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花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
カレンダー

カテゴリ:生きている( 51 )


日雷は「ひがみなり」とよむ。


連日の雷。

雷三日と、昔の人は云ったが、確かに続けてやって来ている。

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本日は三十七度。



高村薫「我らが少女A」を読み終えたのは数日前のこと。

この小説が新聞小説であったことに、読み終えてから分かって、驚く。

今回も、この作家の脳内はどのようになっているのかと、・・、あきれる。

褒め言葉でアル。



午前中、小一時間畑の草を退治する。

この暑さでは、はかどらない。

急いで家に戻って、シャワーをあびる。

根を張ってしまった雑草は、手強い。

このペースだと、終えるには幾日かかるやら。

















by ribondou55 | 2019-08-01 23:18 | 生きている | Trackback | Comments(0)


武蔵丘陵森林公園にて。

異常に長い梅雨、そのちょとばかりの晴れ間に。

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季節は、すっかり夏に入っていて、森は濃い緑だ。

つかぬ間青空が見えたが、

むせかえるような蒸し暑さで、

ただブラウラブらと歩いているだけで、

汗がじっとりとにじみ出てくる。

それでも、森の空気はボクの頭をすっきりとしてくれた。












by ribondou55 | 2019-07-20 17:46 | 生きている | Trackback | Comments(0)

「0」とは、交尾の形。

「とうすみとんぼ」とは、イトトンボのこと。

森林公園の小さな池で。




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イトトンボの一種、キイトトンボの産卵。

見ていて飽きません。

参考に、↓、お借りしました。











by ribondou55 | 2019-07-18 16:55 | 生きている | Trackback | Comments(0)




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昨夜、古希の祝いをしてくれた。

老妻がいて、息子夫婦がいて、孫も愉快そうにしていた。

一番小さな孫は、愚図りもせず、寝てばかりいた。



先週は、娘夫婦が祝ってくれた。

久々にナイフとフォークで食事した。

ここの孫は、おてんばでアル。



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〈古希〉とは、杜甫の「曲江」を出典にもつのだという。


朝廷を退出すると、毎日春着を質に入れ、そのたびに曲江のほとりで酒を飲んで帰ってくる。
 酒代の借金はあたりまえのことで行く先々にあり、
どうせ人生七十まで生きられるのはめったにない。
(だから今のうちに飲んで楽しんでおきたいものだ)
 あたりを見ると蝶は花のしげみに見えかくれして飛び、
とんぼは水面に尾をつけてゆるやかに飛んでゆくのどかな風景である。
 私はこの春景色にことづてしたい。
我が身も春光もともに流れに身をまかせ、
春のしばらくの間でも、その美しさを賞(め)で楽しみ、
そむくことのないようにしようではないかと。(関西吟詩文化協会HPより拝借)





誕生日は、とうに迎えているので、70歳になってからの「日常」には慣れてきた。

なんだって?

「60歳代の日常と、どこかに違いがあるというのか?」と。

そう正面切って問われると、言葉に窮するのだが。

大体、ボクはそんな歳まで生き延びるというのが、想定外の出来事のような感じがある。

どんなに丙凡で退屈な生活であろうと、「明日」という日は未知の領域にある。

明けない夜はないというが、もしかすると、あるのかも知れないのだ。

「そんなことなら、おぎゃっと生まれてこの方、ずっと変らずにあることではないか」・・・・。

左様云々ごもっともであるのだが、・・・。




さて、杜甫の詩であるが、杜甫は70歳まで生きている人は稀だとしか云っていない。

一見すると、お酒を飲んでケセラセラ、長生きを望むより今の春を楽しもうよ、と。

いやいや、苦いではないか。

反吐が出そうになる人の世であるからこその、春の景色のうららなさ・美しさ。

暫時相賞莫相違

全く、ここが、ムズカシイのだ。


実際に杜甫は、770年59歳で不遇の内に亡くなった。(「杜甫詩選」黒川洋一編、岩波文庫)

還暦までも生きていなかったのだ。

70歳まで生きていたら、どんなことを考えただろうか。




良寛さんは、1831年72歳で亡くなっている。

良寛さん、・・・、よくわからん、歯が立たない。








(注)「丙凡」とは、小生の造語で、平凡以下のありきたりといことだ。









by ribondou55 | 2019-06-08 09:41 | 生きている | Trackback | Comments(0)

こんな幼い蚊なら、まだ涼しげだろうか。




 暑さがまるで「取り柄」と勘違いされている当地の今日の最高気温は35度。
 
扇風機を出した。

 そして、蚊取りスプレー。

脛に二カ所やられた。


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23時を過ぎても蒸し暑い。

まったくの夏だ。

やれやれ。




米国大頭領と日本国首相の仲良し小好しアッピールも、暑苦しい。

どうぞ土俵へはこの階段から・・・、オモテナシ?

