人気ブログランキング |

カテゴリ:合掌( 21 )



b0018682_22051065.jpg




中国建国七〇周年の日、香港では、高校二年生の男子が、警官に至近距離から射撃されて重体と、香港発のTwitterで。

















by ribondou55 | 2019-10-01 22:09 | 合掌 | Trackback | Comments(0)

b0018682_09272858.jpg


b0018682_22003718.jpg


前線通過中のにわか雨の間をぬうように、高山市街から千光寺にむかった。

千光寺の円空仏寺宝館は、円空好きにとっては一度は訪ねてみたい所であるから、ボクの長年の思いがかなったのだ。

ここの仏さんのほとんどは、前のトーハクの展覧会でお目になっかかっている。

だが、博物館の展覧会場では、その仏が刻まれたその「場所」がどのような環境であったのかは想像もつかない。

千光寺の開創は約一千六百年前、当地の豪族両面宿儺によると伝えられている。

仏教寺院としては、一千二百年前に真如親王によって建立され、往時は多くの僧坊、伽藍が立ち並んでいたという。

飛騨の高野山ともいわれる真言宗の山岳寺院である。

境内からの眺めは、飛騨八景のひとつ。


b0018682_10371797.jpg





この寺宝館の数ある名品のなかでも、「両面宿儺」像には圧倒される。

両面宿儺は日本書記のなかでこのように記述されていたいう、Wikipediaのよると、

六十五年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がなかった。力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。

適当な画像がないので、トーハクのポスターを借用する、この像が「両面宿儺」である。


b0018682_10500515.jpg


ほぼ、日本書記の記述通り、不動明王を思わせる面構えもある。

彼は、朝廷にとっては服ろわぬ厄介者であったが、飛騨の人々にとっては「スクナ様」とよばれ崇拝されていたとも云われている。




「両面宿儺」像は、円空仏としては極めて緻密な作品であると思う。

そのボリュームは、観るものに迫るものがあるのと同時に、そこはかとなくユーモアも感じられる気がするのだ。

どうみても、奇っ怪千万鬼神のごとき「朝敵」には見えない。

おそらくは、当時の人々が両面宿儺に寄せた親しみの感情に寄り添うように刻まれた像なのだろうと、ボクは思った。















by ribondou55 | 2019-06-15 11:15 | 合掌 | Trackback | Comments(0)

 岐阜県高山市国府町鶴巣においでの千手観音菩薩を拝すのが、今度の旅で願うところの一つであった。

 宿から電話で、清峯寺円空仏を管理されておいでの方に、拝観のお願いをした。

 約束の時間より20分ほど速く到着すると、清峯寺を管理されておらるAさんがすでに待っておいでだった。

 Aさんからご当地の方々のご尽力で無住になった清峯寺と円空仏を維持管理されてきたという事をうかがいながら、円空仏に対面した。


 ここの三体の仏像は、2013年にトーハクで拝観した。(この時の感想は、2013・1/25の本ブログ記載)

 しかし、実際にそこで間近くお参りすると、ずっと身近に仏さんを感じることができた。


b0018682_13212914.jpg
江戸時代・17世紀・十一面千手観音菩薩立像


b0018682_13224379.jpg
左・江戸時代・17世紀、竜頭観音菩薩


b0018682_13215971.jpg
右・江戸時代・17世紀、聖観音菩薩

b0018682_13232662.jpg
三尊の配置


三尊がおいでの円空堂。


b0018682_13240546.jpg


Aさん(仮名)は、丁寧に説明して下さった。

ご本人自身も含めてこの地域の人々は、浄土真宗の信者さんであるとのこと、この三尊は観音さんであるから拝むことはないのだろう。

であるから、この地域の人にとっては、他宗派の清峯寺の管理も、いわんや、長年打ち棄てられてあった円空仏など見向きもしなくともよかったはずだ。

しかし、無住となり朽ちて行きかねないお寺をみるに見かねて、地域の人々がお世話してきた来たのだとうかがった。

清峯寺の御本尊の台座下に放置されていた古材同然のものを思いだし、その円空の仏に光をあてたこともたいしたものだ。

円空が世に知られるにつけて、この三尊の存在が広く知られると、このお寺を小生のようなお調子者も訪ねてくる。

その相手を、親切になさってくれる、ありがたいことだとと思った。






                                            



