。

 しかるに、今年は面倒臭くなって、ジャガイモなんてなんでもOK、ディジョウブと、高をくくった。

 阿呆だった。
 
 
 と、雨が降ってきた。

 もう、種蒔きもできそうもないと、撤退してきた。

 

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 恐れいりました、ジャガイモさま。










 

by ribondou55 | 2019-04-24 11:01 | 畑にいます | Trackback | Comments(0)
 Amazon Primeで「あゝ.荒野」(監督・岸善幸、原作・寺山修司、前篇157分・後篇147分、2017年)をようやく観た。

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 前後編を通しでこの長尺を、もしも映画館で観るとすると、この頃のボクにはしんどい。

 時折、尿意に抗しきれないことがあるので、これまではなんとか切り抜けてきたが、不安なのだ。

 そういう意味では、畳の上で寝転んで観ることができるなんて、便利な世の中になった。

 ありがやたや。

 でも、三日がかり。

 イロイロ思うことがあった。


 書棚をあたると、原作本が出てきた。

 
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 映画の印象は、原作を再読した上で。




このところ、過去にこのブログへあげたものに、手を入れたり、ダメなものを削除したりしている。

そうしていると、この日記は嘘がほとんど、事実はほんの少しというのがわかる。

お他人様に向けて書いているのだろうか。

いやいや、自分自身に向けてかいているのだな。

偽日記を書いて、何をねつ造しようとしているのやら。




明日は、種蒔きの日。

頑張ろう。













by ribondou55 | 2019-04-23 22:40 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

玉羊羹、おいしい。

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どうも、体調がはっきりしない。

拙妻はすでに二週間ほどにもなるのか、咳き込んだり、痰がからんだり、そんもので、トローチを頻繁に舌の上で転がしている。

いささか舐めすぎだろうと、注意申し上げると、拙妻はヴィックスドロップに変えて、これなら平気だといっているが、多分それは違う、だが、これ以上は云わない。

ともあれ、風邪なのか、花粉症の一症状なのか不明だが、どうやら、このボクのけだるい感じはそれに感染したのではないか、疑いがある。

先ほど蔬菜園に出たのだが、まるで身体の水分量が通常の二三割増になっているようで、鍬の上げ下げもたいぎでたまらなかった。

早々に、撤退してきて、なにか甘いものでも口にしたいと、例の所をさがすと、玉羊羹が三つ、・・・、一つ頂きました。

これは、二本松で購入したお土産なのだが、拙妻はどういうわけか、まったく手を出さない。

かく云うボクは、なかなか美味しいと思っている。

ウィキペディアによると、この玉羊羹は、実はただものではないことが分かった。


玉羊羹(たまようかん)とは、ゴム製の風船容器として売られる状になった羊羹のこと。風船羊羹ボンボン羊羹、異名として切腹羊羹とも。

爪楊枝で刺したりして表面のゴム皮に傷をつけると、つるりとがむけて中身の羊羹が食べられる。

日中戦争中の1937年に、福島県二本松市の和菓子店「玉嶋屋」が開発した。戦場兵士に送る慰問袋用の菓子として、日本陸軍から開発の指示が出されたものである。以前から市販されていたアイスボンボン(風船に入ったアイスクリーム)を参考に、圧縮空気を使って風船に詰める装置を設計した。風船に封入することで1か月以上の日持ちが可能になった。当時は「日の丸羊羹」の商品名だった。軍用のほかに、1939年に世界一周飛行を行った毎日新聞社飛行機ニッポン号」にも、同様の風船入り羊羹30個が機内食として搭載された。

同じような風船入りの羊羹が他社でも生産され、駄菓子屋などでも売られた。戦後になって、「玉嶋屋」のものは「玉羊羹」と改名された。形状や開封時の面白さなどから、「まりも羊羹」(北海道)や「玉花火」(新潟県[1]のように土地の銘菓として売っているところもある。


ふーん。


そうかそうか確か、まりも羊羹、食べたことあるな。


楊枝のような先端がとがったもので、ゴムをプチュッとやると、するりと、剥ける。

これは、ガキの時分日参した駄菓子屋で時々買った、ごちそうである。

イヤ、それは羊羹ではなく、ゼリーであったような気がする。

多分、羊羹のほうが高級であった。

たった5円玉一つを握りしめて、ほこりっぽい路地を駄菓子屋へ走ったガキの日の自分は、質より量であったはずだ。

おそらく、だから風船羊羹(玉羊羹とは呼ばなかった)は、幸運な10円の日のお買い物であったのだろう。


もう戦後10年ちかく経っていたはずだが、そのころは1円を何等分かにできる時代だった。

ボクが好んで買ったのは、一円で3枚の醤油味塩せんべいだった。

とにかく、5円と奴を、如何に有効に活用するのか、小さな坊主頭で知恵を絞ったものだ。

今はすっかり様変わりしてしまった街並みだが、あの頃通った駄菓子屋があった筈の場所を通りすぎるとき、この年になってもちょっと気分が波立つ。


ウィキによると、この玉嶋屋の玉羊羹は、戦場の兵士への慰問袋に入れる菓子であったという。

ボクの父は中部地方の連隊に徴兵されて大陸に渡り、ズタボロに衰えた身体でかろうじて帰国できた人であるが、彼はまったく大の甘党であった。

おかげで、ボクも酒は余り好まない。

さて、そのオヤジが、もしこの玉羊羹を中国大陸のどこかの民家の軒下で口にできていたら、心からよかったねと云いたい。




残り二つ。

これから食べる。








by ribondou55 | 2019-04-22 11:13 | 舌の幸い | Trackback | Comments(0)

