人気ブログランキング |

<   2018年 12月 ( 17 )   > この月の画像一覧

 
内山知也さんの『良寛詩 草堂集貫華』を拾い読みしている。

「草堂集貫華」は良寛の自筆詩集で、全二十四葉、百十七首を収めている、本書はその注釈書である。

ボクのようなものにもわかりやすい註解で、失礼ながら、手元近くにおいて三、四首づつ読んでいる。

愉しい。

そこで、さきほど読んだ詩。

   生涯 身を立つるにものうく、   
      私は生涯ひとかどの人になろうというような気にならず、
   騰々 天真に任す。
      自分の天性のまま自由自在に生きてきた。
   囊中 三升の米、
      食糧と云えば袋の中に三升の米、
   炉辺一束の薪。
      燃料と云えば、炉辺に一束の薪があるばかり。
   誰か問はん 迷悟の跡、
      迷ったの悟ったのという修行の跡はすっかり払拭し、
   何ぞ知らん 名利の塵。
      名聞利養への執着心など全くない。
   夜雨 草庵の裡、
      雨の降る夜中草庵の中、
   双脚 等閑に伸ぶ。
      両足を伸び伸びのばして寝るのだ。
 

ボクは、この有名な良寛さんのイメージの原型とも云える心境の表白を、素直に受け入れることができない。

おっかないなあと、ちょっとたじろぐ所がある。

執着の全くない人って、怖ろしくはないか。

どうなんだろう。


b0018682_23021113.jpg










by ribondou55 | 2018-12-30 23:02 | 読み捨てご免 | Trackback | Comments(0)

丙丙凡凡

 タイトルを「丙丙凡凡」とします。

 なんとなく思いついたタイトルだ。


 まだほんのちょっとのむかしむかし、戦前の学校の通信簿の評価は甲乙丙丁の4段階であったそうです。

 そうであれば、丙はぎりぎり赤点逃れのセーフということでしょうか。

 徴兵検査でも、丙種合格というランクがあって、通常の現役兵には不適格、せいぜい銃後の守りで頑張ろうというのがあったとか。

 ボクの父は、輜重輸卒という最下位の兵士として大陸で肋膜炎にかかりぼろぼろ、ひょろひょろ、半死半生の体になって故郷に帰り着いて、しばらくすると、また応召されました。

 しかしながら、これは使い物にならないということで、入営したその日に実家に帰されたのだそうです。

 父の入る筈の部隊は、南方でほぼ壊滅したそうです。

 幸か不幸か即日帰郷、おかげで、このボクは生まれたわけです。


 「丙」というのは、そんな程度の者だということです。

 なんと、ボクの来し方行く末にぴったりのグレードではありませんか。

 そこで「丙丙」だけでは座りがよくないので、「凡凡」と続けました。

 平成もおわることだし、しばらくは、このタイトルでいきます。



b0018682_23555781.jpg


NHKドキュメンタリー「事件の涙」シリーズ「死にたいといった父へ~西部邁 自殺幇助事件~」と「そして、研究室の一室で~九州大学 ある研究者の死~」を観た。







 

by ribondou55 | 2018-12-29 00:03 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

『華氏119』を観た。



b0018682_20492660.jpg


 『華氏119』(監督マイケル・ムーア、2018年、128分)を、高崎シネマテークで観た。


 これにはアメリカの政治的状況が語られているのだが、この作品を観るということはボクラの国の政治状況に直結してくるケーススタディである。

 標的はトランプだが、オバマについてもその残念振りを見逃さないし追求している。

 日本でも与党も野党も当てにならない。

 マイケル・ムーアは徹底していてぶれない。

 面白すぎた。

 

 ついでに、岩波新書の栗原康「アナキズムー一丸となってバラバラに生きろ」、読了の件。

 案外、爺ィ世代こそ読んで愉しい一冊かも知れない。










by ribondou55 | 2018-12-27 23:11 | 古希シネマ | Trackback | Comments(0)
 すでに会期は過ぎた。

 目録の冒頭、主催者「ごあいさつ」にはこうある。

 『利行の誰にならったとも知れない油彩画は、自由奔放な筆致と天性の明るい色彩溢れ、当時の画壇に影響を与えました。東京が関東大震災から復興を遂げつつあった昭和初期、汽車や駅、モダンなビルディング、カフェや酒場の喧噪といった街の息遣いを、利行は息つく間もない速度で鮮やかに描き出します。放浪生活をしながら描いた、友人知人、カフェの女給や子ども達などは、どれも描かれる人に心底寄り添い、飾らず、その人の本質や生命感をカンヴァスの上にほとばしらせます。これらの利行の作品は、その波乱に満ちた人生からは想像できないほど、どれも凄まじいまでの美しさと宝石のような輝きに満ちています。』