 

by ribondou55 | 2019-06-14 14:06 | 合掌 | Trackback | Comments(0)

b0018682_22115537.jpg



手持ちのデジカメの画像でいまいちであるが、3/29の知恩院の三門の内側のライトアップである。

この日、京阪電車で石山寺、三井寺、比叡山、日吉神社付近を巡ってから、びわ湖浜大津で乗りかえて東山で下車した。

夕飯を何処かで食べようと円山公園方向へぶらぶら歩くと、知恩院の門前が賑わっている。

三門の向かいの広い観光バス駐車場に止められない観光バスが神宮道に何台も路上駐車、売店は中国からのツワー客で大繁盛。

そこへ知恩院のお坊さんが、ライトアップ見物のついでに法話を聞いていきませんかと、呼びかけている。

この節、どこのお寺さんも必死だねというふうのが第一印象。

桜のライトアップといっても、花はまだ二分、三分、枝が桜色の照明に染まっている体のものであるが、拙妻は法話と聞いて心が動いたらしい。

で、幾許かの入場料を払って、夜間特別拝観へ。

画像はその折のもの。

夜の知恩院は初めて、それに安っぽいライトアップ、楽しいコトは楽しかった。


お説教も聴いた。

木魚をぽくぽく叩きながら、なんまいだぶなんまいだぶと唱えた。

阿弥陀如来はボクみたいな愚かなものも、南無阿弥陀仏と一心に唱えることがあれば、極楽浄土へとお連れくださると聴く。

しかし、ボクはぽくぽくやりながら一〇分間もお念仏を繰り返したのが、心底から一度だって「なんまいだぶ」が発せられたとはおもえない。


あたりまえだね、でもその程度の安直さが日本仏教ではとも。


南無阿弥陀如来。




結局、飯は京都駅前地下街の東洋亭でハンバーグを食った。

知恩院前から京都駅までの市バスはとてつもなく混み合った。

ほとんどが外国人観光客であった。

いつもながらおもうのだが、市バスの運転手さんお疲れ様。















by ribondou55 | 2019-04-02 22:45 | 合掌 | Trackback | Comments(0)
 JR奈良駅から浄瑠璃寺行きのバスに乗った。

