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 この夏、出羽三山を巡りたいと思っている。

 折しも、この本と書店店頭で出会った。

 自然な出会いである。

 湯殿山のご神体を拝みたい、と改めて思った。


 「ありのままの世界に向かい合い、生と死の混在する領域に分け入ること・・・・・・・」


 もう一箇所、高野山石町道。

 今年のうちに歩いてみたい。




 足腰を鍛えなければならないなあ。


 





                                  
by ribondou55 | 2012-06-26 23:39 | 読み捨てご免 | Trackback | Comments(0)
 妻は、昔の友人とランチ、夕方まで帰らない。

 ちょっと仕事をして、畑へ出るには、少し暑い。

 そこで、館林美術館へ出かけようと・・・・・。

 企画展示 「館林ジャンクション-中央関東の現代美術-」、ちょっと、そそられる。

 中央関東とは、よくぞ言いやったり!

 これが、始末に負えない「地方」なのだということは、長く住民でいないとわからない。

 都民の大多数が、この数世代に限っても、すすんでお上りになった田舎出身か、その子孫であることはいうまでもないが、中央関東の連中は、中途半端に都民になりすまそうとはしない傾向がある。

 遠くても数時間で都心に出られる。

 テレビ局も中央と同じチャンネル。

 セブンも、ローソンも、ファミマも、みーなある。

 なんで東京に行く必要があろうか。

 「おらァ、おら、だんべェ」なんて、つい口にして、赤っ恥かいたあげくの自己嫌悪なんてのもまっぴら。

 だからかえって、あんなに近い「東京」に距離置く。

 
 そんな中央関東の「あーと」はいかに反「東京的」かと思ったら、妙に当たりまえ過ぎた。

 ただの、・・・・。

 僕は、中央関東が目指すべきことは、いってしまえば、「中央」と「地方」の狭間性だと思う。

 その中途半端さで、東京を嗤い、地方主義の偏狭さを白眼視してやれ。

 がさつな房総人とこましゃくれた湘南人を蹴っ飛ばせ。

 ともあれ、


 中央関東なんて、単純に地理的な位置づけにすぎないのだ。

 だが、この地域の「糞暑さ」をあーとにしてはくれなだろうか。

 たとえば、「山田うどん」、・・・・子供づれの農家のおしゃれファミリーが、田んぼが見えるカンター席で、パンチを食らっている、あの風景。ちなみに、パンチとは、モツの煮込みなのだが。

 いいぞ。


 光山 明さんと藤井龍徳さん、・・・・ユーモアときまじめ、対極の作風だが、好みです。


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by ribondou55 | 2012-06-24 17:05 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)
 日比谷で、「私が、生きる肌」(監督 ・ペドロ・アルモドバル・2011/スペイン)を観た。

 ちょっと、楽しみにしていた映画だ。

 観たのだが、期待は裏切られなかったのか、はたまた、裏切られたのか、・・・当の本人が判断できない。

 なぜかというと、導入のあたりで、僕はうとうとしていた。

 本題から外れるが、このところ、といっても、もう二年あまり前からだが、一つのものを集注して見ようとすると、眠気に襲われるという、いやな「症状」が発生するのだ。

 一番困るのは、美術館。作品の前で、瞬間、すとんと、意識が落ちる。

 まさしく、すとん。

 発作なのか。

 博物館の仏様の前でも、落ちた。

 例のボストン美樹館展でも、あの人混みの中で落ちた。目覚めてからもひどく眠い。

 眠くて眠くて・・・近くのベンチに腰をおろして、できれば、しばらく眠りたい。

 竹橋の近代美術館のお堀端の緑がひろびろと見渡せる休憩室で、うとうと眠ったのは、・・・先々月か、・・・「写真の現在4 そのときの光、そのさきの風」という展覧会場を徘徊したあと、・・・・・・気持ちよかった。


 とうとう、病が進んで、映画館のスクリーンを前にしても始まったのだろうか?


 つぎは、美しいご婦人のかんばせに睡魔が兆すようになるかもしれない。


 さて、映画だが、簡単に狂気の沙汰のお話といってみれば、それでシャンシャンと手打ちできそうだが、そんなもんじゃないな、と思った。

 後半の種明かしは、まあ、わかりやすい。なぞなぞは、途中でわかってくる。

  因果応報、復讐の連鎖。

 「主体」なんてものは、結構もろい。自分は何者にもなれるかもしれない。

 或いは、そんなことはなくて、肉体はいかに作り変えれようと己が己であることには、変わりないのか。


 それよりも何よりも、Madな整形外科医の「愛」のありようは、危険だ。

 「愛」というものは、まったく暴走する。今更ながらだが、「愛」はまったく自己中で、反倫理的だ。

 ちらっと、「神話的」と、思ったりするが、まずまず。


 エレナ・アナヤは、とてもきれいだった。
by ribondou55 | 2012-06-23 23:49 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 戸外の風雨、激しく雨戸をたたき、揺るがす。

