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一人静坂越し山越す誰が恋も   中村草田男

ヒトリシズカ(4/11/森林公園・野草コース入口の植栽)

 
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さて、ヒトリシズカは、吉野静とも呼ばれている。

静御前は義経と吉野で行きはぐれているからだ。

やがて、頼朝方にとらえられて、鎌倉に送られる。

そこで、「吾妻鏡」の名高い鶴岡八幡宮神前での場面。

 頼朝・政子の前で、しかたなく舞うことになった。

その静御前の舞い姿になぞらえて、この名があると云われている。

で、

どうなのだろう?

名は、実を表しているだろうか?

4枚の葉が開くと同時に花を咲かせる。

その姿が、美しいと。

はて?

名付けとは不思議なものだ。

名づけは、実の発見による、そういう場合もあろうが、

「名」によって、とても実体とは云えそうもない「虚」が発生し、人々を惑わすこともある。

こういうことは、この頃の世間には普通にある。

馬鹿げたことだが、大体こういうことが世間を動かしている。









http://blog.goo.ne.jp/mayanmilk3/e/8538dfbf15cf3a7132307fa5af307ae1より、拝借

 そして4月8日、静が八幡宮で舞うのクライマックスを迎えます。


「二品ならびに御台所、鶴岡宮に御参す。次を以って、静女を廻廊に召し出ださる。是、舞曲を施させしむべきに依て也。此の事、去るころ仰せらるる処、病痾の由を申し参らず。身において屑とせざる者、左右に能はずと雖も、予州の妾と為し、忽ち掲焉の砌(みぎり)に出づるの条、頗る耻辱の由、日来る内々に之を渋り申すと雖も、彼は既に天下の名仁也。適(たまたま)、参向して帰洛近きに在りてその芸を見ざるは、無念の由、御台所頻りに以って勧め申さしめ給ふの間。これを召さる。偏へに大菩薩の冥感に備ふべきの旨、仰せらると云々。近日、只別緒の愁(うれい)有り。更に舞曲の業無きの由、座に臨みて猶固辞す。然して、貴命再三に及ぶの間、憖(なまじい)に白雪の袖を廻らし、黄竹の歌を発す。左衛門尉祐経、鼓つ。是、数代勇士の家に生れ、楯戟の塵を継ぐと雖も、一臈上日の職を歴て、自ら歌吹曲に携はるの故に、此の役に候ふか。畠山二郎重忠銅拍子を為す。」

〔頼朝様と御台所様が鶴岡八幡宮に参拝されました。そのついでに、静を廻廊に召し出しました。これは舞を舞わせるためです。このことについては、以前から命じられていたのですが、体調が悪いからと言って参りませんでした。身の置かれた立場を考えれば、あれこれと言うことはできないのですが、義経の愛人として晒し者になる場所に出ることは、とても恥ずかしいことであるとして、普段から渋っていたのですが、彼女は舞の名人としてその名は天下に聞こえています。それが偶然にも鎌倉に来て、間もなく都に帰というのに、その芸を見ないというのは、何とも残念なことです。それで御台所様がしきりに頼朝様にお勧めになられたので、これを召し出すことになりました。これはひとえに八幡大菩薩も妙技に感じて加護してくださるであろうとおっしゃいました。しかし静は近頃は悲しいことがあり、とても舞うことなどできませんと言って、その場に臨んでもなお固辞しました。しかし再三お命じになられたので、嫌々ながらも、白雪のような衣の袖を翻し、「黄竹の歌」を歌いました。工藤祐経が鼓を打ちましたが、彼は武勇の家に生まれ、戦の技を受け継いではいますが、「一臈上日の職」の経験があり、音楽にも関わっていたので、この役に就いたのでしょう。畠山重忠が銅拍子を打つ役をつとめました。〕

静先ず歌を吟じ出して云はく、吉野山峯ノ白雪フミ分ケテ入リニシ人ノ跡ゾ恋ヒシキ、次に別物の曲を歌ふの後、又和歌を吟じて云うはく、シヅヤシヅシヅノヲダマキ繰リ返シ昔ヲ今ニナスヨシモガナ、誠に是社壇の壮観、梁の塵ほとんど動くべし。上下皆興感を催す。二品仰せて云はく。八幡宮宝前において芸を施すの時、尤も関東の万歳を祝ふべきの処、聞こし召す所を憚らず、反逆の義経を慕ひ別れの曲を歌ふは奇恠(きっかい)と云々。御台所報じ申されて云はく。君が流人として豆州に坐し給ふの比(ころ)、吾においては芳契あると雖もも、北条殿、時宜を怖れ、潜(ひそか)にこれを引籠めらる。しかるになお君に和順し、暗夜に迷ひ、深雨を凌ぎ、君の所に到る。亦、石橋の戦場に出で給ふの時、独り伊豆山に残り留まり、君の存亡を知らず、日夜魂を消す。その愁(うれい)を論ずれば、今の如き静の心は予州の多年の好を忘れ恋慕はざれば、貞女の姿にあらず。外に形(あらは)るの風情に寄せ、中に動くの露胆を謝す。尤も幽玄といひつべし、抂(ま)げて賞翫し給ふべしと云々。時に御憤休むと云々。小時して御衣夘華重を簾外に押し出し、これを纒頭(てんとう)さると云々。」

〔静はまず歌を歌いました。「吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」。次に別な歌を歌った後で、また歌を歌いました。「しづやしづ しづの苧環繰り返し 昔を今になすよしもがな」。これは真に神殿の梁の塵さえも動くかと思われる程の、壮観な見物でありました。見ていた人は皆、身分にかかわらず感動しました。ところが頼朝様がおっしゃるには、(源氏の守護神である)八幡神の御前に芸を奉納する時には関東(鎌倉幕府)の安泰を祝うべきであるのに、神も私も聞いていることを知りながら、反逆した義経を慕って、それと別れたことを歌うなど、不届きである、と。すると御台所様がたしなめておっしゃいました。あなたが流人として伊豆においでの時、あなたとの間に(結婚の)約束を交わしていましたが、父北条時政殿が平家への聞こえを心配して、こっそりと私があなたに会えないように閉じこめてしまいました。しかし私はあなたが恋しくて、真夜中の雨に濡れながら、あなたのいるところへ逃げ込んだものでした。また石橋山の戦いでも、一人で伊豆の走湯神社に残って、あなたが生死も知らずに消え入るばかりに心配したものです。その時の心配した心を思い、今の静の心を思いやるならば、義経が可愛がってくれたことを忘れて恋い慕うことがないのなら、貞女と言うことはできません。踊という外の形にこと寄せて、心の内を表したのです。これこそ幽玄な見物と言うべきでしょう。お怒りもわからなくはありませんが、まげて誉めてやって下さい、と。それで頼朝様もようやくお怒りを鎮めました。少しして卯の花襲の衣を褒美として御簾の外に押し出されました。〕

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by ribondou55 | 2017-04-13 21:09 | 咲いた咲いた何の花 | Trackback | Comments(0)

水面を滑りまわって世を過ごし、その上、空を飛ぶ羽も持っているあめんぼは、老蛙の憧れだ。


by 泡六堂