 乗り合わせた方々のぼとんどが小生と同年配だろうと思われる女性たちである。

 まことにお元気である。

 浄瑠璃寺は京都南山城にある、奈良との都府県境にあるのだが、古来この地域は南都仏教の聖地として多くの僧が世俗の喧噪を離れ修養研鑽に訪れたそうだ。

 創建時の本尊は薬師如来であった。

 そこで東方にあるという薬師如来の浄土である浄瑠璃世界を由来として、浄瑠璃寺という名を持つという。



b0018682_22461218.jpg


 お参りしてまず一目見て、居並ぶ九体阿弥陀如来像の威容に圧倒される。

 お堂中央の阿弥陀如来中尊像に正座して手を合わせると、仏たちに見られて、今ここに自分がいることに感動してしまう。

 忘れがたい一時となった。

 もちろん、吉祥天女像の美しさにも心惹かれたが、阿弥陀堂全体がまさしく浄土に近い場所、スピリチュアル空間として感じられた。

 
 外からの阿弥陀堂を眺める、さらにはその此岸にそびえる三重塔を臨む、折しも紅葉の季節、云うことがない。




b0018682_22471170.jpg
b0018682_22474478.jpg


b0018682_22483388.jpg

 浄瑠璃寺からコミュニティバスで、岩船寺へ。

 ここも紅葉の美しい寺である。



b0018682_22492087.jpg


 ここで、おばちゃんたちのバスツワーに遭遇した。

 男性たちもいたが、おとなしい印象。

 おばちゃんたちは、お気持ちを素直に、包み隠さずご発声なさるものらしい。

 紅葉の美しさ、仏たちへの崇敬の気持ち、いろいろなことを、声高に発っせられる。

 このごろは死語かな、耳にしないことば「TPOを心得よ」なんてことが昔あった。

 おばちゃんたちに「TPO」の心得がないはずがない。

 それがどんな規範にもとずいているのか、是非知りたいものだと思った。

 この寺周辺が昼食の場所であるらしく、配布されたお弁当を境内のここかしこで召し上がっている。

 バス駐車場近くでもぱくぱくおやりであった。

 しばしば某国の観光客のお元気ぶりが話題になるが、本邦のバスツワーの皆さんだってお元気ぶりではひけをとらないことを、心強く感じて、この山深くにある寺を後にした。

 
b0018682_22500682.jpg


 ボクの昼食は、加茂駅前のうどん屋さんで、「天ぷらうどんとおいなりさん二個」で済ませた。

 貧しいボクは、天ぷら饂飩といえば、野菜のかき揚げがぺらっと載っかった饂飩だろうと思っていたが、なんとエビ天が二本、驚いた。

 ごちそうさまでした。














 

by ribondou55 | 2018-12-17 14:22 | 合掌 | Trackback | Comments(0)
b0018682_23005136.jpg


b0018682_13271439.jpg


 
長谷寺のご本尊十一面観音さんは、身の丈三丈三尺六寸、この国で最も大きな仏像であるそうな。
 
たしかに合掌しながら見上げる観音さんには、えもいわれぬ威厳を感じさせられる。

 ボクは、仏に何事かをお願いするということはあまりないのだが、つい胸の内が出た。

おみ足に触れて一言。

 「南無観世音菩薩、願わくば、かくかくしかじか、×××××、ムニャムニャ、ならんことを」と。

 巨大であるということは、やはりパワーフルである。


b0018682_12325141.jpg
b0018682_12332236.jpg
b0018682_12335004.jpg


我が家の墓は、ここ長谷寺の末寺にお世話になっている。

そんなことでも一寸親しみを感じる。

そういえば、わらしべ長者の話もこのお寺のことである。

霊験あらたかな寺と昔から多くの人々が参詣してきた。

源氏物語の玉鬘と右近の再会をはじめとして、長谷寺は枕草子や更級日記、蜻蛉日記にも登場する。

芭蕉は、越人の句にこんな付け句をしている。

人去りていまだ御座の匂ひける   越人

初瀬に籠る堂の片隅            芭蕉    

王朝の物語の一場面のようだ。(「雁が音も」歌仙)



さて、長谷寺名物の登廊をあがったところであったか、紀貫之の「ひとはいさこころもしらず・・」の歌碑が建つ。



b0018682_12561030.jpg

さらに、一茶さんの句碑も貫之さんのおとなりにあった。

b0018682_12574469.jpg


此裡に春をむかひて  我もけさ清僧の部也梅の花  一茶

長谷寺に一茶がやってきたのはいつ頃か。

一茶は30歳の三月、江戸を出て西国行脚の旅に出る。

江戸に帰ったののが、36歳の8月。

その年の正月は、長谷寺で新春を迎えている。

それにしても、一茶に「清僧」はまことに似合わない。

でも、ここは長谷寺、そういう法螺も許されよう。


南無十一面観音菩薩。













by ribondou55 | 2018-12-11 13:23 | 合掌 | Trackback | Comments(0)
 四十数年ぶりに室生寺に訪れた。
 
若かったあの頃よりも、年ごとにボクの煩悩は老獪にして陰険、暗い淵はますます深くなってゆく。


b0018682_22580680.jpg

 さて、みうらじゅんと安斎馨による「勝手に観光協会」の奈良県のご当地ソングは熱烈な「仏像愛」の吐露である。

 お堂の中で 静かに微笑み
 甘い誘惑 揺れるまなざし
 国宝重文 関係ないさ
 俺の求める恋する仏像 

※ブッツ ブッツ ブッツ ブッツ
              仏像の旅

 待たされジラされ 諭され癒やされ
 秘仏公開 胸ときめかせ
 観光目的 関係なしさ
 オレの求める恋する仏像

※繰り返し

きっと奈良なら奈良ならなおさら
般若心経 口ずさみ
出家・在家は 関係なしさ
これはもう恋 本気さ仏像

※繰り返し
          (ブッツ仏像)


