秋の田の苅穂祝ひや十三夜 井月
2020年 10月 29日
(熊谷市からの空に・10/29.pm9:30頃)
特に十三夜に収穫の祝いの意味があったのか、ボクは知らない。
でも、一茶にしろ、井月にしろ、いうなれば世にとっては「無用の者」である。
そうして生きていることの後ろめたさというのは、ちょっと酷だが、それに近い気持ちはあったに違いない。
だから、「農」に生きる人々に対する畏敬の念を持ち続けていたのだろう。
一茶に、
ぬれ色の天に風吹刈穂哉
ちさい子がきせる加へて刈穂哉
三日月や刈穂の上の神酒徳り
井月には、
餅も酒も皆新米の手柄かな
新米や塩打つて焼く魚の味
かつて、伊那谷を通り過ぎたことがある。
その頃は、井月について無知であった。
もう一度、井月の筆跡を見に、伊那に行きたいが、・・・。
by ribondou55
| 2020-10-29 22:53
| この一首その一句
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