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 ボクの頭脳は、無知の宇宙であるが、キノコのことも、椎茸・しめじ・舞茸・松茸以外、まったく知らない。

 過日、蒸し蒸しする森の小道をゆくと、更に細く別れてゆく枝道の入口から四,五メートル先に、

この真っ白いキノコが立ていた。

 画像は、見やすくするためのちょっと明るく加工したが、本当は、広葉樹に蔽われた薄暗い地表に生えていて、

その白さはをちょっと幻想的と見る人もいるだろう。

で、先ほど、ネットでこのキノコの本性をサグると、

なんと、全身純白ということから「殺しの天使」と異名を持つドクツルタケなる猛毒キノコと外形がよく似ている。

 云うまでもないが、ボクにドクツルタケと判別同定できるわけではない、仮にそうだとしたら、ということで続ける。

 このキノコに含まれるアマトキシンなる物質は、体内に入ると、

死を逃れる可能性はゼロと云うことだ(ほんとう???)。

 その毒性の恐ろしさは酷い。

 まずコレラの症状の如き激しい下痢が1.2日、

次いで、アマトキシンは肝臓に達してその細胞を壊死させるのだという。

 恐ろしや。

 だが、このキノコは、特に珍しいものでなく、里山や雑木林でも普通に見られるものだという。

 バニラソフトアイスのようで、美味しそうなんてね、持ち帰る御仁がおいででないとも限らない。

 ちなみに、アマトキシンをもつ他のキノコとしては、テングタケ属にも、この天使様によく似たものもあって、見分けがむずかしい。

 また、その名もずばりコレラタケ、此奴、ナメコやエノキダケと間違えられやすいとか。


 つまり、ボクらが恐怖して慎重であるべき心構えを求めてくるのは、何も北朝鮮からの飛行物体であるだけでないようだ。

 無知は、根拠ない恐怖心を煽るとうことも多いが、

反対に、危険性を知らないことから脳天気に過ごしてしまうということがある。

 むしろ、実は、後者の方が、圧倒的にリスクが大きいのではないか。


 本日、朝っぱらからPCに向き合っているのは、先週末の農作業が腰に効いたからだ。

 持病のぎっくり腰を呼び覚まさせる鈍痛が、座ったり立ったりするたびに、痛い、

ので、ぼんやり安静に一日をすごそうというわけだ。


 もう一つ、今朝、配偶者が、悔しそうにとうとう、うちもメダカをハクビシンやられた、といってきた。

 しばらく前から、庭先のにおいた水槽からメダカが忽然と姿を消すという怪現象があることが、

ボクの住む辺りで報告、あるいは、噂として流れてくるのだ。

 ついに、これまで被害がなかったのだが、ハクビシンは見逃してくれなかったのだ。

 しかし、このハクビシンがメダカを喰う現場は見たものがいないので、

ハクビシン犯人説は、ボクには今ひとつ信じがたい所がある。

 

疲れたので、ここまで。





 

 

by ribondou55 | 2017-08-28 10:05 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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 このピンクの小さな花は、ハナタデの花なのか?

 先々日、森林公園で撮った。

 秋が近づいてきて、こんな花に目がとまる。


山頭火の一番短い句として知られているのは、


音はしぐれか
 
という一句。

七音一句。


夏草、お墓をさがす

この句は、五音七音。


ぶっきらぼう極まりないが、すっとぼけた愛嬌がある。

山頭火は、うだうだ云うのを短い句に閉じ込めているのようでいながら、案外、そんなの平気の平左だぜと人を喰っている感じがあって、

ボクには、その辺がおかしくて好きだ。



今日は、せっせと畑仕事をした。

長く伸びた雑草を刈って、汗みずくになった。

白菜を蒔く畝をつくる前段、耕地を耕し、石灰、堆肥を全面にまき散らした。

茄子の枝をばさばさと落として、秋茄子の実りを待つことにした。

弱り切った胡瓜・トマトの手入れ。

スイカの最期の収穫、二三日中に撤去。


仕事から帰って、シャワーを浴びるのが、一番の楽しみ。









by ribondou55 | 2017-08-26 22:58 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

久しぶりに森林公園へ。

 しかしながら、蒸し暑さとヤブ蚊に嫌気がさして、早々に退散したのだった。



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(ナツアカネ・森林公園・8/25)


睡蓮もよし。

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〈森林公園・8/25)








by ribondou55 | 2017-08-25 22:52 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 
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 画像は、姉様人形の頭であるから、浮人形ではない。