春爛漫という風情。

深谷の緑の王国へ立ち寄る。

今年の茄子や胡瓜の苗の出来具合や値段などの様子を見にでかけた次いでに。

シロバナタンポポやらスミレやら、楽しかった。


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平成も残すところ・・・、とかカウントダウンがしきりに。

元号が変れば、あたかも新しい世界が開けてくるとばかりに、浮かれる人もおいでかも知れない。

そんなことは、ない。

ココに咲いている花々も私達も、命は一筋の流れでしかない。

やがて枯れて地に帰るか、はたまたうまく永らえて来春に花を咲かせることができるか。

願わくば、流れは緩急あるだろが、最期はゆっくりと地に滲みるように静かに終わりたい。

それだけのことだ。

恐れるのは、唐突な切断。

それは、多くの場合悲惨な出来事である。




苦の娑婆や桜が咲かば咲いたとて   一茶

  (苦しみのこの世のなかだぜ。桜が咲けば咲いたといって。浮かれてどうなる、南無南無佛よ、慈悲たれたまへ。)




by ribondou55 | 2019-04-20 23:00 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)

 茄子や胡瓜、トマト、スイカなどなどの、苗の植え付けやら種蒔きやらが目前。

 消石灰を散布して耕しておいた所へ、今日は籾殻入りの堆肥を入れて、一段落。

 この頃は、農作業前に入念にストレッチをして、腰回りのケアーをしているせいか、腰痛もなくことを終えた。

 いい気分で、このところ足を向けていなかった隣り町の映画館まで出かけた。

 

 

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「麻雀放浪記2020」(監督・白石和彌、原案・阿佐田哲也、118分、2019年)、こうのすシネマで。


  1984年に和田誠監督で映画化された阿佐田哲也のベストセラー小説「麻雀放浪記」を、主人公が1945年から2020年にタイムスリップ

するという大胆なアレンジを加え、斎藤工主演&白石和彌監督で再映画化。新たな世界大戦の勃発により、東京オリンピックが中止と

なった2020年の東京。人口は大幅に減少し、AIに労働が取って代わられた結果、失業者と老人が街にあふれていた。そんな荒廃した

東京に、坊や哲が1945年の戦後復興期の時代からタイムスリップしてやってくる。坊や哲が目にしたのは75年の時を経た、驚がくの世

界だった。坊や哲は思わぬ状況で立ちはだかるゲーム「麻雀」で死闘を繰り広げていくが……。斎藤が主人公・坊や哲を演じるほか、

竹中直人、もも(チャラン・ポ・ランタン)、ベッキー、的場浩司、岡崎体育、堀内正美、小松政夫らが顔をそろえる。(映画comより拝借)


 大胆過ぎるかも知れない近未来SF仕立ての「麻雀放浪記」、いくら放浪だからといっても、タイムスリップまでありだとはね。

 1984年版の「麻雀放浪記」(監督・和田誠)は、観た覚えがあるが、大方忘れたので、今度のそれと繋げてあれこれ云うのは止めておく。

 世間を騒がしたピエール瀧は、ホンのちょっぴり顔を見せるだけだが、荒唐無稽とも見せかける造りの、この作品の作り手の意図が垣間見える人物設定となっている。

 その線からいえば、この作品の上映自粛はありえなかった。

 っま、ノーカット上映は、いろいろな意味で筋とおしたということだろう、個人的には評価できる。

 いわわずもがなであったかな。

 映画全体の印象は、力技で突破したのだが、ぐっだぐっだになっちゃったという感じかな、よきも悪しきも。

 個人的には嫌いではない。

 ドテ子役のもも、その追っかけドク役の岡崎体育、それに、小松政夫、ベッキー、・・・おもしろかった。


                  ※

 
 雨が降らないせいか、ジャガイモの芽がはかばかしく出てくれない。

 






 




 

by ribondou55 | 2019-04-17 23:07 | 古希シネマ | Trackback | Comments(0)

 我が家の桜は今日が盛りのピークだったろう。

 一週間後には、葉が茂りはじめる。


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 この頃は、何かにつけ己に残された時間はいかほど?と意識させられる。

 孫を見れば、この子の行く末のどの辺まで見とどけることができようか、なぞと。

 そんなであるのに、愚図愚図と日々を送っている。

 花ちるや末代無智の凡夫衆    一茶








by ribondou55 | 2019-04-15 22:31 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