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 最寄り駅の駅前通りにある小さな精肉店の惣菜フライが、ボクの好物である。

 子供ころ、働きに出ていた母が、夕飯のおかずにしばしば登場させた肉屋のコロッケ・イカフライ・アジフライ・メンチカツ、そしてたまにとんかつ、そのころに身についた味である。

 しかし、昔のように揚げ物の山盛りを平らげてくれる喰い盛りがいない今、老人二人の食卓ではたくさんのものはいらなくなった。

 そういうことだ。


 筑摩版の「つげ義春全集」を図書館から借りだして読み返している。




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 全集7巻目の解説で、赤瀬川原平さんが、

  あっさりしているに濃密で、何度でも読めて、何度食べても減らないご馳走

 と、つげの作品をこれ以上ないほどに高く評価していている。

 さすが原平さん、いいことをおっしゃる、それにこの解説文は、つげ義春の表現の本質にふれているように思う。

 まあ、そういうことだ。


 小松菜・ほうれん草・ニンジン・手遅れ気味に大根の追加・・・、畝をたて、種をまく、お天気と相談しながらだが、焦っている。

by ribondou55 | 2016-09-30 22:55 | のらり句らり | Trackback | Comments(0)
 今年は、ゴーヤーが良くできた。

 十鉢に種を蒔いたのだが、三本しか苗にならなかった。

 だが、その三本がじつにたくさん実を付けくれた。

 そのたくさんのゴーヤーは、知り合いのあちこちに貰われていった。

 せっせと、配偶者はお友達にプレゼントした。

 喜んで貰ってもらったらしい。

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 この夏、ボクがゴーヤーチャンプルーを調理した回数は、三度だけ。

 つまり、三本の消費。

 配偶者は甘辛く煮詰めたゴーヤーの佃煮を何度か作った。

 それでも、五、六本だろう。

 他は、すべて、数えたりするはずもないが、多分数十本以上、貰われていった。


 この北埼玉のジジババも、普通にゴーヤーを食べる人たちになっていたのだ、ちょっとした驚き。

 食べ物については、味覚上の垣根を作らないのだろうか。

 いやいや、ゴーヤーはビタミンCがたっぷりとか、糖尿病予防にいいとか、そんな噂のせいなのか。

 
 この夏、畑仕事にあきると、ゴーヤーの日陰で、一休みした。

 時折、どこから来るのか、黒毛がちの三毛猫も寝そべっていた。

 畑に日陰を作ってくれた、これが、ボクには一番ありがたかった。

 来年も、作ってみよう。







 

by ribondou55 | 2016-09-29 21:09 | のらり句らり | Trackback | Comments(0)

FAKE (2016年)を観る。

 「FAKE」(監督・森達也、2016年)を、深谷シネマで。

 とても、おもしろい。

 2014年にゴーストライター騒動で日本中の注目を集めた佐村河内守をとらえたドキュメンタリー。監督は、オウム真理教を題材にした「A」「A2」の森達也。聴覚に障害を抱えながら「交響曲第1番 HIROSHIMA」などの作品を手がけたとし、「現代のベートーベン」と称された佐村河内。しかし音楽家の新垣隆が18年間にわたってゴーストライターを務めていたことや、佐村河内の耳が聞こえていることを暴露。佐村河内は作品が自身だけの作曲でないことを認め騒動について謝罪したが、新垣に対しては名誉毀損で訴える可能性があると話し、その後は沈黙を守り続けてきた。本作では佐村河内の自宅で撮影を行ない、その素顔に迫るとともに、取材を申し込みに来るメディア関係者や外国人ジャーナリストらの姿も映し出す。 映画comより拝借


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 佐村河内さんが、現代のベートーベン風にもてはやされていたとき、テレビ画面で時折見かけるたびに、伝え聞く音楽な成功談にたいしたもんだと感心するもう一方で、一抹のうさんくささを感じていた人は、少なくなっかたのではなかろうか。

 だから、新垣さんの「謝罪会見」であらわになった「真実」に、世間はわっと湧き上がったのだろう。

 その「真実」に対して、いわば佐村河内さんが、必死に反論している映画である。

 人それぞれにとって、「真実」は何通りもあるという見本のような話である。

 もちろん、佐村河内さんにも、理はあるだろう。

 それが、たとえ三分の理であっても、聞く耳をもたなければ、方手落ちになる。

 たかだかと持ち上げて、そして、後に、たたきつぶす。

 このごろのマスコミの手口である。

 
 それにしても、確かに最期の十二分は、たまげた結末である。

 でも、ここで、またふたたび、ほんとうかいな?

