人気ブログランキング |

<   2014年 09月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 秋晴れ。

 早めに農作業を終えて、久しぶりのサイクリング。

 しばらく乗っていなかったスポルティーフのタイヤに空気を入れたところ、後輪のタイヤの数カ所に緩やかなコブが浮き出た。
 
 どうやら、道路の縁石にこすったあとが、傷んだらしい。

 近日中にタイヤ交換することとして、このごろ常用している小径車で出かけた。

 これでの遠出は初めて。


 遠出といっても、せいぜい15キロ程度としよう、しばらくサイクリングから遠ざかっていたからだ。

 季節もよくなった、とりあえずの身体馴らし、初日である。

 これと云った当てもないままに、利根川を目指す、というより、北の空にグライダーが滑空する機影が見えたからだ。

 熊谷市妻沼の利根川河川敷には日本学生航空連盟(学連)の滑空場がある。

 
 で、その途中、ご近所巡礼の3番目に出会った。

 
b0018682_22271082.jpg


 かわいらしいではないか。

 龍泉寺の観音堂(武蔵国幡羅郡善ヶ島村・現在は熊谷市)の装飾彫刻である。

 高野山真言宗のお寺さんである。

 そもそもが、この観音堂そのものが、優美なものだ。

 
b0018682_22302319.jpg


 埼玉県の指定文化財であるそうだ。

 「雛には希な」と、口をついて出た。

 江戸時代。方形造、銅板葺(もと茅葺)。方三間、細部は和唐折衷風。

 それはそうとして、とにかくその彫刻は、とても小さな物で、四方にそれぞれひとつ。

 上の天使は、南の軒下に、次のはお堂正面、東向きに。

b0018682_22495232.jpg


 北向き。

b0018682_22503814.jpg


 お堂の裏側、東に面しては、天人ではなし、唐獅子牡丹。

b0018682_22525619.jpg


 いいな、かわいい。

 翼が生えた「飛天」というのも、珍しいとボクは思うのだが、どうなんだろう。

 蓮一輪をおし抱く姿が、とても清らかだ。

 龍泉寺の観音堂、ありがたし。

 故に、ご近所巡礼3番とする。










 


More 観音堂について・・熊谷市教育委員会
by ribondou55 | 2014-09-28 22:54 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 巡礼地2番目にして、すでに「巡礼」の常識からみれば、変則的といえる。

 それは、お参りの対象としては妙な物だが、ボクはこの前に立つ度に厳粛な気持ちになる。

 一礼し、黙祷・・・。

 宗教心というのは、たぶんそんな心の機微から出発するのではないかと、思うのであります。

b0018682_21192426.jpg
 熊谷市の「荒川公園」にそれは、「展示保存」されている。

 D51140号蒸気機関車である。

 
b0018682_21262403.jpg
 さて、青春18きっぷを愛用する還暦超え爺さんのボクは、ささやかな鉄道ファンであるが、そのファン的のものが、この機関車によせる関心のすべてではない。

 では、当の機関車に対面してみよう。

 『高崎線で力量を発揮し沿線の人々から「デゴイチ」として親しまれていましたが輸送力の変遷に伴い、昭和45年廃車となりました、この間走った走行粁は188万8千粁にも達しました。』と熊谷市役所は宣うのだが、この機関車の現状にはまったく無関心であるのが、一目瞭然。

 一面に塗装が剥げ落ち、赤錆が吹き出ている。

 このまま放置すればどうなるかは、誰の目にも明らかだ。

 一方では、この公園にほど近い熊谷駅(秩父線)からは、休日ごとに高らかに汽笛を鳴らしてSLが発車する。

 熊谷は、そういう町でありながら、この「デゴイチ」の隠退生活は悲惨だ、この町の市民であると思うと、「デゴイチ」に対し慚愧に堪えない気持ちになる。

 
b0018682_22011939.jpg
 文化を軽んじるというということは、こういう事をさすのだ。

 さて、それと「巡礼」と関係あるのかというと、あるのだ。

 付喪神(つくもがみ)とは、日本の民間信仰における観念で、長い年月を経て古くなったり、長く生きた依り代道具生き物自然の物)に、霊魂などが宿ったものの総称で、荒ぶれば(荒ぶる神・九尾の狐など)禍をもたらし、和(な)ぎれば(和ぎる神・お狐様など)幸をもたらすとされる。(ウィキより。)

 普通「つくもがみ」というと、「『付喪神記』の冒頭に「陰陽雑記に云ふ。 器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり」とある。絵画や絵巻では『鼠草紙』・『十二類合戦』とよばれる生き物を模した物や、『化物草子』では、案山子柄杓の九十九神が描かれている。室町時代に軽工業の発達から生活道具が大量に出回り、などから、が、安易に消費されるようになり、これらも九十九神として描かれている。土佐光信筆と伝えられている京都真珠庵蔵の『百鬼夜行図』は、これまで描かれた文字通りが主流であった百鬼夜行とは違い、九十九神を中心に描かれ、九十九神の黄金期であったことがうかがえる。(ウィキより)」ということで、身近な器物が、化けるのだが、ボクは蒸気機関車だって、きちんと幸をもたらす「神」になれると信じるのである。

