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カテゴリ:ご近所巡礼記( 33 )

 屋台の装飾である。

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 云うまでなく、ボクラが住む武州の平野部中山道の宿場ごとにある祇園祭りの屋台のそれは比べものにはならない。

 とにかく、秩父は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭とともに「日本三大曳山祭りの一つだそうだ。

 ボクら熊谷住民は熊谷八坂神社のうちわ祭の山車こそはたいしたものだと思っているが、残念なことに、秩父を見ていると色あせてくる。

 秩父の屋台は数段格上の豪華絢爛さがある。

 なぜ、それほどものが、この地に受け継がれ発展してきたかと思うと不思議な気もしてくる。

 ちなみに困民党蜂起の地ではないか。

 いや、だからかも知れない。



 
by ribondou55 | 2015-12-06 21:58 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 今年は、とても穏やかであたたかな夜祭りとなった。

 12月3日である。

 何枚か、スナップを掲載する。

 先ずは、御神幸の様子を。

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by ribondou55 | 2015-12-05 21:34 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 去るGW中のある日、群馬県邑楽郡板倉町に坐す雷電神社に出かけた。

 五月晴れのさわやかな午前、昼飯まではちょっと間がある。

 神社境内脇の臨時駐車場、料金五百円也。

 さて、本殿へと赴こうとすると、社務所らしき建物。

 その玄関先に真っ赤な幟が何本も立っている。

 その赤字の布になんと「なまずさん」と染め抜かれている。

 
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 なんだ?

 
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 玄関先に、巨大なまず。

 これ、「撫でると地震を除けて自信が湧き出る「なまずさん」として親しまれております。地震・雷・火事を除ける御守もございます。ナマズに代表される川魚は水場である板倉の大切な食資源でした。神様からの賜りものとして大事にされております。(雷電神社HPより)」とか。

 『地震を除けて自信が湧き出る』、いいねェ。

 駄洒落で御利益、さすがにこの国の神様はおおらかなもんだ。

 それに、「なまず様」ではなく、「なまずさん」、「さん」付け、これもフレンドリー。

 その上、門前の飯屋の名物は、ナマズの天ぷら。

 こういうのホントにいいね。

 そこで、小生も、配偶者も、丁寧に「なまずさん」のオツムを撫で撫でしてきたのでした。

 
 さて、本殿は総本宮雷電神社。

 「当神社の歴史は古く、1400年をさかのぼります。主な御祭神(ごさいじん)は、天地に轟き、火と水の大いなる働きをつかさどりたもう、火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)・大雷大神(おおいかづちのおおかみ)・別雷大神(わけいかづちのおおかみ)です。また、併せて、学問の神、管原道真公がおまつりされております。推古天皇の御代、聖徳太子が天の神の声を聞いて、伊奈良(いなら)の沼に浮かぶ小島に祠(ほこら)を設け、天の神をお祀(まつ)りしたのが最初とされています。 雷電神社HP」という。

 北関東に棲むものなら、冬は赤城おろし、夏がどんぴしゃ雷様、そう誰でも知っている。

 辺りはすっかり夏めいてきた。

 また、夕立の季節がやってくる。

 この暑すぎる北埼玉では、夕立がさっと通り過ぎた後の、涼しさは格別だが、ピカピカゴロゴロはまったく余計だ。

 くわばらくわばら。

 雷電神社、ありがたし。

 ここでは、地震雷火事親父の内の、頭の二つが除けるのだから。



 実は、なまずだけではない、社殿の彫刻にはこんなのも、

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 鰻である。

 本殿背面周囲に石原常八主信作の華麗な彫刻があります。本殿東側に「浦島太郎」の物語、右側に「素戔嗚尊」。縁下脇間に「唐子遊び」が刻まれ、特に唐子遊びの内に鰻取りがあるのは池沼の多い当地方から生まれたと思われます。(ぐぐっと群馬県HPより)

 あれ、それだけ、なにか寓意は?御利益は?
 






