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 かけ声とともに、「おひねり」が飛ぶ。

 
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 地面に落ちた「おひねり」は、拾い集められて舞台へ。


 写真でも分かるように、舞台の下にはご祝儀の品物が披露されている。




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 酒は当然としても、達磨もある。

 畑で出来た大根や里芋、ネギ、かぼちゃ、・・・、柿・栗。

 元々が、諏訪神社に附属した農舞台である、この時期は秋祭り。

 歌舞伎も神様へ豊作の感謝を表す奉納の意味合いがあったのだろう。


 舞台右手の花道の背景は、ご祝儀を寄せてくれた皆さんのお名前が張り出されている。

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 こんなことが、村歌舞伎の晴れの日の賑わいを一層もり立てている。

 いわば、まつりの舞台装置である。





 

by ribondou55 | 2016-10-31 22:56 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)


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 諏訪神社(秩父市寺尾)境内にある萩平歌舞伎舞台(埼玉県指定有形文化財)で上演された歌舞伎を観に出かけた。

 農村歌舞伎が伝承されている。

 秩父地方では、小鹿野歌舞伎が盛んであるし、また、秩父夜祭りの当日も上演されている、この地方ではお馴染みのものだ。

 秩父線大野原駅で下車して、道々札所も巡りながら、道を尋ね尋ねして、昼前に着いた。

 
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 昼の休憩時間が過ぎ、午後の部は、萩平こども歌舞伎である。

 演目は、「吉例曾我対面 工藤館之場」。

 (YouTubeのhttps://www.youtube.com/watch?v=Ny1R4xPUJEQで観ることができる)

 ボクは、子供たちの熱演でぶりに、引き込まれるように観てしまった。

 立派なものだ。

 何より、舞台がよい。

 以前、小鹿野の伝統芸能祭のような歌舞伎公演で観た。

 これはホールの舞台で上演されていた。

 それに比べると、このかやぶき屋根の舞台は、素朴にして暖かみを持つ。

 やはり、伝承される芸能は、そのよってある風土の中でこそ生き生きする。

 そして、受け継いで行くことの意味の大きさも。

 子ども達の練習量も大した物だろうと、感心した。

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by ribondou55 | 2016-10-30 23:01 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
 石田比呂志の第15歌集「萍泛歌篇」を拾い読みした。

 本の帯に「短歌によって人生をめちゃめちゃにし 短歌によって救われた人生ーー。

 市井の暮らしを詠って輝く詩魂と反骨の魂を持ち続ける歌人のだい15歌集。」

 とある。

 ここに、あげておきたい歌は数々あったが、面倒なのでやめる。

 
 今年で、畑の隅の柿は植えて三年目、桃栗三年柿八年というが、植木市で買った時、そもそもあの木は何歳だったのか?

 昨年は、期せずしてたくさんの実を付けた。

 配偶者は大の柿好きで、彼女の強いリクエストで植えたのだが、そんなだから、今年を大いに期待したのだが、今現在、数えてみると七つだけ実を付けている、残念な出来具合だろう。

 そろそろ、食べ頃になる。

 熟しすぎて、地面におちる実は、今年に限っては、まずあり得ない。


 烏にも喰われずに、最期まで枝に張り付いていたとしても、熟しきった柿は地面に落ちる、これは定めだ。

 で、ボクがそこ「土に音して」というのが、ちょっと身にしみる。

 ベチャ?ボショ?グチャ?・・、どんな音がするかは分からない。

 でも、無音ではないはずだ。

 まあ、そこが哀しい、すべからく

 生き物は重さを持っている。

 重さは、哀しい。


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 中には、こんな風に軒先に干されて、喰われてしまうこともある。

 ね。




 



by ribondou55 | 2016-10-29 23:14 | 読み捨てご免 | Trackback | Comments(0)

老いぼれてゆく団塊

 小田嶋隆著「ザ・コラム 2006/2014」を楽しく読んだ。

 楽しいといっても、著者の意見にすべて共感出来るわけではない。

 「って、やんでェ」といいたい箇所も結構あるが、それも面白さの一部である。


 特に、冒頭の「天国への団塊」というコラムで、「団塊」に遅れて『団塊の連中がまき起こす砂ボコリの中を歩くほかに選択の余地を持っていなかった」著者が、団塊世代への恨み辛み憎まれ口をぐずぐずと言い立てていて、まあ、楽しい。

