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カテゴリ:この一首その一句( 134 )

 あるいは、

 梅咲いて身のおろかさの同哉  一茶

 こうして、入力してみると、どちらもつまらないが、一茶らしい。

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 森林公園の梅林で。
by ribondou55 | 2016-02-12 15:52 | この一首その一句 | Trackback(1) | Comments(0)
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 熊谷地方気象台の「植物季節観測」の対象には、土筆は入っていない。

 本日現在で、2016年に関しては、うめ2月2日、つばき2月2日、たんぽぽ3月1日とある。

 ソメイヨシノの開花は、まだ観測されていない。

 ボクは、桜も心待たれるのだが、土筆の顔をみたい。

 あるいは、ひそかに頭をもたげているかもしれない。

 明日は、すこし足元を見ながら、散歩しようか。

 これから、秩父の山村を訪ねるのも楽しくなる。




 ところで、草餅はうまくいった。

 ヨモギを多めにする。

 茹で上がったヨモギを、すり鉢で丁寧に粉砕し、つぶし、ゴリゴリとやる。

 そうすると、見事な緑色に発色する。

 それが、コツであった。
by ribondou55 | 2016-02-01 11:16 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 また、こうも続ける。

 有るものを摘み来よ乙女若菜の日

 おおらかで、ゆったり、まだ少し正月気分という感じが伝わってくる。

 
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 冷蔵庫に二三日前から、七草粥セットが入っていた。

 妻が、近くのJA直売所で買ってきたものだ。

 これに、畑でできている小松菜や人参、それに餅を加えて、粥にするのだ。

  「 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草 」 

 というが、「せり」はその芹、「すずしろ」がこの大根だと云うことぐらいしか云えない、他はどれがどれだか分からない。

 我が菜園は、雑草天国だから、その中に見覚えがあるものがある。

 もともと七草の粥を食うという習慣は、中国の伝来の習慣を真似たものだ。

 つまり、なんでもかんでも、たぶんその昔は中国の風がお洒落だったのだろう。

 荊楚歳時記【けいそさいじき】という、中国,梁の宗懍(そうりん)が6世紀に著した年中行事記の中に、こうあるそうだ。

 「正月七日、人日と為し、七種菜を以って羹(あつもの)と為す」、「人日」【じんじつ】とは、陰暦の正月1月7日のことで、五節句の一である。 

 「羹」は、魚・鳥の肉や野菜を入れた熱い吸い物をさすと云うが、雑煮というようなものもいうのだそうだ。

 とはいえ、この羹に煮込まれる具材が、ボクらがが食べてきた七草と同じである筈はない、一体何を食べていたのか?

 この「人日」の習慣が、万葉の雄略帝の歌で親しみのある古来からの「若菜摘み」の習慣と結びつきてきたのだろう。
 
 その「七草」には諸説有るようで、ボクはhttp://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/haruna-tumi.htmlで蘊蓄を読ませてもらった、勉強になりました。

 さて、この七草粥、昼に喰うのだが、ボクが作る、美味くできるといいのだが・・・。


果たして、七草粥は美味しく食べることができた。

 これで一年、無病息災と願いたい。


 朝 トースト コーヒー ババナ蜜柑ミルク 林檎
 昼 餅入り七草粥 沢庵 松前漬け 
 夜 焼き魚(塩鯖)+大根おろし多め 焼き豚 ブロッコリーサラダ 白菜漬け 汁代わりの煮込みうどん ご飯

 
by ribondou55 | 2016-01-07 09:18 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
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 『おらが春』の巻末。

 ただ自力他力、何のかのいふ芥もくたを、さらりとちくらが沖へ流して、さて後生の一大事ハ、其身を如来の御前に投げ出して、地獄なりとも極楽なりとも、あなた様の御はからひ次第、そばされくださりませと、御頼ミ申ばかり也。
 斯くの如く決定しての上には、なみあミだ仏といふ口の下より、欲の網をはるの野に、手長蜘の行ひして、人の目を霞め、世渡る雁のかりそめにも、我田へ水を引く盗み心をゆめゆめもつべからず。しかる時ハ、あながつつくり声して念仏申ニ及ばず。願わずとも仏ハ守り給ふべし。
 是則ち、当流の安心とは申す也。穴かしこ。

 ともかくもあなた任せのとしの暮れ  一茶 (五十七齢)

  文政二年十二月二十九日


  巻頭では、

  ・・・・・・・・ことしの春もあなた任せになんむかへける。

            めでたさもちう位也おらが春 

  「あなた」とは、阿弥陀如来である。

 一切を阿弥陀如来にお任せして、如来の本願に抱かれて、必ず極楽へ往生させて頂けると信じることであった。


 あした、大掃除。
by ribondou55 | 2015-12-27 23:52 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 ふらりと、上州鬼石桜山に、冬桜の終いを見に出かけた。

 またも巡り来て、師走である。

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 冬桜は、咲き残りである。

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 むしろ、今の桜山は、見納めの紅葉。

  権中納言兼宗

    ゆく秋の形見なるべきもみぢ葉も明日はしぐれと降りやまがはむ

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by ribondou55 | 2015-12-01 23:16 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 目がピカソ枯野を蹴って蟷螂出る  的野 雄