 
 

More 車谷長吉さん、逝く。
by ribondou55 | 2015-05-19 21:39 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
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 ここは、環境省の「湧水ポータルサイト」・「埼玉の代表的な湧水」に「近年湧水量が極端に少なくなっている。」と紹介されている。

 何時の昔かは分からないが、滾々と澄み切った水が湧きだしていたのだろう。

 その御手洗池のほとりに、水神様が祀られていて、ボクはこの辺りを散歩する折々にお参りしている。

 その祠の裏手の坂を登ると、西別府の湯殿山神社が鎮座し、そのお社の裏手に、古代祭祀遺跡がある。

 西別府祭祀遺跡は、市内西別府にある湯殿神社社殿裏のかつて湧水があった堀の周辺に形成された祭祀遺跡です。遺跡は、古墳時代も終わり飛鳥時代といわれる時代から平安時代の終わり頃まで継続的に、豊富な湧水に祈りを奉げていた跡です。それは、豊富な湧水の恩恵に感謝し、未来永劫その恵みを望む、「水(水神)に対する祈り」であったと考えられます。
 この周辺は、この頃、幡羅(はら)郡の郡家(郡役所)がつくられ、地方の政治の中心地として栄え、郡役所と関わりがある寺院(西別府廃寺)がつくられた場所でした。このように、郡役所・寺院・祭祀がまとまって確認されている例は珍しく、岐阜県関市・弥勒寺官衙遺跡群に次いで2例目です。また、古代の原風景が復元できその景観が今に残っている場所は貴重です。( 熊谷デジタルミュージアム 読書室より拝借)


 なんとも、この地の古代の世界へとタイムトリップするには、格好のポイントではないか。

 特にこの時期、新緑の森の下はまことに心地よく風が吹き抜ける、ぼんやりするのには好適な癒しの場である。

 ついでに云うと、この祭祀遺跡は熊谷市域にあるのだが、幡羅遺跡は深谷市・熊谷市の両市の間に広がっている。で、この遺跡は全国的にも貴重な遺跡であることから、両市共に遺跡の周知に努力している風なのだが、さすが「ふっかちゃん」で名をあげた深谷市は、なかなかPR上手で、こんなキャラクターもいて、面白い。

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 幡羅遺跡の「ハラ君」(深谷市HP「幡羅遺跡にようこそ」参照)。これはほろ酔いバージョンであるという。

 熊谷も、もうちょっと遊び心が欲しいものだ。

 上野の国博のマスコットは、熊谷出身ではないか。

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 いづれにしろ、水神様にお願い。

 このところの異常気象にあっても、どうぞ我が畑には野菜がすくすく育つだけの恵みの雨をお降らしくだされますよう。

 

More 水神
by ribondou55 | 2015-05-16 23:44 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
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 是非とも一度は訪ねてみたかった。

 はからずも、今日寄り道できた。

 渡良瀬遊水地に先月日、95年ぶりに帰ってきた旧谷中村の延命院の鐘の音が響き渡った。

 この日は谷中村遺跡を守る会(針谷不二男会長)主催で同遺跡の草刈りが行われ約20人が参加した。アシ原の中の共同墓地と雷電神社と延命院跡に茂る夏草を刈った。珍しいスズランが墓地の中央に20数株植えられていた。北海道佐呂間町に移住した旧谷中村の子孫が持ってきたのだろうか。足尾鉱毒事件の辛酸な歴史を語る同地を訪れる人は多い。

 午後、きれいになった延命院跡に藤岡町歴史民族資料館から延命院の鐘が持ち込まれた。同会の人らが交代で鐘を鳴らした。田中正造も聞いた鐘の音がアシ原に響いた。「谷中村の廃村の時、やむなく村を出る祖先の人たちの無念の思いが、伝わってくる。歴史の風化を取り戻してくれる」と針谷会長は鐘の音に聞き入っていた。

 この鐘は1907(明治40)年に足尾鉱毒の沈殿地を作るために国の強制破壊で廃村となったころ、雷電神社の御手洗池(みたらせいけ)に沈められたとされ、その後行方不明になっていた。

 1986年九月、郷土史家らの調べで埼玉県幸手市の火の見やぐらにあることがわかり、同会の石井信一さんが同やぐらに登り確認した。この鐘の発見者は幸手市消防団の野口博伸さんで、鐘に刻まれた「下野国下都賀郡下宮」の地名と寛保元(1741)年の年号を見つけて、郷土史家の小路精蔵さんに伝えた。消えゆく火の見やぐらの鐘が奇跡的に残っていた理由は「一番、鳴りの響きがいいからだろう」と針谷会長は語っていた。

