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 世間はゴールデンウィークであるから何やら楽しそう。

 しかしながら、こちとらは死ぬまで続くゴールデンライフである。

 そんなであるから、高速の交通渋滞のニュースに触れたりすると「ザマァ見ろ」と悪態の一つも口をついて出ようものだ。

 
 近所のホームセンターまで自転車でおつかいにやらされた。

 洗濯ばさみを購入して参れという奥方の言いつけである。

 いい年してガキの使いである。

 ゴールデンライフの馬鹿馬鹿しさはこういうところで極まる。


 さて、店について驚いた。

 かなりのスペースで展開されている園芸のコーナーがごった返していると云ってもオーバーではないような。

 それもボクと同年配のジッジバッバばっかりが目につく。

 巣鴨の地蔵通り商店街でもあるまいし、何事かと思って目をこらすと、、どうやら野菜の苗がお目当てであった。

 なんでもある。

 ナス、キュウリ、トマト、オクラ、レタス、ブロッコリー、枝豆、トウモロコシ、ズッキーニ、・・・・・・・・。

 レジには長蛇の列。


 で、ちょっと、焦った。

 世間様はもう「農繁期」に突入していたのだった。

 「家庭菜園」といえども、隣の芝生ならぬ隣の畑には大いに関心があるのだ。

 例えば、通りの向こうからこちら側に横断してきて、わざわざボクの畑の脇を通り過ぎる御仁がおられる。

 ニコリともせず、それでいて、必ず畑を一瞥する。

 うつむき加減の姿勢で、HONDAのロゴ入の入った赤いキャップを目深にかに被り、目元の暗がりからジワッと見てゆく・・・・・・、ような気配でひりひりする。

 畑は見るが、ボクの存在には目もくれないぞ、そういうオーラーが全身から発せられている。

 ボクはこの御仁が何者か知らない。

 大抵、鍬や三角ホーやジョウロなんかを手にしている。

 
 そんなこんなで大いに煽られて、内心焦って、本日ボクも第一次の苗の植え込みを行った。

 もちろんホームセンターなどでは買わない。

 昔から地元では有名、信頼されていると聴いている「種屋」から買った。

 ところが、専門店といえども、店先にたむろしているのは、素人さんばかり。

 専門農民は、軽トラ一杯になにやらの肥料を積み込んだりしている、がそれも希。

 客は、素人か、隠居した元農民。

 今や種屋なんて云ってもその程度か、と・・・。

 JAがきっちり仕切っているのか?

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 ところで、ジッジバッバは真剣だ。

 口では、「年寄りは、作るの楽しみだがねエ、でも、すぐに枯れちゃってね、ヒッヒッヒ」とか、なんて云っているが、内心は大収穫を狙っている。

 ゴウヨク、ゴウツクバリばっかりだ。

 かく云う私メもご同様。

 一本100円のシシトウ、ピーマンの苗を掴みあげては幹の太さや葉っぱの色艶、花の蕾の付き具合なんかを見比べて選定に余念なさそう、・・・・な、振り。

 まこと、まったく、「振り」ばっかり、何も分かっていない。

 結局は神頼み、「神様!これでお願い!」と拝みあげて購入したのだ。

 本日のナス苗は、白ナス、米ナス、小ナス、・・・なんと、本命の千両二号は購入せず。

 購入しないことの深慮遠謀は、・・・・・・・・無い。

 ただの優柔不断。

 それと、ピーマン、シシトウ、黄ピーマン・橙ピーマン・赤ピーマン、なぜか、ピーマンばかり喰う羽目になるこの夏が、こうして、日記を書いている今となって怖くなってきた。


 植え付けは、永田農法風に、・・・結局は自己流だ。

 すべては、神頼み。

 だが、神頼みでも、あれこれ考えてみる、・・・・・、無駄なことである。

 防風用のトンネルは入念にした。

 液肥もたっぷりやった。

 クンタンだって敷いた。

 
 普通食いの千両二号の植え付けは明日以降。

 続いてキューリ。

 スイカ、の予定。


 つまるところ、トーシロの俺がやる家庭菜園は、けっちいギャンブルだ。
by ribondou55 | 2013-04-30 23:24 | 畑にいます | Trackback | Comments(0)
まるで挙国一致、大政翼賛。

