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『まほろ駅前狂想曲』(監督・大森立嗣、2014年)を観た。

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 三浦しをんの同名ベストセラーを瑛太&松田龍平主演で映画化した「まほろ駅前多田便利軒」、その続編として製作されたテレビドラマ「まほろ駅前多田番外地」に続くシリーズ第3弾。まほろ市で小さな便利屋を営む多田啓介のもとに、変わり者の同級生・行天春彦が転がり込んできてから3年目。多田は行天の元妻から、行天さえも会ったことがない彼の実娘はるの子守りを依頼されてしまう。一方、まほろ市の裏番長・星からは、新興宗教団体を前身とする謎の野菜販売集団の極秘調査を押しつけられる。かつてない厄介な依頼に悪戦苦闘するなか、バスジャック事件にまで巻きこまれてしまい……。監督は「まほろ駅前多田便利軒」も手がけた大森立嗣が続投し、キャストにも高良健吾、真木よう子、本上まなみ、大森南朋ほか映画版やテレビ版でおなじみの顔ぶれが再結集。さらに、行天の過去の秘密を知る謎の男役で永瀬正敏が登場。 映画.comより

 多田と行天の関係がじわりじわり深まっていくようで、面白い。

 馴れ合っている部分より、むしろ緊張感を漂うわせる場面が見どころなのは当たり前だが、二人の間に底流するものは、とても健全なもののように感じる。

 ひどく異質な二人のまなざしが絡み合って、出来事の「根っこ」が浮かび上がってくる、名コンビだ。

 寅さん亡き後の、「人情」ドラマ不在でちょっと寂しい中その筋のものとして、今回三作目、今時世話物として本格的にシリーズ化されるのだろうか、そうなってほしい。

 三浦しをんさんにも頑張ってほしい。

観ている間、地震が3度体感された、ちょっと怖かった。



 ◎ 岩波文庫の『大江健三郎自選短編』をぽつぽつ読みながら、思うことが多い。

   ずっと昔読んで以来、今もとても面白い。



 ◎ 雨の一日。

 先ほど、配偶者と大福でお茶を終えて、読みさしの伊藤比呂美さんの「たどたどしく声に出して読む歎異抄」を開いてみると、文章を読み進むそばから、感想とも雑念とも区別がつかないが、ふわりふわりと老弱したおつむに浮かんでは、消える。
 
 そんな思いの中に、「俺っていう人は、俺以外の人には、関心がない。、そうだな。」と。

 

 
 

by ribondou55 | 2014-10-22 11:22 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 大縁日大祭法要 、秋季は10月18・19日に行われる。

 そこで、本日19日、ちょっことお参りしてみた。

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 聖天堂が国宝指定されて以来、地元では聖天さま人気の高まりがあったかどうかは分からないが、うらぶれかかっていた妻沼商店街の活性化の起爆剤にしようと行政ぐるみでがんばってきたらしいことは、よく知っている。

 このお寺は、ボクにとってはポタリングコースでお馴染み、なんやかんや云って、ちょくちょく立ち寄っているので、新鮮みはないのだが、このお寺、ちょと分かりづらさがある。

 寺伝では治承3年(1179年)に、長井庄(熊谷市妻沼)を本拠とした武将齋藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされている。その後、建久8年(1197年)、良応僧都(斎藤別当実盛の次男である実長)が聖天宮の別当寺院(本坊)として歓喜院長楽寺を建立し、十一面観音を本尊としたという。 ウイキより

 といわれると、十一面観音さんはわかりやすいのだが、大聖歓喜天ってのは、どんな仏様?っと気になる。

 事のついでに、グーグル先生に「歓喜天」について教えを請うと、こうある。

 歓喜天(かんぎてん、Skt:Vinayaka、गणपति Ganapati、もしくは ナンディケーシュバラ nandikesvara 歓喜自在天)は、仏教の守護神である天部の一つ。
また、聖天(しょうでん、しょうてん)[1]、大聖歓喜天、大聖歓喜大自在天、大聖歓喜双身天王、象鼻天(ぞうびてん)、天尊(てんそん)。あるいはVinayaka、Ganapatiを音写して、毘那夜迦(びなやか)、誐那缽底(がなぱてい)ともいう。象頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いが、稀に人頭人身の形像も見られる。多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般の前に公開される事は少ない。


 ああ、仏教の守護神のおひとりであったか。

 もとは、ヒンドゥー教の神さまであったのか。

b0018682_2255680.jpg そういえば、境内の小さな池の噴水は像の鼻から水が噴き出す仕掛けになっている。

 さりげなく「象」である。

 勿論、ここの聖天さまも秘仏である、ご本尊は「御正躰錫杖頭」というわけだから「杖の頭」、仏具の一部分だった?

