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花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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<   2006年 01月 ( 8 )   > この月の画像一覧

  昨日から今日へ、DVDで三本観た。
 
    市川準監督「トニー滝谷」

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     監督:テイラー・ハックフォード「レイ」
    
宮崎駿監督「ハウルの動く城」

  「ハウルの動く城」は劇場ですでに観ていたが、TUTAYAの棚の前でふと手が伸びた。
  改めて、宮崎駿もやきが回ったものだと思い、ちょっと嬉しかった。倍賞智恵子もキムタクも駄目だ。むしろ凡庸なテレビアニメの声優でさえ、わずかな努力で越えられるだろう。倍賞智恵子は、さほどの演技者ではない。〈さくら〉役にしても年を経てその人物に年輪を加えたとは到底思えない。そういう人だ。この映画は、すべて作品の制作に先立ってあらかじめ多くのことが決定されている。それは、表現に於いても、内容に於いても。技術は確かに優れているが、何に役立てていいのか、すでに宮崎駿は、空っぽ?
  「レイ」もさほどのものではない。身体障害・弟殺しのトラウマ・ヘロイン・仲間の背任・性的逸脱そして差別・母への愛着、おそらく遠い処にある神。腹一杯に詰め込まれる。が、云うまでもなく、この映画の本筋はレイ・チャールズの音楽の生成と発展にある。この映画で、その懐かしい曲に再び出会うのだが、そのそれぞれが、彼のおなか一杯にされたエピソードに重なるという、ちょっと安易な造りになっている。そんなことは、あるまいよ。
  「トニー滝谷」は好きだ。イッセー尾形・宮沢りえもとてもいい。原作が収められた短編集「レイシントンの幽霊」は村上春樹の短編集の中でも、どちらかかと云えば地味な本だが、近作「東京奇譚」はこれに続く雰囲気があった。ともあれ、宮沢りえは、当代のもっとも魅力的な女優である。文句なしに美しい。この映画では、さらに美しい。それだけで、観るだけの意味がある。

 それにしても、映画は茶の間で観られてはたまらない。「レイ」を観た後、妻と手分けして天ぷら饂飩を作った。妻がかき揚げを揚げる間、ボクがつゆを作った。饂飩を茹でた。それを、食べながら「ハウル」を観た。そういうのは、映画にしたらたまらないないだろう。
 「トニー滝谷」は土曜の午後、和室に寝ころんだり、正座したりしながら、差し込む日の光の移動にあわせて位置を変えながら観た。時おり庭先の山茶花の真っ赤な花に目が行くのだが、それは、けっして映画を損なったりは、しなかったが。




    寒厨にカノンに似たる吐息かな      李凡堂

    寒灯やおっぱい恋し赤き色

    かじかみて愚人おのれが深き森

    凍て空を沿いつつこの川分流す

    鮟鱇のゼラチンすする第九なり

    一月や耳かきほどの砒素を欲る





    

by ribondou55 | 2006-01-29 12:32 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)

  ムンクについて云えば、ボクはムンクの「白」が好きだ。ムンクの白は、死の色である。

   b0018682_23564029.jpg  ところで、この長寿に恵まれた画家は、狂気じみた前半生をおくる。「マドンナ」はその時期の一つの達成である。ボクは、この絵から死を凌駕する官能の輝きを感じる。
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  くぼんだ目、乱れた肩にかかる黒髪、恍惚を耐える唇。その表情の魅力ももちろんだが、反り返る胸から腹部にかけての明るい肉体の輝きは、まことに官能的である。つつましい乳首は、まさしく聖なる淑女のものでるあるようだ。