ついこの間まで、低成長にみあった生活を心豊かにすごそうじゃないか。

なんて云っていたのが、猫も杓子も、一気に成長戦略とやらの夢に酔いしれている。


『ものがたり グレゴワール・ソロタレフの世界展」(群馬県立近代美術館)を観てきた。

絵本はともかく、画家としてのGrégoire Solotareffは、わかりやすくはないが、好きになった。

お医者さん、それも精神の?

多くの作品に性的な暗示が含まれている。

このポスターのすっとぼけたオオカミの目つきが気になる。

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原色とおおきな平面と明快な形、精細さもちょっと感じさせるも、不思議におおらかでもあるきれぎれの太い輪郭線。フラットに塗られた面。アクリルと紙のとりあわせ。

楽しい。

擬人化された動物、人面でありながら獣の身体をもつ奇っ怪な者ども。奇天烈な空想上の生き物。

楽しい。

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でも、どことなく禍々しい。

いかがわしい。

だからといって、こどもの眼に悪いというわけでないのだ。

案外、いや、子供の中にだって薄気味悪い暗所はあるものだ。

子供という輩は、実はいかがわしさが大好きなのだ。

ガキの時分のボクがどれほど「うろんなもの」や「おどろおどろしいもの」に心ひかれたか、わくわくした。

そんな感じがした。


さてさて、企画展もさることながら、この美術館の他の現代美術の展示はなかなかなのだ。

石内都の作品では、「写真というのは、こういうこともできるのだ」と改めて思った。


さて、この美術館のレストランから眺める周囲の風景はすばらしい。

特に今日このごろの新緑の季節はとても気分がいい。

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では、肝心のお料理は?

・・・・・・・、おいしいのだが、でも、決定的に勘違いしているかも。

美術鑑賞は腹が減るのだ。

ここが核心。


今日は夕方畑に出た。

この季節、風がくせ者。

なす、きゅうり、とまと、かぼちゃ、れたす、とうもろこし、・・・この数日中に苗を植えたい。

風よけ、これをどうする。


こんなことばも、忘れないうちにメモっておこう。

『座禅のなかで起こることは、常識的に考えて悪いことでも、良いことでも、不思議なことでも、ものすごいことでも、面白いことであっても、なんであろうと、「どうってことない」という軽やかな受け止め方をしなければなりません。』(藤田一照「現代座禅講義」)



群馬の森の美しさはたとえばこんな風、惟然坊としては、とっても素直でよろしい。

若葉吹く風さらさらと鳴りながら 惟然










by ribondou55 | 2013-04-27 23:40 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)
このところ、夕飯の支度はずっとボクがやってきた。

結構、たのしい。

発見も多い。

今夜は、タケノコの土佐煮。それに、小松菜と揚げの煮物に初挑戦。うまくいった。

畑の作物と相談しながら夕飯の献立を考えるのも、たのしい。


では、この間に印象に残った作品は二作。

『ニワトリはハダシだ』(監督・森崎東、2004年)。

その前夜は『月とチェリー』(監督・タナダユキ、2004年)。

ベテラン中の、なかでも手練れ監督と新進気鋭の監督の作品を続けて観た。

相変わらずTUTAYA旧作100円棚から拾ってきた。

これまでにボクが観てきたタナダユキ監督の作品では『タカダワタル的』がいい味わいだった。

高田渡が亡くなってどれほど経ったのだろう。

ipodから渡節が聴こえてくると、いつでもほっとできる。


『月とチェリー』は、ちょっとおもしろい。が、「ああ、そんな感じもありだね」というところか。男が女に身も心も捧げますというオチは、今風のようだが、浜辺で砂が・・・・、というあたりは、ボクにはあまり笑えない。

