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花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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太田松茸道中に出会う

  秋晴れに誘われて、利根川のサイクリングロードなら気分いいだろうと出かけた。

 刀水橋の袂に肩衣袴姿の男達がたむろしているので、何事かと尋ねると、太田方向から聖天宮へ松茸を献上する一行がやってくるのだという。

 大分待たせられたが、やってきた。

 足軽が、下に、下にと、先払いしてくるではないか。

 ということは、松茸に土下座せよとか?


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 なかなか衣装もしっかりとしたご一行。

 のぼりを立てて歓迎の意を表している肩衣のご老人たちは、埼玉側妻沼の皆さん。


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 太田市HPによると、

 太田は江戸時代の初期から徳川氏と深いつながりをもっていましたが、その関係を強めていたものの1つに、金山産の献上松茸がありました。
 松茸の献上は、寛永6年(1629)に始められたと言われています。当時太田は、館林城主、榊原氏の領地で、金山からは上質な松茸がたくさん採れたそうです。榊原氏はこれを三代将軍徳川家光に献上したのです。
 松茸は9月頃から11月にかけて金山の山中に生えました。この時期は多数の番人が見張り小屋で警備にあたり、松茸が生えてくるたびに1本1本記録するという細かいものでした。
 いよいよ献上の日になると、松茸は竹かごに詰められて妻沼へ、さらに大宮、浦和を経て、江戸城まで送られました。輸送時間は約20時間と伝えられています。この驚異的な速さは、松茸の鮮度を落とさないためでした。
 献上の本数は少ない年で382本、多い年で2892本というように、年によって大きく開きがありました。
 ともあれ、松茸の献上はおよそ240年という長い期間続けられました。幕府崩壊後は一時行われなくなりましたが、その後皇室への献上という形で再開され、昭和39年(1964)まで続きました。
 現在では金山の松が古くなるなど、環境が変わってしまったことから松茸は採れなくなってしまいましたが、金山の献上松茸は太田の近代史を飾る上で、極めて大きな役割を果たしたのです。
 太田松茸道中は、この献上松茸を大名行列風にアレンジし、行程も江戸城ではなく熊谷市妻沼までに短縮し、再現したものです。田は江戸時代の初期から徳川氏と深いつながりをもっていましたが、その関係を強めていたものの1つに、金山産の献上松茸がありました。
 とある。

 へーェというわけだ。

 やはり、松茸様に、土下座せねばならなったかも知れないな。

 やれやれ。

 今は、太田の吞龍さんから妻沼の聖天さんまでの道中になったということだ。




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 さて、聖天さんの山門をくぐってきました。

 下に、下に。







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by ribondou55 | 2017-10-01 23:13 | Trackback | Comments(0)