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 三毛猫のことが気になっていたわけではない。

 今日は、たまたまボクの家の庭先を通り過ぎる縞猫を見かけた。

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 こやつは、この頃庭先を西から東へとゆっくり通り抜け、しばらくすると、或いは忘れた頃に、東から西へと移動してゆく。大体見かけるのは、午前9時から10時の間のように思う。

 以前は、縞なしの全身明るい灰色の猫が往来していた。これは貫禄があった。もういい年であったのだろうか。

 それが、縞猫の出現以後、ぱったっりと姿を現さない。

 もしかすると灰色猫は、この縞猫にこの地域の支配権を奪われたかのかも知れない。

 苛烈な闘争があったかも知れない。



 子どもの頃、ボクの家は猫飼い一家であった。

 飼うのはいつだって一匹だ、名前はコジョ。代々同じ名前で、雄猫に限っていた。雌は云うまでもなく子猫を生むからだ。生まれて目も明かない仔猫を遠くの河原や広っぱの土管やらに捨てに行くことは、我が家の家風には馴染まないことだったからだ。「一匹・コジョ・雄猫」、これが、我が家の猫飼いの三原則だった。

 物心ついてから家を出るまでの間に、どれくらいの世代交代があったのか?勿論、覚えていようはずもない。

 でも、カレー大好き猫のことは忘れられない。

おぼろな記憶だが、カレー色の黄猫であった。腹はあたりは白かった。

 ボクの少年時代、我が家はビンボーで、カレーライスは大ごちそう、月1度か2度、兄弟三人、母親が今夜はカレーと宣言するのをいつも心待ちにしていた。関東だから具は豚肉だった。でも、キャベツとちくわだけのこともあった。それでも、我らはカレーライスが大好きだった。

 ところで、このカレー猫は、普段はまったく無愛想な奴であったのに、「カレーライスの夕べ」には家族五人肩寄せ合って食事をしているちゃぶ台の下に居座って、、ニャッと鳴き、ゴロゴロと喉をふるわせる、ボク等が正座する膝に身をすり寄せて媚びる、媚びる。そういう奴だった。

 でも、食い意地の張った賤しい猫だとはみじんも思わなかった、何と言っても、カレーライスなのだから。

 餌は人間様の後、つまり残飯と相場は決まっていて、鍋の底にトロリと残ったカレーのルーを、飯にかけてると狂乱してむさぼり食った。猫にマタタビではない、猫にはカレーライス、これだ。

  この黄猫、・・・こいつは、見かけとは違って、頭は本能のピンク色に染め上げられていたようで、色情的な衝動が押さえがたく、恋の季節になるとプチ家出して帰ってこなくなる。

 ある年の春、左耳をまっ黒にして帰宅した。見ると出血した後が黒くかさぶたのように毛ごと固まっている。その耳と云えば、どうやら食いちぎられた痕がある。その上、そのすぐ下、左目のまぶたの上にも出血の痕跡がある。その後、一週間ほどは放心状態で、垣根の根本辺りに寝そべるばかりだった。

 それでもまた程なく、姿を消した。懲りもせず恋に走って、家を出たのだろう。・・・そこまでは記憶があるが、後のカレー猫については思い出せない。

 子規の句に、おそろしや石垣崩す猫の恋 なんてある。

 かようなことを思い出して、灰色猫から縞猫がテリトリーを奪取するドラマを空想したりした。

 テリトリーを支配するということは、その区域内の雌猫全体にも狼藉を働く権利を持つのだろうか。

 もしかすると、あの三毛の子どもの父はこの縞猫か。


 『海辺のカフカ』のナカタサトルさんならたやすくその辺の事情を聞き出すことが出来ようが、ボクは人の言葉すらこの頃はおぼつない哀れな老人になってしまった。

 縞猫のやつ!クソッ!なんだかわからないが、クソッという気分がある。


 
by ribondou55 | 2013-07-31 23:39 | 世界は昏いか? | Trackback | Comments(0)
 物置の床下で僅かばかりの間であるが、暮らしていた野良猫の一家の、一番ひ弱で足腰も定かではなかった三毛のチビが、生き延びている。

