人気ブログランキング |

<   2014年 11月 ( 7 )   > この月の画像一覧

b0018682_23102641.jpg



 コヤツ等には困ったが、でも、仕方ないと。

 白菜には、ナメクジとテントウムシが取りつている。

 とくに、ナメクジ、盛大に食い荒らしている。

 テントウムシもすっとぼけて、ちゃっかり、巻いた葉の奧から顔を出す。

 もしかすると、この雨でレタスにもと、・・・。

 芽キャベツの下葉を落とし始めたら、ぱらぱらと青虫が黒マルチの上に落ちた。

 うえ、・・手当たり次第に摘んで駆除した。

 大殺戮、となりのブロッコリーにもごっそり、摘んでつぶした。

 指先が、青虫の体液で染まりそうな気がした。

 
 タマネギ苗は、ネオアースを250本、湘南レッドを100本、植え付け終わり、無事定植できた。

 これから、自前で育苗中の泉州中高黄をこれから植えるのだが、まだ10センチほどで、この先が心配だ、しかし、あと5日ほど待って、植え付けしようと思う。


 地野菜のかき菜の苗を今年も頂いて、植えた。

 レタス、白菜は収穫時期、まずまず。

 蕪は終わりだ。

 しゅんぎく、ほうれん草、水菜、小松菜、たっぷりの収穫中。

 沢庵大根は、どうやら形になってきた。

 青首も十分行ける。


 ブロッコリーは5株、芽キャベツも5株、そんなもんだが、高齢者世帯には、十分。

 
 人参もトンネルの中で青々と葉を茂らせている、よし。

 
 葱は、九条葱も石黒一本葱、下仁田葱、いづれも順調。

 食用には地物のわけぎ葱を今は使っている。


 二番手、三番手のほうれん草、小松菜もゆっくりと、成育中。

 絹さやも芽を出して、葉が少し茂ってきた。

 
 春キャベツはどうしよう?もう、遅すぎる?


 明日から12月である。

 まとまった雨は、明日まで、それからは、またカラカラ天気になるだろう。





 
by ribondou55 | 2014-11-30 23:29 | 畑にいます | Trackback | Comments(0)
 『銀の匙 Silver Spoon』(監督・吉田恵輔、2013年)を観た。

 楽しい。

 『純喫茶磯辺』 (2008)の監督さんだ。

 暖かさに、嫌みがない、いい。

 
b0018682_11121435.jpg


 いうなれば、「文化祭映画」だが、俗流学校文化の臭さがない、それもいい。

 『銀の匙』の由来が泣かせる。

 (アハ、中勘助とは関係ないゼ。)

 喰うに困らないための「教育」、かつてのこの国の庶民が願ったことだ。

 ところで、今や「教育」を受けても、困窮する[「非正規」の膨大な数の若者がいる。

 そして、金持ちの子にだけ有利な高学歴者の「再生産」。

 てひどい階層化。

 で、お国の云う教育改革とは、なんだ?



 この映画の原作『銀の匙 Silver Spoon』とは、荒川弘による漫画作品である。『週刊少年サンデー』にて2011年19号から連載中。

 作者の荒川弘自身が農家・農業高校出身のため、過去の体験談を存分に生かして描かれていると思われる、農業青春コメディ(作者いわく『フィクション…とも言いがたい学園漫画です』)。同作者による同じテーマを扱った作品として、作者の農業についての実体験や薀蓄を描いたエッセイコミック「百姓貴族」があり、他誌で連載されている。単行本収録分は「春の巻」「夏の巻」。

 実習農地、実習農林を含めた敷地面積は高校では全国一で、一周20kmある。学生生活は部活必須。文化部はなく、全部運動部。普通の学業はできなくても農家出身の生徒は知識が異様に偏っているため、農業の知識に限っては学業優良であったハズのハチが聞いても、「呪文レベル」。酪農科学科は特に実習が多く、農場では様々な家畜を飼っているため、基本農場が休みということはない。朝五時起床。生徒はローテーションで家畜の世話をするが他の科の仕事にも動員されたりする。学生でありながら、もはや肉体労働者でもある。寮の食堂の入り口には「銀の匙」の飾りが掲げられている。これは中世ヨーロッパにおいて"銀の匙をくわえて生まれてくる"(≒良い家柄(貴族or金持ち)の家に生まれる事の喩え)という言葉に庶民があやかったもので、子どもが生まれた時に銀の匙を買ってくることで、将来その子が食うに困らないだけの豊かさに恵まれますように、という願いが込められたものであるらしい。転じて、エゾノーの食堂にこれが掲げられているのは「農業やってればきっと将来食うに困ることはありません(≒百姓こそが貴族だ!)」という理念と願望を込めたものであり、もう1つの連載「百姓貴族」とコンセプトがここで重なるわけである。
 ちなみにこの架空農業高校のモデルは、北海道帯広市に実在する「北海道帯広農業高等学校」であり、
作者の荒川弘の母校でもある。 ニコニコ大百科より拝借


