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花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂

<   2015年 12月 ( 20 )   > この月の画像一覧

 無事に餅つきが終わる。

 今年で四回目。

 それ以前は、配偶者の実家で手伝っていたが、今は自宅で。

 薪窯で、釜に湯をわかし、せいろを載せて餅米を蒸す。

 今日は穏やかな日和で幸いだった。

 なぜなら、薪窯は庭先に設置する、だから煙がご近所迷惑になるのが一番気になる。

 今日は、その心配をせずにすんだ、風もゆらゆら程度であったからだ。

 30㌔の餅米を、搗く。

 搗くと云っても、電動の餅つき器だ。

 杵と臼は、高価であるし、それに腕力もない。

 30㌔を二軒でわける、餅つきはその二軒の共同作業だ。

 両家とも年末で帰省してきた子どもたちも参加して、賑やかになる。

 搗きたての餅は、おろし餅、あんこ餅、きなこ餅に、わいわいやりながら。

 餅つきの作業の合間に手早く作れる「煮ぼうと」の熱々をすすりながら一緒に喰う。

 やや塩っからい自家製の白菜漬けと沢庵をおかずに。

 毎年のこと。

 
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 正月の餅が特別な物だという感覚は、この頃では薄れてきている。

 餅嫌いの人も多いと聞く。

 餅そのものがハレの日のたべものだという感覚がきえてしまった。

 
 だが、ボクの生まれ育った家では、元旦の朝は餅の雑煮と決まっていたが、配偶者の生家では正月三が日の朝食はうどんと決まっていた。

 餅は、概ね焼いて食べるものであったという。

 さらには、餅なし正月という、餅の禁忌を守る地域も意外に広く分布するという。


 ともあれ、正月の間には食べきれないほどの餅を搗くのは、餅が便利な保存食であるということが我が家での理由だ。

 老人の二人暮らし、手軽に食事を済ませてしまいたい時に、重宝するのだ。

 それに亡くなったお袋の好物だ、喪中に餅つきはしないという言い伝えもあるが、元旦には雑煮をお供えしたい。

 その雑煮は、ボクがお袋の味をまねて調理することになっている。







 

More なぜ、三〇日か?
by ribondou55 | 2015-12-30 23:18 | 舌の幸い | Trackback | Comments(0)
 高崎線の始発駅、その駅前のとんかつ屋が明日で店じまいする。

