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冬を越えた蝉の抜けガラ

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 今朝は、散歩に出た。

 すこし遠出の。

 ぶらぶら歩きで片道30分ほどの公園まで。

 そこは、秩父から降りてきた広い広い扇状地の末端、謂わば台地の裾。

 湧水があって、そこから流れが現れて、水辺の公園になっている。

 湿地帯には、絶滅危惧種の植物も何種類かあるようなのだが、ボクには識別できない。

 沼もあって、そこには、野鳥もたくさんいる。

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 これも今朝,見かけた。

 ボクが、そのほとりの植栽された小道をゆくと、これから芽を吹き夏には、綠の滝のように枝を垂れる柳の大木があって、冬枯れの今は、幹にまつわるついた蔦の葉だけが重くて鮮やかな緑を光らせていた。

b0018682_1455455.jpg 側に寄ると、蝉の抜けカラが、ぽつんと見えた。

 ちょっと、びっくりして、なおもよく見ると、蔦の葉のあちらこちらに、抜けガラがとりついているではないか。

 年甲斐もなく、ボクはワクワクした。

 ざっと、数えると十以上有りそうだ。

 ということは、この柳の根元には、すくなからぬ数の,蝉の幼虫が今もまどろみながら、来る夏の日のその早朝をまっているのだと、足元を見た。

 この木の根元は、落ち葉が幾層にも重なって、腐葉土になりかけたようなふわふわの土壌である。

 これなら、この辺りの厳しい寒暖にも,耐えられるだろうと、思った。

 これからは、散歩にはよい陽気に向かう。

 ちょっと、こづかいをやり繰りして、使い勝手のよい双眼鏡を入手しようと、歩きながら思った。

 
by ribondou55 | 2016-02-29 14:47 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 『サウルの息子』を観たのは、こうのすシネマである。

 そのJR鴻巣駅に接するエルミこうのすショッピングモールで、“ひな人形で飾る日本一高いピラミッドひな壇”(31段高さ7m)が、見物客で賑わっている。

 映画のついでに一見した。

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 このところ、寒さがぶり返しているのだが、春はやはり近づいている。

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 なるほど日本一というだけあって、結構、高さがある。

 この鴻巣という土地柄は、日本一がお好きなようだ。

 鴻巣市(埼玉県にある、中山道の宿場であったところ)のHPによると、

  8つの日本一を紹介

 1分あたりの尺玉以上の花火打上数日本一(1分間平均約75.5発) 
 ピラミッドひな壇の高さ日本一(31段・7.0m) 
 水管橋の長さ日本一(1,100.95m) 
 ポピーの栽培面積日本一(12.5ヘクタール) 
 荒川の川幅日本一(2,537m) 
 サルビアの出荷量日本一(年間90万本:平成18年度) 
 プリムラの出荷量日本一(年間272万鉢:平成18年度) 
 マリーゴールドの出荷量日本一(年間138万本:平成18年度) 


 とある。

 まあ、「8つ」もあるとは、まことに末広がりでおめでたい・・・、なんだか、わからないが、タイシタモンダ!と、云えるのかもしれない。

 
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More 興味がある方へ・・びっくりひな祭り ポスター
by ribondou55 | 2016-02-26 23:09 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
 『サウルの息子』(監督・ネメシュ・ラースロー、2015年)を観た。

 2015年・第68回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したハンガリー映画。アウシュビッツ解放70周年を記念して製作され、強制収容所で死体処理に従事するユダヤ人のサウルが、息子の遺体を見つけ、ユダヤ教の教義に基づき葬ろうとする姿や、大量殺戮が行われていた収容所の実態を描いた。1944年10月、アウシュビッツ=ビルケナウ収容所。ナチスにより、同胞であるユダヤ人の死体処理を行う特殊部隊ゾンダーコマンドに選抜されたハンガリー系ユダヤ人のサウル。ある日、ガス室で生き残った息子と思しき少年を発見したものの、少年はすぐにナチスによって処刑されてしまう。サウルは少年の遺体をなんとかして手厚く葬ろうとするが……。ハンガリーの名匠タル・ベーラに師事したネメシュ・ラースロー監督の長編デビュー作。 映画comより拝借