 本当は「浮人形」という季語の存在を知らなかった、というより、「浮人形」という言葉を知らなかった。

 「浮人形」とは、幼子が風呂で湯に浮かべたり、沈めたりして遊ぶ、昔ならセルロイドやブリキでできた玩具をさすらしい。

 しかし、言葉から受けるボクの印象は、そんな暢気なものでなく、しみじみとした感じになる。

 もしも、もしもだが、水中から浮き出してくるその顔が、この姉様人形のよう表情であったなら、ちょっと、怖いくらいだ。

 「浮人形」、もちろん、季は夏である。


 表題に挙げた句は、泣かされるほどでないが、哀愁を誘う、そういう目をもった作者は女性である、・・・、ちょっとキツいな。


 今夜も、一時、激しく降り、その後、しばらく雷鳴が続いた。

 畑の野菜の生育が極めてよくない、茄子も胡瓜も実が太らない。

 むやみに勢いがいいのは、不思議なことに、ゴーヤである。









by ribondou55 | 2017-08-21 23:26 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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 郡上踊りは、7月中旬から9月上旬にかけて三十三夜に渡って踊られるという超ロングな盆踊りである。

 今夜もどこかの街角から、いきのいい「春駒」を踊る下駄の音が聞えているのだろう。

 もう一度訪ねてみたいと思うのだが、今年の夏ももう終わりだ。




by ribondou55 | 2017-08-20 21:26 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 ローカル極まりないが、東武・西小泉駅(群馬県大泉町)までダホンのスピード8で走り、数駅先の成島駅(群馬県館林市)まで輪行、そこから群馬県立館林美術館まで。


 昨日のことだ。

 今朝は雨だ、畑にも行けない、気分の湿度も上がって、音楽を聴くぐらいしかできない、などと、団塊年金生活者のお気楽な愚痴をつぶやく・・・。

 我ながら、ダメダメだ。

 昨日だって、雑草抜き程度はできたろうが、足下が悪いの、このところの運動不足の解消だとか、己を合理化して、遊びに出たのだ。

 ちかごろ、本当に気の乗らないことに対する回避傾向が著しい、なんとかしなければいけない頃あいだ。


 さて、

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 「カミナリとアート」展ではあるが、〈光/電気/神さま〉と副題がついている。

 ボクは、「カミナリ」という文字が意味することだけに、惹かれていたので〈神さま〉まではOKだが、〈光〉と〈電気〉は、この展覧会でなくてもよかった。

 一番の目玉は、デュフィの「電気の精」・・・。

 オリンポスの神々とゼウス(破壊的なカミナリサマだね)が地上の「偉人達」を見下ろしている。

 当時は確かに科学技術が明るい未来を約束していたのだが、それは、1937年のパリ万博でのことだ。

 とはいえ、1937年と云えばナチスドイツが・・・。

 つまり、うざったく云えば、今日に至ってみると、手放しで賛美する気分には到底なれない。

 そういう意味では、ボクの期待感は会場を歩く中で、しぼんでしまった。

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 自分は、館林市にはちょっと腹に含みをもつ人が多い最高気温1位ホルダーの地位を奪われた熊谷市民の一人だから云うわけで無い、むしろ、カミナリさまはボクら北関東に生活してきたものにとっては、曰く言いがたい親近感と懼れを抱いている対象である。

 ここに目を付けるとは、さすが館美と思っていたのだが、・・・・・・。

 子どものころ、雷が怖くて、母親があわてて吊ってくれた蚊帳の中で、兄弟三人、肩寄せ合って、行き過ぎるのをじっと待っていた、そんな記憶がある。

 急な来襲で、ずぶ濡れになって家に帰ったことなど、何度あったことか。

 雷が落ちて、屋根を突き抜け、灼熱の明々と輝く火の玉が座敷をぐるぐると転げ回って、庭先に出てきえたとか、・・・、大人から聴いた。

 そんな、こんな・・・・・。

 つまり、カミナリサマは、冬の空っ風と共に、上州と北埼玉の古くからの住民にとっては、単なる自然現象というだけでは済まされないものだ。

 

 切実さがない。

 というわけで、こじんまりと「アート」していた展覧会。

 まあ、地方風土に根ざました的な軽さ。

 勿論、一つ一つは、面白くも、愉しくもあったのだがね。




 

 

by ribondou55 | 2017-08-18 11:57 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)
 今朝も雨になった。