 駅前の再開発のため立ち退き。

 この30日に廃業する。

 老夫婦と娘さんらしき三人で切り盛りしてきた。

 とんかつ屋の看板をあげてはいるが、らーめん、タンメン、野菜炒め、そんなメニューもそろっている。

 ボクは、長い間その店の前を駅からの往き帰りに通り過ぎたが、のれんくぐったのは、リタイヤしてからの二、三年前、たまたま昼飯を食いに寄った。

 特段にうまいわけではない、が、普通においしくて腹一杯になる、そういう店だった。

 庶民的で、良心的な味、ボリューム、価格、三拍子も四拍子もそろっていた。

 一目でわかるJRの制服姿の若者が、がっつり食べてたぞと云う感じで、ごちそうさまといって店を出て行く。

 いい感じだった。

 この駅の周辺には、もう一軒見かけは本格的なとんかつ専門店がある。

 実はこの店は何度も利用してきた。

 この辺りでは、見栄えのいいレストランで、会食には手頃なのだ。

 会食には、いいかも知れないが、毎日の飯処にはいかがなものか。

 ボクもかつては、サラリーマンであったから、味がよくて、気兼ねなく、腹を満たしてくれる店をいつも探していた。

 そんなボクの好みでいうなら、明日で店じまいというこののれんがかかる店の方が圧倒的にいい。

 とんかつ定食、付け合わせはキャベツとポテトサラダ、これは普通だが、ここのには、ウサギの耳の林檎が付く。

 わざわざウサギの耳。

 漬け物は、自家製と一目で分かる白菜漬け。

 たっぷりの丼飯、おかわり自由とか云うごまかしはしていない。
 
 熱い味噌汁。

 みんなが静かに、食べる。

 そんな、店が本当に少なくなった。

 廃業とは、残念。


 その店で、今夕飯を喰ってきた。

 配偶者は、野菜炒め定食。

 ご主人がとんかつを揚げ、お連れあいが野菜炒めを作る、娘さんが味噌汁をつぐ。

 店はこのところ、廃業を惜しむお客さんで込んでいる。

 ボクらも、少し店の外で待った。

 店内では、別れ惜しむ優しさが溢れていてた。

 ごちそうさま。

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by ribondou55 | 2015-12-29 23:39 | 舌の幸い | Trackback | Comments(0)
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 『おらが春』の巻末。

 ただ自力他力、何のかのいふ芥もくたを、さらりとちくらが沖へ流して、さて後生の一大事ハ、其身を如来の御前に投げ出して、地獄なりとも極楽なりとも、あなた様の御はからひ次第、そばされくださりませと、御頼ミ申ばかり也。
 斯くの如く決定しての上には、なみあミだ仏といふ口の下より、欲の網をはるの野に、手長蜘の行ひして、人の目を霞め、世渡る雁のかりそめにも、我田へ水を引く盗み心をゆめゆめもつべからず。しかる時ハ、あながつつくり声して念仏申ニ及ばず。願わずとも仏ハ守り給ふべし。
 是則ち、当流の安心とは申す也。穴かしこ。

 ともかくもあなた任せのとしの暮れ  一茶 (五十七齢)

  文政二年十二月二十九日


  巻頭では、

  ・・・・・・・・ことしの春もあなた任せになんむかへける。

            めでたさもちう位也おらが春 

  「あなた」とは、阿弥陀如来である。

 一切を阿弥陀如来にお任せして、如来の本願に抱かれて、必ず極楽へ往生させて頂けると信じることであった。


 あした、大掃除。
by ribondou55 | 2015-12-27 23:52 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 『スターウォーズ  フォースの覚醒』(監督 J・J・エイブラムス、2015年)を一応押さえておこうと。

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 この所、襖張りだとか、障子貼りだとか、でガンバッタので、小休止。

 こんなとき、シリアスな重いのは、避けるのが当たり前、そういう意味では、お手頃なチョイスだった。

 ボクは、『スターウォーズ』に特段の思い入れも、愛着もない。

 今回は、IMAX3Dに興味があった。

 そこで、浦和くんだりまでのこのこ出かけたのだ。

 結論としては、「そんなものだったのか」という程度で、あった。

 さほど感興も湧かず、3D眼鏡になれるまでうっとしっかった。

 3Dについては、余り面白くないのだ。

 我が家のテレビもブルーレイレコダーも3D対応、SONY製、購入して何年経ったか忘れたが、この間観たのは「アバター」とあとなんだっけ?そんなもの。

 眼鏡も結構、イイお値段だった。

 無用の長物。

 意味のない機能。

 で、 『フォースの覚醒』・・・小生のレベルでは、まあ、続き物だから、観てしまう、その辺だろう。

 ファンの皆様には見所満載で、感慨もおありのこととは思いますが、・・・・・・・、今回は、世代交代の巻、次回やいかにと、お楽しみだと存じます。

 この作品に限れば、お金をたっぷりと掛けた娯楽映画のゴージャスな感じはあったが、人物の個性は、陳腐なものだし、つべこべ言えば、キリがない。

 要は、お楽しみ映画であって、そう観れば、3Dだって、面白かった。

 ボク的には、気分転換にはいい感じだった、そう、そういう日常から遠く離れての一時を得る、それが映画館に脚を運ぶ、本来の目的なのだ。

 総合的に云って、☆四つは褒めすぎだろうと、思うのでありました。




 
 
by ribondou55 | 2015-12-24 23:34 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 冬至。