 楽しいのは、ボクが団塊の尻尾当たりに生を受けているとしても、著者が唾棄するがごとくはき出す団塊批判の、例えば団塊の目に余るほどであった「身勝手さと助平」、ということについても、そこまでボク個人としては、言われる筋合いはないなと、我がこととして反省しようという気はさらさらおきないからだ。

 身勝手ということでいえば、そんなことは屁のようなもので、団塊の前にも後にも、誰も彼もひり出していたし、今だってそうだ。

 身勝手らしく見えない奴は、どちらかというと、様子見に長けた狡い輩としかボクには思えない。

 助平というのは、これはもういたしかたないものである。


 とはいえ、自分のことはさておき、同世代のあいつこいつ、あの子この子の顔を思い浮かべると、確かに、著者が軽蔑しつつも、羨むような、団塊臭を発散していた人間が確かにいた。

 いまだに、性根が変っていない奴らもめずらしくない。

 この頃の高齢者の過剰な「色と欲の生きがい探し」のエネルギー源は、そのあたりにありそうな気がする。


 勿論、小銭持ちの団塊老人がピンピンと、私生活に於いても「総活躍」して貰わんと、お金が回らなくなるので、お国と資本家は困るのだろう。

 だが、いい加減にしてほしい。

 いつまでも、ピンピンではいられないのだ。

 ボクの住むあたりでも、毎朝夕、デイケアホームの送迎車が走り回っている。

 こういうのを、「長寿の国」というのだろうか?と、時々絶望的な気分になる。

 かといって、さっさと浮き世からグッドバイ、・・・・・そう簡単にはいかない。

 「おい、穀潰し、どうしたい?」と、自分に問いかけてても、ぐうの音も出ないのだ。


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by ribondou55 | 2016-10-28 00:00 | 読み捨てご免 | Trackback | Comments(0)
 今日は、一日中寒い。

 午前中、絹さやとくき菜の畝を立てた。

 汗が流れることはないが、鍬をふるうとすぐに息があがって、苦しくなった。

 さっさと終わりにするはずであったのだが、休み休みなので、時間を要した。


 さきほど、湯上がりには余りに寒いので、仕方が無いので、オイルヒーターを納戸から持ち出して、PCデスクの足下に据えた。

 その上、湯冷めを恐れて、フリースを着込んだ。

 

 諸々の報道を見聞きしていると、不快になることばかりである。


 このお方は、どんな風に過ごしておいでだろうか。

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by ribondou55 | 2016-10-25 23:02 | 世界は昏いか? | Trackback | Comments(0)
 自転車乗りを目指した動機の一部に、「輪行」への憧れがあった。

 これは、ながいながい思いであって、自転車で旅をしたいとずっと思っていた。

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 手持ちの自転車は、3台であったが、昨年、輪行に手軽だろうと、折りたたみ式のダホンのスピード8を4台目に追加したのだが、これが手軽ではなく11㌔チョイの重さがあって、老人の萎え気味の腕力では負担かもと、輪行に踏み切ることだできなかった。