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 1944年10月の出来ことは,次のようなことであったという。

  1944年10月7日   アウシュビッツでのゾンダーコマンドの蜂起
 1944年の夏、アウシュビッツのガス室の使用は、44万人を超えるハンガリー系ユダヤ人の到着により増大します。この虐殺場所で働く囚人の特殊別働隊(ゾンダーコマンド)が増員され、ガス室での大量虐殺に対処しています。しかし、1944年の秋までに、この特殊別働隊の人数が再び減少します。ゾンダーコマンドの囚人は、自分たちも殺害されることを恐れ、反乱を起こし、逃亡することを計画します。この反乱の計画では、女性囚人の協力もあり、ゾンダーコマンドの囚人のため近くの工場の火薬を密かに入手します。1944年10月7日、ゾンダーコマンドの囚人たちは蜂起し、遺体焼却炉IVを爆破すると共に、親衛隊の護衛兵を何名か殺害します。この反乱は、収容所護衛兵によってすぐに鎮圧されます。ゾンダーコマンドの囚人は全員殺害されます。工場の火薬をゾンダーコマンドに提供した4人の女性は、収容所が解放される数週間前の1945年1月6日に縛り首にされます。 〈「ホロコースト:学生のための教育サイト」参照)


 『サウルの息子』は、この10月7日の蜂起とその前日6日の2日間に、サウルというひとりの男がどのように生きたか、そして,死んだかということを映し出す。

 カメラは,執拗にサウルひとりをクローズアップし続ける。

 ガス室で生き残りながらも、直ちに殺されてしまった少年を当たり前に葬るためラビを探しだし、埋葬しようと懸命に、あるいは、まるで憑かれたように、動き回る。

 もはや、蜂起にかかわる任務すら,彼にとっては最重要ではなくなる。

 カメラは、焦点を彼ひとりに当てて、はてしなく追いかける。

 裸にされ、ガス室に送り込まれ、焼かれてゆく人々の姿と,その殺戮に荷担させられているゾンダーコマンドの姿も、焦点からずれっぱなし、どこまでもボケてはっきりしない、ただあわただしい虐殺工場の躁音だけが鮮明である。

 まことにストイックな映像である。

 映し出すのは、サウルの「意思」そのもののようだ。

 死んだ少年をサウルは、自分の息子であると云うが、それが事実であるのかどうは、最期まで分からない。

 云うまでなく、それが事実であろうと、サウルの空想的な思い込みであろうと、どうでもかまわない。

 『息子』は、ただしくふるさとハンガリーのユダヤ人として葬られなければならないと、サウルは確信している。

 それだけのことである。

 人を「部品」とよんで処理する者等に対抗するには、人を『人』として悼み、祈り、土に返すという不変であるべき振る舞いを貫くこと、・・・・サウルの確信であろう。

 ボクラもサウルの息子を見たのだ。

 
 この作品は、ハンガリーから発信されている、日本からはどうか?

 さしあたりは、塚本監督の『野火』であろうか。




 

 

 
by ribondou55 | 2016-02-25 23:23 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
  『TOKYO TRIBE』(監督・園子温、2014年)をレンタルDVDで観た。

  あの、ラップ・ミュージックというのか、ヒップホップ・ミュージックというのか、分からないが、和製ラップの、あの手の饒舌なだけで、ほとんど無内容な腰砕けの歌詞は、うざくて、聴くに堪えないと、常日頃、感じてきた。

 ついでにいうと、あのファッション、平たく云えば、風体も虫が好かない。

 この映画は、そのくそばかばかしい、日本語ラップのミュージカルである。

 そう、ミュージカル、これも、いかがなものか。

 それでも観ておこうと思ったのは、監督が園子温であるからだ。

 見始めて10分、よっぽど、観るのをやめようと思ったのだが、それでも、この監督なら何とかするだろうとガマンしているうちに,キャストのひとりひとりがイヤに粒だって、見えてきた。

 
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 このポスターに顔を見せている役者たちが、っまあ、それぞれ勝手にはじけているではないか。

