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2019年 06月 21日 ( 1 )

 
 山田風太郎著『あと千回の晩飯』1997年・朝日新聞社刊。

 書名となった『あと千回の晩飯』は朝日新聞・朝刊で、

 平成六年十月六日から平成七年三月二十七日(正)、平成七年十月五日から平成八年十月十六日の間、連載された文章でアル。

 つまり、西暦で云うと1994年から1996年の間である。

 二十五年前と云えども、このボクが、新聞連載時、風太郎さんの文章を気にとめなかったハズがない。

 この『あと千回の晩飯』という題名は、記憶の底にぼんやりあったのだろう、

 過日、いきつけの図書館の書棚にこの背表紙を見いだした時、はっと閃くものが在った。

確かに、書物は読者を呼び寄せるものなのだ。

冒頭、つまり連載の初回にこうある。


 ◎遠雷の音

 いろいろな徴候から、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだと思う。
 といって、別に今これといった致命的な病気の宣告を受けたわけではない。七十二歳になる私が、漠然とそう感じているだけである。病徴というより老徴と云うべきか。


こんな書き出しで始まっていた。

二十五年前のボクは、人ごとのように、面白ガルだけで、読み過ごしただろう。

だが、今、七十歳を過ぎてみると、ボクにも「遠雷の音」はきちんときこえているのだ。

「遠雷の音」とは、致命的な病気の宣告、つまり、「死」の宣告である。


つひにゆく道とはかねてききしかどきのふけふとはおもはざりしが

「死」に当面して呆然としている、「伊勢物語」の伊達男、在原業平の辞世の歌を引き合いに出して、

この「つひにゆく」を「ついにくる」と言い換えて老いと解釈すれば、人生はまさにその通りだと、

風太郎さんはおっしゃる。


そして、二年後の連載最終回を前に

私は七十四歳という望外の長命を得たが、果たして何らかのメリットあったかと自問する。

自分自身は老来何かと不便な事が多く、長生きに余得があると思えない。

中でも、映画女優を見るのつけ手も、昔のように圧倒的美女が、近来稀になった。

又、かつての此の世のものとも思えないほどの美女が、四十,五十となり、

テレビなどで「美女の果て」を見る羽目になった。

長生きのデメリットの好例だ.

などと、おっしゃる。

ボクも、全くだと思いつつ、あの人とこの人と思い浮かぶ。

さて、最終回。


◎死こそ最大の滑稽◎

 自分が年をとるのは何でもないが、美人の年を取るのを見るのは、なんともうら悲しい.
 実を言えば世の中に美人が少なくなったというのは、私の錯覚に違いない.(中略)美人が美人に見えなくなったのは、老いの致命的な証にちがいない。
 要するに近松門左衛門じゃないけれど、いまわの際にいい遺すべき一言半句を私は持たないのだ。
 先月下旬から某病院に入院し、白内障の手術を受けた。その結果、白内障の方はよくなったが、網膜出血の方は元に戻らない。糖尿病やパーキンソンは依然として元もままで結局私は中途半端なまま、あの世に行く事になるだろう。
 いろいろ死に方を考えてもたが、どうもうまくいきそうもない。私としては滑稽な死にかたが望ましいのだが、そうは問屋がおろしそうもない。
 ただ、死だけは中途半端ですむことではない。死こそは絶対である。生きているうちは人間はあらゆる事を、しゃべりにしゃべるのだが、いったん死んだとなると徹底的に黙る。
 あるいは死ぬこと自体、人間最大の滑稽事かも知れない。


と、締めくくられた。




ちなみに、近松の辞世の句はこうだ.


それ辞世 さるほどさるも その後に 残る桜の 花し匂はば


で、長文に疲れたので、明日に続く。


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保存したら、フォントサイズが、メチャクチャだ。


補記


一夜明けて、続きである。


風太郎さんは、2001年にお亡くなりになった。

戒名は、風々院風々風々居士、墓標には「風ノ墓」と。

近松は臨終に当たっていう言葉など何もない、だだ己が心血を注いだ作品が後世にも匂い立てばそれでいい、という。

死について、ボクラは口のするしないにかかわらず心中では多くのことを考える。

お釈迦様は、生病老死の四苦こそが人生の本質だと云われた。

ボクはこの頃、全くそうだなと、フト思うことがある。

しかし、悩み苦しみ千萬言を費やしても、死んでしまえば、まったくの静寂、言葉はない。

だったら、あれやこれや七転八倒することが、滑稽ではないか。

ではどうする。

面白おかしく暮らせばいいのか?

ボクは困る。

七十,八十になっても、今が青春なんておっしゃる方なんぞは、まぶしすぎる。

さてさて、どうする。

やっぱり、ぐずぐず、うじうじしながら、年寄り臭く、死ぬまで生きるのだろうか。

まことに、花菱アチャコ師匠のこの一句が、ボクの本音である。


 むちゃくちゃでござりますがな。










by ribondou55 | 2019-06-21 17:28 | 読み捨てご免 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