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『教団X』など

 中村 文則著『教団X 』、面白く読んだ。

 今に生きるボクラがつまずいている、バカバカしいほど膨大なあれやこれやに、立ち向かおうとしている作品であった。

 このところ、このごろに発表された小説から離れていた。

 巻頭から読みすすむ、当たり前のことだが、読むという行為を継続している間は、面白い。

 だが、一気に読み通すというわけにはいかないので、読み止しで、また明朝続きをと。

 しかし、翌朝にはこの本のことをすっかり忘れている。

 そんな調子であったので、その場限り、知りたいことだけをつまみ食いするような読みのものばかりが続いていた。

 だが、『教団X』については、二日半の間、断続的に手に取って、読み終えた。

 この頃にしては、珍しい。

 何かに刺激を受けていたのだろ。

 その何とは、だいたいわかっている。

 が、数日の内に、それも忘れるだろう。


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 抑(そもそも)茶湯の交會(こうかい)は一期一會といひて、たとへば、幾度おなじ主客交會するとも、今日の會ににふたゝびかへらざる事を思へば、実に我(わが)一世一度の會(え)なり。さるにより、主人は萬事に心を配り、聊(いささか)も麁末(そまつ)なきやう、深切(しんせつ)實意(じつい)を盡(つく)し、客にも此會に又逢ひがたき事を辨(わきま)へ、亭主の趣向何一つもおろかならぬを感心し、實意を以て交るべきなり。是を一期一會といふ。

 「一期一会」という言葉の出典であるそうだ。

 井伊直弼というお方が唱えた「おもてなし」の心得である。

 
 ボクは、この言葉を長いこと仏教由来の言葉だとかってに思ってきた、無知である。


 ボクは、この言葉の意味をこんな風に妄想していた。

 人の人の関係は、一瞬の縁。

 出会いえば、誠実に対することもあり、嘘を並べることもあり、好悪の感情も動くが、どうであれ一つの出会いは終われば、チャラになる。

 いうなれば、面倒くさい「縁」は、一瞬ではないにしても、「ひと時」のこと。

 勿論、「ひと時」とは、比喩である、人の人生の長さは星の瞬く間にも及ばないと、いうことと同じであるが。

 そういう言葉としてボクは思ってきた。

 都合のいい言葉である。

 関係がチャラになれば、その関係への執着が消えるかもしれない、いや消えることを望んでいる。

 これが、楽になれる筋道である。

 それでは、寂しくないかと云われるだろうが、寂しいのがもともとのボクの姿だと。

 まあ、まっとうな心の持ち主からは、心の狭い老人の僻事といわれて当然。


 『教団X』の読後感ではないが、思い浮かんだので書いておく。


 台風10号が、去ったら、4.5日間、一人で遠出する。

 鉄道が止まったりしないように。






 
 

 
by ribondou55 | 2016-08-28 22:37 | 読み捨てご免 | Trackback | Comments(0)
 配偶者は、このところアルバイトに精を出している。

 暑い中、ごくろうさま。

 彼女は、一億層活躍の皆様の方に属している。

 ボクは、ぼんやり暮らしであるから、だいたい家にいて、このところは、畑でできた野菜を題材にして絵なんか描いていることがおおい。

 だから、昼飯は一人で食べる。

 ほぼ一日おきに、カレーライスを食べている。

 レトルトカレーも食べるが、原則は、自分で料理する。

 玉ねぎとじゃがいもは、自家製。

 ニンニク、鷹の爪、万願寺、オクラ、カボチャ、茄子、ゴーヤ、ネギ、ピーマン、そんなものも自給自足。

 残念ながら、ニンジンを切らしている。

 これらは、適時ピックアップして、食材としている。

 今日は、あんちょくカレー。

 一人分の分量を自分で決めて、ジャガイモ・ニンジン・豚肉・玉ねぎをちょっと炒めて、適量の水で煮る。

 肉じゃがみたいだ。

 この間、①小麦粉山盛りで大さじ1とカレー粉SBのやつ、大さじ1を混ぜ合わせて、水で溶く。

 ジャガイモの煮え具合を確かめてから、

 ①を、鍋に流し込み、手早くかき混ぜ、塩コショウ、醤油で味を調整して、とろっとしたら、ごはんにかけて食う。

 玉ねぎは、なるべくざっくりときる、くたっと煮えているのがいい。

 あんちょくにして、ほぼ旨い。

 ボクのたがが昼飯、これで十分。


 そんなこんな、カレーというのは、パスタと同じで、いかようにも工夫次第で、食べられるものになる。

 べつに、イチローのように、大した意味のあることではない。

 ただ、飽きずに食える、それだけ。

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 トマトも自給だが、台風10号がやってきたら、今年も終わりだろう。

