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カテゴリ:よしなしごとあれこれ( 140 )




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「三つ子の魂百までも」ということを、ボクはそんなことあるものかと、思ってきた。

幼年期に形成される性格やら感性やらといったパーソナリティいうか、「その子らしさ」というのは、多く環境に影響される。

影響力の大きい環境と云えば、まず親、家族、「家」。

例えば、味覚なんてものも、幼少年期に決定される。

愛着、思いやり、憎しみ、悲しみ。

言葉遣い、語調、立ち居振る舞い、・・・。



俗に言う、「お里が知れる」というやつだ。

「お里」とは何事だ!

そんなものに、人は支配されない。

「再生産」されてたまるか。

これまで、ボクは、環境が人を決定しないという立場を取ってきた。

「お里」を人は選ぶことができないが、その「お里」の世界を超越して行くことが、「自立」って奴だと思ってきた。


だが、この頃思うのは、還暦・古希を過ぎる頃になると、人は「コドモかえり」を始める。

明らかに退行してゆく。

人目を気にして、気にして、ついに、とんでもない袋小路へとか。

おいしいこと、気持ちいいことが、価値判断の第一基準とか。

承認願望と、それが満たされないときの激しい怒りとか。

自己への盲信、とうらはらに自信のなさとか。



ついには、高齢者になった子が、「この親にして、この子あり」という、壁にぶち当たるとか。

・・・・・・・・・。



じっと、始末に負えない老人(己もそのうちに含まれる)を眺めていると暗澹タル気分になる。

その上、人生100歳時代だと、くそったれめ。



たとえば、健康体である限り、

正座でもなく、胡座でもなく、椅子に座るでもなく、

ただ足を投げ出して三度の飯を喰うことは、ボクには到底できないのだ。

嗚呼。



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by ribondou55 | 2019-09-21 23:14 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

眼鏡

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普段使いは、遠近両用眼鏡。

デスクトップpcの前では、中近両用眼鏡。

映画館や展覧会は、近視用眼鏡。

車の運転時は、近視用度付きサングラス。

そして、今日は、だだの老眼鏡ができてきた。


この頃は、遠近でも中近でも、文字だけに向き合っていると、変な目の疲れを感じるようなった。

そこで、とうに昔に度が合わなくなったので、引き出しに放っておいた近視眼鏡のフレームを再利用して、老眼レンズに交換した。

とても、具合いい。

「注」の多い文庫本も読みやすくなった。

ちょっと、うれしい。







by ribondou55 | 2019-09-09 22:31 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)


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午前中は、畑を耕した。

とりあえず大根と白菜を蒔くために、汗を流した。

スコップで荒く掘り起こして、その土塊を鍬で砕く。

石灰と堆肥を入れて、また、鍬で耕す。


昼には、醤油ラーメンを丁寧に作った。

安く買ってあった焼き豚を厚く切って、どさっと。

畑の九条葱を山盛りに。


それから一時間ほど昼寝をした。


目覚めも気分がよかった。

配偶者は出かけていたので、ドアやら窓やらに鍵をかけ、留守番電話にして、自室に籠もった。

久々に部屋を片付け、内田百閒の「東京日記」(岩波文庫)を読んだ。

YouTubeで高橋優を聴いた。

Twitterで香港の様子を見た。


やがて配偶者が帰宅した。

留守電は一本もなかった。


夕飯にこの秋初めての秋刀魚を喰った。

痩せた秋刀魚であったが、腸はやっぱりほろ苦かった。


涼しいというのは、よろしいものだ。

虫が鳴いているのを聴きながら、寝よう。















by ribondou55 | 2019-09-04 23:09 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 今度の旅の三日目は、大館から秋保温泉への移動であった。
 
秋保温泉泊は、大館から一日で自宅へ直行するのには、七〇過ぎの爺さんとしては、きついからだ。

 それと、最終日、仙台からいわきまで、国道六号線で南下しようと計画したからだ。

 さて、大館からは二カ所の寄り道をした。

 石川啄木記念館と羅須地人協会の二カ所である。

 ボクは、啄木の渋民小学校を50年前に訪れている。

 一人で旅をする面白さを知った頃である。

 JRの渋民駅から北上川を越えて、炎天下を随分と歩いた記憶がある。

 今は、記念館の脇に移築されていた。

 当時は、元の場所に在ったのだろうか?分からない。



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未だ二十歳そこそこであったボクは、この教室に立って思ったことことを、今でも忘れない。