 ところが、夕べちょっと思い立って、今朝、実行した。

 最寄りの秩父鉄道駅から寄居まで、わずか30分足らずであるが、輪行した。

 長年の夢の実現と云うには、あまりにもショボいが、先ずはこの程度から始めるというのが、老人である現在のボクの流儀だし、限界なのだ。

 とはいえ、なにより第一歩を踏み出すことが大切なのだ。

 やってみれば、何のことはなく、ことはスイスイと進んで、長い間の懸案の解消に着手出来たのだった。


 すべからく、大抵のことは、やれば出来てしまう。

 それなのに、年々、新しいことをするのが、億劫になるのだ。

 いや、苦労してやったところで、たかが知れていると、馬鹿にしたり、疑ったりするのが、謂わば「反知性的な」己がボクを支配してくる。



 今、この文章は、ATOK2016で変換している。

 実は先ほどアップデートして、初めての文章である、これが、今実感しているのだが、たいした進歩で、昨日までの変換のもたつきがない。

 これも、バージョンが新しくなってもさほどの進歩はあるまいと、疑り深く高をくくっていたから、何年も変えて来なかった、が、果たして、やっぱり目覚ましく変っていた。


 そういうことだから、老いぼれてしまうのだ。

 仏教ファンのボクは、「執着」することは、「悩み」を作る元になるばかりだと、知っている。

 では、できるだけ身軽に最期を迎えるには、「執着」の根を絶たねばならない。

 しかし、そんなに悟ったような心境になれるはずもなく、ならば、ひとつひとつ「執着」を具体的に処理することをやってみようと、思う事がある。

 そうとはいえ、この年で色恋沙汰は無理だから、実現できることはやってみる。

 そのうちに、果てしない「執着」ではあるが、徐々に薄められてきそうな気がするのだ。

 輪行もやってみたかった「執着」の一端である。

 まあ、そこに四捨五入すれば、古希に手が届く今日になってようやく、というのも、吾が「一身上」に於いては、めでたいのかも知れない。




 

by ribondou55 | 2016-10-20 23:04 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 『永い言い訳』(監督・西川美和、2016年)、『雪の轍』(監督・ヌリ・ビルゲ・ジェイラン、2014年)を続けて観た。

 まったく味わいの異なる二作であるが、ともにダメな夫が再生する物語である。

 そう、言い訳と偽善的言辞を繰り返すダメな夫であるのは、このボクも同じであって、『言い訳』の衣笠幸夫クンと『轍』のアイドゥンを他山の石とするだけだ。

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 現在上映中の『永い言い訳』の評価は、近いうちに一層高まるにちがいない。

 この監督さんの腕は、作品ごとに磨かれてゆくようだ。

 とても感じの良い映像である、撮影が『FAKE』で森達矢監督と組んでいた、そして『海よりもまだ深く』の山崎裕という人であった。

 キャストもそれぞれが好演していた、本木雅弘・竹原ピストル、特に本木は、あたらしい側面を見せてくれた。

 子役の二人もとてもよい。



 『雪の轍』は、文句なし、すぐれた作品だった。

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 世界遺産のトルコ・カッパドキアに佇むホテル。親から膨大な資産を受け継ぎ、ホテルのオーナーとして何不自由なく暮らす元舞台俳優のアイドゥン。しかし、若く美しい妻ニハルとの関係はうまくいかず、一緒に住む妹ネジラともぎくしゃくしている。さらに家を貸していた一家からは、思わぬ恨みを買ってしまう。やがて季節は冬になり、閉ざされた彼らの心は凍てつき、ささくれだっていく。窓の外の風景が枯れていく中、鬱屈した気持ちを抑えきれない彼らの、終わりない会話が始まる。善き人であること、人を赦すこと、豊かさとは何か、人生とは?他人を愛することはできるのか―。互いの気持ちは交わらぬまま、やがてアイドゥンは「別れたい」というニハルを残し、一人でイスタンブールへ旅立つ決意をする。やがて雪は大地を真っ白に覆っていく。彼らに、新しい人生の始まりを告げるように。(公式HP)


 ボクにとっては、リタイヤーした爺さんの身として、こちらの方が身にしみたかもしれない。

 勿論、裕福なホテルのオーナーなんぞではない、年金暮らしの身の上だし、カミサンはぷくぷくとした婆あであるが、それでも、まあ、分かるような気がした。

 カッパドキアにだって、行ったこともないけれど、あんなに寒そうな所だったのかとも、・・・・シリアもあんな感じで寒いとこなのだろうか?






 
 

by ribondou55 | 2016-10-17 15:30 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 秋晴れとなった。

 カミさんに、おにぎりを三つ結んで貰って、自転車に乗った。

 今日は、埼玉古墳群まで、ついでに古墳群手前の市立図書館に立ち寄るつもり、九時三十分出発。

 自転車は、ダホンのスピード8でゆっくりと走る。

 行田市は隣町だが、出発地は熊谷市の西、深谷市に接近、埼玉古墳群は行田市の東方、片道2時間弱となる。

 図書館には、11時前に着く。

 熊谷の図書館では書架にない何冊かの郷土資料を当る。

 新しく、立派な図書館である。

 そこから、15分ほどで県立のさきたま史跡の博物館へ、博物館前の休憩所で、おにぎりを食う。

 おにぎりの内訳は、ただのプレーンな栗ご飯握り、次に海苔巻栗ご飯「おなめ」入り、一番好きなのが海苔巻き栗ご飯「ほぐし塩鮭」入り。


 博物館をじっくりと見た、何度見ても見飽きない、国宝金錯銘鉄剣などなど。

 それから、将軍山古墳展示館まで、ゆっくりと移動。

 ここには9基の古墳がある、のんびりと見てまわる、たのしかった。


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 コスモス畑越にみえた二子山古墳、武蔵国では一番大きい前方後円墳である。