主演の江口のりこさんが演じるのが、大学生の女流官能小説家である。

ボクの手元に、マガジンハウスから出ている「官能小説用語表現辞典」という、これは労作なのだが、おもしろすぎる。

最近は、この手のエロっぽい小説にどきどきしたりする機会もまるでないが、ずっと大昔は大好きだった。その表現辞典は例えば「スイートピー」とあって、これに用例文献のその箇所が引用されている。この文献は南里征典の『密猟者の秘命』とあるが、その引用箇所はここでは到底写すことはできない。そんなこんなが、ちょっと懐かしかったのだ。


『ニワトリはハダシだ』は、これはもうすごい。

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一つの作品にあれだけの要素を盛り込んで、全壊的破綻を来さない、どころか、云うべきことはきちんと云っている。

何といおうが、2011年3月11日以降の今日では、うかつに希望を云うのはだいたい嘘臭くなるとおもうのだが、この作品は今観ても、十分に本当のことだ。

原田芳雄のチチ振りが、よかった。

この森崎監督には、教えられることが多い。この監督については、すこし集中的に観てみようと改めておもった。


さて、ようやく里芋の植え付けをした。透明マルチをはじめて使用した。

ようやく口に入るまでに育った今年の二期生である水菜と小松菜が、おいしい。

サラダ牛蒡と小蕪の芽も出そろった。

レタスと九条葱のポット苗も育ってきた。

絹さやがどっさり穫れた。

タマネギも根本が太ってきた。

が、昨年11月に蒔いた大根は、不作に終わった。きちんと間引きができていなかったことが、原因。

今日あたりは、気温はさほどではなかったが、日差しに力が出てきた。

いよいよ、恥ずかしながらも我が熊谷の季節が巡ってきた。

したがって、植物も生き生きしてきた。

畑全面に有機石灰と堆肥と若干の有機肥料を施して、こまめ君で耕した。

この冬多少手を入れた成果か、だいぶ土の様子が良いか。


吉野弘さんの「生命」という詩をたまたまよんだ。

ボクの畑にはまだ虻はこないが、モンシロチョウがやってくる。

この間は、カラスが放っておいた大根の根元にくちばしを突っ込んでかじっていた。

やるもんだ。






by ribondou55 | 2013-04-25 23:30 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 なんだかひどく気色悪い世の中になってきた。
 
 春先4月、なんどかTVニュースで彼方此方の入社式の映像を見た。
 
 どれもこれも、男も女もまるで制服のごとく一様な姿形のスーツ姿。
 
 あるいは、アベノなんたらにの見かけの景気よさに気圧されたか、テレビも新聞も腰が引けてしまった。
 
 なんだかひどく気持ち悪い。
 
 人の顔色と世間の同調圧力に羊のようについて行く。
 
 たった一週間で百万部売れるなんて、あきれたもんだ。
 
 億万長者の小説家なんて恥ずかしすぎるだろうが、あの方の小説をこの国に待ち望む人々が百万人も居たなんてなんとすばらしい。
 
 もちろんボクだって読むのだが、ブックオフで105円棚にあがってからだ。
 
 こんな耄碌した爺さんだから3年遅れ程度でとぼとぼ行くのが身体にいいのだ。
 
 3年ほど経ってまだ読める作品なら、OK、そうであってください。
 
 いづれにしろ、なんとも静かで愛でたい人々だけが幸せなの国である。
 
 
 今日のTUTAYA旧作100円は、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(監督・ 吉田大八、2007年)。
 
 いま、もっとも旬な監督でありましょう。
 
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 でも、周回遅れどころか、三周ほども遅れて前走者のケツも見えないボクにとっては、ピッカピッカの新作である。
 