 という思いにかられる。

 本当と嘘の混沌、これが人のおもしろさかも知れない。

 
 もっと、面白いのは、森監督と佐村河内さん、佐村河内さんとその奥さんの、いわば関係性である。

 ドキュメンタリーは嘘をつくと、森監督はいう。

 この関係性にも、「嘘」が潜んでいるような・・・。



 

 

by ribondou55 | 2016-09-28 22:54 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 届けられた新米を食べた。

 ありがたし。

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 また、すこし腰を痛めて、畑仕事が中断。

 タマネギをまだ蒔いていない。

 少し焦ってきた。




 
 

by ribondou55 | 2016-09-27 21:09 | のらり句らり | Trackback | Comments(0)
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 久しぶりに、空を眺めた。

 しかし、すぐに灰色に翳ってしまった。



 今日彼岸の墓参りに行った。

 その今日の日を、このあたりでも「走り口」とよぶ。

 彼岸明けである。

 「走り口」、はて、どこへ向かって走ってゆくのか?

 此岸から彼岸へ。

 そうなのだろうか。

 年二回、彼岸への憧れを更新しなさいと、いうことだろうか。








 

by ribondou55 | 2016-09-25 23:38 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

ヒキガエルの楽園

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 畑に、ヒキガエルが大発生?か。

 今年は、麦わらをたくさんいただいた。

 あちこちに敷き詰めた。

 藁でマルチである。

 特に、スイカとまくわ瓜には、隙間なく一面に。

 おかげで、雑草を大分抑え込むことができたのだが、コオロギとナメクジが例年以上に出てきた。

 バッタも、それに丸々と太ったムカデなんぞにも遭遇した。

 ミミズはもともと多い畑だ。

 そして、蛙も、そこかしこに。


 蛙よ!

 餌となる虫けらどもは、十分だ。

 お前らの楽園といえるだろう。

 コオロギ・バッタなんぞ、食べつくせ!


 そうとはいえ、二三歩歩くと、足元からピョン・ガサガサ…、こうも多くて、大丈夫なのかと心配でもある。

 だが、芽を出してまもない幼い奴らを守りため、お前らの活躍に期待しよう。



 さて、ブログ名通りになってきた。

 でも、まだ鳴き声は、聞いていない。

 無口な連中である。





by ribondou55 | 2016-09-24 15:32 | 畑にいます | Trackback | Comments(0)

「ことば」を食べる。

 都心へ出るのは、多くて一月に一度、近所のショッピングモールにも、ほとんど出かけない引きこもり老人のたわごとである。


 今日は、上野のトーハクと都立美術館まで、思うところがあって出かけた。

 本当は、竹橋の近代美術館へも行きたかったが、トーハクで時間を取られた。

 展覧会は、上々であったし、トーハクは久しぶりに隅から隅まで見て歩き、これまで見落としていたことも、確認できた。


 で、昼飯と夕飯を外で食べた。

 たまにしか外出しないので、勤めに出ていて頃と比べれば、外で喰う機会は激減と云うどころではなく、無きに等しい。

 であるから、出かけたときは、なるべく、それなりのものを食べたいと思うのが人情である、まあ、浅ましいのだが。

 で、今日はひとりで二食外食したのだが、どちらの店も、昼は主にサラリーマン、夜は婦女子で席が埋まっていた。

 時間的に並ぶほどではなったが、一定程度の評価の定まった店なのだろう。


 共に、健康に良く、美味いを、アッピールしていた。

 だが、ボクには、なにが健康的なのか、不明であった。

 ご飯は玄米、油は使わない料理法、(少量の)無農薬野菜、・・・・・・云々。

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 田舎者のボクとしては、笑っちゃう。

 そこにあった野菜のほとんどはボクの畑では自給できる。

 素人の家庭菜園であるが、ボクは毎日、質量共に、今日食べたものより、日常的に優れていると思う。

 都会人は、どうやら、「健康的な食べ物」と云われるものをありがたがってたべている、それもちょっぴり。

 極端に言えば、「健康的食物」「オーガニック野菜」「玄米食は身体にいい」・・、そういった情報を食物に、まるで調味料かふりかけのように、上にのっけて、食べているのでは。

