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針千本を呑み込んで

 

  一茶の句に、

  冬の夜や針うしなうておそろしき

 がある。小学館の古典文学全集の注には、蕪村の「身にしむや亡妻の櫛を閨に踏む」が連想されるとあり、『「針」と「櫛」の違いや、「亡き妻」としてある点など、蕪村の方が手の込んだ趣向である』と解説されている。
 どちらの句を好みとするとかは、読み手次第でどうでもよい。
 ただ、ボクの感じでは、先の注釈者がこの二句を並べることに違和感がのこる。
 蕪村は、作りすぎだ、一茶の「おそろしき」のリアルさは、「身にしむや」という蕪村の狙う虚構の詠嘆とは、全く異質だ。
 蕪村は「櫛」に妻を偲ぶ夫と亡き妻の情愛の歴史性を象徴させるが、一茶の「針」にはこの瞬間の恐怖しかない。たかが「針」であるが、その失われた「針」が人の「神経」につき刺さると抜き差しならないような、一瞬の恐怖が背筋の辺りを走り、いてもたってもいたれないような思いになる。

 今日、新しい年が明けたが、ボクの神経には幾本もの「針」が紛れ込んでいて、時折深く屈託する一年になることは、疑いない。

    


   去年今年君の乳房をつねったり   李凡堂

   
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by ribondou55 | 2006-01-01 23:57 | この一首その一句 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