 主人公の女優志願の和合澄伽を自意識過剰の自己中女とみて笑うのは、まあそんなもんだが、だがこんな人は男女を問わず世間にはごろごろいる。
 
 己の無能さを他人のせいにして自己防衛するというやりかた、あるいは、使える人間は使い倒し、金のある奴にはこびへつらう。
 
 つけいれる人間には徹底的につけいって支配しまくる。
 
 己の欲望のためなら、タブーなんてあったのかしら?って具合か。
 
 澄伽さんは、特にエキセントリックというわけでもない。
 
 笑う方は笑う方で、妹の清深がそうであるように、「自己実現」の足がかりにちゃんとする。
 
 どんな悲惨も「運命」も、おもしろがって、お話にしてしまう作家の業なんて好意的に考えてはいけない。
 
 この姉妹はどっこいどっこい。
 
 馬鹿なのは、お兄ちゃん、和合宍道。
 
 「家族」という幻想にはまってしまった。
 

 で、一番不気味なのが、兄嫁、和合待子。
 
  待子は、怖い。
 
 その名の通り待っている、何を待っているのか?
 
 わからない。
 
 でも、ボクらは、だいたい何かを待っているのかもしれない。
 
 多少の波風は立っても静かな暮らし、すべてが不如意であっても、たとえ腹の中では黒い花が芽を出し咲いて実をつけていても、待っているのだ。
 
 何を?
 
 わからない。
 
 亭主が不可解に死んじまっても、待っているのだから、ほほえむことができる。
 
 いうなれば、この世の人には、「何も待てない人」と「何でも待てる人」の二通りしかいないということか。
 
 
 気色わるい昨今も、この二種類で世間が回っているのだろう。
 
 いや、今の世には「無理矢理待たされなれている人」というカテゴリーもいるかも知れない。

 ボクのような腑抜けは、・・・・・・・。
 
 
 
 絹さや初収穫、味噌汁の具にした、とてもおいしい。
 
 サラダ牛蒡、発芽。
 
 小蕪、小松菜、水菜の間引き。
 
by ribondou55 | 2013-04-19 23:58 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 子どもがいつの間にか《フールー》とかいうウェブ配信の映画サイトに加入してしまった。

 そこでボクはそれに便乗とあいなった。


 このところ毎朝7時半からBSで朝の連続ドラマを観る。

 さすがに宮藤官九郎さん、朝ドラにはちょっとふさわしくないような不穏な今時の生きた人間を登場させていてうれしい。
 

 小泉今日子さんは面白いなあと、にやついた後 、続いて火野正平さんの『こころ旅』を観る。
 
 そこで、毎朝、小生の胸の奥にちろちろ舌も出しているそぞろ神がくしゃみをする。

 そんなこんなして、畑へ行ったりして、昼時。

 昼飯を食べながら、《フールー》で『深夜食堂』を観る。

 一日一話と決めている。
 
 もともと、一部二部合わせて合計20回分の放映だったらしい。30分で一話完結。


 二十歳代まで飽きることなく読み続けてきた漫画を、三十過ぎたころからぴたっと手にすることがなくなった。

 なぜだかわからない、つまらなくなったのだろうか、時代について行けなくなったのか。

 だから、『深夜食堂』の原作どころか存在そのものを知らなかった。

 たまたま娘が居間で観ていた、それを一緒に観た、おもしろかった、というのが始まり。


 このテレビ映画は、出演者がとてもユニークというか、いいあんばいなのだ。
 
 店主はわけありと一目でわかる風貌の中年男だが、小林薫が飄々と演ずる、いい感じ。
 
 ここまで書いてきてウィキをのぞいたら、詳細な作品紹介があった。よほどのファンのお仕事のようだ。だから、詳しく知りたいのなら、十分に用が足りるので、後一言だけ。
 
 まァ、現代の人情話。いかにも花園神社の裏あたりという感じでよろしいが、そのよろしさは今ではとんと消えてなくなった人のやさしさ、ぬくもりへのノスタルジーである。

 品書きは豚汁定食だけだが、マスターは客のリクエストに大抵応えてくれる。そんな、喰いたいものを喰わせてくれる店があったら、・・・・、こういうのは、やっぱり、好きになってしまう。