 今年のトマトは、甘くて美味しかった。




 
by ribondou55 | 2016-08-26 23:31 | 舌の幸い | Trackback | Comments(0)
 時折、暴風雨となった。

 我が家は、車二台がやっとすれ違うことができるだけの道に面している。

 これが、大雨に遭うと、浅い急流になる。

 砂漠の川の如く、大雨には忽然と現れ、雨が止むと、瞬く間に消え失せる。

 排水溝では間に合わなくなるのである。

 南から北へ流れ下ってゆく。

 本日も然り。

 ボクは、窓から眺めては、そわそわした気分になる。

 ちょっと、不謹慎にも高揚してくる感じすらまじっているような。

 別に、溢れた水に我が家が浸水する懼れがあるでもなし、なにがなんでも出かけなければならない約束があるでもない。

 昔から、いや、幼い頃から台風の来襲と聞かされると、落ち着てはいられなくなるのだ。

 それは恐怖に由来する気分と云うよりは、えも云われない気分であるのだが、そこはかとなく「期待感のような感じ」がもやっと立ちこめてくるような。

 一体全体、なにに期待するのだろうか、我ながら不審きわまりない。


 そうして、一日が終わった。

 すぎてみれば、ボクの生活圏に限定すれば、「神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。」


 さて、昨日は、両毛線に乗ってみた。

 高崎から、小山行きに乗車。

 足利で途中下車、足利市美術館の「風景のかたちー前田真三と現代日本の風景写真」を観た。

 前田さんの美瑛の丘の風景は、こんなコトを云うと失礼だが、食傷気味。

 「拓真館」にも参りました。

 ボクが一番感心したのは「畦作りの農婦」という作品。

 
 他に、若い作家の作品が。

 畠山直哉さん、まだ都内へ通勤していた時分、フイに儲けものような空き時間があると、時折恵比寿へ出て写真展をのぞいたのだが、そんな折のことであったろうか。

 そこで何の予備知識もなく石灰石鉱山の発破の瞬間をとらえた作品を観て、唖然とした。

 ボクの愛する武甲山の悲劇をすぐに連想した。

 まあ、えらいものを見た、という感じ。

 この展覧会でも、高名な?「ライムヒルズ」を観ることができた。


 その他、いずれの作品も面白く見せてもらった。

 津田直さんの風景写真には、笑わせられた。

 というより、我が目の裏側に刷り込まれた「風景」があった。


 次の途中下車は、佐野。

 佐野らーめんで昼飯にと、目論んだが、手ひどい目にあった。

 たまたま入った店のその「食品」は悲惨であった。

 多くの店のなかには、こうした例外もある、それが世間だとおもい、大半を食べ残して、店を出た。

 ボクは、まずいものは無理して食べてはいけない、身体に良くないと信じている。


 小山で宇都宮線乗り換え、古河で途中下車。

 篆刻美術館というところへ、かねてから一度行ってみたいと。

 これが、当たりであった。

 街中の小さな美術館であるが、気持ちよく楽しめた。


 その後、少し街歩きしてみた。

 古河という街は、感じが良い。


 大宮に出て、本屋に寄り、また、高崎線に乗って、帰路についた。

 車窓からの夕焼けに目を奪われた。

 こっそり撮った夕焼け。

 
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 やがて、暗くなった。

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by ribondou55 | 2016-08-22 22:26 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 昨夜、15日、空模様を気にしいしい尾島へ出かけた。

