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2019年 06月 08日 ( 1 )





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昨夜、古希の祝いをしてくれた。

老妻がいて、息子夫婦がいて、孫も愉快そうにしていた。

一番小さな孫は、愚図りもせず、寝てばかりいた。



先週は、娘夫婦が祝ってくれた。

久々にナイフとフォークで食事した。

ここの孫は、おてんばでアル。



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〈古希〉とは、杜甫の「曲江」を出典にもつのだという。


朝廷を退出すると、毎日春着を質に入れ、そのたびに曲江のほとりで酒を飲んで帰ってくる。
 酒代の借金はあたりまえのことで行く先々にあり、
どうせ人生七十まで生きられるのはめったにない。
(だから今のうちに飲んで楽しんでおきたいものだ)
 あたりを見ると蝶は花のしげみに見えかくれして飛び、
とんぼは水面に尾をつけてゆるやかに飛んでゆくのどかな風景である。
 私はこの春景色にことづてしたい。
我が身も春光もともに流れに身をまかせ、
春のしばらくの間でも、その美しさを賞(め)で楽しみ、
そむくことのないようにしようではないかと。(関西吟詩文化協会HPより拝借)





誕生日は、とうに迎えているので、70歳になってからの「日常」には慣れてきた。

なんだって?

「60歳代の日常と、どこかに違いがあるというのか?」と。

そう正面切って問われると、言葉に窮するのだが。

大体、ボクはそんな歳まで生き延びるというのが、想定外の出来事のような感じがある。

どんなに丙凡で退屈な生活であろうと、「明日」という日は未知の領域にある。

明けない夜はないというが、もしかすると、あるのかも知れないのだ。

「そんなことなら、おぎゃっと生まれてこの方、ずっと変らずにあることではないか」・・・・。

左様云々ごもっともであるのだが、・・・。




さて、杜甫の詩であるが、杜甫は70歳まで生きている人は稀だとしか云っていない。

一見すると、お酒を飲んでケセラセラ、長生きを望むより今の春を楽しもうよ、と。

いやいや、苦いではないか。

反吐が出そうになる人の世であるからこその、春の景色のうららなさ・美しさ。

暫時相賞莫相違

全く、ここが、ムズカシイのだ。


実際に杜甫は、770年59歳で不遇の内に亡くなった。(「杜甫詩選」黒川洋一編、岩波文庫)

還暦までも生きていなかったのだ。

70歳まで生きていたら、どんなことを考えただろうか。




良寛さんは、1831年72歳で亡くなっている。

良寛さん、・・・、よくわからん、歯が立たない。








(注)「丙凡」とは、小生の造語で、平凡以下のありきたりといことだ。









by ribondou55 | 2019-06-08 09:41 | 生きている | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