 ボクもたこウイナーなんて、なつかしい。
 
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 毎回変わるお客さんが意外性あって楽しめるのだが、なにより、ご常連の面々が渋いかったり軽かったり、すばらしくいい。小寿々・剣崎竜・マリリン松嶋・忠さん・島ちゃん、それにマキ・ルミ・カナのお茶漬け三人姉さん、などなど。

 毎回、終わりにその日のドラマの「小道具」となったうまいもののレシピを紹介する、そこも気がきていて。

 それにしても、豚汁の作り方がボクのとは違っている、まだ、深夜食堂風に作っていない、近いうちに。

 
 
 今日の畑仕事は、苺に黒マルチ敷き詰めた。
 
 実が一つなったのだが、跳ねで泥まみれ、かわいそうだからマルチを敷いた。
 
 ものの本では、3月には終えておく作業であると、さっき知った。
 
 相変わらずのうっかりもの。
 
 アブラムシ、空豆全株を攻略せり。我が空豆、全滅。
 
 絹さや、初収穫間近。
 
 今週中に里芋植え付け、だれがレクチャーしてくれまいか。
 
 
 さて、今夕は食事当番、張り切ろう。

 
 
 
by ribondou55 | 2013-04-16 17:48 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 配偶者の快復途上の一区切りにしておこうと、吉野の桜を一目見ようと出かけた。

 この10日、奈良に二泊の宿を決めてのんびり出かけた。

 京都で途中下車して御室仁和寺の御室桜に立ち寄ることにした。

 ねぶたさの春は御室の花よりぞ  蕪村

 昔から数ある都の桜の名所でもっとも遅く見頃を迎えるという。

 満開。

 見事なものであった。
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 ついでにお隣の竜安寺の石庭越しのしだれ桜も見ておこうと足を延ばしてみた。

 おお、なんとこれも見頃であった。


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 翌日、吉野へ。

 吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ   西行

 奥千本まで行ってみた。

 
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 日本人の桜見巡礼の地として、吉野山は「聖地」といえるかも知れない。

 吉野は、大海人皇子が壬申の乱を起こすまでの期間を過ごした地であった。天武朝・持統朝では、天武朝の興隆の記念的な土地として、吉野離宮への数多い行幸があり、そこで吉野讃歌と呼ばれる和歌が詠まれた。しかし平安朝に入り、都が京へ移ってからは、吉野は地理的にも都から隔たった遠い地となる。さらに、役小角によって金峯山が開かれ、吉野は修験道の本拠地となり、蔵王権現の神木として桜が修験者たちによって植樹され、吉野は桜の山となった。11世紀になると、上皇や貴族たちによる御嶽精進(みたけそうじ)がたびたび行われ、吉野を訪れることも増えるが、それはあくまでも、めったに人々が訪れられない地だったからこそ、この地を浄土と見て参詣したのである。

 そうした歴史的な経緯、そして信仰の山そのものということもあるのだが、「願はくは花の下にて春死なんその二月の望月のころ」と詠んだ通りに、文治6年(1190)2月16日に入滅したという事実は、同時代の人々にも大きな衝撃をもって受け止められたたという、その西行が愛してやまなかった吉野の桜は、日本人の心性をくすぐる力を今なお有しているように思える。

 で、ボク的には疲れた疲れたというコトか。

 であるが、「一目千本」、まことに盛りのころは心を奪われよう。

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 染井吉野ばかりを「桜」と慣れてしまった目にも山桜のすらっと高い梢は清らかにさえみえる。

 それに、なんとボクらは奥千本から西行庵へとゆく崖っぷちの細道で花びらかとまがう雪に降られた。

 雪が通り雨のようにさっと降って消えた。

 敵である頼朝を前にして、義経との別離を静御前は歌う, 

 
吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき


そして、蔵王権現。

 念願が果たせた。





 

by ribondou55 | 2013-04-13 23:14 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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