 タイフーンとは、旋風のことで、颱風とはまったく由来の違う言葉だと聞いたことがある。


 畑の作物が気になるが、いかんともしがたい。

 倒れるものは、倒れるしかないのが、さだめだ。


 低気圧の接近で、やはり、今日一日、不調であった。


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by ribondou55 | 2012-06-19 22:32 | のらり句らり | Trackback | Comments(0)
 《トーマス・デマンド(1964年生まれ)は、被写体となる状況を自ら制作して撮影する構成写真で知られる、ドイツ現代美術界を代表する作家の一人です。デマンドは主に政治的、社会的事件が起きた現場の風景を、写真をもとに厚紙で精巧に再現し、それを撮影します。

ちらりと浴槽がのぞくバスルームやがらんとしたコピーショップ、エスカレーターなど、ごく普通の日常の風景が切り取られた世界。それらは一見本物と見紛うものの、よく見るとその空間を占める均一な質感によって、見る者は奇妙な違和感におそわれます。わけありの場面、日常の背後にある心理的な風景を、デマンドは静かに、ぞくぞくさせるような形で私たちの目の前に見せてくれます。》


 東京都現代美術館のサイトの本展の紹介文である。

 たしかに、そこに写し出されいるのは、日常の風景もあり、それは均質な質感で出現している。しかし、僕にはとくに違和感をもたらすようには見えなかった。

 僕が思ったのは、すべての作品にあるヒトの「不在」ということ。
 そこに見えていたバスタブや大統領の執務室や、あるいは、事務機器が整然と配置されたオフイスにヒト影がない。環視カメラの映像に記録されたらしい、高層ビルの階上レストランが大地震に揺れ動く風景にも。それでいて、その「不在」が、一層、人間の「存在」を強く感じさせる、というようなことを思った。

 ちょっと、飛躍的にいうしかないが、僕らは、実は、「文明」との共生を強いられるのだ、というようなこと。

 中に、福島原発事故の報道で何度も観た原子力発電所の制御室が写し出されあった。爆発後、職員は避難して「放棄」されたあの部屋である。はたして、その後ヒトが戻り機能が復帰したのかどうか、知らない。しかし、ここには本来ヒトが居続けるべき場所であった。そうした場として構築された空間であり、設備であった。ここで、ヒトは「生きていた」し「存在し」続けることが、求められていた。そうでなければならなかった。

 僕らは、人工の構築物をあらかじめ在るものとして、その空間と「共生」しなければならない。その空間と折り合えつけて生活するしかない。もちろん、妥協してゆくのは一方的にヒトの方だ。

 しかし、それが構築物である以上、何者か意図して作ったのだ、いうまでなく「神」であるがはずがない、では何者か?

 イワズトシレタコト。

 その空間は、むしろぬめっとして均質なのがいいのだ。

 病院や刑務所や学校のように。


 「もの」が「世界」を「構成」して先ず用意されて、在る。

 これが僕らが生きる世界だと、作品を目にしながら、ぼんやりと考えた。

 それは、僕にとっては、むしろ親しい感覚である。

 

 東京都現代美術館にゆく道々、お稲荷さんにお願いごとをした。

 誰か、遊んでくれますように。

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by ribondou55 | 2012-06-15 23:30 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)
 仕事帰り、新宿で「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(監督・若松孝二》を観た。

  『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)、『キャタピラー』(10)と観てきたのだが、「11.25自決の日」は、眠くなった。

 とりえのない映画だ。


 帰り電車の中で、二、三日前、BOOK OFFで105円と引き替えに拾ってきた伊藤比呂美の「女の絶望」という身の上相談小説?を読んで、おおいに楽しめた。

 それから、なんとなく深沢七郎の「「人間滅亡的人生案内」を思い出した。といっても、伊藤さんと深沢さんが似ているわけでない。伊藤さんは、随分まっとうな人だ。

 深沢さんは、たしか三島さんを「いやなヤロウ」と言っていたように思うが。


 この映画のことは、あまり言いたくないような気がする。とにかく、僕にとっては退屈だった。それとしても
「盾の会」の制服は、アニメっぽかった。それは、悪くなかった。

 だが、やはり、・・・・・・切腹はいただけない。


 今朝の飯。
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by ribondou55 | 2012-06-12 23:06 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)
 「物語」のない日常に・・・・。


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by ribondou55 | 2012-06-11 19:11 | のらり句らり | Trackback | Comments(0)
by ribondou55 | 2012-06-10 19:16 | のらり句らり | Trackback | Comments(0)
 
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 女性に対して挑発的な振る舞いと見えて、実は男たちの危うさがみえてくる。

 
 「フロストバイト」からして、痛快、と女性たちは笑い転げるに違いない。

 
 《木漏れ日の向こうに》は、理屈はどうあれ、美しい、というのは、間違いか。




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 いい感じの美術館前の広場、好きだ。




 
 
by ribondou55 | 2012-06-08 22:54 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)
by ribondou55 | 2012-06-07 21:25 | のらり句らり | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