 もう、はちゃめちゃに混沌となりはてて空中分解するかと見えて、これが、なにかにコントロールされている。

 スートーリーは、馬鹿馬鹿しく単純だが、細部にはどうやら素っ頓狂な「神」が宿っている風。

 第一、「美術」が極上だ。

 いいねー。

 見終えてみると、ミュージュカルで成功、これをシリアスにやったら、重苦しくてたまらなくなったかもしれない。

 そうは云っても、ヒップホップが聴くに堪える音楽だとは、やっぱり思えなかった。
by ribondou55 | 2016-02-24 23:27 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)

地を漁れ、天に誇れ

 
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 白鳥は、邑楽町ガバ沼にて、椿は深谷市で。

 こうしてみると、餌付けされた白鳥は、魯鈍である。

 椿は、丸ごと落下してしまう花ではあるが、落ちるまでは誇り高く情熱的である。

More オナガガモ
by ribondou55 | 2016-02-18 21:18 | 世界は昏いか? | Trackback | Comments(0)

映画『ねじ式』

 『ねじ式』(監督・石井輝男、1998年)を、Huluで、観た。

 原作が、つげ義春の『ねじ式』であるのだから、ただならぬ作品になるのはいうまでもないが、監督がなんといっても、石井輝男だから、ことは更に、・・・。

 
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 売れない貸本漫画家の青年、ツベ(浅野忠信)が貧困と虚無感から逃れるように、あてもない放浪の旅に出る様子を描く。主人公のツベの足取りを追う放浪記的な形式を取っており、『ねじ式』や『もっきり屋の少女』『やなぎ屋主人』など複数の作品を映像化したオムニバス作品である。
基本的に原作に忠実な作りになっており、『ねじ式』の街の看板や『もっきり屋の少女』の居酒屋内の貼り紙など、細部も丁寧に再現されている。
『やなぎ屋主人』の作中で言及される映画『網走番外地』の監督、石井輝男が自ら『やなぎ屋主人』を制作するという点でも話題になった。 ウィキより拝借

 それと、「松岡正剛の千夜千冊」は、水木しげるのこんな証言を紹介している。

  水木しげるによると、「つげさんはスケベで怠け者でしたね。でも品物はいいんです」である。スケベはきっと正直なせいで、怠け者はかなりズルイせいである。つげの持っている品物はどの“品物”のことかと思うが、これはむろんマンガ作品のことで、水木は『李さん一家』なんかがとくによかったと言う。
 つげ義春が調布の水木プロにいたころのことだった。それ以前、つげは白土三平のところにもいたが、1~2週間でギブアップした。厳しすぎたらしい。そこで水木プロに行った。その1967年のころ、水木の家から近いラーメン屋の2階の4畳半に下宿していたつげは、暖かい日は窓の下の小屋根に布団を干して、そこで荘子の昼寝をしていた。そんなことが何度もあった。
 このとき変な夢を見た。それが『ねじ式』である。


 そうです「夢」。

 この「夢」は、読者それぞれに対して、じつに多面的で、複雑な感慨を呼びさますイメージをふんだんに提供してくるので、その昔、ボクもイチコロでやられた。

 漫画に比べて、映画の方は「夢」を表現することが、ずっとムズカシイだろう。

 漫画の一コマ一コマは、時間的に途切れ、その一コマは、静止している。

 コマとコマの間に、いわば行間があって、そこは、・・・、ごまかしも効く。

 もちろん、映画にだって、カット割りがあるが、漫画ほどの「アソビ」はないように思うからだ。

 今度観て、清川虹子、とてもよかった。



 暖かくなってきたので、畑にでよう。






 

More ショウビタキ
by ribondou55 | 2016-02-17 09:35 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
by ribondou55 | 2016-02-16 17:27 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 あるいは、

 梅咲いて身のおろかさの同哉  一茶

 こうして、入力してみると、どちらもつまらないが、一茶らしい。

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 森林公園の梅林で。
by ribondou55 | 2016-02-12 15:52 | この一首その一句 | Trackback(1) | Comments(0)
 今日は酷く寒かったので、畑に出たのは30分ほど。