 これまでいろいろな場所で、この人の作品に一点、もう一点と出会ってきて、ようやく、この展覧会が巡ってきた。

 ボクはこの人が短歌を書いていたことを知らなかった。

 詩人でもあった、それも油断できない作品が残っている。

 このことは、この画家について思うとき忘れてはいけない。



b0018682_23145205.jpg


 さて、ボクは先頃の仏像見物の旅の帰り、京都で「藤田嗣治」展を観た。

 藤田は、明治19年に生まれて、昭和43年スイス、チューリッヒで八十一歳で亡くなった。死後、日本政府から勲一等瑞宝章が贈与された。

 利行は、明治24年に生まれ、、昭和15年「三河島の路上で、行路病者として板橋区板橋町にあった東京市養育院、板橋本町に収容される。胃がんの手術を拒絶、しばしば脱走しようとした。」「10月12日、知友の看取りもなく逝去、利行が一番大切にして最期まで手放さなかった作品は、スケッチブック、日記などとともに遺留品としてすべて規則により焼却された。」(目録・年譜より)享年四十九歳。

 藤田は、昭和15年9月、ノモンハンの戦争画を描くために、満蒙国境近くへ取材旅行に行き、翌月帰国している。

 こんなことも、一応覚えておこう。







by ribondou55 | 2018-12-25 23:15 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)

障子張り替えを終える

 
b0018682_16022389.jpg


年末の障子張り替えを終えた。

これと床のワックスがけは、ボクの年越しの自ら引き受けた任務だ。


障子貼りは、独り暮らしになって以来、毎年多分、欠かしていない。

安アパートの障子も張り替えた。

なぜそんな習慣ができたのか。

こどものころ、父母はよく働き、にもかかわらず素晴らしく貧しかった。

粗末な家に住んでいたが、母親は正月を前に必ず障子の張り替えをした。

それで、家が明るくなった。

子どもごころに嬉しかった。

それが全部だ。


さて、ワックスがけは明後日、明日は腰の様子をみる。


昨日から繰り返し今上天皇の最期の記者会見の言葉が報道されている。

心打たれた。

平成の間、日本では戦争はなかった、今上さんのおっしゃるとおり安堵していいことだ。

だが、つぎの御代にはどうなることだろう。


老いた夫婦二人暮らしにも、クリスマスがやって来て、妻はモンブランでイイでしょと、言い置いて買い物に出た。

孫達のクリスマスの画像が次々と送られてくる。

こんなこと云うとなんだが、孫は遠くにいるほうが一層可愛い。



好きな句。

    クリスマス馬小屋ありて馬が住む    西東三鬼













by ribondou55 | 2018-12-24 16:19 | 生きている | Trackback | Comments(0)
 今朝、家庭菜園にゆくと、蜜柑が全部消え失せていた。



b0018682_22531752.jpg


 盗まれたのだ。

 昨日の夕方から今朝の早くの出来事だ。

 その他に被害はないかと見回すと、ブロッコリーのてっぺんが3本ぽっきりと折られて持ち掠われていた。

 ブロッコリー・・・、ガキの悪戯ではなさそうだ。

 白菜は無事、大根なんぞはやられていても、数が多いのでわからない。

 今年、ボクのたった一本の蜜柑は不作で、実の数が少ない。

 だが、その分一個一個はかなり大ぶりに育って、通りがかりの人からポンカンですかと、間違えられることもあった。

 晦日ちかくに餅つきをするのだが、時折甥っ子や姪っ子の子ども達まで顔を出すので、残しておいた蜜柑で蜜柑狩りをしようと、思っていた。

 無念である。


 配偶者は蜜柑は目立つから出来心という事もあろうが、ブロッコリーまでかっぱらうとは、不届き千万だと怒っている。

 ボクもイヤにずいぶん世帯じみた奴だと思った。

 全部持って行ったと云うことは、出来心でない、大した数でないが、それなりの量があって、自転車であってもちょっと大きめなかごが必要だ。

 幾日も前から失敬しようと、チャンスをじわじわと狙っていたのだと、思う。

 不快だ。


 配偶者は泥棒除けの立て札を立てようと頻りに云うが、ボクはそんなこと何に効果も意味もないと云って相手にしない。

 こちらは大いに立腹しているとことがわかって、せせら笑いされるだけだ。

 立て札と云われて、ボクは「徒然草」に似たような話があったことを思い出した。

 神無月のころある山里を歩いていて、何処までも続く苔の道を進んで行くと、いい感じにもの寂しい趣をたたえて住んでいる庵がある。木の葉にうもれている懸樋のしずくが落ちる音以外は、静まりかえっている。水をお供えする棚に菊や紅葉など折散らかしてあるのは、そうはいっても住む人がいるからだろう。
 こんなにしてでも棲んでいられるものだなあと、感じいってみていると、向こうの庭に大きな蜜柑の木で、枝もたわわに実がついているのに、その回りを厳重に囲っているのばかりは、少々今までのいい感じが薄れて、この木がなかったならよかったのにと思った。

