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2019年 09月 21日 ( 1 )




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「三つ子の魂百までも」ということを、ボクはそんなことあるものかと、思ってきた。

幼年期に形成される性格やら感性やらといったパーソナリティいうか、「その子らしさ」というのは、多く環境に影響される。

影響力の大きい環境と云えば、まず親、家族、「家」。

例えば、味覚なんてものも、幼少年期に決定される。

愛着、思いやり、憎しみ、悲しみ。

言葉遣い、語調、立ち居振る舞い、・・・。



俗に言う、「お里が知れる」というやつだ。

「お里」とは何事だ!

そんなものに、人は支配されない。

「再生産」されてたまるか。

これまで、ボクは、環境が人を決定しないという立場を取ってきた。

「お里」を人は選ぶことができないが、その「お里」の世界を超越して行くことが、「自立」って奴だと思ってきた。


だが、この頃思うのは、還暦・古希を過ぎる頃になると、人は「コドモかえり」を始める。

明らかに退行してゆく。

人目を気にして、気にして、ついに、とんでもない袋小路へとか。

おいしいこと、気持ちいいことが、価値判断の第一基準とか。

承認願望と、それが満たされないときの激しい怒りとか。

自己への盲信、とうらはらに自信のなさとか。



ついには、高齢者になった子が、「この親にして、この子あり」という、壁にぶち当たるとか。

・・・・・・・・・。



じっと、始末に負えない老人(己もそのうちに含まれる)を眺めていると暗澹タル気分になる。

その上、人生100歳時代だと、くそったれめ。



たとえば、健康体である限り、

正座でもなく、胡座でもなく、椅子に座るでもなく、

ただ足を投げ出して三度の飯を喰うことは、ボクには到底できないのだ。

嗚呼。



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by ribondou55 | 2019-09-21 23:14 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