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山東菜の花が咲いている

 ボクの畑には、彼方此方で勝手に芽を出し、葉を茂らせる輩がいる。

 それらは大体菜っ葉の連中であるが、冬の今でも元気だ。

 こやつらは、脱走者であるから摘まれて喰われることもなく、畑のそこここで命をまっとうして枯れて行く。

 菜っ葉ではないが、唐辛子やシシトウは今年勝手に育って、ボク等の味覚にサービスしてくれた。来年も行けるだろう。

 今は、山東菜が花を付けた。

 元旦の雑煮に浮かべて喰ってやろうと、今はだまって見ている。

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 ボクはこの時期になると、欝っぽくなる。

 欝には一茶が効く。

   としの暮池の心もさはぐらん

 明日は大掃除、いや間違い、すす払い。

 餅つきは三十日。

 あと、すこし。





  




 
by ribondou55 | 2013-12-26 10:26 | 畑にいます | Trackback | Comments(0)
 天気予報では、午後から小雨、夕刻から雪に変わるという。

 今は、午後二時をとうに過ぎているが、まだ、雨は降っていない。

 三畳半のボクの「書斎?」の暖房を、昨年からデロンギの一番小っちゃいオイルヒーターに変えた。

 これまでは、電熱ヒーターの安い奴を使っていたのが、最近のぼんやり度の進行からスイッチの切り忘れが起きそうであったので、オイルヒーターにしたのだ。

 多分、これなら安全だ。それを足下に置いて、いすに座って、膝と膝の間に挟むように。

 形としては、昔懐かしい「股火鉢」の格好に限りなく近い。

 なんせ、すぐには暖まらない。

 背中から冷えてくる。

 そこで、このところ、ボクは久留米はんてんという綿入れのはんてんも愛用している。

 これは、世話焼きの配偶者が買ってくれたのだが、これはまことにヒットであった。

 白髪のおっチャンが、はんてんを着て、背を丸め、股下のオイルヒーターに手をかざしかざして暖めながら、デスクトップの前に座っている。

 濃い珈琲をちびちび飲みながらだ。

 そんな風に今はある。


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 『地獄でなぜ悪い』(監督・園子温、2013年)を観た。

 笑えたが、そんなに、馬鹿に笑えたわけでもない。

 映画好きにはドッサリとオ・モ・テ・ナ・シをしてくれる作品だった。

 こういう「オ・モ・テ・ナ・シ」なら歓迎である。

 「楽あれば苦あり」というが、ボクは「楽あれば毒有り」と思っている。

 たっぷりと、映画の「毒」も振りまかれていた。

 この監督には、どうやら「敵」が見えているらしい。

 ボクは、年取って、足腰弱り、目はかすみ、白髪が抜け落ちる老いぼれだから、遠くから声援することぐらいしかできない。

 吉野源は、『ノン子36歳(家事手伝い)』のひよこの青年だと見終わってから思い出した、今、ユーチューブで、『地獄・・・』の予告編を兼ねた主題歌入りの動画を観たが、映画毒が、どのように青少年の心に染みこむか、いい感じで歌っていた。

 

 子等の列静かならざる十二月 泡六堂 



 

 
by ribondou55 | 2013-12-18 15:23 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 足利市美術館『詩人と美術 ―瀧口修造のシュルレアリスム展』を観た。

 瀧口修造というお方については、若い頃すこし興味を惹かれて、読んだことがあった。


 なんといっても、静かな展覧会で、気持ちよかった。

 ひさびさに滝口修造の言葉を壁の小さなパネルから読み取ると、意外に力強いという感じがした。



 ここに展示された作品は、シュルレアリストと自認する方々の作品だとして、・・・・。

 いまや、日常がまったくもって超現実化してしまった世の中で、もし現代に存在するとすれば、シュルレアリストはどん風に「現実」と緊張関係を維持するのか。

 昔、ボクが惹かれたのは、この人々の作品に特有の「美しさとか毒っぽさ」が、貧しい日常の現実と単調な精神の鬱屈の対極にあったからだと思う。

 しかし、その「美も毒」もすっかり経済原理と通俗のなかに薄められ飲み尽くされてしまった。

 
 ゆっくりと楽しんだあと、車を美術館前から観光駐車場に移動して、飯を食う場所を探した。

 この前いった富士食堂は、パスした。

 足利学校周辺はちょっと観光地風なのでスルーした。

 結構さまよったあげく、足利織物会館内の泰鵬という中華調理のお店に逢着した。

 足利の老舗ラーメン店らしく地元の方の行きつけの店と見えた。

 中華丼を注文したが、どうやら、湯麺と餃子あたりが正解だったらしい。次回はそれで。

 あるいは、向こうのテーブルでお姉さんが焼きそばと水餃子の一人飯をしていた。

 足利の焼きそばはどうなのだろう?

