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花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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カテゴリ:よしなしごとあれこれ( 129 )



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埼玉県深谷市は渋沢栄一の生誕の地である。

この方の肖像いりのお札を2000枚なくては、老後は立ち行かぬと。















by ribondou55 | 2019-07-06 22:58 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 今日の森林公園は、初夏の爽快な風が吹き渡って、まことにいい気分になれた。
 
中央口の近くで、コンクリートの歩道に、浅黒いシミが一面に。

さて?

 見上げると、桑の実。

一見してまさしく食べ頃である。

だが、ここ国営武蔵丘陵森林公園では、草一本虫一匹採集してはイケナイのだ。

 指をくわえて眺めるほかないのである。


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指をくわえて・・・、ボクに限れば嘘である。

貧しい家だったが、母は桑の実を「どどめ」と呼び、青梅と共に決して口のしてはいけないと、三人の子に厳しく言いつけた。

次男坊のボクは、好奇心に負けて、ある日、口にして家に帰ったところ、

紫色に染まったの口もとを真面目な兄に告げ口され、母に殴られた事を覚えている。

オヤジは穏やかであったが、なんとも、お袋にはゴキンガンをやられたものだ。

ゴキンガンというのは、拳で頭をゴツンとやることである。

故に、以来ボクは、一度もこれを食したことはない。




青梅は腹下しをすると云われているが、桑の実は大好物という人はすくなからずいる。

正岡子規というお方もそうであった。

年譜によると、25歳の6月、木曽路を経て松山に帰省とある。

その折の愉快な思い出の句だろう。

ありきながら桑の実くらふ木曽路かな

明治34年の「ホトトギス」に「くだもの」というエッセイが二ヶ月連載された。

亡くなる前の年、病状は最終局にむかうなか、この人はこういう。

病気になって全く床を離れぬようになってからは外に楽みがないので、食物の事が一番贅沢ぜいたくになり、終には菓物も毎日食うようになった。毎日食うようになっては何が旨いというよりは、ただ珍らしいものが旨いという事になって、とりとめた事はない。その内でも酸味の多いものは最もきにくくて余計にくうが、これは熱のある故でもあろう。夏蜜柑なつみかんなどはあまり酸味が多いので普通の人は食わぬけれど、熱のある時には非常に旨く感じる。これに反して林檎のような酸味の少い汁の少いものは、始め食う時は非常に旨くても、二、三日も続けてくうとすぐに厭きが来る。柿は非常に甘いのと、汁はないけれど林檎のようには乾いて居らぬので、厭かずに食える。しかしだんだん気候が寒くなって後にくうと、すぐに腹をいためるので、前年も胃痙いけいをやってりした事がある。梨も同し事で冬の梨は旨いけれど、ひやりと腹にみ込むのがいやだ。しかしながら自分には殆ど嫌いじゃという菓物はない。バナナも旨い。パインアップルも旨い。桑の実も旨い。まきの実も旨い。くうた事のないのは杉の実と万年青おもとの実位である。


すごすぎる。

さてさて、この文章によると、桑の実は立派に「くだもの」に属する果実でアルと、子規はお考えであったとわかるのだ。

関係箇所を引用しておく。(青空文庫より拝借)


○くだものの字義 くだもの、というのはくだすものという義で、くだすというのは腐ることである。菓物くだものは凡て熟するものであるから、それをくさるといったのである。大概の菓物はくだものに違いないが、栗、しいの実、胡桃くるみ団栗どんぐりなどいうものは、くだものとはいえないだろう。さらばこれらのものを総称して何というかといえば、木の実というのである。木の実といえば栗、椎の実も普通のくだものも共に包含せられておる理窟であるが、俳句では普通のくだものは皆別々に題になって居るから、木の実といえば椎の実の如き類の者をいうように思われる。しかしまた一方からいうと、木の実というばかりでは、広い意味に取っても、覆盆子いちご葡萄ぶどうなどは這入らぬ。其処で木の実、草の実と並べていわねば完全せぬわけになる。この点では、くだものといえばかえって覆盆子も葡萄もこめられるわけになる。くだもの類を東京では水菓子という。余の国などでは、なりものともいうておる。

○くだものにじゅんずべきもの 畑に作るものの内で、西瓜すいか真桑瓜まくわうりとは他の畑物とは違うて、かえってくだものの方に入れてもよいものであろう。それは甘味があってしかもなまで食う所がくだものの資格を具えておる。