 襖張りが、ようやく終わった。

 一応の形にはなったものの、やはり不安は的中し、はずした襖の枠を、元通りにすることに、大いにてこづった。

 もう二度と、襖は張らない。

 明日は、障子貼りをする。

 これは、毎年のこと、要領は十分心得ている。

 
 柚子湯からあがって、テレビで井上陽水を聴いた。

 随分手の込んだ編曲であった。


 お尻にできものができて、椅子に普通に座れない。

 弱った。


 
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 年が明けたら、雪国を旅してみたい。

 それまでに、お尻は、大丈夫か?
by ribondou55 | 2015-12-22 23:17 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 襖張りをしている。

 これが、なかなか素人には高度な作業を要求する。

 YouTubeで、襖張りの動画を入念に見て、取りかかるのだが、襖に比べれば、障子なんて物は、チョチョイノチョイであって、襖はとてもムズカシイ。

 古いのをはがして、全面にのりをつけてべったりと貼ってしまう、これではダメで、「張る」は「貼る」ではないのだと、YouTubeで教えてもらった。

 古いのを剥がす、と、うすい下張りが出てくる、更にその下、骨組みには厚手の紙が貼られている、それも片面には濃い紫色がのっている。

 ボクの作業は、その中程の薄手の茶チリと呼ばれる紙の張り替えから初めて、表面になるふすま紙を新調するまでであるが、これを未経験者であるからすべて手探りで進めている。今日で、三日目、・・・・・、疲れる。

 枠をはずして張っているので、はずした枠を元通りにはめ込むことができるかも、とっても心配、紙を貼るより、その方が本日の最大の不安である。

 で、この作業で、ボクは下張りの大切さということを知った。詳しくは、下のMORE参照。

 で、下張り、・・・、作業中野坂昭如の「四畳半襖の下張り」裁判を思い出して、野坂さんがとてもなつかしくなった。

 ボクの書棚のどっかに、多分、それが掲載された雑誌「面白半分」が紛れ込んでいるはず。

 その冒頭は、

 今年曝書の折ふと廃塵の中に二三の奮稟を見出したれば暑をわすれんとて浄書せしついでにこの襖の下張と名づけし淫文一篇もまたうつし直して老の寝覚のわらひ草とはなすになん

        大地震のてうど一年目に当らむと
        する日金阜山人あざぶにて識るす

 さるところに久しく売家の札斜に張りたる待合。固より横町なれども、其後往来の片側取ひろげになりて、表通の見ゆるやうになりしかば、待合家業当節の御規則にて、代がかはれば二度御許可になるまじとの噂に、普請は申分なき家なれど、買手なかなかつかざりしを、こゝに金阜山人といふ馬鹿の親玉、通りがゝりに何心もなく内をのぞき、家づくり小庭の様子一目見るなり無暗とほれ込み、早速買取りこゝかしこ手を入れる折から、母家から濡縁つたひの四畳半、その襖の下張何やら一面にこまかく書つゞる文反古、いかなる写本のきれはしならんと、かゝることには目さとき山人、経師屋が水刷毛奪ひ取つて一枚一枚剥しながら読みゆくに、これやそも誰が筆のたはむれぞや。

 なかなか、国語力、要るなー。

 襖には、そんな楽しみも隠されていたのだ。

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More 下張りの大切さ
by ribondou55 | 2015-12-21 09:07 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
ネット上で、「近世以前の土木、近代化遺産」(http://www.kinsei-izen.com/)という、大変興味深いサイトに行きあたった。
きちんとした調査に基づく、学術的な内容で、ボクのような無知な門外漢には勿体ないのだが、なぜか楽しくなる。
河川の堤防」の中にあって、「中条堤」は、最も評価される遺跡としてランクインしている。

 中条堤 埼玉/行田市・熊谷市<福川(右岸)>土堤防長2732m(明治9)江戸以前
              
 「中条堤」は総称で、実際には上中条堤、四方寺堤、北河原堤の集合体/中世には既に存在していて、慶長年間(1610年頃)に伊奈忠次により本格的な整備が実施されたとする説が有力/利根川、福川、荒川の洪水を中条堤の上流側へ一時的に湛水させ、洪水の被害から下流側を守ることを目的とした控堤(水除囲堤)→洪水が氾濫することを前提として、その遊水を調節する機能を有し、洪水被害を最小限に食い止めるために設置された堤防