 昨日は暖かで、午前中一杯、菜園遊びをした。

 雑草抜きである。

 ボクは、菜園の作業の内では、除草作業が一番嫌いである。

 昨日も昨日とて、できれば知らんぷりをして無視しようと思っていたのだが、立春過ぎても未だ冬真っ盛りという感じもするのだが、それでも春は着実にやってきて、その証拠には、一雨(或いは雪でも)降る度に、雑草の類は勢いづいてくる、気がつけば、畑一面に生え尽してくる。

 そんことで、今のうちに少しでも除草しておこうと殊勝な気まぐれがおき、地面に向き合った。

 我が畑の一番の勢力を持っているのは、スズメノカタビラ。

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 第二位、ホトケノザ。

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 共に未だ幼いが、これを放置すると、やっかな事態になることは見え見え。

 実を言うと、今頃は霜も降り、霜柱も時には立つので、地面の表面がふかふかな状態であり、根こそぎに引き抜くには、適した時期なのだ。

 で、ボクには珍しく、時には這いつくばり、或いは尻餅もついたりしながら、せっせとしゃがみ込んで背を丸め、除草に専念した。

 ふと、ボクは案外いい気分になっていることに気づいた。

 手の伸びる範囲の草をむしり、さらにむしると、きれいになった領域が拡大してゆくことの達成感?・・、ではない。

 ボクは、手を止め、腰を伸ばして、青い冬空をながめて自己洞察を試みた、この快さは何か?

 何かに似ているような・・・・・。

 そして気づいた、「梱包 プチプチ」あの気分だ。

 気泡緩衝材のアレをプチプチ潰す、あの楽しさに似ている。

 何が、草むしりに共通するのか?

小さな泡の如きものでもプッチュと壊す、つまり、破壊衝動の充足感は、たとえ雑草でも根絶やしにしてくれんという殲滅への衝動に通じる心理の動きがみえそうではないか。

 この小心者の小生の心深くに、それが雑草であれ、それが命であることには変わりなく、邪魔者は引きむしり,踏みつぶし、根絶やしにしようという、恐ろしげなものが潜んでいるのだろうか。

 でボクは思った、炎天下の田の草取りという作業は、もう過酷きわまりないものだと、とある年寄りのお百姓さんからうかがったことがある。

 岡山県の灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から稲作の痕跡が発見されている、そうなのだ、もはや,この国の人々のDNAには、雑草取りが気持ちいいという遺伝子が組み込まれているに違いない。

 ボクの祖先の更にその祖先、更に更にダ、ずっと農耕民だったちがいない。

 なぜならボクは泳ぎは嫌いだし、船酔いもある。

 山道を歩くには,蛇が怖い、これは狩猟民的でないからだ。

 というようなことを、妄想しつつ、草取りも悪くないと思った。
by ribondou55 | 2016-02-07 21:48 | 畑にいます | Trackback | Comments(0)
  国語の教科書などで誰もが知っているだろう女性詩人の、手書きで遺のこされた未発表詩を含む120編。
 通して読めば、終戦後から2000年代まで、仕事をしながら家族を支えて生き抜いた市井の人の日々の思いが研ぎ澄まされ結晶化した作品群に圧倒される。すぐ下の世代であり同性であった詩人・伊藤比呂美の、魂を揺さぶるような解説は必読。「雪崩のとき」など、今だからこそ読んでおきたい詩も多い。(岩波文庫、700円)

 このちいさな書評は、詩人の川口晴美さん。
 掲載されているのは、YOMIURI ONLINE(2015年12月24日)である。

 ボクも伊藤比呂美の解説を読みたくて、購入した。

 いつものように手加減なしの伊藤比呂美の「石垣りん論」であった。

 ボクの石垣りんさんは、『表札など』以降がお馴染みで、『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』〈1959年〉は、何度手には取ったが,ページをめくることがなかった、間抜けなことであり、ちょっとそのことを恥じた。

 読みながら、昨年亡くなった母のことが思い出された。

 彼方此方に思い出させる言葉があった。

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by ribondou55 | 2016-02-06 17:47 | 読み捨てご免 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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