「渋民は、東京から遙かに遠い」、そこからはい出てきた早熟な石川一クンとは、何者だったのか、ということであった。

そして、七〇を過ぎた今のボクは、啄木をしみじみ可愛そうな男だったと、思うのだった。


で、そこから、花巻農業高校に復元された宮澤賢治の羅須地人協会へ向かった。


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初めて訪れた。

画像では何度見たか分からない、それが目の前に現われて、爺さんはちょっと感傷的になった。

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ああそうですか、下の畑ですか、とネ。

それと、思ったのは、やっぱり賢治はイイお家のボンボンでした、ということ。

賢治の祖父の隠居所というではないか、瀟洒な造りである、こんなとこに住んで、「雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ」、ですか?

とか、皮肉も言いたくなる。

借金まみれの啄木を訪ねた直後ですからね。


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さて、さて、この二人の岩手県人に、若かったボクはかなり影響されたのだったなあ、と。












by ribondou55 | 2019-08-26 23:10 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)


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埼玉県深谷市は渋沢栄一の生誕の地である。

この方の肖像いりのお札を2000枚なくては、老後は立ち行かぬと。















by ribondou55 | 2019-07-06 22:58 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 今日の森林公園は、初夏の爽快な風が吹き渡って、まことにいい気分になれた。
 
中央口の近くで、コンクリートの歩道に、浅黒いシミが一面に。

さて?

 見上げると、桑の実。

一見してまさしく食べ頃である。

だが、ここ国営武蔵丘陵森林公園では、草一本虫一匹採集してはイケナイのだ。

 指をくわえて眺めるほかないのである。


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指をくわえて・・・、ボクに限れば嘘である。

貧しい家だったが、母は桑の実を「どどめ」と呼び、青梅と共に決して口のしてはいけないと、三人の子に厳しく言いつけた。

次男坊のボクは、好奇心に負けて、ある日、口にして家に帰ったところ、

紫色に染まったの口もとを真面目な兄に告げ口され、母に殴られた事を覚えている。

オヤジは穏やかであったが、なんとも、お袋にはゴキンガンをやられたものだ。

ゴキンガンというのは、拳で頭をゴツンとやることである。

故に、以来ボクは、一度もこれを食したことはない。




青梅は腹下しをすると云われているが、桑の実は大好物という人はすくなからずいる。

正岡子規というお方もそうであった。

年譜によると、25歳の6月、木曽路を経て松山に帰省とある。

その折の愉快な思い出の句だろう。

ありきながら桑の実くらふ木曽路かな

明治34年の「ホトトギス」に「くだもの」というエッセイが二ヶ月連載された。

亡くなる前の年、病状は最終局にむかうなか、この人はこういう。

病気になって全く床を離れぬようになってからは外に楽みがないので、食物の事が一番贅沢ぜいたくになり、終には菓物も毎日食うようになった。毎日食うようになっては何が旨いというよりは、ただ珍らしいものが旨いという事になって、とりとめた事はない。その内でも酸味の多いものは最もきにくくて余計にくうが、これは熱のある故でもあろう。夏蜜柑なつみかんなどはあまり酸味が多いので普通の人は食わぬけれど、熱のある時には非常に旨く感じる。これに反して林檎のような酸味の少い汁の少いものは、始め食う時は非常に旨くても、二、三日も続けてくうとすぐに厭きが来る。柿は非常に甘いのと、汁はないけれど林檎のようには乾いて居らぬので、厭かずに食える。しかしだんだん気候が寒くなって後にくうと、すぐに腹をいためるので、前年も胃痙いけいをやってりした事がある。梨も同し事で冬の梨は旨いけれど、ひやりと腹にみ込むのがいやだ。しかしながら自分には殆ど嫌いじゃという菓物はない。バナナも旨い。パインアップルも旨い。桑の実も旨い。まきの実も旨い。くうた事のないのは杉の実と万年青おもとの実位である。