 本日は送り盆。

 
 例年であれば、暑さの盛りであるはずであるが、朝晩はタオルケットの肌掛けでは涼しすぎるほどだ。

 すでに、「この夏は・・・・・、だった。」風な終わった感じになっている。

 来週から暑さが戻るというが、いかがなものか。


 この夏のいくつかの記憶。

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深谷・七夕まつり


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上山田温泉・夏祭り



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上山田温泉夏祭り・御輿



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上山田温泉街で



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喜多方で


戦後七十二年、ついに「平和」は訪れず。

戦争責任も曖昧まま、あらたな戦争の危機がワイドショウーのネタになっている。












by ribondou55 | 2017-08-16 11:02 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 さて、もう今日はお盆の最中、我が家も昨夕、ご先祖様をお迎えした。

 すでに会津に出かけたのは.2週間以上前のことになってしまった。

 であるから、ボクの脳みそでは、もう大方の記憶が消えている。

 風前の灯火のような思い出を書き留めておこう。


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 さて、バスツワーは、お蕎麦の昼飯を終えて、サンダル履きのガイドさんに引率されて恵隆寺に向かった。※「サンダル履き」、これ告げ口、嫌みではありません。このゆるーい感じが、会津らしくてよろしいと、いうこと。

 寺の歴史によれば、本尊「十一面千手観音菩薩」は、大同三年(808年)に弘法大師(空海)が観音菩薩の霊感を受け、根が付いた状態(立ち木)で巨木の枝を切り、彫刻されたことから「立木観音」と伝えられています。本尊の身丈は8m50cmあり、一木彫で根の付いている仏像としては日本最大級の大きさです。また、本尊の左右に安置される脇侍の二十八部衆、風神・雷神30体の仏像は、身の丈2m弱の大きさで、すべて揃っており、密教様式を忠実に表現しており全国的にも大変珍しく貴重な仏像です。30体の眷属が揃っているのは京都三十間堂とこの立木観音堂だけとも言われています。
みなさん、ご覧になれば必ず驚きますよ!

 「会津六詣出」http://www.aizu-reichi.gr.jp/tatiki/ というとても親切この上ない柳津町地域振興課によるHPから拝借した。

 実際、このHPの表現は、大げさなものではない。

 びっくりである。

 見学の折、ご法事と重なったために、失礼ながらご本尊のお参りは、仏さんの足下から見上げる体になった。

 一木造り、巨大である。
 
 ちなみに鎌倉・長谷寺の十一面観音の身の丈は9.18メートルである。

 そのご本尊を足下から見上げるのだが、圧巻は三十体の脇侍が居並ぶ威容である。

 これも、接近して見上げるので、実は全貌を見渡すことができない。

 ああもどかしい。

 ということで、次は如法寺へ。

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 ここで、こんな愉しげに説教なさるお坊さんにはじめてお会いした。

 奈良時代、天平八年(736年)の春、行基菩薩が会津巡錫された際、とある貧しい農家に宿をとられました。行基菩薩は、子に恵まれず、鳥獣害による不作の貧苦で悲嘆にくれる農夫を憐れみ、念持仏である一寸八分(約6㎝)の聖観音の御尊像をお授けになられました。
観音様の霊験は著しく、自ら鳴子の網をお引きになり、鳥や獣を追わせられたところ、その一家は豊作に恵まれ、子宝を授かり、皆幸福な人生を全うしたと伝えられています。
やがて西方極楽浄土に安楽住生が叶ったことが広まり、人々は「鳥追観音」又は「ころり観音」と呼び、多くの老若男女の信仰を集めるようになりました。
時代は移り、大同二年(807年)、徳一大師は、坂上田村麻呂公の帰依を受けて、金剛山如法寺を創建し、御本尊に行基御作と伝えられる聖観音像を奉安、胎内仏に「鳥追観音」を入仏秘されました。
御堂は、慶長十八年に再建されたものですが、その構造は東西向拝口というもので、東口から入り、参拝したら戻らずに西口から出るようになっており、全国でも珍しい構造の観音堂です。これは観音様の導きで人生を全うし、やがて西方浄土へ安楽往生が叶うという鳥追観音の御誓願を示しています。観音様に祈念して、「身代わりなで仏」をなで、肌守りを念持すれば、心願成就すると信仰されています。開創以来千二百年、「鳥追観音」は会津西方浄土の霊場、会津三十三観音番外二世安楽結願所、会津ころり三観音霊場のひとつとして、その広大無辺な慈悲を今に伝えています。([会津六詣出」より拝借。)


 お説教で、もっともリスペクト、強調されたのは、ボクのお目当ての徳一法師についてである。

 その内容は、如法寺公式HPhttp://www.torioi.com/rekishi.htmlを見よ!