 発見から16年後の昨年11月に藤岡町に返還され、95年ぶりに里帰りした延命院の鐘。谷中村の歴史が刻まれた貴重な財産は、いま同町歴史民族資料館に展示されている。今後は、延命院跡で、谷中村が藤岡村に合併され廃村となった1906年7月1日にちなみ毎年7月1日に鐘を鳴らしたいと同会は願っている。(「東京新聞2003年8月 『渡瀬有情 夏の谷中村遺跡で』 より拝借)


 ご近所と云うにはちょっと遠いが、気持ちの上では、意外なほど近い。

 国の在り方を考えるとき、なんども立ち返る出来事の地である。

 フクシマへの道筋の起点といえるだろう。

 谷中村を追われた人々、「立ち入り禁止区域」として住み慣れた地を奪われた人々。

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 それにしても、渡良瀬遊水池は広大であった。2012年にサムサール条約に登録され、かつて鉱毒により辛酸をなめた地が、今は国際的に貴重な水鳥の棲息地に指定された。歴史とは、一筋縄ではいかないものだと、しみじみ思う。

 それはそうと、新たに「明治日本の産業遺産」が世界遺産登録実現の運びとか。

 昨日今日、ワイドショウも盛んにはしゃいでいる。

 それならば、いわば公害問題の原点、足尾銅山鉱毒事件の史跡である、「足尾銅山」とこの「旧谷中村遺跡」も、そのひとつに是非、加えて欲しい。

 この島国の近代化から得たものは、手放しで称揚できるものばかりか?

 すでに、足尾銅山は日本一の銅産出量を誇り近代産業の発展に大きく貢献した産業史跡として、国の史跡になっているそうだ。

 だがね、今やこの島国の近代化を誇るより、「公害対策インフラ」によって世界貢献をもくろむ国として、その近代化の裏面にあったことへ思いをいたし、「痛切な反省」をわすれないためにも、足尾鉱毒事件関連史跡こそ、世界遺産登録にふさわしかろうと、思うのでありました。












 
by ribondou55 | 2015-05-05 23:19 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
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 それぞれに、よいではないか。

 とりわけ、桃。

 こんなのが、ご神体?

 撫で撫で。

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 古来、桃は中国においては不老長寿の果実として、また日本においても魔除けの果実として知られています。
それは「古事記」の中にある次の神話に由来しています。
「黄泉国(あの世)」から逃げ帰る伊邪那岐命が葦原中国(この世)との境に辿り着いた時、坂の上の桃の木を見つけその実を3つ取り、悪鬼にめがけて投げつけて難を逃れました。
伊邪那岐命は桃の実に『あなたは私を助けてくれた神の実です。
どうかこの世の全ての人が悩み苦しむ時も助けて下さい。』と言って意富加牟豆美命という名前をお与えになりました。」
以来、桃の実は病難・災難除けの象徴として尊重される様になりました。 

境内には「なで桃」が祀られています。
この御神徳を広くお頒ちするため、授与所に「なで桃守」「願かけ桃絵馬」「なで桃ハンカチ」がございます。
なで桃守は、御守りについている桃を日々お撫でになり、身につけてお持ち下さい。
また、ハンカチで「なで桃」を撫でてお持ち帰り、御神徳をいただきましょう。  当神社のHPより


 とは、おっしゃられますが、この絵馬、とても難病・災難除けの願掛けの為のものとは思われず、むしろ色恋沙汰を呼び込むための願掛け絵馬、そんな風につい思ってしまうのですが、実はさにあらず、お他人様の絵馬に託すお言葉を垣間見るのは、まことに失礼千万ではありますが、沢山の絵馬に込められたお気持ちは、先ず第一に「癌封じ」、第二に諸病平癒、第三に家内安全災難除け、小生のようにただの見た目で、軽薄な願望に溺れるような御参拝の方はおいでにならないようでありました。

 ありがたし。

 