 でもね、やりすぎだ、な。
 
 実を云うとボクは、こっちの方が好きだ。b0018682_0112653.jpg
  盲目の少女の紅や冬噴水   李凡堂
  















by ribondou55 | 2006-01-15 23:50 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)
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 エゴン・シーレは28歳で亡くなった。スペイン風邪で死んだ。
 シーレの描く男と女は、胸を観ただけでは区別がつかない。
 歪み歪みごつごつとひかれた線と強力な自己主張は、やはり夭折者の特権といえそうだ。
 この作品は、シーレが亡くなった前年(1917)から死の年(1918)に描かれたものだ。この家族がシーレの一家だとすれば、家族の遺影といえる。 妊娠6カ月であった妻のエディットが10月28日に他界。妻を看病をしていたシーレも、その3日後の10月31日、同じスペイン風邪で死んだのだそうだ。
 スペイン風邪は、第一次世界大戦終結直前の1918年5月末、マルセイユで風邪が流行し始め、15日間で西部戦線の両軍兵士の間で蔓延したのだそうだ。この風邪がインフルエンザであることは明らかだが、非常に症状が重かったことが特色で、全世界で2000万人から6000万人が死亡したとか。ちなみに当時の世界総人口は12億人にすぎない。シーレもそうして死んだ
 およそ馬鹿げた連想で申し訳ないが、ボクは、26歳で変死した尾崎豊の自意識過剰な歌声がCMの背後に流されて客よせにあしらわれるのを聴くと死者は口をきけないという悲劇を胸くそ悪く思うのだが、エゴン・シーレの死後はいかがなものなのだろう。

 上の妻のエデットの乳房は、母の乳房である。みっしりと張りつめているのは、子どもを宿すからか。手前の子どもにふくませる乳か。シーレとおぼしき男のたくましい腕でもっても、スペイン風邪からは妻を守れなかったが、この乳房には、希望がある。

 それにしても、シーレの描く女たちのおっぱいはおおむね小振りで薄い。が、鉄条網で縛り付けられたような乳房からたちのぼるエロスはひどくデリケートなものであって、捨てておけない。b0018682_194248.jpg







  妹よ義眼へ冬の月光満つ      李凡堂

  













by ribondou55 | 2006-01-14 23:24 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)
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                         アメデオ・モディリアーニ「横たわる裸婦」

  モディリアーニが描く裸婦は、いづれもきわめて官能的である。時の官憲が彼の裸婦を目の敵にしたのは、彼らの欲情を刺激したからである。
  この絵でも、おっぱいはとてもよろしい。古典的なフォルムを保ちながら、掌にあまるにちがいない胸の隆起は、挑発的である。細長の面立ちとこちらを向いた切れ長の面差しと、薄幸の娼婦めいた揺らめきがたつ。その頼りなげな表情とおっぱいの量感のアンバランスがいい。ところで、尻の線も悪くない。



女肌待つ辛抱や雑煮餅        李凡堂

   ぬる燗に数の子を噛む砂漠かな

   寝正月人間世界の気味悪さ

   鐘冴ゆる六時のニュース味噌を溶く

   声冴ゆる祖国の白き尻噛めば

   

   
by ribondou55 | 2006-01-08 23:13 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)
さて、


サンドロ・ボッティチェリ「ヴィーナス」
─ 15世紀作品

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 この作品と昨日のジョン・カリンの「Twisting Girl」の女性像の間のは、少なからぬ共通点がある。
  まずは髪。輝くような金髪、カールして、微風にそよぐ髪。
  二つめ、軽くひねった首、顔。
  三つめ、何事かを見ているようで、何にもとらわれてない眼差し。
  四つめ、長い腕。
  五つめ、豊かな肉体。
  そして、真円形の乳房。

 違いといえば、ジョン・カリンが描くのは、いかにもアメリカの田舎娘。それは、頬の赤い田舎娘の挑発的な肉体。に対して、「ビーナス」の恥じらい。Girlが、まとう着衣のはち切れんばかりのエロスの形こそ、現代のぼくらの欲望の眼差しの一つの夢の結晶を観る。



   一月四日汗ばむ肌着脱ぐ天使    李凡堂





by ribondou55 | 2006-01-04 18:37 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)
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                         John Currin
                         Twisting Girl
                         1996
                         oil on canvas
                         96.5cm x 76cm

 金髪・巻き毛、そして巨乳。ジョン・カリンの独壇場である。
 振り向くねじれた細い首、膨れあがった二つの乳房、くびれた腰、たっぷりとしていて贅肉のない尻。これぞ女性、なかんずく、その乳首のたった巨乳。楽しくはないか。そこはかとなくただよう懐かしさ。その表情のあどけなさ。これも`おっぱい`の夢のひとつ。


   磨き鏡や雪をみし三日     李凡堂





by ribondou55 | 2006-01-03 23:34 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)


さて、昨日、たんなる思いつきの駄句をここに投じた。

  去年今年君の乳房を探しをり     李凡堂
                               
 まさしく、駄句だが、今日一日、ほとんど飲んだくれていたのだが、今頃酔いが覚めて、気になりだした。

  去年今年君の乳房に遊ぶかな
  去年今年指行く先の乳首かな
  去年今年冥土土産の乳房かな
  おっぱいを吸う俺の背に雪降りぬ
  新年やおっぱいありてめでたかり
  去年今年乳房の辺り祈りをり
  去年今年神在らぬ朝のおっぱい
  去年今年乳房ふたつに照らされて
  