 これに、象頭人身の抱擁する双身像がおいでになるのだろう。


 ところで、あちらこちらの〈聖天宮〉にありがちな二股大根なんかは、ここの聖天さんではみたことない。

 でも、それはそのはず、此所聖天さまは、斎藤実盛が開いたお寺である。

 実盛といえば、東国武者の内でも屈指の者、さすがの木曾贔屓の芭蕉宗匠も「むざんやな 甲の下の きりぎりす」と、その死の方を傷んでおられる。

 であれば、「夫婦和合」なんて、ちゃんちゃらおかしいといえるかも知れない。

 そんなこんこんなで、夫婦和合というようなちょっと直截な御利益ではなく、注意深く甘く甘く「縁結び」、これ一本で婦女子の目に止まろうというわけだ。

 いいぞ。

 いいぞ。

 それに、お寺の宗旨は高野山真言宗。


 さて、本日の秋の例大祭二日目の午後は、参詣の人々が驚くほどに多いわけではなかったが、のんびりとした風情であった。

 折しも修験山伏による護摩法要も行われていた。

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 とにもかくにも、おそらくは、武蔵国幡羅郡あたりに住まいする者の中に歓喜院聖天さまを知らぬ者はおるまい。

 ありがたし聖天さま。

 寿司美味し聖天さま。

 国宝であろうと無かろうと、憩いのお寺である。

 ご近所巡礼五番とする。



 

 

 

More 実盛
by ribondou55 | 2014-10-19 21:58 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 用事で出かけた先に「文殊さま」があったことを思い出した。

 曹洞宗のお寺である。

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 この時期参詣すると、境内はとても静かであるが、これが受験シーズンの前となると、近郷近在から人々が押しかけてくる。

 「苦しい時の神頼み」というが、この頃の人が物心ついて、まず等しく経験するのがお「受験」の機会かも知れない。

 通称「野原の文殊さま」は、この地方の受験生とその家族の頼れる仏さんである。

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 人は現世利益を願って、神仏に掌を合わせる。

 己の「幸福」にどこまでも執着してやまないものだ。

 「いい学校」に上がることは、将来の豊かな生活の基盤になると、信じているのかいないのかわからないのだが、最低限そのためにできることは何でもやろうというのが、親の勤めのように云われている。

 子供以上に親が懸命だ。

 何時までもスネかじりでいられたらたまらない、年金で成人した子供の面倒までみられない。

 この世は、すべて競争だ。

 ひとたびルートから外れると、非正規雇用者36パーセント、今後は更に増えるろう、憂き世である。

 稼げない奴は、無能な奴らだと、日々キャリアアップを目指す人たちは思っている。

 お国の進める「アベノミクス」とやらは、勝ち組にもっと勝ち続けるのを手助けをする、それがモットーだ。

 勝ち抜くための強い意志と堅固な忍耐力、ぬきんでた学習能力の獲得のためにお力をお貸しください、それと何より「幸運をお授けくださいね」と、お賽銭を奮発し、お札お守りを買い求め、絵馬にも「合格祈願」とくっきりと書き記す。

 最近はなぜか死語になったが、相も変わらぬ「弱肉強食」の浮き世であります

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 ガキの時分のボクもそうであったろうか。

 だが、こうして人生も暮色めいてきて来し方を振り返ると、アレがこの世の「地獄」の一丁目であったかも知れないと思う。

 それは、お前がぼんくらだったからだと嗤われるだろうが、そんなことをしみじみ思うには格好のお寺である。

  「三人寄れば文殊知恵」ということわざは凡人の連帯を良しとするわけだが、お受験は凡人であることを許さない。

 それでは、ぼんくらの我が身とすればいかがすればよろしいのか。

 はて、さて、そういうわけで、文殊さまに合掌しよう。

 南無文殊菩薩、どうかこの世を平穏に生きるための知恵をお授けください。

 どうぞ劣等生にもお手を差し伸べくだされよ。

 「五台山文殊寺」(熊谷市野原)を四番とする。

More 縁起
by ribondou55 | 2014-10-18 23:50 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 『祖谷物語 -おくのひと-』(監督・ 蔦哲一朗、2013年)を観た。

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 ‎169分‎‎ の長編、不思議と眠くならなかったのだが、YAHOOの☆4.16点は、高得点過ぎるだろうと思うのだが、ボクに見る目がないのか、・・・・まあ、多分そうだ。