 猫の額ほどの自給的な菜園とはいえ、この辺りでもあまり目にしない。

 広い通りの歩道に面していて、散歩なんぞの通行人もおおい。

 中には、折々の野菜の育ち具合なんかをながめて、田舎を思い出す人などもいるかも知れない。

 そこに、泥棒除けの看板や犬の糞お断りとかの看板なんぞ立てたくないと、ボクは思う。

 別に兼好さんにかぶれたわけではない。

 だいたい看板はつべこべと人を支配するための告知に使われやすい。

 そういうのが鬱陶しいのだ。

 だから、これ以上の不愉快ごとがあった場合は、通報するしかない。







 
 

by ribondou55 | 2018-12-23 22:55 | 世界は昏いか? | Trackback | Comments(0)

「尻ぬけ」所感

 
「尻抜け」という語がある。

若い人には死語になりつつある。

新明解7版には、「(一)「見聞きするはしから忘れていくこと[人]。(二)一見しめくくりをつけたように見えて、肝心な点が欠けていること。」とある。

6版では、忘れっぽいことを、「ざる耳、かご耳」と言い換えているのだが、7版では削られている。

まあ、この頃のボクは、文字とおりの「尻抜け」爺ィであるといっていい。

だが、この「尻抜け」という言葉が頭にふと浮かんだのはそういう老いの体たらくを思ってではない。


このところボクは、トイレに行くのを忘れる。

便意があまりはっきりしないのだ。

そういうわけで、昨日排便しなかった。

今朝11時を少し回ったころ、ぼんやりとした感じで便意が兆した。

トイレにいって、ちょっと、苦しみながら排便した。

相当に息んだところ、脱糞した。

とても固そうな棒状のなにである。

ふと「尻の栓が開いた」と感じた。

ついで「尻ぬけ」という語が頭に浮かんだ。

まあ、尾籠ながらそういうことだった。

この語、今ごろのボクの姿をよく現している。



b0018682_16455439.jpg






by ribondou55 | 2018-12-21 16:47 | 生きている | Trackback | Comments(0)
 JR奈良駅から浄瑠璃寺行きのバスに乗った。

 乗り合わせた方々のぼとんどが小生と同年配だろうと思われる女性たちである。

 まことにお元気である。

 浄瑠璃寺は京都南山城にある、奈良との都府県境にあるのだが、古来この地域は南都仏教の聖地として多くの僧が世俗の喧噪を離れ修養研鑽に訪れたそうだ。

 創建時の本尊は薬師如来であった。

 そこで東方にあるという薬師如来の浄土である浄瑠璃世界を由来として、浄瑠璃寺という名を持つという。



b0018682_22461218.jpg


 お参りしてまず一目見て、居並ぶ九体阿弥陀如来像の威容に圧倒される。

 お堂中央の阿弥陀如来中尊像に正座して手を合わせると、仏たちに見られて、今ここに自分がいることに感動してしまう。

 忘れがたい一時となった。

 もちろん、吉祥天女像の美しさにも心惹かれたが、阿弥陀堂全体がまさしく浄土に近い場所、スピリチュアル空間として感じられた。

 
 外からの阿弥陀堂を眺める、さらにはその此岸にそびえる三重塔を臨む、折しも紅葉の季節、云うことがない。




b0018682_22471170.jpg
b0018682_22474478.jpg


b0018682_22483388.jpg

 浄瑠璃寺からコミュニティバスで、岩船寺へ。

 ここも紅葉の美しい寺である。



b0018682_22492087.jpg


 ここで、おばちゃんたちのバスツワーに遭遇した。

 男性たちもいたが、おとなしい印象。

 おばちゃんたちは、お気持ちを素直に、包み隠さずご発声なさるものらしい。

 紅葉の美しさ、仏たちへの崇敬の気持ち、いろいろなことを、声高に発っせられる。

 このごろは死語かな、耳にしないことば「TPOを心得よ」なんてことが昔あった。

 おばちゃんたちに「TPO」の心得がないはずがない。

 それがどんな規範にもとずいているのか、是非知りたいものだと思った。

 この寺周辺が昼食の場所であるらしく、配布されたお弁当を境内のここかしこで召し上がっている。

 バス駐車場近くでもぱくぱくおやりであった。

 しばしば某国の観光客のお元気ぶりが話題になるが、本邦のバスツワーの皆さんだってお元気ぶりではひけをとらないことを、心強く感じて、この山深くにある寺を後にした。

 
b0018682_22500682.jpg


 ボクの昼食は、加茂駅前のうどん屋さんで、「天ぷらうどんとおいなりさん二個」で済ませた。

 貧しいボクは、天ぷら饂飩といえば、野菜のかき揚げがぺらっと載っかった饂飩だろうと思っていたが、なんとエビ天が二本、驚いた。

 ごちそうさまでした。














 

by ribondou55 | 2018-12-17 14:22 | 合掌 | Trackback | Comments(0)
b0018682_23255366.jpg

𠮷城園(奈良市登大路町)に立ち寄ったのはう3週間ほど前。


b0018682_23344095.jpg

b0018682_23261735.jpg

b0018682_23264132.jpg


b0018682_23273791.jpg

b0018682_23354744.jpg








by ribondou55 | 2018-12-16 23:32 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
by ribondou55 | 2018-12-15 23:45 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