 なんがか、ばかばかしくなる。が、・・・・・・。

 ところで フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の乳房の項はなかな読ませる。

 《乳房(にゅうぼう、ちぶさ)は、多くの哺乳類のメスに存在する、皮膚の一部が盛り上がっているようにみえる器官で、その内部には、乳汁(母乳、乳)を分泌する外分泌腺の乳腺(にゅうせん)がある。俗におっぱいとも呼ばれる。

乳房の表面には、乳汁が外部に分泌される開口部を含む乳頭(にゅうとう)が存在する。哺乳類では、産まれてから一定期間の間の子供は乳汁を主たる栄養源として与えられ、生育する。哺乳類の名前は、ここから来ている。オスの乳房、乳腺は通常、痕跡的である。

ヒトの乳房は、通常は胸部前面に左右1対存在する。乳房の存在意義は、出産後母乳を分泌し、乳児を育てることであるが、現代人にとっては、母乳を粉ミルクにより置き換えることが可能なことから、その重要性は他の哺乳類ほどではなくなっている。一方、女性特有の器官である乳房の大小、美醜は、女性の身体的魅力の一要因としてみなされており、社会的な関心、注目度は高い(#関連を参照)。 また、男性にとっては興奮剤でもあれば癒される場所でもある。



  いうまでもなく、ボクの関心は、この傍線部分に関係するもので、ほ乳類のほ乳類たる所以などまったく関心がない。

 じつは、(#関連を参照)の項が一層おもしろくて、(巨乳)(貧乳)の項へリンクしている。これがなかなか充実しており、ここでは巨乳有名人なるものの紹介があり、それはなかなかに詳細である。で、この(巨乳)の項には、次のような懇切丁寧な注釈まで付加されている。

 ・ 一般的に、乳房の大小は、極めて主観的な嗜好に過ぎず、ことさらに乳房だけを取り上げることに関しては批判も多い。
 ・女性の美徳として、乳房について述べる事はセクシャルハラスメント以前に人格の否定にも繋がる危険をはらみ、男性は、女性と親しくなるまでは乳房の話はしないほうが良い。
 ・巨乳(それ以上)とされる女性からは、「でかすぎて逆に男性がらちらちら見てくる。しかもブラジャーもでかくないといけないし、ていねいにあつかわないと、胸が垂れるので、貧乳よりもけっこう気をつかう。」という意見も存在しており、意中の男性にアピール出来るだけならまだしも、関係の無い男性までもが興味本位に近づいてくることは、気を使いすぎるだけのようだ。

 いや、実に親切ではないか。

 新年にあたり、ボクにとっておっぱいとは?というきわめて深遠にして根元的な問題に意識を向けてみよう。と、いうことにしよう。(この項続く)


   鬼不在ブランコ広場のむつみ月      李凡堂





by ribondou55 | 2006-01-02 11:20 | 目の快楽 | Trackback | Comments(0)

針千本を呑み込んで

 

  一茶の句に、

  冬の夜や針うしなうておそろしき

 がある。小学館の古典文学全集の注には、蕪村の「身にしむや亡妻の櫛を閨に踏む」が連想されるとあり、『「針」と「櫛」の違いや、「亡き妻」としてある点など、蕪村の方が手の込んだ趣向である』と解説されている。
 どちらの句を好みとするとかは、読み手次第でどうでもよい。
 ただ、ボクの感じでは、先の注釈者がこの二句を並べることに違和感がのこる。
 蕪村は、作りすぎだ、一茶の「おそろしき」のリアルさは、「身にしむや」という蕪村の狙う虚構の詠嘆とは、全く異質だ。
 蕪村は「櫛」に妻を偲ぶ夫と亡き妻の情愛の歴史性を象徴させるが、一茶の「針」にはこの瞬間の恐怖しかない。たかが「針」であるが、その失われた「針」が人の「神経」につき刺さると抜き差しならないような、一瞬の恐怖が背筋の辺りを走り、いてもたってもいたれないような思いになる。

 今日、新しい年が明けたが、ボクの神経には幾本もの「針」が紛れ込んでいて、時折深く屈託する一年になることは、疑いない。

    


   去年今年君の乳房をつねったり   李凡堂

   
by ribondou55 | 2006-01-01 23:57 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)