 この機関車は昭和13年(1938年)11月3日の生まれである、もうすぐ76歳。

 まだ99歳までには間があるが、そうであっても、「化して精霊を得る」兆しは確かにあると、ボクの中にある何かが感じてしまう。

 蒸気機関車という乗り物は、一種特別なものである。

 単に日本の近代化を牽引しただけではない。

 日本人の心の深くを走り抜けたものである。

 

 であるから、ボクは、ここを二番目のご近所巡礼地としたい。

 斯様に思う次第であります。

 一礼・黙祷。


 ついでに、もう一言。

 先の熊谷市役所の立て看板の文言はまことに教育的配慮を欠いた、お役所仕事の馬鹿げたものだ。

 教育的というのは事実の正確さに基づくべきものであるが、それだけではヘボである。

 何時の時代でも、幼い子どもほど鉄道好きなものだ。

 せめて、小学校一年にでも楽しめる紹介解説を掲げるべきだ。

 第一、「粁」は何と読むか?「キロメートル」と読むのだと、子どもの何割が答えることができようか。

 こんな漢字、この節誰が使う。

 大人向けのいい加減な看板を無神経に立ててしまう、もう少し文化の伝承ということに対して気配りが欲しい。





 

by ribondou55 | 2014-09-27 22:36 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 いつからのことか、道々出会うお宮やお寺にふらっとお参りすることが、ナンの抵抗もなくできるようになってきた。

 それは、お釈迦様の教えを少しばかり読ませてもらうなかで、宗教的な何事かに、少なからず謙虚になってきたからだと思う。

 巡礼と云えば、四国・西国・板東・秩父という具合に、メジャーな霊地巡りをすぐに思い浮かべるが、そういうのはおいそれとは実行できない。

 時間的にも空間的にも長すぎる、遠すぎる、そして、お金もかかる。

 そういのは、クラブツーズムなんぞに任せておけばいい。

 もっとも、板東の一部や秩父なんかは、まあ、ご近所、このカテゴリーに顔を見せることもあるかも知れない。

 釈徹宗さんだったかな?身近なお寺さん巡りも、精神のリフレッシュに効き目あり、とか、そんなことを書いておられた方があった。

 ボクも、そういわれると心当たりがある。

 徒歩、チャリ、軽で、ふらっと会いに行ける神様・仏様・またはちょとスピリチアルな物や事について、記録していこう。

 
 まずは、1番 久保島大神社(旧村社 武蔵国 播羅郡鎮座・埼玉県熊谷市久保島)

b0018682_13382768.jpg

 なんとまあ、華やかな。

 曼珠沙華はいま盛りだ。
 
 ご当地久保島は、「曼珠沙華の里」として売り出し中ののどかな田園地帯である。

   b0018682_13425769.jpg 
  主祭神 大山祇神 伊弉諾命 伊弉册命
 
  お祀りしている神様方が、オホヤマツミ・イザナギ・イザナミの神々なら、縁結びをウリにしても、あれこれ云われる筋合いはない、まァそうだ。

  オホヤマツミは、イザナギとイザナミの間に生まれた子である。

 『曼珠沙華の里に鎮座する縁結びの神 久保島大神社』、ありがたし。

 だからといって、曼珠沙華から「彼岸花」という通称名を思い出すのは、ご当地にとってはどうだろう。

 また、「赤い花なら・・・」の『長崎物語歌』もあまり適切ではない、主人公じゃがたらお春は、日本から追放されてしまったのだから。

 そう思って、景気づけにと、すこし、「曼珠沙華」を詠んだ歌や句を探してみたが、これが、まあ、「縁結び」に叶うロマンチックなものが、ボクの乏しく貧しい脳みそでは発見できない。

 申し訳ない。

 神社の森の西南遙かに、武甲山も見えてくる。

 つまるところ、これだ、ごめんさい。

 金子兜太先生の一句。

        曼珠沙華どれも腹出し秩父の子  


 久保島大神社は、古くは山神社、山神大権現と称されていたという。楡山神社(深谷市)の論社であるとか、でも由緒等不詳とか。「現代において、延喜式に記載された神社と同一もしくはその後裔と推察される神社のことを論社・比定社などと呼ばれる。 ウィキより)」のだそうだ。

 だが、「山神社」と呼んだのは、祭神がオホヤマツミであるからだろう。神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意というから「オホヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味になる。そこで、「山神社」。