 昨夜来の雨で、明け方まで残った水たまりで、喉の渇きを癒しているのを見つけた。

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 このところ、パンダ顔のもう一匹も、時折見かける。

 どのようにして命を長らえているのかわからないが、ご近所のどなたかが餌を与えているのだろうか。

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 で、子細に写真を見ると子持ちような感じである。

 あの三毛が、今度はどこか子育てに励んでいるのか。

 なぜか、「命の哀れ」、そんな思いが湧いてくる。

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 熊谷の今日は暑かった。このところ雨が続き比較的涼しかったので、この気温の上昇は、すこし応えた。

 野良猫には、過ごしやすい季節など一時たりと無いのかも知れないが、夏は案外良い方かも知れない。

 餌に窮すれば、案外草むらから生き餌を調達出来そうだ。


 三毛は、レンズが向けられていることにすぐに気づいた。

 十分すぎる警戒心が見て取れる。

 昔といっても、つい先頃、幼さはどこにも感じさせない。

 たいしたものだ。





 
by ribondou55 | 2013-07-30 23:37 | 生きている | Trackback | Comments(0)
 『カンゾー先生』(監督・今村昌平、1998年)

 『死んでもいい』(監督・ 石井隆、1992年)

 『須崎パラダイス 赤信号』(監督・川島雄三、1956年)

 『17歳の風景 少年は何を見たか』(監督・若松孝二、2005年)

 DVD4作を一週間かけて観た。四本立てである。もし、ボクが場末の小さな名画座の館主だっらこんなラインナップもありかもしれない。

 今村昌平監督は、『赤信号』では川島雄三監督の助監督であった。

 石井隆監督は、ボクにとっては漫画家としての方がしたしみやら懐かしさがある。「PYTHON357」という作品集が、引っ越しを繰り返す中で数えきれいほどの漫画本が消えていったのに、不思議に脇の書棚にいつまでも居残っていて、今、取り出してみたら1981年1月15日発行とある。

 『須崎パラダイス 赤信号』が上映された1956年は、売春禁止法が制定され、1958年には赤線が廃止された。この映画は、その廃止が実行されるまでの間の、ある意味「宙ぶらりん」であったころの物語である。

 以前遊郭で働いていたらしい女が、ふがいない男と一緒にいて「州崎」の大門門前にある小さな一杯飲み屋に住み込みという案配で転がり込む、男もそば屋の出前持ちになるが、女は身内に金要りがあるが、工面に窮して、一旦は金離れのいい客の妾となるが、それでも男を忘れられず、再び手に手を取って須崎を後にしてゆく、という話だが、それでも女は何時以前いたの苦界に身を落とさないとも限らないのだ。のるかそるか、つまらない男に引かれて、かちどき橋からバスに乗る、新珠 三千代演ずるのがいい女っぷりだ、

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 ウィキによると、

 洲崎大門(すさきおおもん) 現在の永代通り「東陽三丁目」交差点から東陽1丁目方向へ入ったところにあった洲崎橋に設置されていた外門で洲崎遊郭への正面玄関。吉原の吉原大門と同じ類のもので、戦前は鉄の門柱であったが戦後の隆盛時は「洲崎パラダイス」の名が掲げられた大きなアーチ形の門が設置された。昭和33年の洲崎パラダイス廃止に伴い門は撤去された。

 と記述される。その大きなアーチの門から先は女にとっては勝手知ったる世界である。飲み屋の目と鼻の先にそれがあったのだが、踏みとどまる。女は甲斐性なしの男の心情に希望を見いだしたのである。いいではないか、・・・ところで最近は、こんな風な男女関係が本当に描かれなくなった。こういうこなれた色恋の「人情」が、消えてなくなった。つくづくこの頃は世知辛い。