More 行田八幡神社について
by ribondou55 | 2015-04-23 21:34 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 大縁日大祭法要 、秋季は10月18・19日に行われる。

 そこで、本日19日、ちょっことお参りしてみた。

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 聖天堂が国宝指定されて以来、地元では聖天さま人気の高まりがあったかどうかは分からないが、うらぶれかかっていた妻沼商店街の活性化の起爆剤にしようと行政ぐるみでがんばってきたらしいことは、よく知っている。

 このお寺は、ボクにとってはポタリングコースでお馴染み、なんやかんや云って、ちょくちょく立ち寄っているので、新鮮みはないのだが、このお寺、ちょと分かりづらさがある。

 寺伝では治承3年(1179年)に、長井庄(熊谷市妻沼)を本拠とした武将齋藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされている。その後、建久8年(1197年)、良応僧都(斎藤別当実盛の次男である実長)が聖天宮の別当寺院(本坊)として歓喜院長楽寺を建立し、十一面観音を本尊としたという。 ウイキより

 といわれると、十一面観音さんはわかりやすいのだが、大聖歓喜天ってのは、どんな仏様?っと気になる。

 事のついでに、グーグル先生に「歓喜天」について教えを請うと、こうある。

 歓喜天(かんぎてん、Skt:Vinayaka、गणपति Ganapati、もしくは ナンディケーシュバラ nandikesvara 歓喜自在天)は、仏教の守護神である天部の一つ。
また、聖天(しょうでん、しょうてん)[1]、大聖歓喜天、大聖歓喜大自在天、大聖歓喜双身天王、象鼻天(ぞうびてん)、天尊(てんそん)。あるいはVinayaka、Ganapatiを音写して、毘那夜迦(びなやか)、誐那缽底(がなぱてい)ともいう。象頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いが、稀に人頭人身の形像も見られる。多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般の前に公開される事は少ない。


 ああ、仏教の守護神のおひとりであったか。

 もとは、ヒンドゥー教の神さまであったのか。

b0018682_2255680.jpg そういえば、境内の小さな池の噴水は像の鼻から水が噴き出す仕掛けになっている。

 さりげなく「象」である。

 勿論、ここの聖天さまも秘仏である、ご本尊は「御正躰錫杖頭」というわけだから「杖の頭」、仏具の一部分だった?

 これに、象頭人身の抱擁する双身像がおいでになるのだろう。


 ところで、あちらこちらの〈聖天宮〉にありがちな二股大根なんかは、ここの聖天さんではみたことない。

 でも、それはそのはず、此所聖天さまは、斎藤実盛が開いたお寺である。

 実盛といえば、東国武者の内でも屈指の者、さすがの木曾贔屓の芭蕉宗匠も「むざんやな 甲の下の きりぎりす」と、その死の方を傷んでおられる。

 であれば、「夫婦和合」なんて、ちゃんちゃらおかしいといえるかも知れない。

 そんなこんこんなで、夫婦和合というようなちょっと直截な御利益ではなく、注意深く甘く甘く「縁結び」、これ一本で婦女子の目に止まろうというわけだ。

 いいぞ。

 いいぞ。

 それに、お寺の宗旨は高野山真言宗。


 さて、本日の秋の例大祭二日目の午後は、参詣の人々が驚くほどに多いわけではなかったが、のんびりとした風情であった。

 折しも修験山伏による護摩法要も行われていた。

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 とにもかくにも、おそらくは、武蔵国幡羅郡あたりに住まいする者の中に歓喜院聖天さまを知らぬ者はおるまい。

 ありがたし聖天さま。

 寿司美味し聖天さま。

 国宝であろうと無かろうと、憩いのお寺である。

 ご近所巡礼五番とする。



 

 

 

More 実盛
by ribondou55 | 2014-10-19 21:58 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 用事で出かけた先に「文殊さま」があったことを思い出した。

 曹洞宗のお寺である。

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 この時期参詣すると、境内はとても静かであるが、これが受験シーズンの前となると、近郷近在から人々が押しかけてくる。