 利根川を渡る上武大橋の辺りの路面は、通り雨の跡があったが、尾島の町に入る頃は、雲の切れ間が見えてきた。

 多少は蒸していたが、やがて雨上がりのあとらしく、しのぎやすくなってきた。

 尾島ねぷたは、この数年欠かすことなく観に来ている。

 はじめて訪れたのは、何時ごろか、10年ほどまえだが、祭りそのものは1986年からだという。

 ボクが観てきた間だけでも、祭りの質も、賑わいも、年々立派になってきたように思う。

 尾島が新田郡尾島町から太田市・新田町・藪塚本町と合併して、太田市となったのが2005年であるから、祭りは合併以前から開かれていたことになる。

 確かめるに、例によってウィキのおせわになると、

 かつてこの地が、弘前藩の初代藩主津軽為信が関ヶ原の戦いで立てた勲功によって加増された領地、つまり飛び地であったことから、尾島町は弘前市と姉妹都市を締結、1986年からこの祭りが始まったと、ある。

 へー、そうでしたか。

 ボクは、お祭り騒ぎが大好きだが、このところ、メジャーなお祭りには、少しがっかりしている。

 先頃訪れた山形花笠踊りはほどほどであったが、仙台七夕にはちょっとはなじろんだ・・・かな?

 そういう意味で、この群馬県の利根川っぺりのちっちゃな町の尾島で、「ねぷた」をやる人々の、むちゃくちゃなと云うと何だが、そういう気概がとてもいいではないか。

 旦那衆のやにさがったドヤ顔より、大きな太鼓に、またがった、普段は地味にふつうだろうお姉さんが、今夜限りの肌もあらわに躍動する、これこそが、祭りだ。

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 さて、毎年足を運ぶと見所も心得ていて、一通り楽しんだところで、サクッと帰路についた。

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by ribondou55 | 2016-08-16 17:27 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
 句の「翌」は《あす》とよむ、あしたのこと。

 前書きに「日々懈怠不寸陰」(日々懈怠にして寸陰を惜しまず)とある。

 懈怠とは、「なまける」意、寸陰とは、「わづかな時間」。

 つまり、今日も今日とてボウフラのように浮いたり沈んだりして生きている、人目には無能者のように映るだろうが、まあ、俺はこんな風に、ぼんやり時を過ごして、明日も又、生きてゆくよ、エヘッ。

 こんなところか。

 でもね、棒ふり虫(ぼうふら)にだって、命があるんだよ。

 何時か、りっばな成虫となって、おいらを馬鹿にするお前等の首根っこから、生き血を吸ってやろう。

 粋なおんなの、ちょっと汗ばんで、いい香りの真っ白い胸元にピットとりついてやろうってな、ことか?


 一億総活躍のかけ声なんて、我関せずときめこんでいるボクにはぴったりの句。

 先ほど観たのは、NHKスペシャル「村人は満州へ送られた」。

 「国策」とやらには、気をつけよう。

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 今日の朝飯。

 ちょっとうらなりのスイカだが、悪くなかった。

 これにコーヒー・夕べの残りのジャガイモの味噌汁・ババナと牛乳をミキサーにかけたバナナミルク。

 パン・バナナ・ミルク以外は、畑から。



 
by ribondou55 | 2016-08-14 23:40 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 「シン・ゴジラ」(総監督/編集/脚本:庵野秀明・特技監督:樋口真嗣、2016年)を観てきた。

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 今、振り返ってみると、ボクが始めて見た歴代ゴジラは、第二作「ゴジラの逆襲」であったようだ。

 1955年(昭和30年)の作品である。

 内容は、記憶にないのだが、ただ兄から、「お前はゴジラが現れると、前の椅子の背もたれの影に隠れるようにしていた」と、母親の前で暴露されたことが、悔しくてならなかったことは、今でもよく覚えている。

 その後、何作かのゴジラを見てきたはずだが、「モスラ対ゴジラ」だけが、ザ・ピーナッツの歌声とともに、わずかに記憶されている。

 だから、今日観た「シン・ゴジラ」は本当に久しぶりにという以上のものだ。

 この作品、観る者のバックグランドによって、イロイロに楽しめるのだろうと思った。

 若者は、「エバンゲリオン」を思い起こすだろうし、ボクのような爺さんは、水爆実験で安住の地を追われて出現したといわれる元祖ゴジラの再来と見なしたりするだろう。

 ボクの目にも、フクシマ原発事故の再現のようにみえた。

 苦い、苦いパロディ。

 ラストシーンのゴジラの姿は、福島第二原発の現在の風景に重なる。

 この作品、おそらく数十年後には、ある種の歴史的な証言と云った意味合いを持つようになるかも知れない、そう思った。

 庵野監督、期待を裏切ることがなかった。

 石原さとみの力みすぎて滑舌不調なんぞも、ご愛敬としておこう。
by ribondou55 | 2016-08-12 23:26 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 かねてから、一度はお参りしたいと思っていた、寒河江の慈恩寺を訪ねた。

