「涯テノ詩聲(ハテノウタゴエ )詩人 吉増剛造展」//一枚の原稿用紙の上で・・・。
2017年 11月 11日
これでもか、これでもかと、云う感じで、押し寄せてくるものある。
文字は、意味であるまえに、「画」であるから、ちまちまと極小の文字が紙面上にみっしりと書き込まれているだけで、なにやら妙な感じがしてくる。
例えば、見る度に中上健次の生原稿の文字の痕跡は、見る度に気持ち悪くなる。
一枚の原稿用紙を舐めるように文字で埋めて行った跡を見せつられると、見ているこちら側が息苦しい、気恥ずかしくもなる。
良寛や芭蕉の書を「観る」ことはできるが、読みかじった記憶にある詩人や思想家や学者の筆跡を見る自分は好奇心が剝き出しだ。
「書は人なり」とか、そういう感じでもない。
なんだかね?
筆記すると云うことが、気色悪いかも知れない。
指・鉛筆の先から蜘蛛の糸のように文字が吐き出されてくる。
筆跡心理学というのもあるかに聞いたことがあるが、それもね。
足利、鑁阿寺で。
by ribondou55
| 2017-11-11 23:29
| よしなしごとあれこれ
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