 『銀の匙』の由来、泣かせる。

 そして、酪農では喰えない、そういう現実も。

 

More『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』
by ribondou55 | 2014-11-25 11:29 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)

秋は紅。

 またまた、気まぐれか?

 夕刻前、武蔵丘陵森林公園へ、紅葉のライトアップ、どうも癖になったらしい、今年も出かけてしまった。

b0018682_23493832.jpg


 申し分なし。

b0018682_2339281.jpg


b0018682_23401499.jpg


 綠のままもよし。

b0018682_23412699.jpg


 遠目にもよし。

b0018682_23423183.jpg


 アートもあり。

b0018682_23443350.jpg


 11月30日まで。

More ゲート
by ribondou55 | 2014-11-24 23:43 | ちょっと、そこまで | Trackback | Comments(0)
  『母の身終い』(監督:ステファヌ・ブリゼ, 2012年/フランス/108分)を観た。

 48歳のアランは、長距離トラックのドライバーだったが、麻薬の密輸に加担したため服役し、出所したばかりだ。彼は母親が一人暮らす実家で人生のやり直しをしようとしている。だが几帳面な母親とは昔から折り合いの悪いアランは、なかなか希望しているような仕事につけない焦燥感もあり、事あるごとに母親とぶつかり合う。ボウリング場で知り合い一夜を過ごした女性ともちゃんとした恋愛関係を深める事ができない。しかし、ある時アランは、母親の脳腫瘍が進行しており、母親がスイスの会社と契約を交わし尊厳死を実行しようとしていることを知る・・・。そしていよいよ母親がスイスに出発する朝が来た。アランは母親の選択にどう対処するのか。息子役に個性派俳優ヴァンサン・ランドン、母親役に『人生は長く静かな河』でセザール賞助演女優賞を受賞したエレーヌ・ヴァンサン。共演に『潜水服は蝶の夢を見る』のエマニュエル・セニエ。監督に『愛されるために、ここにいる』のステファヌ・ブリゼ。お互いにきちんと向き合ったことがない、愛情表現に不器用な母と息子の絆を描いた感動ドラマ。  フランス映画祭2013年公式HPより拝借

b0018682_100388.jpg


 「身終い」とは、聞き慣れない言葉である。

 普通は、「身仕舞い」、身支度のことである。

 『身終い』とは、[己の死に向けての身支度]ということだろうか。

 自殺といい、尊厳死といい、安楽死という。

 いづれの自死の形であろうと、それを選ぶのがなりゆきか、衝動か、意志か、ボクにはよくわからない。

 しかし、癌の進行で確実な死を告知された母・イヴェットが、病によって「己を失う」前に、自らの意志で命を絶つということを、愚かだなんて思う事はできない。

 また、その決意の前で、肉親たちがどのように振る舞うことができるか、それもわからない。

 この作品は、とてもきついところを言葉すくなく、淡々と深く突いてくる。


 訪ねる度に母はボクの名前を呼んでくれる、そのほかは一言も発しない日もある。


 この作品の原題は「Quelques heures de printemps」というのだそうだ、ボクは外国語は全部駄目だが、一応エクサイト翻訳で観ると「春の数時間」と訳文が出る。

 もちろん、その意味することの何事かも分からないが、こんなことばは知っている。

 生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。たとえば冬と春のごとし。冬の春となるとはおもはず、春の夏となるとはいはぬなり。  道元

 ここで、言葉面だけ見ると読み間違いが起きる。

 道元の云わんとすることは、「生と死は完全に断絶している」といことであり、あくまで冬は冬、春は春として完結している、移り変わって行くことでないといっているのだそうだ。

 イヴェットが、尊厳死を介助する人間から、あなたの人生は幸せでしたかと、問われて、彼女は「人生は人生ですから」と答える。

 そういうことだ。


 
 
by ribondou55 | 2014-11-24 10:36 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)

