ひとの畑の蜜柑をかっぱらうとは、ついでにブロッコリーまで。

 今朝、家庭菜園にゆくと、蜜柑が全部消え失せていた。



b0018682_22531752.jpg


 盗まれたのだ。

 昨日の夕方から今朝の早くの出来事だ。

 その他に被害はないかと見回すと、ブロッコリーのてっぺんが3本ぽっきりと折られて持ち掠われていた。

 ブロッコリー・・・、ガキの悪戯ではなさそうだ。

 白菜は無事、大根なんぞはやられていても、数が多いのでわからない。

 今年、ボクのたった一本の蜜柑は不作で、実の数が少ない。

 だが、その分一個一個はかなり大ぶりに育って、通りがかりの人からポンカンですかと、間違えられることもあった。

 晦日ちかくに餅つきをするのだが、時折甥っ子や姪っ子の子ども達まで顔を出すので、残しておいた蜜柑で蜜柑狩りをしようと、思っていた。

 無念である。


 配偶者は蜜柑は目立つから出来心という事もあろうが、ブロッコリーまでかっぱらうとは、不届き千万だと怒っている。

 ボクもイヤにずいぶん世帯じみた奴だと思った。

 全部持って行ったと云うことは、出来心でない、大した数でないが、それなりの量があって、自転車であってもちょっと大きめなかごが必要だ。

 幾日も前から失敬しようと、チャンスをじわじわと狙っていたのだと、思う。

 不快だ。


 配偶者は泥棒除けの立て札を立てようと頻りに云うが、ボクはそんなこと何に効果も意味もないと云って相手にしない。

 こちらは大いに立腹しているとことがわかって、せせら笑いされるだけだ。

 立て札と云われて、ボクは「徒然草」に似たような話があったことを思い出した。

 神無月のころある山里を歩いていて、何処までも続く苔の道を進んで行くと、いい感じにもの寂しい趣をたたえて住んでいる庵がある。木の葉にうもれている懸樋のしずくが落ちる音以外は、静まりかえっている。水をお供えする棚に菊や紅葉など折散らかしてあるのは、そうはいっても住む人がいるからだろう。
 こんなにしてでも棲んでいられるものだなあと、感じいってみていると、向こうの庭に大きな蜜柑の木で、枝もたわわに実がついているのに、その回りを厳重に囲っているのばかりは、少々今までのいい感じが薄れて、この木がなかったならよかったのにと思った。

 猫の額ほどの自給的な菜園とはいえ、この辺りでもあまり目にしない。

 広い通りの歩道に面していて、散歩なんぞの通行人もおおい。

 中には、折々の野菜の育ち具合なんかをながめて、田舎を思い出す人などもいるかも知れない。

 そこに、泥棒除けの看板や犬の糞お断りとかの看板なんぞ立てたくないと、ボクは思う。

 別に兼好さんにかぶれたわけではない。

 だいたい看板はつべこべと人を支配するための告知に使われやすい。

 そういうのが鬱陶しいのだ。

 だから、これ以上の不愉快ごとがあった場合は、通報するしかない。







 
 

by ribondou55 | 2018-12-23 22:55 | 世界は昏いか? | Comments(0)