○くだものと色 くだものには大概美しい皮がかぶさっておる。覆盆子、桑の実などはやや違う。その皮の色は多くは始め青い色であって熟するほど黄色かまたは赤色になる。中には紫色になるものもある。(西瓜の皮は始めから終りまで青い)普通のくだものの皮は赤なら赤黄なら黄と一色であるが、林檎りんごに至っては一個の菓物くだものの内に濃紅や淡紅やかばや黄や緑や種々な色があって、色彩の美を極めて居る。その皮をむいで見ると、肉の色はまた違うて来る。柑類は皮の色も肉の色もほとんど同一であるが、柿は肉の色がすこし薄い。葡萄の如きは肉の紫色は皮の紫色よりもはるかに薄い。あるいは肉の緑なのもある。林檎に至っては美しい皮一枚の下は真白の肉の色である。しかし白い肉にも少しは区別があってやや黄を帯びているのは甘味が多うて青味を帯びているのは酸味が多い。


○桑の実を食いし事 信州の旅行は蚕時であったので道々の桑畑はいずこも茂っていた。木曾へ這入ると山と川との間の狭い地面が皆桑畑である。その桑畑の囲いの処には幾年も切らずにいる大きな桑があってそれには真黒な実がおびただしくなっておる。見逃がす事ではない、余はそれを食い始めた。桑の実の味はあまり世人に賞翫しょうがんされぬのであるが、その旨さ加減は他にくらべる者もないほどよい味である。余はそれを食い出してから一瞬時も手をかぬので、桑の老木が見える処へは横路でも何でもかまわず這入って行ってむさぼられるだけ貪った。何升なんしょう食ったか自分にもわからぬがとにかくそれがためにその日は六里ばかりしか歩けなかった。寐覚ねざめの里へ来て名物の蕎麦そばを勧められたが、蕎麦などを食う腹はなかった。もとよりこの日は一粒の昼飯も食わなかったのである。木曾の桑の実は寐覚蕎麦より旨い名物である。





この一週間ほどの間に生起したり、明らかになったりしたことが、

この「令和」の先行きを暗示するものでありませんように。





by ribondou55 | 2019-05-30 22:42 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

苗を育てることなど。


育苗中のポット苗、六種。

今朝の画像。

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ミニトマト

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九条葱


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オクラ

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地這いキュウリ


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まくわうり

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 向日葵

タネをまき、発芽を待つ。

これ以上の楽しみはない。


これらは、タマネギの収穫の跡地に定植する。

余った苗は、どなたかが貰ってくれる。






映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』(監督 イ・ジュンイク、129分、2017年、韓国)。

シネマテークたかさきで観た。

チュ・ヒソが演ずる金子文子は、とてもチャーミングであった。

彼女が、『空と風と星の詩人 尹東柱』のあの子でアルと見終えても気づかなかった。

劇団新宿梁山泊の面々も登場する。


さて、この作品をただの反日映画だとおっしゃる方もおいでであるそうだが、

相手にする必要はない。

今こそ観る価値がある作品である。













by ribondou55 | 2019-05-18 11:52 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 Amazon Primeで「あゝ.荒野」(監督・岸善幸、原作・寺山修司、前篇157分・後篇147分、2017年)をようやく観た。

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 前後編を通しでこの長尺を、もしも映画館で観るとすると、この頃のボクにはしんどい。

 時折、尿意に抗しきれないことがあるので、これまではなんとか切り抜けてきたが、不安なのだ。

 そういう意味では、畳の上で寝転んで観ることができるなんて、便利な世の中になった。

 ありがやたや。

 でも、三日がかり。

 イロイロ思うことがあった。


 書棚をあたると、原作本が出てきた。

 
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 映画の印象は、原作を再読した上で。




このところ、過去にこのブログへあげたものに、手を入れたり、ダメなものを削除したりしている。

そうしていると、この日記は嘘がほとんど、事実はほんの少しというのがわかる。

お他人様に向けて書いているのだろうか。

いやいや、自分自身に向けてかいているのだな。

偽日記を書いて、何をねつ造しようとしているのやら。




明日は、種蒔きの日。

頑張ろう。













by ribondou55 | 2019-04-23 22:40 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