ボクが目下関心を寄せている四方寺の田んぼに立つ石碑は、「四方寺」なのだから、四方寺堤があった、その周辺であることは、間違いない。
中条堤の全体を見ることができるこんな資料があった。

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 高橋哲郎著「天、一切ヲ流ス―江戸期最大の寛保水害・西国大名による手伝い普請」で、挿入されているのを、拝借した。

 ボクはこの地図上の範囲外に居住するのだが、ほぼ地元民といえる、なおかつ自転車散歩を愛好するものだから、一応の土地勘があって、そうした人間から見ると、この図版は、とても馴染みを感じさせる。
 
 寛保2年の洪水では、中条堤と四方寺堤ともに決壊し、高橋の小説?(ちょっと、あの方を連想させる文体です)では、「逃げ場を失った老若男女一五〇人と馬三〇頭が水死した。中条堤の決壊した跡には深い池(押堀)が出現した。その深さは一四間から一五間もあり、人夫たちが掘ればゆうに三カ月はかかかるような湖沼が一夜にして出現したのである。」とある。


 今夜はここまで。


 ただいま、襖の張替に挑戦している、これも、なかなかおもしろい。



 

by ribondou55 | 2015-12-18 23:27 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 寛保の洪水について、ネット上でさまよっていると、関連して、「くまがやねっと」が、〈妻沼聖天山界隈・25回 聖泉湧出碑〉について紹介していた。

 ボクもこの碑を見た記憶はあるのだが、聖泉ということで、へーと思うに過ぎなかったが、どうやら、それでは、何も見なかったことと同じになってしまった。

 で、「くまがやねっと」からの拝借だが、こんなことであるそうだ。

 「聖泉湧出碑」は、延享5年(1748年)に建立された。

 その碑文に、寛保洪水に関わるところだけを抜き出すと・・・・

   寛保二歳 壬戌之秋 久霖蕩陸 田園就荒 暴嵐烈々
   洪水湯々 塡溝塞壑 懐山裹岡 井泥不食 旦暮絶糧
   神徳不測 感応無量 社辺奇異 清泉沸揚 上忽平降
   吏走賜梁 止飢止渇 可茹可□  殆穫全命 永記難忘
   信 立碑・・・・・

   寛保二歳 壬戌の秋 久きゅうりん陸を蕩つつみ 田園荒に就く 暴嵐烈々洪水湯々 
   溝を塡うずめ   壑を塞ぎ 山を懐み岡を裹つつむ 井は泥して食くらへず 日は暮れて糧を絶つ
   神徳測られず 感応は量無し 社辺の奇異や 清泉沸揚し 上は忽たちまち降を平おさめ
   吏は走て梁を賜ふ 飢を止め渇を止め 茹くらう可く(飲む)可し 殆く命を全するを穫たり 
   永く忘れ難き   を記すべく  信(徒)碑を立てて、...。

 とか。

  ・・・・・・・・・・・

 で、碑文をもう少し丁寧に読もうとしてみると、どうもいくつか疑問が。

 手元の「妻沼町史」に当たってみたが、疑問に答えてくれない。

 仕方がない、資料をさがしに、妻沼図書館へ近いうちに。

 で、ここまで。

  ・・・・・・・・

 おまけ。

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 スポーツ公園にほど近い、大塚古墳の前の松、結構な巨木。聖天さまは、松が嫌いであったそうな。
by ribondou55 | 2015-12-17 17:34 | Trackback | Comments(0)
 昨日は、本当にポタリング(自転車で散歩すること)日和だった。