 まあ、いうなれば、「ことば」だ。

 「ことば」は人をだますから、きっといい味がでるのだろう。

 
 舌先の美味しさよりも、身にしみる旨さがボクにはあっている。

 ヘルシーで、お洒落・・・、どうもしっくり来ない。


 ついでに、一言。

 この頃、身体に良いからといって、野菜ばかり先に食べて、その後、ご飯に箸を付ける輩がいる。

 これは、伝統的な日本の食事の仕方から云えば、「下品」だ。

 料理を作った側からすれば、せっかくの料理が冷めてしまう、・・・・、輩の内のひとりは吾が配偶者である。

 長生きしたところで、どうなるというものだ。


 引きこもり老人の憎まれ口である。





 



 

 

by ribondou55 | 2016-09-23 23:00 | 舌の幸い | Trackback | Comments(0)
 有名な「問題作」、論争の種になっている。
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 ボクには、むずかしい論争なんて分からないが、子規というブランドでみれば、「まあ、子規先生、そのものだなあ」と思うし、小生意気な思春期頃の子どもの目にもどってみると、「こりゃ、何じゃらほい?」と鼻先で笑ってしまうだろう。 

 ところで、ボクは鶏頭の花には、好感を持っていない。

 理由はない。

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 ご本家の、鶏冠のほうは、嫌いではない。

 若冲の鶏なんぞは、とくに好物であるが、実際にはあんな風にかわいげのある生き物ではない。

 鳥という類は、一般に目つきが剣呑である。

 恐竜は、鳥の祖先であったという、あのティラノサウルスもそう遠くないご親戚なのだ。

 鳥、どことなく怖いところがある。

 




 


by ribondou55 | 2016-09-22 21:51 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 いい句だと、思う。


 角力は、カクリョクと読むのだと、辞書に教えられた。

 相撲をさす。

 この句では、相撲取りの略。

 秋雨と小柄な相撲取り、おそらく、出世には縁遠いような感じの相撲取りが、肌寒くなった秋雨のぬかる道を歩いている。

 とぼとぼというわけでなかろう、案外堂々と、でもそれもどことなく虚勢じみる所があって、ペーソスが漂うような、しみじみとさせられるような・・・・。

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 こう、繰り返し台風が襲来し、秋雨前線が活発な日が続くと、畑に出られない、気持ちも沈む。

 今日も、一日中、ふったり止んだりだと、気象予想士のお姉さんがいっていた。

 ほうれん草も、にんじんも、種蒔きがまだになっている。

 ブロッコリーや芽キャベツも植え付けができない。

 秋茄子も、だいぶできているはずだが、採り入れに行くのも、億劫だ。


 まずは、次の台風が大きな被害になりませんように。




 



by ribondou55 | 2016-09-19 10:46 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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 我が家のトイレ脇にある本箱は、数十年にわたって何時かは読もうと思って買ってきた本が、ぞろっと押し込んである。 

 そういうのが、キッチンダイニング隅の書棚や、無用になった子ども部屋の押し入れや、三畳半の書斎の壁一面に出番を待っているが、たぶん多くは日の見ることはないだろう。

 背表紙だけではなく本文までが黄ばんできた奴も多数。

 ボクが死んだら、すぐに処分、そう子どもたちは憎まれ口をたたく。

 で思うのだ、できたら古本屋などには売らずに、一緒に火葬は無理だから、焼却場へもっていってと。

 ボクの蔵書である、稀覯本なんぞ一冊もない。

 あの世でゆっくり読みたいのではない。

 ボクは死後に自分の本箱が覗かれるのが、イヤなのだ。


 トイレ脇の本箱から、今朝は寺山修司の「赤糸で縫いとじられた物語」を手にして、便座に腰をおろした。 

 その昔、心ときめいた、めくるめく寺山ワールド。 

 童話集である。 


  なぞなぞ たてろ 
  同じ鳥でも飛ばないとりはなあんだ? 

  それはひとり という鳥だ    

 『壜の中の鳥』のボク的には、挿入歌である。 


 さて、トイレに、適した本かどうかは、分かりませんが。



 

by ribondou55 | 2016-09-18 16:25 | 読み捨てご免 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