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「暇人」・・、感じの悪い云われ方だ。

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今日も今日とて、この旨の言葉を放られた、このところ続けざまだな。

「ここにマニュアル置きますので、暇でしょうから読んでおいて下さいね、ちょっと次を急ぎますので」と。

「くださいね」の「ね」に引っかかった。

でも、本来ハお客サンである筈のボクはへいこら薄笑いでやり過ごした。

「ね」という終助詞は、大体において、なれなれしい上に断定的で押しつけがましい、ちょっと、相手を見下す感じもアル。

つまり、奴さんは、「オレを暇人と決めつけているな」と直感したのだ。

「暇人」・・・、感じの悪い云われ方だ。


ボクを「暇人」と決めつけた人は、ボクよりチョット高齢で糖尿で時折倒れるが、こまめにお金は稼いでいるらしい、この場も彼のお商売だ。

オオムネ、身体が動くうちは、働けるだけ働いていたい的な、楽しいコトや美味しいことを死ぬまで追求したい的、絶倫指向の人物ではないかとお見受けした。

ツマリ、人生100歳時代の 、一億総活躍社会の側の人である。

 対して、ボクは「暇人」、無駄に酸素まで吸っている非生産的存在というわけだ。



暇と云うことは、「用事」がないということだ。

お忙しいとは、用事だらけということだ。

ボクだって、長い間分刻みといえばおおげさだが、それなりに忙しかった。

だが、その時だって思っていた、ナント下らんどうでもいい「用事」の多さよ。

自分は多忙につき、これやっといてという輩の「用事」って一体何?

あんたの後生大事にしている「用事」について、まずご説明願いたい。


「用事」とは、一般にしなくてはならない事柄。

そのしなくてはならない事にも、公の場合と私的な場合とある。

私的な場合、例えば気のあったもの同士のランチの約束がある、なんてものも「用事」か。

ボクに云わせれば、そんなもん、ほとんど重要性を感じない「用事」である。

が、多分親の死に目に会えなくてもお友達とのランチを優先的「用事」とするお方もいるのだろう。

だからこそ、礼儀正しく、私には此れ此れこういう事情でありますので、あなたにこれこれを伏してお願いしたいと、ね。


   
確かに、ボクは世のため人のために何もしていない、自分本位の気ままな暮らしであることは認める。

いっちゃあなんだが、日々努力してしてそうしている。

では、気ままな暮らしの人間は、とりもなおさず「暇人」ということか?

あの人、定年になったらしいけであまり見かけないね、いつも家に籠もっているそうよなんて、噂されたら、「暇人すなわち無用の人」か?

案外人は、誰の目にも触れない大切な「用事」をかかえているかも知れないではないか。

ボクは全力でお「他者」様方のお世話にならないよう、邪魔にならないよう、目障りにならないよう、余命を生きている、それがボクの気ままな暮らしの「用事」だ。

それなのに「こいつは、暇人だ」と決めつけられてもなあと、思うだけだ。

こういってはなんだが、気ままに暮らしというものは、結構微妙なバランスの上になりたつものだ。

やっぱり、忙しくも無し、暇もなしというのが、気ままな暮らしと云うしかない。



だが、世の中のみんなが気ままに暮らしていたら、世の中は回っていかないだろうが。

そのようにあきれるお方がおいでだろう。

そうなんだろうが、気ままというのは、案外善良にして理念的なものだ。

世の中が危ない、その人あの人の生存が脅かされているとなれば、気ままにお節介するのだ。

そんなに捨てたものではない、そこは確かだ。


 
今振り返って気づいたのだが、ボクはわが奥さんから、一度たりとも「暇人」呼ばわりされたことがない。

これは、いいことだなあと、思った。

ありがとう。










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by ribondou55 | 2019-04-25 23:04 | 生きている | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


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