すごすぎる。

さてさて、この文章によると、桑の実は立派に「くだもの」に属する果実でアルと、子規はお考えであったとわかるのだ。

関係箇所を引用しておく。(青空文庫より拝借)


○くだものの字義 くだもの、というのはくだすものという義で、くだすというのは腐ることである。菓物くだものは凡て熟するものであるから、それをくさるといったのである。大概の菓物はくだものに違いないが、栗、しいの実、胡桃くるみ団栗どんぐりなどいうものは、くだものとはいえないだろう。さらばこれらのものを総称して何というかといえば、木の実というのである。木の実といえば栗、椎の実も普通のくだものも共に包含せられておる理窟であるが、俳句では普通のくだものは皆別々に題になって居るから、木の実といえば椎の実の如き類の者をいうように思われる。しかしまた一方からいうと、木の実というばかりでは、広い意味に取っても、覆盆子いちご葡萄ぶどうなどは這入らぬ。其処で木の実、草の実と並べていわねば完全せぬわけになる。この点では、くだものといえばかえって覆盆子も葡萄もこめられるわけになる。くだもの類を東京では水菓子という。余の国などでは、なりものともいうておる。

○くだものにじゅんずべきもの 畑に作るものの内で、西瓜すいか真桑瓜まくわうりとは他の畑物とは違うて、かえってくだものの方に入れてもよいものであろう。それは甘味があってしかもなまで食う所がくだものの資格を具えておる。


○くだものと色 くだものには大概美しい皮がかぶさっておる。覆盆子、桑の実などはやや違う。その皮の色は多くは始め青い色であって熟するほど黄色かまたは赤色になる。中には紫色になるものもある。(西瓜の皮は始めから終りまで青い)普通のくだものの皮は赤なら赤黄なら黄と一色であるが、林檎りんごに至っては一個の菓物くだものの内に濃紅や淡紅やかばや黄や緑や種々な色があって、色彩の美を極めて居る。その皮をむいで見ると、肉の色はまた違うて来る。柑類は皮の色も肉の色もほとんど同一であるが、柿は肉の色がすこし薄い。葡萄の如きは肉の紫色は皮の紫色よりもはるかに薄い。あるいは肉の緑なのもある。林檎に至っては美しい皮一枚の下は真白の肉の色である。しかし白い肉にも少しは区別があってやや黄を帯びているのは甘味が多うて青味を帯びているのは酸味が多い。


○桑の実を食いし事 信州の旅行は蚕時であったので道々の桑畑はいずこも茂っていた。木曾へ這入ると山と川との間の狭い地面が皆桑畑である。その桑畑の囲いの処には幾年も切らずにいる大きな桑があってそれには真黒な実がおびただしくなっておる。見逃がす事ではない、余はそれを食い始めた。桑の実の味はあまり世人に賞翫しょうがんされぬのであるが、その旨さ加減は他にくらべる者もないほどよい味である。余はそれを食い出してから一瞬時も手をかぬので、桑の老木が見える処へは横路でも何でもかまわず這入って行ってむさぼられるだけ貪った。何升なんしょう食ったか自分にもわからぬがとにかくそれがためにその日は六里ばかりしか歩けなかった。寐覚ねざめの里へ来て名物の蕎麦そばを勧められたが、蕎麦などを食う腹はなかった。もとよりこの日は一粒の昼飯も食わなかったのである。木曾の桑の実は寐覚蕎麦より旨い名物である。





この一週間ほどの間に生起したり、明らかになったりしたことが、

この「令和」の先行きを暗示するものでありませんように。





by ribondou55 | 2019-05-30 22:42 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

苗を育てることなど。


育苗中のポット苗、六種。

今朝の画像。

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ミニトマト

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九条葱


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オクラ

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地這いキュウリ


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まくわうり

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 向日葵

タネをまき、発芽を待つ。

これ以上の楽しみはない。


これらは、タマネギの収穫の跡地に定植する。

余った苗は、どなたかが貰ってくれる。






映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』(監督 イ・ジュンイク、129分、2017年、韓国)。