 久々にのんびりとペタルをこいだ。

 昼飯には、北河原というところでたまたま美味しい蕎麦屋に出会った。

 調子に乗って、年越し蕎麦の予約も入れてしまった。

 本当は、絶滅危惧種・キタミソウが自生する行田市馬見塚の星川まで行こうと思ったのだが、道に迷って中条堤に出てしまった。

 中条堤というのは、利根川の治水の上では、歴史的には極めて大きな役割を担ってきたもので、この地の先人たちの多大な犠牲をわすれない為にも、長く守ってゆくべきだとおもった。

 その道のりで、こんなものを見かけた。

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 熊谷市四方寺の田んぼの脇である。

 目を惹くのは、その木の根元である。

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 木の根元からすぐ上の幹が、石碑をがっしりと包みこんでいる。

 いとおしんでいるかのようでもあり、その銘が、「奉讀誦大乗経一千○○・・」とあるのだから、石碑を建立した人々の気持ちがこもっている、そん風にも思えた。

 その場はその程度の物珍しさであったが、夕食後、画像を眺めると、日付が「寛保二年壬・・・」とあって、なにやらボクの衰えた頭がモヤモヤとするので、年表にあたってみた。

 ありました。

 「寛保二年江戸洪水」の年でありました。

 寛保二年壬でありましょう。

 この碑のある四方寺は、中条堤に接する堤防のすぐ外側の地域である。

 その中条堤は、寛保二年8月1日の洪水で、決壊してる。

 当然、四方寺も酷いことになったはずだ。

 

 とりあえず、今はここまで。

 

MORE
by ribondou55 | 2015-12-16 23:00 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

『恋人たち』

 『恋人たち』(監督・橋口亮輔、2015年)を観たのは、1週間ほど前になる。

 
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 ボクは、耄碌が益々進行中で、大体、週単位どころか、数日の間に大抵のことは忘れてゆく。

 この愚録は、そのための備忘録の役割が大なのであるが、『恋人たち』で観たいくつかのシーンは、まだ頭に残っている。

 ボクが今年観てきた映画・テレビ番組を通して、主観的に云うと、五本の指に入る、その中でもちょっと際だっている。

 三組のカップルが登場する。

 カップルと云っても、片思いばかりである。

 その片思いは、まことに純情である。

 一組目は、まったくの不慮、通り魔に刺殺された妻と取り残された夫。

 二組目は、平凡なパートタイマーの人妻と覚醒剤中毒で行き場のない中年男。

 三組目は、同性愛の弁護士と今は妻子持ちの友人。

 「残された夫」が、「パートタイマーの人妻」が、「同性愛の弁護士」が、それぞれの相手を求めてゆく。

 云うまでもなく、はじめから成り立ちようもない設定であって、徹底的に不可能で、不毛な「恋」である。

 いったいに「恋人たち」とは、酷く悲しくふざけきった題名なのだ。

 いづれにしろ、この三組のカップルを着想した監督は、たいしたものだ。

 不条理が大手を振って世間をまかり通る、一寸先は闇、それでいて、堅実な日常の反復のたまらさ、人間関係の根底でとぐろを巻く疑心暗鬼、裏切り、不信、退屈、とかなにやかやを、この三組の恋人から堪らないほどに見せつけてくれる。

 まさしく「それでも人は生きてゆく」、それが「今」の様相だ。

 では、片思いする三人が、いったい何を相手に求めていたのか。

 それは、自分という存在をありのままに受け入れてもらうこと、人は他者に受け入れられることなしに、自分を持ちこたえられないらしい。

 しかるに、そこがむずかしい。

 絆なんて、うさんくさい単語では表現できない、ボクの感じでは、もやっとしていて、優しげに暖かい感情で共感し合うというような相互認知って、ところかな。

 この作品、キャストが全員すばらしい。

 なかでも篠原篤、成嶋瞳子、この二人は、すごかった。

 最期のシーン、篠塚アツシのマンションの一室、やわらかな光が満ちて、小さな骨壺とそこに供えられたクリーム色のチューリップ、美しかった。





 

 



 

 
by ribondou55 | 2015-12-13 21:01 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)