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ご近所巡礼20番 我空薬師(行田市)//聖水SPAなりし頃も、あったとさ。



久々のポタリング。

夏の間、暑さにくじけてボクは、ぐうたらしていた。

ようやく、秋めいてきて、脇腹がタップタップしてたような気がして、ペタルを漕ぐ意欲が少し兆した。

この機を逃すまいと、老体にむち打つ感じで、行田方向へ向かった。

なぜ、行田か?

この方向が、昨日は、自転車にとって追い風になるからだ。


さて、さきたまの博物館までと、目論んだが、

ラグビーワールドカップの会場になっている熊谷ラクビー場の様子を覗いて置こうと、寄り道。

ここでは、全4試合のみだから、本日は試合はない。

それでも、まことに賑々しく開催中のこと推察され、ボクもなんとなくうれしくなった。


そこから、刈り取りの終えた田んぼを両脇に眺めながら、行田市街に向かった。

昼飯に寄ろうと思っていたラーメン屋を目指すのだが、道に迷った。

仕方なく、行田のメインストリートを羽生方向へと当てもなく走ってゆくと、我空薬師の入り口の標識があった。

ポタリングの面白さは、犬の散歩のように、道草すること。

といっても、マーキングはしない。

そこで、「我空薬師」に出会った。

「ガクウヤクシ」、おお、イイ感ジ、御利益ありそうと、お参りに行く。


比較的、小ぶりのお堂が建つ。

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さて、由緒書きを一読し、驚嘆したり、ニヤリとしたり。

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これは、ガクウヤクシではなく、「ガッカラヤクシ」様であったとは。

弘法大師はあちらこちらに通りかかられたようで、このガッカラ薬師様も弘法大師ゆかりの仏様であった。

「行田市研究2012」http://gyouda2012.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-87b2.html にこんな記事が。

第九話 ガッカラ薬師と霊泉長野我空薬師

 長野公民館がございます。あの公民館の前を東へ、工業団地の方面へ向かっていきますと、右手に保育園がございます。その保育園の手前を右へ曲がって、四,五十メートルほどの所に「ガッ薬師」といわれている小さなお堂がございます。昭和の初めまでは、この辺一帯は森われていたと云います。さいけれどもこのガッ薬師のおりは、んなものでした。のおに、元禄十四年から薬師像られていたといますが、そのまでは、姿のない薬師堂であったといいます。昔、弘法大師がこの地をまわられた時、人々を救うために薬師を祀るように言われ、この地を選んでよくめ、仏の助けを祈念して一本の木を植えられました。「ここに薬師さまがお祀りしてあります。信仰のい人が頼めば、必ずご利益を与えてくれるであろう。」と、こう言って立ち去りました。いつの頃からか、その木は光り輝き、夜道でも誤ることなく薬師堂にたどり着くことができたといいます。その、木の根元から泉が湧き、この泉で入浴すると万病に効いたといいます。そして「薬師せい」と呼ばれ評判なりました。その頃からか、夜になるとどこからともなく森の中で「ガッラ、ガッラ・・・」とく音が聞こえてくるようになりました。その音が薬師さまからの音だというので「ガッラ薬師といわれるようになったようです。「薬師の井」は近隣に評判となり、埼玉、、広田など遠くからも、この水をもらいに来る人が絶えませんでした。それがいつしかはしこい人間が目をつけるところとなって浴場を造ってしまいました。これがまた大繁盛し、次から次へと新しい浴場が造られ、この辺一帯が霊験あらたかな「霊泉の町」となってしまいました。何かまるで、現代のスーパー銭湯ブームを思わせるようですねえ。ついには遊楽街となり、いかがわしい湯屋までできるようになってしまいました。それが、今から二百八十年前も昔の享保の頃のことでございます。その浴場の権利のことで争いにまでなってしまったので、さすがに目に余ったのでしょうか。つい忍城主阿部豊後正喬侯はとうとうこの辺一帯浴場を禁止してしまわれました。しかし「薬水」の効き目は衰えず、各地から信仰として水をいただきに来る人は非常に多かったといいます。正徳六年、千七百十六年といいますから、公衆浴場騒動の少し前のこと、この地に住んでいたお坊さんが亡くなったといいますので、このガッラの森に葬りました。ところがそのからったたちがだれかれとなく高熱にうなされるようになりました。みなが「ここに死体を埋めて、薬師如来をけがたてまつったばつが・・・」と、高熱に狂いながら言いますので、坊さんの死体を違う場所に移しました。今度はたちどころに熱も引き、皆、元にもどったということです。この話が評判になり、ガッラ薬師の信仰はますます広がっていきました、とさ。

 あくまで、伝説としての紹介であるが、薬師堂前の格調高い由緒書きともほぼ重なる内容である。

 面白い。

 伝説にしても、謎多いお話で、全国にはこの類話のありやなしや?


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 一番面白いのは、この伝説を採録されたの方のおっしゃるとおり、聖水を汲んで沸かしてSPにした、この件である。
 
 いかがわし湯屋まで出来たという、いいねえ。

 由緒書きには「遊婦」とやや品良くあるが、つまりは「湯女」まで侍らせて、お湯三昧。

そうなら、霊験あらかた間違いなく、大抵の病も快癒したかも知れない。

 阿部正喬というお殿様は、1672年から1750年までご存命、幕府の老中もお勤めになった。

 元禄12年には寺社奉行にも就いている。

 確かに、聖水SPには、眉をしかめたかもしれない。

まして、享保の吉宗政権下では、こりゃ駄目でしょう。


 ともあれ、本来「我空」とは、立派な仏の教えである、

 大乗仏教の根本思想である二空の一つ。人空生空,人無我,衆生無我ともいう。一切の生類に心身があるとしても,色受想行識の五蘊 (ごうん) の集ったもので,実体としての自我というものはないとする見解。(ブリタニカ交際大百科事典)

 いいですねえ。


そもそも、湯屋の始まりは、寺院が衆生斎度のための浴場だという。

仏との因縁浅からず。

聖と俗も表裏、両面あって、足し引きするとプラマイゼロで「我は空っぽ」となるやならずや。

 ありがたや。

 「我空薬師」

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ボクはこのところ目がしょぼしょぼしたりするので、お賽銭をちょっとはずんで、手をあわさせていただいた。

 南無我空薬師如来。


ラーメンは、初めての店で食べた、可も無く不可も無し。











 





 



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by ribondou55 | 2019-10-06 10:33 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