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カテゴリ:今は昔( 4 )

 沙石集のうちの一話。

 ざっくりとこんなお話。

 ある尼さんがいた。金色の立像の阿弥陀仏を、美しく造り申し上げて、本尊として拝み供養していた。

 そのうち、もともとは京の都に住んでいたのだが、縁あって片田舎に下った。このご本尊さまもお連れして、知り合いの持仏堂に安置して、花や香を絶やすことはなかった。
 実は、この尼さん何事に付けても四角四面な性格で、ひどくケチでもあった。香を供養するにつけても、持仏堂であるから回りにたくさんの仏様がおいでになるのが気になった。自分が供養した香の煙が傍の仏さまの方に流れて、己のご本尊に届かないのではないかと不安に駆られた。そこで一計を工夫した。香をたく器の蓋に細い竹の筒をねじ入れて、その片端を仏の鼻の穴にねじ入れて、ほんの僅かであっても香の煙が散らないようにしたのだ。そのようにして香を供養していると、しばらくすると金箔を貼ってあった仏の鼻が、漆を塗ったようになって、ついに金色の輝きが失せてしまったのだ。

 さてさて、この尼さんもやがて寿命が尽き、女人に生まれ変わった。
 生まれ変わりの女人は顔かたちは人並み以上であったのだが、なんとしたことか鼻の穴が真っ黒で、まるで墨を塗ったようであった。
 
 まことにもって、因果の理ということであろう。 (沙石集巻第八の七・佛の鼻薫ぶる事)


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 ところで、ボクは、この尼さんを笑うことが出来るだろうか?











by ribondou55 | 2019-02-12 23:03 | 今は昔 | Trackback | Comments(0)

中也『冬の記憶』の一節

 毎日々々霜が降つた。

 遠洋航海からはまだ帰れまい。


 
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by ribondou55 | 2019-01-12 14:59 | 今は昔 | Trackback | Comments(0)
 昔むかしのことであるが。


  下駄浴衣両の手に杏飴      李凡堂




  

by ribondou55 | 2005-07-21 23:54 | 今は昔 | Trackback | Comments(0)


 今は昔の物語である。    

 「蜃気楼」という酒場があった。東京の荒川区よりの場末の飲み屋であった。もう、ふた昔も過ぎた記憶だが、目が少しつり上がったちょっと男好きする色白の女が店を張っていた。夏になると、胸の奥がのぞけそうなたっぷりしたシャツを着て、蛍光灯の下でもいい女っぷりだった。

 時折、女の気合いの入った目の色が見たくなり通ったものだが、七月末の夕立が止むのを待って店に行くと、餃子とラーメンの店にかわり、近くの若い工員達が真っ赤な顔をして大笑いしていた。それっきりだ。

  天花粉匂う胸元ほのかなり (李凡堂)

 其角の句に「見る人も廻り灯籠に廻りけり」とある。
 あることを思い出していると、その肩に並んで、昔の人が立ち上がるような気がしてくる。

 「蜃気楼」の女は、四十は超えていた。客の間のは、女は学士様だインテリだなどと、噂されていた。ほとんどが町工場の職人で、そんな女が時折媚びを売るのを、たとえ商売上の振る舞いであるとわかっていても、もの珍しくついついお代わりをしてしまうのだった。
 先に荒川と書いたのは、間違いで隅田川である。大塚から都電に乗って、ゴトゴトとゆく。荒川遊園を過ぎてしばらくすれば、降りる駅になった。
 さて、都電にもしばらく乗らない。

  短夜やほおづえ解ける酒ぬるむ (李凡堂)

 というような、記憶がこのところ蘇る。通勤電車の中で気がつくと、こんな感傷に遊んでいる。笑止だろうか?





by ribondou55 | 2004-08-31 23:09 | 今は昔 | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