仏に恋するなんてなんという罰当たりななどと、腹を立てるお方はこの節ならおるまい。

b0018682_23062780.jpg


確かに奈良室生寺の本尊、十一面観音のふくらむ頬と細めた目とちょっとおちょぼ口の朱色の唇に甘い誘惑を感じる衆生もおいでかも知れない。

誰しもが云うように女人高野にふさわしい神秘的で優艶な仏さんである。

というのは、ボクの中の「常識」が書かせている言葉だ。


さて、あの日、金堂で本尊居並ぶ脇侍や十二神将を間近にして感じていたのはなんだったのか。

狭い金堂の中にバスツワーの観光団が既につめかけていた。

中年のお坊さんがなにやら説明なさっていてしばらくして、団体さんがひけていった。

ボクはご本尊の正面に座って手をあわせてから柱間三間の壇上にいらっしゃる仏さん達をゆったりと観ようとして、観ていた。

時間にして十分、十五分?

だが、その時なにを感じていたのやら・・・、今は思い出せない。

程なく次の団体さんがやって来た。


ボクは金堂を出た。

四十数年ぶりの室生寺だった。


写真は仙台市博物館で展覧会ポスターの一部を拝借。













  


 

by ribondou55 | 2018-12-08 23:08 | 合掌 | Trackback | Comments(0)
 伊賀上野の上野市駅前に立つ芭蕉さんに一礼して、伊賀鉄道に乗る。

 伊賀神戸駅で近鉄線急行に乗り換え室生寺口大野下車。

 駅から徒歩5分ほどで、大野寺に着いた。

 寺の目の前に宇陀川が蛇行しつつ流れている。

 紅葉がうつくしい。

 対岸に巨大な弥勒磨崖仏がたたずんでおられる。

 この旅の一つの目的地である。


b0018682_17274543.jpg


b0018682_17270920.jpg

ボクは、四十年前この弥勒さまの前に立った。

若造のボクは、「ヘェー、でかいな」と云う程度で立ち去った。

しかし、なにか気分に兆すしたものがあった。

この感じは忘れていない。


後に、土門拳の写真で、この弥勒さんの魅力に気づかされた。

肉眼では、ボクは近視で乱視だから、鎌倉時代に刻まれた仏の輪郭は曖昧である。

だが今度の旅では展覧会用の単眼鏡でゆっくりと拝顔できた。

お顔を右下方を見下ろしておいでだ。

その方向は宇陀川が浸食して造った平らな岩盤上の河原であるのだが、ボクはその足下に拝したいと思うのだった。

ボクは仏像に関する宗教的な意味合いも、美術的な意味合いにも、無知である。

ボクが時折とぼとぼとお寺を訪ねてまわる際も思いは一つである。

いづれの仏さんに拝しても、目前の仏を見上げるのでなく、仏から見られていると感じられることに恥ずかしさと安堵を感じる。

当然ながら、扉や御簾にお隠れの秘仏であっても、見ていただいておると感じられればよろしいのだ。

この弥勒菩薩さんは川越しにしかお会い出来ないが、それでも、そのまなざしを感じることができた。

伏し目がちの慈顔。

まことにありがたいことだ。


南無弥勒菩薩。









by ribondou55 | 2018-12-03 10:43 | 合掌 | Trackback | Comments(0)

 四泊五日の旅から帰った。

 旅の途中は、不思議なくらいにシャンと腰が伸び、五日分の着替えやらを詰めたリュックを背負ってさくさく移動できたが、帰宅して一夜明けると、この五日間の疲労が一気に出て、てきめんの腰痛。