秋の山にさへ花、

 寒桜・・鬼石(群馬県藤岡市)の桜山まで。

 
b0018682_22504552.jpg


 あまりに寒いので、映画でも観ようかとおもったのだが、生憎上映中の作品に惹かれない。

 高倉健さんの追悼の言葉をTVで続けざまに見せられても、番組の内容が金太郎飴のごとき様相で、かえってこの俳優の評価を狭いものにしているようで、つまらない。だいたい武田鉄矢の泣きっ面なんて・・・・・・、胸くそ悪くなる。

 そんなこんな、昼近くなってから、配偶者にリクエストして、寒桜を観に行った。

 この前行ったのは何年も前で、お袋も一緒だった。

 途中、金鑚神社に寄り道したりして、二時間足らずで桜山に到着。

 寒い。

 桜はまだ五分咲き?程度か。

 でも、12月に入ると途中が大渋滞になるのだから、ゆっくりと観るなら今頃がいいようだ。

 紅葉を背景に小振りの桜が咲いている。

 いいではないか。

b0018682_2375767.jpg


 ちょっと、気分が軽くなった。



 帰路、世界遺産登録された「高山社跡」に立ち寄った。

 ボランテアの方の説明がわかりやすくてとても感じよかった、ありがとうございました。


 自宅用のお土産は、なぜかキムチ、八塩温泉の先にあったお店、晩飯のお新香代りに食べたが、なかなかおいしい。

More 高山社跡
by ribondou55 | 2014-11-20 23:08 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 『トゥモロー・ワールド』(原題: Children of Men、人類の子供たち)は、2006年のイギリス・アメリカ映画。

 監督は、アルフォンソ・キュアロン。

b0018682_22392624.jpg


 急激な出生率の低下の果て、遂に人類は繁殖能力を完全に喪失。それから18年後の2027年、世界は秩序を失い、既存の国家が次々と崩壊していった。イギリスは軍事力を使った徹底的な抑圧で、どうにか国家機能を維持していた。官僚のセオ(クライヴ・オーウェン)は、ある日武装集団に拉致される。アジトに連行された彼は、反政府組織”FISH”のリーダーとして活動する元妻ジュリアン(ジュリアン・ムーア)と対峙。セオもかつては平和活動の闘士だったが、我が子を失ったことで生きる意味を見失い、希望を捨てた男だった。ジュリアンはセオに、政府の検問を通過できる通行証を入手するよう依頼してきた。セオはあまりにも無謀なその依頼を一度は断るが、ジュリアンが政府の目を逃れ接触してきたことに重要なわけがあることを感じていた。そして、何よりセオは今もジュリアンへの想いを断ち切れないでいた。協力を決心したセオは、通行証を手に入れると、再びFISHと接触。そこで彼は、彼らの計画の全貌を知らされる。それは彼らが保護している、人類の未来を変える存在であるキーという名の少女(クレア=ホープ・アシティ)を安全に、そして極秘裏に“ヒューーマン・プロジェクト”に届けるというもの。ヒューマン・プロジェクトとは、世界中の優秀な頭脳が結集して新しい社会を作るために活動する国境のない組織。しかし、その存在を確認したものは、皆無に等しかった。外は政府軍と反体制勢力との激しい戦闘が続く最前線。しかもキーを政治利用しようとするグループもいた。存在するかどうかもわからないヒューマン・プロジェクトにキーを無事届けるため、セオは必死にミサイルと銃弾の嵐をかいくぐる。(ぴあ映画生活より拝借)

 そんなこんなだ。

 邦題の『トゥモロー・ワールド』って、どうもいただけない、究極の少子化社会を描いたSFだとすれば、このごろの日本の近未来としてみるのも、いいのかもしれないが、云うまでもなく映画にしろ、小説にしろ、素直に真に受けるものではない。

 でも、この頃の映画は素直に真に受けるところに、「感動」とか生まれるらしく、とにかくわかりやすいのが、受ける、そういう映画に慣れ親しんでいると、この作品は不親切だということになりそうだが、そんなに小難しいわけではない。

 観客を泣かせる壺は、同じだ。

 18年ぶりに誕生した赤ちゃんが難民の黒人女性からであり、父親は不明と云うあたりから、なにやら超越的な存在の復活というような雰囲気を帯びてくる、それはそれで面白い。

