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2019年 04月 22日 ( 1 )

玉羊羹、おいしい。

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どうも、体調がはっきりしない。

拙妻はすでに二週間ほどにもなるのか、咳き込んだり、痰がからんだり、そんもので、トローチを頻繁に舌の上で転がしている。

いささか舐めすぎだろうと、注意申し上げると、拙妻はヴィックスドロップに変えて、これなら平気だといっているが、多分それは違う、だが、これ以上は云わない。

ともあれ、風邪なのか、花粉症の一症状なのか不明だが、どうやら、このボクのけだるい感じはそれに感染したのではないか、疑いがある。

先ほど蔬菜園に出たのだが、まるで身体の水分量が通常の二三割増になっているようで、鍬の上げ下げもたいぎでたまらなかった。

早々に、撤退してきて、なにか甘いものでも口にしたいと、例の所をさがすと、玉羊羹が三つ、・・・、一つ頂きました。

これは、二本松で購入したお土産なのだが、拙妻はどういうわけか、まったく手を出さない。

かく云うボクは、なかなか美味しいと思っている。

ウィキペディアによると、この玉羊羹は、実はただものではないことが分かった。


玉羊羹(たまようかん)とは、ゴム製の風船容器として売られる状になった羊羹のこと。風船羊羹ボンボン羊羹、異名として切腹羊羹とも。

爪楊枝で刺したりして表面のゴム皮に傷をつけると、つるりとがむけて中身の羊羹が食べられる。

日中戦争中の1937年に、福島県二本松市の和菓子店「玉嶋屋」が開発した。戦場兵士に送る慰問袋用の菓子として、日本陸軍から開発の指示が出されたものである。以前から市販されていたアイスボンボン(風船に入ったアイスクリーム)を参考に、圧縮空気を使って風船に詰める装置を設計した。風船に封入することで1か月以上の日持ちが可能になった。当時は「日の丸羊羹」の商品名だった。軍用のほかに、1939年に世界一周飛行を行った毎日新聞社飛行機ニッポン号」にも、同様の風船入り羊羹30個が機内食として搭載された。

同じような風船入りの羊羹が他社でも生産され、駄菓子屋などでも売られた。戦後になって、「玉嶋屋」のものは「玉羊羹」と改名された。形状や開封時の面白さなどから、「まりも羊羹」(北海道)や「玉花火」(新潟県[1]のように土地の銘菓として売っているところもある。


ふーん。


そうかそうか確か、まりも羊羹、食べたことあるな。


楊枝のような先端がとがったもので、ゴムをプチュッとやると、するりと、剥ける。

これは、ガキの時分日参した駄菓子屋で時々買った、ごちそうである。

イヤ、それは羊羹ではなく、ゼリーであったような気がする。

多分、羊羹のほうが高級であった。

たった5円玉一つを握りしめて、ほこりっぽい路地を駄菓子屋へ走ったガキの日の自分は、質より量であったはずだ。

おそらく、だから風船羊羹(玉羊羹とは呼ばなかった)は、幸運な10円の日のお買い物であったのだろう。


もう戦後10年ちかく経っていたはずだが、そのころは1円を何等分かにできる時代だった。

ボクが好んで買ったのは、一円で3枚の醤油味塩せんべいだった。

とにかく、5円と奴を、如何に有効に活用するのか、小さな坊主頭で知恵を絞ったものだ。

今はすっかり様変わりしてしまった街並みだが、あの頃通った駄菓子屋があった筈の場所を通りすぎるとき、この年になってもちょっと気分が波立つ。


ウィキによると、この玉嶋屋の玉羊羹は、戦場の兵士への慰問袋に入れる菓子であったという。

ボクの父は中部地方の連隊に徴兵されて大陸に渡り、ズタボロに衰えた身体でかろうじて帰国できた人であるが、彼はまったく大の甘党であった。

おかげで、ボクも酒は余り好まない。

さて、そのオヤジが、もしこの玉羊羹を中国大陸のどこかの民家の軒下で口にできていたら、心からよかったねと云いたい。




残り二つ。

これから食べる。








by ribondou55 | 2019-04-22 11:13 | 舌の幸い | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