 今回は、ふと思い立って、夫婦二人で山形の花笠踊りと仙台の七夕見物にでかけたのだが、二泊三日の中日の午前中に、慈恩寺を訪れた。

 このところ、配偶者も、「鈍行列車の旅」というお楽しみの味を占めたらしく、ボクのあとをついて18切符のユーザーになった。

 今回も、とろとろと、鈍行で行き巡る。

 山形から佐沢線で羽前高松駅下車、炎天下の道を、気持ち30分ほど歩いて、慈恩寺に着く。

 暑い。

 そこでこの蓮の花にであった。

 お手水に浮かべてある。

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 一目見て、汗が引いた・・・・、というのは、嘘だが、見の内に清らかな涼風が吹き抜けたということにしておこう。

 さて、慈恩寺は、五木さんの「百寺巡礼」では六十三番目である。

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 この寺の由緒来歴ついては、ウキペデアに詳細な記述があり、それをみればいい。

 この寺は、平安時代に作成された仏像14躯、鎌倉時代に作成された仏像29躯を現在まで伝えている。

 もうしばらく前のことだが、上野のコクハクの「みちのくの仏像展」で、十二神将立像のいくつかに印象付けられている。

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 さて、訪れてみてわかったこと。

 ボクは、薬師堂のご本尊である薬師如来の脇侍である日光菩薩、月光菩薩になぜか心惹かれてきたようだ。

 実は、初めに観たのは、写真なのであろうが、何時のことかもわからない。

 今回、はじめて、この仏さんの前に座ると、ああ、ずっと心の片隅にあったなと、なつかしく感じた。

 金泥が落ちて、黒色の地が見える面長のお顔が、日光・月光両菩薩とも、なぜ懐かしいのか、それすらもわからないのだが、・・・ただ、ここにおいでであったたと。

 それだけで、ありがたい。


 このお寺の拝観料は、四百円であったと思うが、説明を下さったお二人の方も、親切にしていただいた。

 境内の玉こんにゃくも美味しかった。

 そして、帰り道も遠かったのだが、配偶者もゆっくりと歩いていた。

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 寒河江川を渡る橋からたくさんの鮎釣りの人が見えた。

 その晩、川渡温泉の宿で喰った鮎は、小振りながら、うまかった。



 さていつかは機会をつくって、次は「出羽一佛」 : 吉祥院へ。






 

 
by ribondou55 | 2016-08-08 10:49 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 この前の日曜日、群馬県立近代美術館へ。

 昼頃に群馬の森。

 美術館前の木立の影のベンチで、持参したサンドイッチを食べた。

 よくよく晴れた夏の空、夏の光。

 しばし、ぼんやり。

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 目当ての展覧会は、以下のとおり。

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 いろいろな思いが浮かんでは消えたが、二日ほど前のことなので、思い出すのも面倒。

 
 一茶の句、身につまされる。

 炎天下の白くかがやく砂利の往還のほとりで、ジーと、ジーと、鳴きながら地べたを転がる蝉を、見た。

More 展覧会 ポスター
by ribondou55 | 2016-08-02 22:44 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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 先ほど、畑から収穫。

 冷蔵庫で冷やしてから喰う。

 昔なら井戸へ放り込んで冷やすはずだ。

 一茶の瓜は、僕が作る「黄まくわ」でなく、緑色でスイカのように縦じまがはいっている品種であったかもしれない。

 その方が、蛙に変身しやすかろうと、思う。

 一茶は、他にも瓜の句を詠んでいる、その中で、ボクが好きなのは、


  冷し瓜二日立てども誰も来ぬ

  待もせぬ月のさしけり冷し瓜  

 
 夏の夜の孤独は、鬱としいものだが、冷えた瓜をかぶりとやれば、少しは気分も晴れよう。


 芭蕉に、

  闇の夜きつね下はふ玉真桑

 という句があり、こちらは、狐なのだ。

 狐が、慕う、まくわ瓜とは、ただの好物というわけでもなさそうで、この句を見るに、狐にいいようにあしらわれているような気になる。






by ribondou55 | 2016-08-01 11:06 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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