まことに巧みな令和改元の政治利用、・・・たいしたものだ。

NHKは全局あげての提灯持ち。

笑えない。


もやすでも消すでもなふて蚊遣り哉   横井也有












 

by ribondou55 | 2019-05-26 23:15 | 生きている | Trackback | Comments(0)
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今日も今日とて、この旨の言葉を放られた、このところ続けざまだな。

「ここにマニュアル置きますので、暇でしょうから読んでおいて下さいね、ちょっと次を急ぎますので」と。

「くださいね」の「ね」に引っかかった。

でも、本来ハお客サンである筈のボクはへいこら薄笑いでやり過ごした。

「ね」という終助詞は、大体において、なれなれしい上に断定的で押しつけがましい、ちょっと、相手を見下す感じもアル。

つまり、奴さんは、「オレを暇人と決めつけているな」と直感したのだ。

「暇人」・・・、感じの悪い云われ方だ。


ボクを「暇人」と決めつけた人は、ボクよりチョット高齢で糖尿で時折倒れるが、こまめにお金は稼いでいるらしい、この場も彼のお商売だ。

オオムネ、身体が動くうちは、働けるだけ働いていたい的な、楽しいコトや美味しいことを死ぬまで追求したい的、絶倫指向の人物ではないかとお見受けした。

ツマリ、人生100歳時代の 、一億総活躍社会の側の人である。

 対して、ボクは「暇人」、無駄に酸素まで吸っている非生産的存在というわけだ。



暇と云うことは、「用事」がないということだ。

お忙しいとは、用事だらけということだ。

ボクだって、長い間分刻みといえばおおげさだが、それなりに忙しかった。

だが、その時だって思っていた、ナント下らんどうでもいい「用事」の多さよ。

自分は多忙につき、これやっといてという輩の「用事」って一体何?

あんたの後生大事にしている「用事」について、まずご説明願いたい。


「用事」とは、一般にしなくてはならない事柄。

そのしなくてはならない事にも、公の場合と私的な場合とある。

私的な場合、例えば気のあったもの同士のランチの約束がある、なんてものも「用事」か。

ボクに云わせれば、そんなもん、ほとんど重要性を感じない「用事」である。

が、多分親の死に目に会えなくてもお友達とのランチを優先的「用事」とするお方もいるのだろう。

だからこそ、礼儀正しく、私には此れ此れこういう事情でありますので、あなたにこれこれを伏してお願いしたいと、ね。


   
確かに、ボクは世のため人のために何もしていない、自分本位の気ままな暮らしであることは認める。

いっちゃあなんだが、日々努力してしてそうしている。

では、気ままな暮らしの人間は、とりもなおさず「暇人」ということか?

あの人、定年になったらしいけであまり見かけないね、いつも家に籠もっているそうよなんて、噂されたら、「暇人すなわち無用の人」か?

案外人は、誰の目にも触れない大切な「用事」をかかえているかも知れないではないか。

ボクは全力でお「他者」様方のお世話にならないよう、邪魔にならないよう、目障りにならないよう、余命を生きている、それがボクの気ままな暮らしの「用事」だ。

それなのに「こいつは、暇人だ」と決めつけられてもなあと、思うだけだ。

こういってはなんだが、気ままに暮らしというものは、結構微妙なバランスの上になりたつものだ。

やっぱり、忙しくも無し、暇もなしというのが、気ままな暮らしと云うしかない。



だが、世の中のみんなが気ままに暮らしていたら、世の中は回っていかないだろうが。

そのようにあきれるお方がおいでだろう。

そうなんだろうが、気ままというのは、案外善良にして理念的なものだ。

世の中が危ない、その人あの人の生存が脅かされているとなれば、気ままにお節介するのだ。

そんなに捨てたものではない、そこは確かだ。


 
今振り返って気づいたのだが、ボクはわが奥さんから、一度たりとも「暇人」呼ばわりされたことがない。

これは、いいことだなあと、思った。

ありがとう。










by ribondou55 | 2019-04-25 23:04 | 生きている | Trackback | Comments(0)
 今年のひな祭りはつまらない。

 孫が顔をみせないからだ、・・・、情けない孫呆け爺さんに成り下がったか。

 夕べ手慰みに、中沢圭子さんの「立体切り絵カード」から型紙を拝借してこんなのを雑に作った。


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 さて、昨日はよい陽気だった。

 年を取ったせいか、気分が天候に左右される、今日のような冷たい春の長雨は酷くよろしくない。

 で、アーツ前橋で「闇に刻む光ーアジアの木版画運動 1300sー2010s」を視た。

 「視た」であって、「観た」ではない。


 
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これは、展覧会のお知らせチラシであるが、ビラといっていい。

裏側はこんなだ。



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見出しにぐっと迫る文字が躍るが、この展覧会の骨子はその通りであった。