シネマテークたかさきで観た。

チュ・ヒソが演ずる金子文子は、とてもチャーミングであった。

彼女が、『空と風と星の詩人 尹東柱』のあの子でアルと見終えても気づかなかった。

劇団新宿梁山泊の面々も登場する。


さて、この作品をただの反日映画だとおっしゃる方もおいでであるそうだが、

相手にする必要はない。

今こそ観る価値がある作品である。













by ribondou55 | 2019-05-18 11:52 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
 Amazon Primeで「あゝ.荒野」(監督・岸善幸、原作・寺山修司、前篇157分・後篇147分、2017年)をようやく観た。

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 前後編を通しでこの長尺を、もしも映画館で観るとすると、この頃のボクにはしんどい。

 時折、尿意に抗しきれないことがあるので、これまではなんとか切り抜けてきたが、不安なのだ。

 そういう意味では、畳の上で寝転んで観ることができるなんて、便利な世の中になった。

 ありがやたや。

 でも、三日がかり。

 イロイロ思うことがあった。


 書棚をあたると、原作本が出てきた。

 
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 映画の印象は、原作を再読した上で。




このところ、過去にこのブログへあげたものに、手を入れたり、ダメなものを削除したりしている。

そうしていると、この日記は嘘がほとんど、事実はほんの少しというのがわかる。

お他人様に向けて書いているのだろうか。

いやいや、自分自身に向けてかいているのだな。

偽日記を書いて、何をねつ造しようとしているのやら。




明日は、種蒔きの日。

頑張ろう。













by ribondou55 | 2019-04-23 22:40 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

この4日の間に訪れたところ、原爆の図丸木美術館、さいたま水族館。


一日目

丸木美術館

原田裕規「写真の壁:Photography Wall」展

廃棄された膨大な枚数の写真のいちまいちまいに撮された人やこと。

その一枚一枚に、シャーッターを押した動機があり、撮された対象との関係があり、そしてついには、捨てられた理由がある。

おお、めまいがする。

このブログの写真も、そう遠くない先で無用となり、削除される。

デジタルデータは、打ち棄てられた形跡もなくさっぱりと消される。

スマホの画像が氾濫する。

防犯カメラが昼夜なく作動している。

この時代の一枚の写真がある意味はますます軽く、それでいて、実はいよいよ恐怖を孕む。


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丸木美術館のある風景



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二日目

垣根に来るもの

食べ残した食パン一枚に、鳥が集まってくる。

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三日目

「年寄りの冷や水」

「老いの木登り」

ボクにとってはこの上なく教訓的な言葉だと、思った。


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四日目

さいたま水族館

淡水魚専門の水族館

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季節の変わり目のせいか、夕方又訃報が届いた。










by ribondou55 | 2019-02-11 22:32 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)
  余りのぽかぽか陽気に散歩に出た。

 
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 風はあるが、フリースで十分暖かい。

 いい気分だ。


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 昨日は、節分祭のはしごをした。

 長瀞の宝登山神社にまず参拝して、格式を感じさせられる追儺式の豆まきをみた。

 続いて、秩父神社の豆をいただきに。

 ここでは、あちこちに鬼が出没し、幼子を泣かせていた。


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 昼飯は秩父の道の駅の立ち蕎麦で済ませたが、蕎麦の香りもコシもある、きちんとした「ざる」であった、美味。



 先々日は、深谷シネマで『沖縄スパイ戦史』(監督・三上智恵、大矢英代、2018年、114分)を観た。



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 前の大戦については、ボクは知らないことばかりだと、改めて思った。

 非武装中立なんてことは、もうダレも口にしないが、軍隊や基地があるところは、必ず戦場になるのだと、一番切実に知っているのは沖縄の人なのだろう。


 そして、ボクは今年自分の知人への年賀状をサボった。

 いただいた年賀状の返礼もしていなかった。

 一月も押し詰まり、急に後ろめたい気分になって、2月1日付けの寒中見舞いを、礼を言葉にして送った。

 まことにもって、ろくでなしの己である。








by ribondou55 | 2019-02-04 23:13 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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