 実は当日のツワー参加者は、たったの四名であった。

 にもかかわらず若いお坊さんは声をからしてお話下さり、締めにはご祈祷までシテくださった。

 本当をいうと、どんなありがたいお説教であったか内容は忘れた、ただケラケラと笑わせて頂いた。

 聴いていて、心が柔らかくなった、愉快になった、たとえコロリと逝かなくても、ありがたいではないか。

 ありがたいことだ。

 ボクはこれまでいろいろな宗派、お寺で法話を聞かせて頂いてきたのだが、これほどに愉快なことはなかった。

 ありがたし。


 もう一つ、妙法寺では、御堂に左甚五郎作と伝えられている「隠れ三猿」がある。


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 この説明が、とってもいい。

 あのお坊さんのお母様が、これもお声を張り上げてユーモアたっぷりになさる。

 それも、会津弁で語られる。

 すばらしい。


 





by ribondou55 | 2017-08-14 17:33 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 「映画 夜空はいつも最高密度の青色だ」(監督・石井裕也、2017年)を観た。

 なんか、久々の映画館、一ヶ月ぶりかな。

 この間、ボクはネットの映画配信を観て過ごしていた。

 作品を観るに、数をこなしてきたが、やはり、映画は映画館でみるのがイイ。


 さて、「映画 夜空はいつも最高密度の青色だ」は、いうなれば、素敵な?作品だった。

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 ボクは、この映画の公式サイトで、最果タヒという詩人がいらっしゃったということを、初めて知った。

 それも、ここに感想めいたことを書こうと、サイトを覗いた、今さっきである。

 はて、「今さっき」って、いまでも生きている言葉?

 ともあれ、詩集「夜空はいつも最高密度の青空だ」は、27000部も売り上げているというではないか。

 その詩集をドラマとして表現したのだという、びっくりである。


 ボクは、18歳から64歳まで、生活の基盤が東京にあった。

 棲んだ所は、都内であったり、近隣県であったりしたが、生活の糧を得る場所は東京であった。

 渋谷も新宿も嫌いだといっていたスクリーンに映った美香と慎二を思い出しながら、自分も渋谷も新宿も嫌いだったことを思い出した。

 渋谷駅南口は4年間、新宿駅南口は3年間出入りした、その他遊びにも飲みにも買い物にも出て行った、だが、どこか居心地のわるさを感じていた。

 居心地のわるさ、身の置き所がないような気分、この街にいるとなにか良くないことがおきそうな予感。

 この耄碌爺さんが、この若い二人に親近感を抱いたのは、そんなことから発しているのかと思った。


 ボクは、とてもイイ作品だと、つまり、感動したのだ。

 詩集はまったく知らないから、映画だけのことだが、この作品の射程は意外に遠くまで、ボクが知らない「現代」まで、到達しているのでないかと思う。

 人を愛すると、人間は凡庸になると、美香さんはいっていたが、「凡庸」であることは、結構いい気分である。

 
 挿入されるアニメも面白かったのだが、野良の子犬が捕獲されて、殺処分されて、燃やされて、煙となって、空に上って、それから、煙は微粒子だからやがて地上に降ってくるのだが、それが、花びらの形になって、ひらひらと舞い降りてくると、いう小さなお話。

 名もなきものたちの、どのような死であっても、そん風に救いのあるものになれればいいと、爺さんもほろりとしたのだった。


 石橋静河には、期待しよう。

 池松壮亮、いいではないか。

 この監督さん、たのしみである。







  

by ribondou55 | 2017-08-13 00:02 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
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  「会津ころり三観音巡り」、バスガイドさんから初めて説明を受けたとき、思わず笑った。
  
  あいづ ころり さんかんのん とても語呂がいい。

  本当に、ころりといけそうである。

  立木観音(恵隆寺)、鳥追観音(如法寺)、中田観世音(弘安寺)の三霊場を指すのだそうだ。

  原始経典では、涅槃とは貧欲・瞋恚・愚痴の滅尽であると聴いている。

  観音経では、その貧欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(おろかさ)を淫欲・瞋恚・愚痴というのだが、それを三毒とし、観音経を信仰し正しく生きていけば、己の中の三毒を軽減できるというようなことが、説かれていたように記憶する。

  ボクは、この貧欲(トンヨク)を、観音経では「淫欲」と限定的にしているところが、好きだ。

  つまりは、会津三観音はその三毒から離脱するお導きをして頂けるということなのだろう。

  まことに、ありがたい。

  ボクは、煩悩まみれの糞ったれであることを、深く自覚している。

  そうであるから、涅槃なんてとんでもない希望を持つのは論外だが、できることなら、苦痛なくコロリと逝きたいというのは、ボクぐらいの年になると、本当に切実だ。

  

  バスツワーは、その内の立木観音から鳥追観音を巡るのだった。

  


  つづく。

by ribondou55 | 2017-08-10 10:34 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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