 「大権現」というのは、もしかすると明治の廃仏毀釈の際に、本地垂迹に基づく「権現」さんではまずいねと云うことで、止めたのかも知れない。

 そんな久保島大神社が、曼珠沙華とどのように結びついたかは、あくまでも「謎」、でもそこがありがたい、男女の「縁」も謎又謎の不思議なものだから。


 

 


More イザナギとイザナギが生んだ神々 ウィキより
by ribondou55 | 2014-09-26 14:08 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
『収容病棟』(監督 ワン・ビン、2013年)前編2時間2分 後編1時間55分のドキュメンタリー、高崎で。

『無言歌』で、がつんと、やられた監督だ。

 「鉄西区」3部作や「三姉妹 雲南の子」「無言歌」などで国際的に高い評価を受けるワン・ビン監督が、中国・雲南省の隔離された精神病院に3カ月半密着したドキュメンタリー。その病院には、暴力的な患者、非暴力的な患者、法的に精神異常というレッテルを貼られた者、薬物中毒やアルコール中毒の者、さらには、政治的な陳情行為をした者や「一人っ子政策」に違反した者、20年以上にわたる入院生活を送る者など、さまざまな患者が暮らし、「入院」というより「収容」といった様相を呈している。社会から隔絶された鉄格子の中でも互いにいたわりあい、愛を求める患者たちの日常を寄り添うように撮影し、その実態を映し出していく。 (映画comより拝借)

b0018682_21570066.jpg

 きついなあ。

 [映画.com ニュース〕の監督インタビューから、

 中国当局は2010年に精神病患者1億人と発表。今作の舞台となった病院では、200人以上の患者が収容されており、暴力的であったり、薬物やアルコール中毒の患者のほか、政治的な陳情行為をした人間もいる。患者たちは社会から隔絶された環境の中でも互いにいたわりあい、愛を求めている。そんな被写体の日常をワン監督独特の距離感でカメラに収め、観客を病棟の中に引き込んでいく。

2003年に北京の精神病院での取材を考えたが、許可が下りず企画は棚上げに。そして時を経て2012年、雲南省で撮影が可能となった。「10年ほど前に訪れた北京の病院の患者は、文化大革命後の70~80年代に病気になった人が多かったです。しかし、今回撮影した雲南省の患者たちは、現代中国の社会から来る様々な原因によって、心を病んだ背景があると思います」

 リサーチや撮影を通じて、10年、20年という単位で長年閉じ込められ、家族に見捨てらた状態の患者もいることを知った。「毎日患者と接していると、ひとりひとりの病状を把握できるようになります。そうすると彼らがここに入ってきた理由や、家庭環境というものがだんだんとわかってくるのです。その中で、特に病人ではない人がいるということもわかりました。ある若い男性は頑な性格で、他の人とちょっと違うというだけで、病気とまでは言えないのに収容されています。それを見ていると、我々もある日何かの事件がきっかけで病人扱いをされ、病院に送り込まれる可能性があると強く感じました」

 「特にこの映画には政治的なメタファーを持たせていません。ただ病院にいる人たちがどうやって生きているかという自然な姿を撮ったに過ぎないのです」
 
 この映画はそういうことと、受け止めよう。

 『パーフェクト センス』(監督 デヴィッド・マッケンジー、2012年公開)、こっちはHuluで観た。

 五感が徐々に失われていく謎の奇病が世界中に蔓延していく中、残された時間と静かに向き合っていく一組のカップルの運命を静謐な筆致で描き出した異色のヒューマン・ラブストーリー。主演は「スター・ウォーズ」シリーズ、「ゴーストライター」のユアン・マクレガーと「ドリーマーズ」「007/カジノ・ロワイヤル」のエヴァ・グリーン。監督は「猟人日記」「愛とセックスとセレブリティ」のデヴィッド・マッケンジー。
 ある日突然、人々の間で嗅覚が失われる不思議な症状が多発する。“SOS”と名付けられたこの原因不明の感染症は、瞬く間に全世界へと蔓延していく。しかも、感染した者は嗅覚ばかりか味覚や聴覚など五感の全てが順次奪われてしまうのだった。人類存亡の危機に直面し、SOSの原因究明に奔走する感染症学者のスーザン。ある時、自宅アパートの前にあるすっかり開店休業状態のレストランのシェフ、マイケルに声を掛けられ、料理を振る舞われる。ほどなく恋に落ちる2人だったが、彼らもまた、感染症の脅威から逃れることができなかった。

allcinema より

 
b0018682_22280257.jpg

 これが結構面白かった。

 仏教の人間観の大本に「十二処」ということがある。
 

 六根のうち「意」のみ残して、五根を失うのである。

 果たして、それでも、人は人たれるか?
 
 映画は?

by ribondou55 | 2014-09-12 22:28 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30