 たまたま、愛読する「増殖する俳句歳時記」にて、教えられた句。

 写真の奴は、我が家の居間のガラス戸に張り付いたまま、長いこと姿勢を変えずにいたのだが、ボクがその存在をわすれたころ、カマキリもどこかに去っていた。

 静止していながら、まったく隙のない、気合いがみなぎっていて、たいしたものだと、思った。

 同じ方の句で、

     枯色も攻めの迷彩枯蟷螂

と。

 
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by ribondou55 | 2015-11-10 23:26 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 一昨日、土曜日のこと。

 沼田の方へ林檎を買いにいった。

 ひさしぶりに妻の母親を交えて、我ら夫婦と三人でドライブした。

 沼田インターから、すこし山間に入ったところに、お目当てのりんご園はあった。

 あたりは、紅葉のまっさかり。

 林檎狩り、という体だが、ボクラは買いにいった。

 「陽光」という種類がおおく、こぶしが二つくらいに大きなものが、稔っていた。

 それに、「ふじ」。

 「ふじ」には、蜜がたっぷりだった。

 配偶者は、果物好きで、林檎にも詳しく、彼女の目下のお気に入りは「シナノスイート」という種類らしく、ちょっと残念らしかった。

 配偶者の母は、初めて林檎を枝からもぎ取ったと、嬉しげであった。

 林檎ジュースもごちそうになり、当地のコシヒカリのおにぎりと自家製味噌のナメコ汁もサービスだった。

 我ら三人、もうこれでお昼ご飯も要らないねといいながら、袋一杯に詰めこんだ林檎を下げて車に戻った。

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 新美南吉の『りんごの車』の車は、手押し車であろうが、この詩、何度か繰り返して読んでると、ほんわりと、あたたかみが伝わってくる。


     りんごの車     新美南吉

   りんごが三かご
   のつてる車、
   ころころいつた。
   子供が押した。
  
    (りんごが一かご
     あちらで売れた。)

   りんごが二かご
   木箱の車、
   ころころいつた。
   子供が押した。

    (りんごが一かご
     こちらで売れた。)

   りんごが一かご
   のこつた車、
   ころころいつた。
   子供が押した。

    (りんごが一かご
     どこかで売れた。)

   帰りは子供が
   のつてる車、
   ころころいつた、
   お家の方へ。



 帰り道、車を押しているのは、お父さんか?お母さんか?あるいは、お兄さんか?お姉さんか?はたまた、おじいちゃんか?おばあさんか?

 ボクは、お父さんだと、断言できる。

 

 
by ribondou55 | 2015-11-09 14:37 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 うらをみせおもてをみせて散るもみじ  良寛


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 よく知られた句である。

 ボクの想うところも、皆さんと同じ、良寛さんは空恐ろしいお方だ。


 それにもうふたつ、和歌である、これもボクにとって、そう遠い日のことではない。


 ぬばたまのよるはすがらに糞まりあかしあからひく昼は厠に走り敢へなくに 良寛歌集


 この夜らの いつか明けなむ この夜らの 明けはなれなば をみな来て はりを洗はむ こいまろび あかしかねけり 長きこの夜を  (同)

 とはいえ、果たしてボクにも下の世話をしてくれる「をみな」はおいでになるのか?

 いやいや、日頃から「ひとりぼっち」であることを善しとする小生、そんな期待を口にするとは、情けない。

 でも、やっぱり、つらいもんだなあ、と。





 
 
 
by ribondou55 | 2015-11-04 23:07 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 椿は勿論、山吹や利休梅には目が向いていたのに、ひっそりと梅の実がなっていたのに気がつかなかった。

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 荒木一郎の『梅の実』という歌を思い出す。

  梅の実がなった この小さな朝に
  青く冷たい 朝もやの中に
  梅の実は 風のゆりかごに眠る
  やがて生まれる 子供のように
  あの空 あの雲 遠い調べよ
  山の頂きの 白い雪
 
 この歌、メロディがきれいなのでさりげなく歌われているが、歌詞の意味は、ボクには難解である。

 又、一茶には、

 青梅に手をかけて寝る蛙(かわず)かな 一茶

 があるが、季節は夏になるだろう。

この句、老いた一茶が若い妻に甘えている気分だという人もいる。

 さて。

 それに、坪井杜国は芭蕉の想われ人だったという説もある。

 そうな風に読むと、またそれはそれで、おもしろい。

 梅の実も隅には置けない



 熊谷は、乾燥していて最小湿度が8%であった、とか。









by ribondou55 | 2014-04-16 23:50 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)
 四月五日午後、よいお天気に誘われて、少しばかり散歩的サイクリング、・・・ポタリングというのだそうだが、に出た。

 遠目に見えてくる桜の高い梢や一群れの桜を目指して、集落に入り、目指した桜の下でちょっと憩い、再び、田畑の中の道を行くと、あちらに村社の森、向こうに禅寺の山門前の古木、などなどと見えてくる。

 そんな感じで、訪ねていった桜の下に小さなお堂があって、花祭りと小さな旗が揚がっていて、誰もいない。

 そのお堂に、誕生されたお釈迦さんがおいでであった。

 ボクは、手を合わせて、しばらく庭先のブランコにすわって休み、そして黙礼してそのまま帰宅した。



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by ribondou55 | 2014-04-12 23:59 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