 「苦しい時の神頼み」というが、この頃の人が物心ついて、まず等しく経験するのがお「受験」の機会かも知れない。

 通称「野原の文殊さま」は、この地方の受験生とその家族の頼れる仏さんである。

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 人は現世利益を願って、神仏に掌を合わせる。

 己の「幸福」にどこまでも執着してやまないものだ。

 「いい学校」に上がることは、将来の豊かな生活の基盤になると、信じているのかいないのかわからないのだが、最低限そのためにできることは何でもやろうというのが、親の勤めのように云われている。

 子供以上に親が懸命だ。

 何時までもスネかじりでいられたらたまらない、年金で成人した子供の面倒までみられない。

 この世は、すべて競争だ。

 ひとたびルートから外れると、非正規雇用者36パーセント、今後は更に増えるろう、憂き世である。

 稼げない奴は、無能な奴らだと、日々キャリアアップを目指す人たちは思っている。

 お国の進める「アベノミクス」とやらは、勝ち組にもっと勝ち続けるのを手助けをする、それがモットーだ。

 勝ち抜くための強い意志と堅固な忍耐力、ぬきんでた学習能力の獲得のためにお力をお貸しください、それと何より「幸運をお授けくださいね」と、お賽銭を奮発し、お札お守りを買い求め、絵馬にも「合格祈願」とくっきりと書き記す。

 最近はなぜか死語になったが、相も変わらぬ「弱肉強食」の浮き世であります

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 ガキの時分のボクもそうであったろうか。

 だが、こうして人生も暮色めいてきて来し方を振り返ると、アレがこの世の「地獄」の一丁目であったかも知れないと思う。

 それは、お前がぼんくらだったからだと嗤われるだろうが、そんなことをしみじみ思うには格好のお寺である。

  「三人寄れば文殊知恵」ということわざは凡人の連帯を良しとするわけだが、お受験は凡人であることを許さない。

 それでは、ぼんくらの我が身とすればいかがすればよろしいのか。

 はて、さて、そういうわけで、文殊さまに合掌しよう。

 南無文殊菩薩、どうかこの世を平穏に生きるための知恵をお授けください。

 どうぞ劣等生にもお手を差し伸べくだされよ。

 「五台山文殊寺」(熊谷市野原)を四番とする。

More 縁起
by ribondou55 | 2014-10-18 23:50 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 秋晴れ。

 早めに農作業を終えて、久しぶりのサイクリング。

 しばらく乗っていなかったスポルティーフのタイヤに空気を入れたところ、後輪のタイヤの数カ所に緩やかなコブが浮き出た。
 
 どうやら、道路の縁石にこすったあとが、傷んだらしい。

 近日中にタイヤ交換することとして、このごろ常用している小径車で出かけた。

 これでの遠出は初めて。


 遠出といっても、せいぜい15キロ程度としよう、しばらくサイクリングから遠ざかっていたからだ。

 季節もよくなった、とりあえずの身体馴らし、初日である。

 これと云った当てもないままに、利根川を目指す、というより、北の空にグライダーが滑空する機影が見えたからだ。

 熊谷市妻沼の利根川河川敷には日本学生航空連盟(学連)の滑空場がある。

 
 で、その途中、ご近所巡礼の3番目に出会った。

 
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 かわいらしいではないか。

 龍泉寺の観音堂(武蔵国幡羅郡善ヶ島村・現在は熊谷市)の装飾彫刻である。

 高野山真言宗のお寺さんである。

 そもそもが、この観音堂そのものが、優美なものだ。

 
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 埼玉県の指定文化財であるそうだ。

 「雛には希な」と、口をついて出た。

 江戸時代。方形造、銅板葺(もと茅葺)。方三間、細部は和唐折衷風。

 それはそうとして、とにかくその彫刻は、とても小さな物で、四方にそれぞれひとつ。

 上の天使は、南の軒下に、次のはお堂正面、東向きに。

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 北向き。

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 お堂の裏側、東に面しては、天人ではなし、唐獅子牡丹。

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 いいな、かわいい。

 翼が生えた「飛天」というのも、珍しいとボクは思うのだが、どうなんだろう。

 蓮一輪をおし抱く姿が、とても清らかだ。

 龍泉寺の観音堂、ありがたし。

 故に、ご近所巡礼3番とする。










 