1月20日まで、福岡アジア美術館で展観されていたものが、群馬の前橋までやって来た。


さて、ガキの頃、図工の時間の木版画の制作をさせられた。

高学年になると毎年あった、おまけにコンクールもあった、ついでに云うと、くそったれの賞状コレクターであったので、この制作は嫌いではなかった。

つまり木版画というものは、「誰にだってできる表現」としての可能性を有する。

その木版画をソーシャル・メディアとして、世界の闇に向かって、自己主張するための「武器」にしようでないかということだ。


今も昔も、文学にしろ美術にしろ音楽にしろ、その種の表現に政治的社会的なメッセージなり主張なりを込めるのはいかがであろうかなどという、「脳天気な人々」もおいでだが、そういうのは相手にしない方がよろしい。


ボクにとっては、膨大な展示であったので、疲れたが、一晩寝て今思い出す印象的のことは次のようなことか。

中国の版画運動の仕掛け人であり推進者だったのが魯迅だったこと、知らなんだ。

インドネシアのパンクバンド〈マージナル〉の活動に木版画の制作があったこと。

三つ目、映画「タクシー運転手ー海を越えた約束」で少しだけ認識を深めた光州事件のドキュメント、ホン・ソンダムの光州民衆抗争連作版画を視られたこと。

もう一つ、北関東に中国木版画から影響を受けた戦後版画運動があったこと。

その代表的な作家飯野農夫也のこと、その展示作品中「濡れた稲束」?だったかな、稲を背負った女性がこのお堅い展覧会にあって、唯一艶っぽい線で描かれていたこと。


以上、疲れたので止める。










by ribondou55 | 2019-03-03 16:21 | 生きている | Trackback | Comments(0)

カラン コロン

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鬼太郎の下駄の音を一度でいいから聞かせて欲しい。


今日は、晴れてはいるものの風が酷く冷たい。

部屋に籠もって、せんべいやチョコレートを囓って過ごしている。



この数日間の画像。


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 このなかで、ボクにとって切実なものは、餅つき器だ。

後は、どうでもいいというわけでないが、・・。

リタイヤしてぶらぶらしていたボクに、女房は家事の分担を要求した。



掃除洗濯は、嫌いだから、三度の飯を作る係になった。

始めは苦役めいたので、禅寺の典座の心得を読んだりして、修行だと思うようにした。

片付けや食器あらいは、女房のやくわり。

ボクは、純粋に調理のみ。

かくして今のボクの日常の要は、この三度の飯作りとなった。

これが、結構面白い。

うまいかまずいか、結果は自分の舌で判断する。

女房の批評は気にしない。


画像にあるアートの二作品は群馬県立近代美術館で観た。


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この展覧会は16歳から30歳までの青年を対象にした全国公募の展覧会である。

ジャンルは問わない。

ボクはこの展覧会を毎回楽しみにしている。

ここにあげた作品は「絵」なのだが、今年は映像もなかなか、気の利いたインスタレーションもあり、活きがよい。


ボクが今回イイネと思ったのは、ブロックにガムテやビニールテープを巻き付けたごっつい作品。


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イヤハヤ、ドウモ、イイぞ。













by ribondou55 | 2019-02-23 16:38 | 生きている | Trackback | Comments(0)
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引きこもり老人は、独り遊びのあれこれを工夫するものだ。

このところのお遊びは、ハイカラにいえば、ペーパークラフトということか。

始まりは、本屋の店頭で世に言う「飛び出す絵本」にたまげたことだ。

実に高度だ。

通常の絵本作家の表現にくわえて、構造物を組み立てる仕事がくっつくのだ。

こういう紙の使い手をペーパーエンジニアと呼ぶのだそうだ。

ネット検索で関係事項を調べて行くと、実に奥が深い。

折り紙建築というジャンルの存在も知って、やってみた、これがムズカシイ。

紙に指がなじんで行かない、歯がゆいほどだ。

設計図通りにカッターで紙を切る、これとて、おいそれとはできないものだと知った。


これは、耄碌する脳みそには、悪くない遊びでないかと、勝手に考えている。


紙で遊ぶというのは、ガキの時分以来のことだ。

PONちゃんは、いたずらで作ったのだが、この数日、あわれで哀しい孤独な老人の話し相手である。





by ribondou55 | 2019-02-06 16:09 | 生きている | Trackback | Comments(0)

 何を血迷うてか、「蚤」君。

 痩せ犬の血、鱈腹吸って酔っ払い、血気にはやって、身を投げた?

 どこへ向かって。

 足下は砂の海だぞ。

 着地までの一瞬に、お前が視界の端に見えたのは、なんだった?

 この老いぼれにもおしえてくれないか。

 こちとら、この寒さで屈託してばかりだ。

 せめて、君の勇気のイイお話で、ちょっと元気にしておくれ。



 
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植物園展示棟にて



乾いていても、可憐で美しい。












by ribondou55 | 2019-01-25 16:07 | 生きている | Trackback | Comments(0)