 日本最後の秘境と言われる徳島・祖谷(いや)を舞台に、都会からやってきた若者と人里離れた大自然の中で暮らす人々の交流を通し、大地に根ざして生きることの尊さを描いた長編作。弱冠29歳の新鋭・蔦哲一朗監督が35ミリフィルムで四季折々の自然をカメラに収めて撮り上げ、2013年・第26回東京国際映画祭「アジアの未来」部門にも出品された。東京から自然豊かな山里の祖谷にやってきた青年・工藤は、自給自足の生活を始めようとするが、一見のどかな村にも、土建業者と自然保護団体との対立や、田畑を荒らす野生動物と人間との戦いなど、さまざまな争いがあった。そんな時、山奥で質素な生活を送るお爺と女子高生の春菜に出会った工藤は、2人の静かな生活に心が洗われていく。しかし、時が流れるとともにお爺の体が弱っていき……。若手アクション女優として注目を集める武田梨奈がアクションを封印し、春菜役を務めた。お爺役に田中泯、青年・工藤役に大西信満。「殯の森」「萌の朱雀」の河瀬直美監督も女優として出演している。(映画・comより拝借)

 映画・comさんも、他の作品に比べて、やや「高熱」の紹介文か。

 この作品、ひとえに田中泯のシブーィ、嫌な言葉だが「存在感」、或いは、「身体」に支えられていて、もうひとつは、武田梨奈、どうも、若い壇密に見えてしまうのだったが、彼女が演じる女子高校生のはち切れんばかりの「肉体」が見所だ。

 映画は、前半の祖谷での暮らしだけだけで、終わっておけばよかったと、思わないこともない。

 後半の春菜の東京?暮らしから祖谷へのリターンのお話に、この監督さんはどれほど本気だったか、疑問?

 繰り返すが、やっぱり田中泯であって、彼が画面に現れると「映画世界」が、祖谷の森となって息づきはじめる、たいしたものだ。

 そのほかの諸々は、さほど感心できなかった。

 開発か保護か、どちらもぴんと来ない。

 河瀬直美監督の雨宮先生が作中でお嘆きの「無関心な人々」のボクはひとりかも知れない。

 大西信満さん、この役者さんの出演した映画は『赤目四十八瀧』以来、結構たくさん見ているのだがどうも・・・・、の「覚醒」もボクが鈍いのだろうが、ピンと来ない、彼が棚田の跡で作る野菜は、アレは、家庭菜園である。都会から流れついた農業経験がからっきし無い男の畑は、当然そんなものになるのだろうが、だが、そういう演出であったとしても、嘘くさくて、まあこんなものだろう感が一目でわかった。

 ボクは、秩父辺りの山村しか知らないが、タフな作り方をする。

 

 春菜は、森の精霊たちに命を助けれた存在であった、確かに「オオカミ少女」的な。

 田中演ずるお爺は、もともと山神の側にいたのだから、春菜を拾って養育するのは必然であった。

 その彼女が、石神井川だか、神田川だか、目黒川だかボクには見当もつかないが、その川っぷちに流れついた祖谷のお婆ァが作った人形を発見する。勿論、ぼろぼろになった人形は都会へ冒険に出た祖谷の精霊が籠もっていたものなのだが、それをつれて、谷に帰って行くのであった。

 そこで、家庭菜園でキャベツに水をやっている大西さんと再会したのだった。

 自給自足に挫折してもうとっくに姿を消しているはずの彼がいたのだ。

 なんで?

 で、どうした?どうなった?

 弱冠二九歳ならもっと大胆になってほしいかった、とか。

 ボクのようにしなびた頭脳の持ち主には、ストレートに云ってもらえないと分からないのだ、お願いしますよ。



 


 
by ribondou55 | 2014-10-10 09:03 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 『オー・ブラザー!(原題: O Brother, Where Art Thou?)』 (監督・コーエン兄弟、2000年)を、ブルーレイで観た。

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 「映画」を堪能。

 軽快な脚本・すっきりとして湿度感のない映像・なんといってもノリノリの音楽、それに芸達者な俳優陣、いい感じのお笑い、どれも、「映画」だ。

 ボクが、少しは英語を解せたら、ずっといいところまで楽しめたろう。

 特に、特に、至る所で挿入されるアメリカン・ルーツ・ミュージックの「南部っぽさ」が、たまらなくおもしろい。

 風刺も皮肉もパロディも、きりっと効いている。

 『O Brother, Where Art Thou?』の「thou」は「you」の古語、「art」は「are」の古語なのだそうだ。
  
 
 TUTAYAで文庫一冊買ったら、レンタルDVD一枚無料貸し出しサービスとか、それであるから、なんか二倍儲けたような気がした

 


 

 
by ribondou55 | 2014-10-02 21:54 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