この4日の間に訪れたところ、原爆の図丸木美術館、さいたま水族館。


一日目

丸木美術館

原田裕規「写真の壁:Photography Wall」展

廃棄された膨大な枚数の写真のいちまいちまいに撮された人やこと。

その一枚一枚に、シャーッターを押した動機があり、撮された対象との関係があり、そしてついには、捨てられた理由がある。

おお、めまいがする。

このブログの写真も、そう遠くない先で無用となり、削除される。

デジタルデータは、打ち棄てられた形跡もなくさっぱりと消される。

スマホの画像が氾濫する。

防犯カメラが昼夜なく作動している。

この時代の一枚の写真がある意味はますます軽く、それでいて、実はいよいよ恐怖を孕む。


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丸木美術館のある風景



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二日目

垣根に来るもの

食べ残した食パン一枚に、鳥が集まってくる。

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三日目

「年寄りの冷や水」

「老いの木登り」

ボクにとってはこの上なく教訓的な言葉だと、思った。


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四日目

さいたま水族館

淡水魚専門の水族館

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季節の変わり目のせいか、夕方又訃報が届いた。










by ribondou55 | 2019-02-11 22:32 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
  余りのぽかぽか陽気に散歩に出た。

 
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 風はあるが、フリースで十分暖かい。

 いい気分だ。


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 昨日は、節分祭のはしごをした。

 長瀞の宝登山神社にまず参拝して、格式を感じさせられる追儺式の豆まきをみた。

 続いて、秩父神社の豆をいただきに。

 ここでは、あちこちに鬼が出没し、幼子を泣かせていた。


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 昼飯は秩父の道の駅の立ち蕎麦で済ませたが、蕎麦の香りもコシもある、きちんとした「ざる」であった、美味。



 先々日は、深谷シネマで『沖縄スパイ戦史』(監督・三上智恵、大矢英代、2018年、114分)を観た。



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 前の大戦については、ボクは知らないことばかりだと、改めて思った。

 非武装中立なんてことは、もうダレも口にしないが、軍隊や基地があるところは、必ず戦場になるのだと、一番切実に知っているのは沖縄の人なのだろう。


 そして、ボクは今年自分の知人への年賀状をサボった。

 いただいた年賀状の返礼もしていなかった。

 一月も押し詰まり、急に後ろめたい気分になって、2月1日付けの寒中見舞いを、礼を言葉にして送った。

 まことにもって、ろくでなしの己である。








by ribondou55 | 2019-02-04 23:13 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
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 荒川大麻生公園へ散歩に行った。

 自宅から自転車に乗って、途中ミニストップで手作りおにぎり2個買って、のんびり行った。

 安物の双眼鏡とcanonのminiXという不人気で終わった?らしいビデオカメラをポケットに突っ込んで行った。

 ボクは、miniXをスケッチ帖のように使っている。

 とにかく広角側は、ゆがむのだが、広々取れるし、写真機としても、ピント合わせ無しでさくさく撮れる。

 優れものだとおもうのだが、とっくに生産中止となった。


 さて、この荒川の河原にちょっとうっそうとした森と視界のよい冬枯れの野っ原が繋がってある。

 気分よい。

 その名の通り、野鳥がたくさんやってくるようで、探鳥会も定期的に開かれているらしい。

 今日も今日とて、(実際は昨日なのだが)、バズーカ砲のごとき長大な望遠レンズを構えるご一統さまが、小さな池の畔に沢山おいでであった。

 
 ボクはただぶらぶら歩いた。


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 なぜか、「イーハトーブ」と頭に浮かんだ。

 言わずと知れた宮沢賢治さまの「イーハトーブ」。

 有名な「注文の多い料理店」の新刊案内にあった言葉を思い出そうとしたが、ボクの脳みそはどろんと淀んだ沼同然で、メタンガスのようなものしか浮かんでこない。

 で、妙に確信的に、この森と原っぱだって、「イーハトーブ」だと。

 ちょっと立ち止まって考えた、・・・・そう思ってもイイかも知れない。


 森の外れのベンチに腰掛け、おにぎりをほおばりつつ、耄碌爺さんは、今在るところがイーハトーブであって何処がいけない、百人の読者のそれぞれに固有のイーハトーブが開かれているのだと、それでイイのだと、バカボンのパパのように決定した。