 帰路は、忍川沿いのポタリングコースを初めて走った。

 行田は、ボクにとってはお馴染みのポタリングコースであるが、こういう風に道路が整備されてくると、一層楽しくなる。



 

by ribondou55 | 2016-10-16 21:33 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
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 《決定版三島由紀夫全集別巻・映画「憂国」》(監督・脚本・原作・美術・主演・三島由紀夫、監督・堂本正樹、1966年)をDVDで観た。

 特に、書くことはない。


  関係ないが、ボブ・ディランが、ノーベル文学賞受賞、人ごとながらうれしい。

  春樹ファンも、この受賞者では、沈黙するほかあるまい。





 

by ribondou55 | 2016-10-15 22:30 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 マノエル・デ・オリベイラ監督が、100歳を越えて撮った作品である。

 『アンジェリカの微笑み』(2010年)をレンタルDVDで。

 2015年4月に106歳で亡くなるまで、精力的に映画を撮り続けたマノエル・ド・オリベイラ監督が101歳の時にメガホンをとった一作。若くして亡くなった娘の写真撮影を依頼されたイザクは、白い死に装束姿で花束を手に眠るように横たわるアンジェリカにカメラを向けた。イザクがピントを合わせた瞬間、ファインダー越しのアンジェリカがまぶたを開き、イザクにやさしく微笑んだ。驚きながらも撮影を終えたイザクが写真を現像すると、今度は写真の中からアンジェリカが微笑みかけた。連続する不思議な出来事から、すっかりアンジェリカに心を奪われてしまったイザク。そんな彼の思いに応えるかのように、アンジェリカの幻影がイザクの前に姿を現す。イザク役にオリベイラ作品の常連俳優で、監督の実の孫でもあるリカルド・トレパ。アンジェリカ役に「女王フアナ」「シルビアのいる街で」のピラール・ロペス・デ・アジャラ。 映画com より拝借


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 今時の感覚で云えば、退屈この上ないと、云われてもしかたがないな、というのが第一印象。

 監督は何せ物理的な年齢で云っても巨匠、・・・、101歳にして何を言おうというのか?


 物語は、イザクというユダヤ人の若者が、アンジェリカという美しい人妻の亡霊に誘惑され、一目で恋に落ちてしまう。

 夜な夜な亡霊の人妻が、イザクのもとにやってくる。

 幽体離脱したイザクは、人妻亡霊と抱き合って夜空を飛びまわるなんて、ロマンチックなデートだってする。

 とはいえ、相手は亡霊、結ばれるためには、イザクが彼女の世界に行くしかない、最後は手に手をとって、かの世界へと旅立つという、ファンタジーである。

 日本で云えば、「牡丹灯籠」ってところか。

 勿論、亡霊なんて信じませんという向きには、美しい死に顔に魅惑されしまった気の毒なパラノイアのお話、としか見えない。

 
 ちょっと、つれない言い方だった。

 キャッチフレーズに「世にも美しい愛の幻想譚」とある、映画の狙うところは、そういうことだろう。

 実際最後まで見てしまう観客の席を立てない理由がそこにある。

 どこが美しいのか、それは恥ずかしいくて口にはしづらい言葉で言うと、「ピュワー」って奴だ。

 イザクのアンジェリカに寄せる心情は、ひたすら純粋だといえる。

 死者に死ぬほど恋するということは、笑い事でないのだ。

 こういうのは、始末が悪い、妙な説得力をもつのだ。

 101歳の人間が、最晩年にこういう映画を作るというのは、なにからなにまであきらめ始めているボクの老後であっても、もしかしたら善き心を願う気持ちを失わないでいられるかも知れない、かすかな希望となるかも・・・・。






  

by ribondou55 | 2016-10-14 16:49 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