 これも、そのうちに。

 ごちそうさん。

 
 それから、もう少しぶらぶらと、

 平成25年5月17日に国の文化審議会は「鑁阿寺本堂」を国宝に指定するよう文部科学大臣に答申し、同年8月7日の官報告示により、正式に国宝に指定されました。

 という、告知があった。

 熊谷妻沼の聖天宮は国宝指定によってすこし潤ったらしいが、こちらはいかが?

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by ribondou55 | 2013-12-14 10:15 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)
 『日本の悲劇』(監督・小林政弘、2012年)を深谷シネマで観た。

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 出演者は仲代達矢(父)・北村一輝(子)・大森暁美(母)・寺島しのぶ(子の妻)の四名。

 撮影・照明・録音のスタッフの腕前が冴える。

 モノクロ(一部カラー)、音楽はない。

 長回し、取りようによっては演劇的。

 2011年10月。東京葛飾区金町の木造平屋の古い村井家に、息子義男に付き添われた不二男が帰って来る。3月11日の東日本大震災の日に不二男は入院、肺ガンの診断を受け一度の手術を経験した。不二男が医師の制止も聞かず退院したのは、二度目の手術を告げられたからだった。医師は不二男に手術をしなければ、三ヶ月の命だと宣告した。にもかかわらず不二男は勝手に退院してしまった。その日は不二男の妻良子の命日だった。不二男は帰宅した翌日、大工だった頃の商売道具を使い、自室のドアや窓にクギを打ち、自分はミイラになると宣言し、良子の遺影に向かい正座した。義男は懸命にやめるよう告げたが不二男は聞く耳を持たなかった。一日が明け、また一日が明けてゆく。不二男の脳裏には過去の様々な光景が浮かんでは消えていった。それは市井の人間の誰にでもあてはまる喜怒哀楽だった。不二男が自死を選んだのはどんな理由からなのか?しかも餓死という最も過酷な死を選んだのはなぜなんだろう? 2010年に起こった年金不正受給事件に材をとり、長引く不況の中で起こった東日本大震災。その後の日本の貧困層の一典型が村井家の悲劇なのである。(http://monkeytownproductions.com/より)

 作品を送り出す側がここまで丁寧にストーリーを紹介してくれるとは、ありがたいことです。

 補足すると、息子義男は、妻とも子との間に一子をもうけるが、リストラに遭い、精神を病む。自傷・・・リストカットを繰りかえし、ついに妻に知らせずに入院する。妻は行方知れずの夫の実家に離婚届を託して、郷里の気仙沼に帰り、津波によって行方不明となっている。職を失ったままの義男は、父の年金に依存して暮らしている。断るまでもなく村井家は社会的云えば孤立した「無縁」の一家である。

 深沢七郎の『楢山節考』のおりん婆さんは口減らしを志願して楢山詣でにでて、降り始めた雪の岩陰に座る。現代の不二夫は、自室に立てこもって即身仏となる。二人とも己の身の上を悲劇とは、たぶん思ってはいない。すべては、子のため孫のため。親とはそうしたものだ。

 二つとも家族の物語である。

 貧困の物語である。

 昔々、『楢山節考』はボクには衝撃だった、今でもその記憶は薄れない。それなのに、二三日前に観た『日本の悲劇』の印象は新鮮さをどんどん失ってゆく。仲代も北村もあれほどの熱演であったにもかかわらずだ。

 この作品の表現は本当にストイックで、カメラの位置も数カ所、大体ダイニングキッチンから動こうとしない。とにかく、見せつけてくれるのだ。よく見ろ、よく耳を澄ませ・・・、そんな風に観客を強いるという感じさえする。

 ふーん、ということだ。

 『日本の貧困層の一典型が村井家の悲劇なのである』という。それなら、『村井家の悲劇』ではいけないのか。『日本の悲劇』と言いなおすのは、くどい。題名が作品の解説になってはいまいか。

 ふーんと、いうことだ。

 ともあれ、『日本の悲劇』はご立派な作品である。

 
   つむじ風執着に似て十二月     泡六堂 


 

More 『楢山節考』の唄
by ribondou55 | 2013-12-02 23:23 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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