 そこで、いま青空文庫からその一文を拾っておく。

 賢サを愛する熱烈なファンには失礼だが、ドリームランドは世界の至る所に偏在して、「岩手県」が独占するものでもあるまいと、ぼんやり思うのであった。

 イーハトヴは一つの地名である。しいて、その地点をもとむるならば、それは、大小クラウスたちのたがやしていた、野原のはらや、少女アリスがたどったかがみの国と同じ世界せかいの中、テパーンタール砂漠さばくのはるかな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。
じつにこれは著者の心象中に、このような状景じょうけいをもって実在じつざいしたドリームランドとしての日本岩手県である
そこでは、あらゆることが可能かのうである。人は一瞬いっしゅんにして氷雲ひょううんの上に飛躍ひやく大循環だいじゅんかんの風をしたがえて北にたびすることもあれば、赤い花杯はなさかずきの下を行くありかたることもできる。
つみや、かなしみでさえそこではきよくきれいにかがやいている。
ふかママの森や、風やかげ肉之ママ草や、不思議ふしぎ都会とかい、ベーリング市までつづ電柱でんちゅうれつ、それはまことにあやしくも楽しい国土である。






by ribondou55 | 2019-01-31 23:17 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)




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 ゆで卵は不思議な感じがする食べ物だ。

 
 子どもの頃は、ちょっと贅沢なごちそうであった。

 独身のころは、通勤の途中の喫茶店でモーニングサービス、これがつくのが定番だった。

 今は、取り立てて好きでも嫌いでもないが、家飯のラーメンにはこれを載せないと物足りない。

 時代や世代や生活実態の違いで、印象が大きく変化する。


 ゆで卵はいわば命の始まりの形をしている。

 白身に包まれた卵黄が、一つの細胞なんだそうだ。

 胚発生は黄身の部分で起きるのだ。

 有精卵であれば、二十日か二十一日ぐらいまでには、孵化するそうだ。
 

 ゆで卵は外形的には、つるんとしてつやつや、中に黄身は潜んでいて、見えない。

 人によってはエロチックとか。

 産卵女子とかナンダワカラン語が、Googleに引かれてきた。

 とんでもない方向に話が行きそうなのでやめる。



 橋本治氏、逝去。










by ribondou55 | 2019-01-29 23:10 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
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 埼玉県立こども動物自然公園まで、過日、孫のお供で出かけた。

 雨フラズの関東平野である。

 畑の白菜大根キャベツ人参タマネギ長葱のらぼう菜春菊ほうれん草小松菜、どれもこれもも冬干ばつに霜枯れて無惨。


 さて、フラミンゴは、地面から何を拾って食べるのか。

 蒔かれた餌の食べ残しだろうか。

 冬ざれた土砂の上、匂いすらないだろう。


 それにしても、どこもかしこも、カラカラになり、咽も痛んできた。

 しかたなく、安物の加湿器を求めてきて、居間に置いたら、それなりの効果がある。

 ともあれ、乾くのは心身によくない。

 つい、言葉まで素っ気なくなってくる。


 どこかの神様、雨をお恵みください。

 

 





by ribondou55 | 2019-01-22 15:38 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

若い世代のお餅離れ

 暮れの三〇日、我が家の餅つき。

 今でこそ電動の餅つき器で行うが、しばらく前までは杵と臼を使っていた。

 餅なしに年は越せない。

 というより、ボクの感覚では今年も餅をついて新年を迎えられると云うこと自体が、家族の安泰をしめすものだと思っている。

 で、そのお餅を、我が子も甥っ子も姪っ子もおしなべて、あまり好まない。

 となれば、孫や甥姪の孫も、さらに餅離れするに違いない。


 あいつめらは、お正月の縁起物的に、お雑煮を一杯食べれば十分だとほざく。

 或いは、お汁粉などにも一切あればいいのだという。



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 焼き餅は、焼く手間が面倒くさい。

 食べると口の中でいつまでもねちゃねちゃしていて、飲み込むタイミングがつかめない。

 すぐにカビが生えてきて気持ち悪い。

 胸が焼ける。

 腹持ちしすぎる。

 なんのかんの言いたい放題にいう。


 黙れ黙れ愚か者。

 てっめらがうれしそうに口にするチャラチャラした食いもんの薄っぺらさに気づかないか。

 大馬鹿者め。

 と、内心思うがそれは口にせず。


 若い者のお餅離れ、ボクの身内の若い世代に限ったことだろうか。




by ribondou55 | 2019-01-09 10:05 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)