More 観音堂について・・熊谷市教育委員会
by ribondou55 | 2014-09-28 22:54 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)
 巡礼地2番目にして、すでに「巡礼」の常識からみれば、変則的といえる。

 それは、お参りの対象としては妙な物だが、ボクはこの前に立つ度に厳粛な気持ちになる。

 一礼し、黙祷・・・。

 宗教心というのは、たぶんそんな心の機微から出発するのではないかと、思うのであります。

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 熊谷市の「荒川公園」にそれは、「展示保存」されている。

 D51140号蒸気機関車である。

 
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 さて、青春18きっぷを愛用する還暦超え爺さんのボクは、ささやかな鉄道ファンであるが、そのファン的のものが、この機関車によせる関心のすべてではない。

 では、当の機関車に対面してみよう。

 『高崎線で力量を発揮し沿線の人々から「デゴイチ」として親しまれていましたが輸送力の変遷に伴い、昭和45年廃車となりました、この間走った走行粁は188万8千粁にも達しました。』と熊谷市役所は宣うのだが、この機関車の現状にはまったく無関心であるのが、一目瞭然。

 一面に塗装が剥げ落ち、赤錆が吹き出ている。

 このまま放置すればどうなるかは、誰の目にも明らかだ。

 一方では、この公園にほど近い熊谷駅(秩父線)からは、休日ごとに高らかに汽笛を鳴らしてSLが発車する。

 熊谷は、そういう町でありながら、この「デゴイチ」の隠退生活は悲惨だ、この町の市民であると思うと、「デゴイチ」に対し慚愧に堪えない気持ちになる。

 
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 文化を軽んじるというということは、こういう事をさすのだ。

 さて、それと「巡礼」と関係あるのかというと、あるのだ。

 付喪神(つくもがみ)とは、日本の民間信仰における観念で、長い年月を経て古くなったり、長く生きた依り代道具生き物自然の物)に、霊魂などが宿ったものの総称で、荒ぶれば(荒ぶる神・九尾の狐など)禍をもたらし、和(な)ぎれば(和ぎる神・お狐様など)幸をもたらすとされる。(ウィキより。)

 普通「つくもがみ」というと、「『付喪神記』の冒頭に「陰陽雑記に云ふ。 器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり」とある。絵画や絵巻では『鼠草紙』・『十二類合戦』とよばれる生き物を模した物や、『化物草子』では、案山子柄杓の九十九神が描かれている。室町時代に軽工業の発達から生活道具が大量に出回り、などから、が、安易に消費されるようになり、これらも九十九神として描かれている。土佐光信筆と伝えられている京都真珠庵蔵の『百鬼夜行図』は、これまで描かれた文字通りが主流であった百鬼夜行とは違い、九十九神を中心に描かれ、九十九神の黄金期であったことがうかがえる。(ウィキより)」ということで、身近な器物が、化けるのだが、ボクは蒸気機関車だって、きちんと幸をもたらす「神」になれると信じるのである。

 この機関車は昭和13年(1938年)11月3日の生まれである、もうすぐ76歳。

 まだ99歳までには間があるが、そうであっても、「化して精霊を得る」兆しは確かにあると、ボクの中にある何かが感じてしまう。

 蒸気機関車という乗り物は、一種特別なものである。

 単に日本の近代化を牽引しただけではない。

 日本人の心の深くを走り抜けたものである。

 

 であるから、ボクは、ここを二番目のご近所巡礼地としたい。

 斯様に思う次第であります。

 一礼・黙祷。


 ついでに、もう一言。

 先の熊谷市役所の立て看板の文言はまことに教育的配慮を欠いた、お役所仕事の馬鹿げたものだ。

 教育的というのは事実の正確さに基づくべきものであるが、それだけではヘボである。

 何時の時代でも、幼い子どもほど鉄道好きなものだ。

 せめて、小学校一年にでも楽しめる紹介解説を掲げるべきだ。

 第一、「粁」は何と読むか?「キロメートル」と読むのだと、子どもの何割が答えることができようか。

 こんな漢字、この節誰が使う。

 大人向けのいい加減な看板を無神経に立ててしまう、もう少し文化の伝承ということに対して気配りが欲しい。





 

by ribondou55 | 2014-09-27 22:36 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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