 そこに行くと『死んでもいい』の名美は、州崎の女よりすこしばかりややっこしい。二人の男の間で翻弄されるかのように見えて、やがて起きる男の殺し合いをきっぱりと乗り越えてゆく肝っ玉のすわり具合は、たいしたものだ。三角関係の煮詰まる先で、男は狂気じみてゆき、女は覚醒する。男は嘘をつけない本気だけの単純な生き物故だ。覚醒というのは、いくらでも相手につけいり、手玉にとることだってできるということだ。ラストシーンの大竹しのぶは、そういう女になっていた。もともと見た目の通りの不動産屋のうぶな後添えという女であるはずもない女である。

 『死んでもいい』の男二人は、子どもとおとなの対立だった。その幼児性丸出しのお兄ちゃんと、殺されてしまう不動産屋の分別ばかりのおっさんの違いは、せいぜい「体力」の差というところだろう。あるいはおつむの差か、こういうケースでは、賢い奴がまず殺されてしまうのだ。だいたい、名美はいくらでも殺し合いを中止させるチャンスを持ったが、なすすべがないかのように振る舞って、やりすごす。それはね、お兄ちゃんの「アレ」に惹かれてしまったからだよ、それが「女」というものだなんて、お馬鹿は想うかも知れない。この映画はそういう脳みそピンク色の妄想男たちのためのファンタジーになっている。これは、二人の男から求愛され困り果てて入水したという莵原処女と乙女の跡を当の男二人も追って果てたという伝説と、そんなに違いはない。大竹しのぶの演技はたいしたものでお馬鹿な男たちを感動させてしまった、そんな映画だった。

 『カンゾー先生』は、とてもいい。安心できるし、何と云っても坂口安吾だ。ここでの人情は、『赤信号』の飲み屋の女将の「誠実」に繋がってゆく。ボクは、こういうのに弱い。だが、こういうインテリも庶民も、今や、どこにも見あたりません。嫌な世の中だ。

 『17歳の風景』は、退屈な作品だ。退屈だと寝てしまうのが常だが、眠気に抗して、時折妙に理屈っぽくなって睡魔と戦ったりしてしまうコトがある。この映画は、ぞの常ならずの方だった。

 2000年(平成12年)6月21日、岡山県内の公立学校で、野球部員の少年A(当時17歳・高校3年生)が練習中、2年生の野球部員1人をバットで殴り、頭部に重傷を負わせた。さらに制止しようとした他の野球部員3人にも抵抗。全員に怪我を負わせて学校から逃走した。少年Aはそのまま自宅に戻り、家にいた母親(当時42歳)をバットで殴打、殺害し、自宅からも逃走する。
 少年はその後、高校の修学旅行で行った北海道を目ざして自転車で移動する。事件から15日後の7月6日に、岡山県から1000キロ以上離れた秋田県内の国道7号を北上しているところを発見、身柄を確保された。少年は9月に特別少年院送致の保護処分が確定した。
 少年Aは1998年4月、岡山県立邑久高等学校に入学。進学コースに進み、野球部に入った。学校での印象はおとなしく、まじめだったという。そのためか、日頃から柔道やプロレスの技をかけられたり、練習中にボールをぶつけられるなど、後輩にもからかわれていたという。
 バットで殴られ、重傷を負った部員は、夏の甲子園の地方大会が始まるのを前に「3年生は(頭髪を)みんな丸刈りにしているのに、A先輩はしないのか」と詰め寄られていたり、さらに準レギュラー選手だった少年Aと後輩部員とのレギュラーの座をめぐる確執があったとの情報もあり、こうした不満が積み重なり爆発したものとみられる。
 少年Aが母親を殴打した理由として、「野球部員の少年を殴って、自分が殺人犯になったと早合点してしまった。そのまま母親が生きていればその後の迷惑がかかると思ったために殺した」と証言している。
(http://news.livedoor.com/article/detail/4634244/)