 けれど、ボクが単純にすごいなと思ったのは、終盤の市街戦のシーンである。

 ここでは、なにやら高度な技術的テクニックが駆使されたということだが、それだけではあそこまでの臨場感は出せないように思う。

 ここでは、いうなれば「市街戦の記憶」というものが、おおきく働いているといるように思う。

 ヨーロッパやパレスチナや或いはひっきりなしに参戦し続けるアメリカの人々にとっての戦場は、主に街中である。

 日本人には市街戦の記憶がない。

 原爆や空襲で焦土化したが、これは一方的な「空爆」であったし、沖縄の戦いでも市街戦と云える戦闘はなかったのではないか。

 つまり、市街戦というのは戦車が走り回り、銃弾が行き交う、これを市民が目の当たりにするということだし、いつ何時殺されるかも知れないということだ。

 ボクはこの辺の違いが、じつはけっこう大きいのでないかと、この映画を観ながら思ったのだった。

 勿論、そんなことはこの映画の本題ではない。

 では、本題は、なんだっけ?

 ああ、赤ちゃんの泣き声が世界に平和をもたらす・・・、そんなこと?





 
  

 
by ribondou55 | 2014-11-14 23:49 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 ぐずぐずとした空模様、午後からは雨になった。

 

 昨日、タマネギの畝にマルチを張った。

 風がなく、作業しやすくて気分よく張れた。

 自家製の苗は、まだ五六センチで、とても植えられない。

 市販の苗をこの数日中に買い求めるのだが、品種は中生か中晩生、この辺りでは‘ターボ'を店頭でよく見かける。

 植え付けは、今月中旬過ぎにしたい。

 それにオニオンサラダ用の赤タマネギを少しばかり。


 そんなわけで、畑に出る用事もなく、本を読む意欲も湧かず、はやはばやとしつらえた炬燵に潜り込んで、ぼんやりテレビを見ていた。

 録りためてある映画の中から、『武士道シックスティーン』(監督:古厩智之、2010年)を眺めた。

 
b0018682_1722858.jpg


 誉田哲也の同名ベストセラーを「罪とか罰とか」の成海璃子と「BANDAGE バンデイジ」の北乃きい主演で映画化した青春剣道ストーリー。剣道への向き合い方がまったく対照的な2人の女子高生が出会い、ライバルとして互いに影響し合う中で様々な迷いや葛藤を繰り返しながら成長していく姿をユーモラスかつさわやかに綴る。監督は「ロボコン」「ホームレス中学生」の古厩智之。
 厳格な父のもと、3歳から鍛練を積んできた剣道エリートの磯山香織。ずっと負け知らずだった彼女は、とある大会で同学年の無名選手にリズムを狂わされ、まさかの敗戦を喫してしまう。半年後、そのことが忘れられず、自分を負かした相手を追って剣道の名門、東松学園女子高等部に入学した香織。しかし、再会した因縁の敵、早苗は、勝ち負けにこだわらず純粋に剣道が好きというだけのお気楽少女だった。ストイックに勝つことだけを追い求めてきた香織と楽しむために続けてきた早苗。まるで理解不能の相手の出現に、最初は困惑するばかりの2人だったが…。(allcinemaより拝借)


 若い衆の扱いに手慣れた?監督が二人の剣道少女の青春を気持ちよくみせてくれた。

 ボクのようなお爺でも、こんなお天気の日には、気分をアップしてもらえる。

 爺さんにとっては、毒にも薬にもならない、フフフと笑って済ませられる、この手の「青春映画」、いいな。


 それと、『徒然草』第百五十七段を。

 筆を取れば物書かれ、楽器を取れば音を立てむと思ふ。杯取れば酒を思ひ、賽を取ればだ打たむことを思ふ。心はかならず事にふれて来る。仮にも不善の戯れをなすべからず。

 あからさまに聖教の一句を見れば、何となく前後の文も見ゆ。率爾にして、多年の非を改むることもあり。仮に今此文をひろげざらましかば、このことを知らむや。是則触るるところの益なり。心更に起こらずとも、仏前にある数珠を取り、教を取らば、怠るうちにも善業をのずから修せられ、散乱の心ながら縄床に座せば、覚えずして禅定なるべし。

 事理、もとより二つならず。下相もし背かざれば、内証かならず熟す。しいて不信といふべからず。[仰ぎて是を尊むべし。]


 ちょっと、身に覚えがあるので、写しておく。

 今それこそ、「あからさまに聖教の一句を見れば」というわけだ。飯の用意ができるまでの暇つぶしにと、兼好さんのお言葉を。
by ribondou55 | 2014-11-09 17:39 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