 帰宅したら第一番目に、たくわん用の大根を収穫する予定であったが、到底出来そうもなく、しかたなしにPCに向かっている。

 農作業には格好の好天気である、情けないことだ。


 二年ほど前か?上野の国立博物館で、この櫟野寺の仏さんたちの展覧会があったことを記憶していた。

 たまたま見かけたツイッター情報で三十三年ごとのご開帳であるという十一面観世音菩薩のお顔を拝んでみたいと思い立った。

 今年なって、一人旅もおっくうになったと、だらしない気分で停滞したまま、一年を終えるのがおもしろくないという気持ちもあった。

 
 さて、櫟野寺にたどり着くのは、少々苦労した。

 まず、名古屋へ、関西線に乗り換えて亀山、更に乗り継ぎ柘植まで、草津線に乗り換えて甲賀、甲賀到着時刻は12時を少し過ぎていた。

 ボクは甲賀をずっとコウガと読んでが、実はコウカであった。


 甲賀といえば、白土三平の少年忍者・サスケであるのだが、それはさておき、駅からコミュニティバスで、お寺へ。

 バスへの乗り継ぎ時間は一時間半以上あって、昼飯のラーメンチャーハンセットを食べた後、さらに喫茶店で時間をつぶした。

 この手の旅にはありがちなのんびり具合である。

 喫茶店のご主人の話では、ご開帳が開始されて以来、日によってはバスツワーも加わって大変な人出であるということだった。

 でも、幸いにか、さほどの混み方ではなく、肝心の観音様をよくよく拝ませていただいた。



b0018682_09300555.jpg

 
 南無十一面観世音菩薩。


 
b0018682_10305887.jpg

b0018682_13461515.jpg

 参拝する衆生を堂々と肉厚な重圧感で圧倒するのですが、同時に大変優美に観音さんは座っておられるのであった。

 やや下ぶくれの美しい顔立ちもさることながら、ボクが目を奪われたのは肩から流れるようにふっくらとした優しげな輪郭のお身体にまとっている薄衣の文様の繊細さであった。

 それはお体の線のゆったりとしたふくよかさの現れでもある。

 甲賀という鄙にあっても、平安の時代の優美さである。

 ゆっくりとお目にかからせていただいた。


 ご本尊の他にもたくさんの仏さんがおいでであった。

 以前のトーハクのポスターでお茶を濁すならこんな風に。

b0018682_10490132.jpg
 
 老人であればだれでもが抱く感慨であるが、三十三年に一度のご開帳、次回にはボクは生きてはいないはず。

 つまり、この観音さんにしろいずれの仏さんにしろ、そのお方に手を合わせた数え切れない人々はすべて死んだのだし、これらも死んで行くのだ。

 
 南無十一面観世音菩薩。


 ここコウカには、他にも多く仏があちらこちらにおいでであると、たまたま行き会った青年に教えられた。


 この夜は、伊賀上野のホテルに泊まった。

 伊賀鉄道はおもしろい。 









 


 

by ribondou55 | 2018-11-30 11:02 | 合掌 | Trackback | Comments(0)
b0018682_22013891.jpg

是非とも訪れてみたいと思っていた。

湯殿山神社本宮。

そこは、やはり神の領域であった。

若い頃、不用意に入り込んだ恐山の賽の河原で、えもいわれぬ感覚に襲われたことがあった。

あの感覚が、本宮のご神体に向きあうと、よみがえってくるような気がした。

このお山の詳細を語ってはいけないと古来云われている。

月山から下って湯殿山に向かった芭蕉もこのように。


 日出でて雲消れば湯殿に下る。谷の傍に鍛治小屋といふあり。この国の鍛治、霊水をえらびてここに潔斎して劔を打ち、終ひに月山と銘を切りて世に賞せらる。かの龍泉に剣を淬ぐとかや。干将・莫耶のむかしをしたふ。道に堪能の執あさからぬことしられたり。岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあり。ふり積む雪の下に埋れて、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花ここにかほるがごとし。行尊僧正の哥の哀れもここに思ひ出でて、なほまさりて覚ゆ。

 そうじてこの山中の微細(みさい)、行者(ぎょうじゃ)の法式(ほうしき)として他言(たごん)することを禁(きん)ず。よりてて筆をとどめて記(しる)さず。坊(ぼう)に帰れば、阿闍利(あじゃり)のもとめによりて、三山(さんざん)順礼(じゅんれい)の句々(くく)短冊(たんじゃく)に書く。

 
  涼しさや ほの三か月の 羽黒山

  雲の峯 幾つ崩れて 月の山 

  語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな 

  湯殿山 銭ふむ道の 泪かな  曽良



山を下りて、麓の湯殿山注連寺に向かった。


b0018682_22281083.jpg


冷たい雨が瀟々と降るなか寺に着いた。

森敦さんの「月山」の寺である。

ここも、一度訪ねてみたいと長年思ってきた。

そこにおいでの女性から丁寧な説明をいただいた。

思うことはあるのだが、書かない。




by ribondou55 | 2018-09-17 22:34 | 合掌 | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