 この映画の少年のモデルとなったと云われている事件である。当時、ボクはこの事件の詳細を知るにつけ、この野球少年がカワイソーで、たまらなかった。ボクに云わせれば、ある意味学校教育に蔓延している「高野連的体質」が招いた悲劇だが、映画そのものは、大まじめに退屈だ。針生一郎さんがなんで語るのか。・・・・・まあ、わかっているのだが、・・・・ぴんとこない。

 けれども、ボクも自転車大好きのおっさんだし、車種は違うが、同じジャイアントのクロスバイクを愛用している、そして、この監督さんだ、だから、この映画は本当は好きだ。それに、自転車を漕ぐ行為が如何に己を深く内省的な思いに導いてゆくか、知ってるからだ。

 終わりに、少年は、カンゾー先生の息子柄本佑が演じて?いるのだ。
by ribondou55 | 2013-07-25 00:21 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 『東ベルリンから来た女』(監督・クリスティアン・ペツォールト、2012年)を観た。

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 何と云っても、クマガヤ、余りに暑くて、隣町の映画館へ避暑に。

 なじみの深谷シネマだが、ほど近い「伊勢屋」で、ああ「伊勢屋」何と庶民的な、どうして全国各所にあるのやら、もしかしたらあれは・・・・・、とか妄想しつつ、カレーライスを食った。タマネギと豚バラだけの具、小麦粉がたっぷりの本物のドロリ黄色のルー、懐かしくて時折食べたくなる、・・・で、汗をたらたら流してから、観た。


 寝苦しい夜が梅雨明けと同時に始まった。

 冷房のほどよい映画館の暗闇にいると、余りに気持ちよくて、睡魔が寄せては返す波のように繰り返しやってくる。

 寝ていたと気づくのは覚醒した瞬間で、入眠した瞬間はもちろん自覚できない。

 それは発作のようでもあり、その間も映画は進行するのだが、同時に夢が並行してやってくる。

 映画のストーリーが夢の中に溶解してくるような感じで、夢は独自の展開をしていくようだ。

 だから、目覚めるとスクリーンに映し出された映画世界に軽い違和感を感じつつ、もう一度大きく目を見開く。

 そんなことを繰り返した。

 だから、見落としたというより、内側に墜ちていた時間の映画の進行を欠落させながら、見終わったのが、大体のところは理解できたような感じがする。

 映画そのものが、まことに丁寧で真面目なものであったから、こんな不届きな観客でも、許してくれたように思える。

 つまり、面白くないから眠ったのではないのだ。


 つい先頃の東ドイツの現実が垣間見える。

 一人の女性の身体へ物理的な監視を恣意的に随時行使できるような力をもった国家体制であった。

 そうした抑圧の下、自由を剥奪されつつも、主人公バルバラは医師としての己の存在意味を自分自身で決定してゆく。

 バルバラだけではない、彼女に好意をよせる同僚のアンドレはどのような立場のものであれ病む者があれば助けにゆくという、バルバラの恋人ヨルクは西側の住人であるのに、バルバラのためなら東に通ってくるという。

 厳しくきまじめな映画である。

 このきまじめさは、ドイツというお国柄なのだろうか。

 そうした精神のあり方は、ナチスドイツに対する自らの手による戦後処理にも現れているような気がする。

 われら日本人は、理性に依拠する「きまじめさ」・・・、そういうものから遠いのかもしれない。

 バルバラを演じたニーナ・ホスは、とてもクールだった。

 また、バルバラを監視するStasi?の役人を演じたライナー・ボックに、本物の怖さと哀しさのようなものを感じた。

 

 昨夜、深谷の七夕祭りを覗いたへぼスナップを付けておく。

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by ribondou55 | 2013-07-08 23:46 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(1)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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