熟してはこのまま落つる外はなき熟柿が落つ土に音して 比呂志
2016年 10月 29日
石田比呂志の第15歌集「萍泛歌篇」を拾い読みした。
本の帯に「短歌によって人生をめちゃめちゃにし 短歌によって救われた人生ーー。
市井の暮らしを詠って輝く詩魂と反骨の魂を持ち続ける歌人のだい15歌集。」
とある。
ここに、あげておきたい歌は数々あったが、面倒なのでやめる。
今年で、畑の隅の柿は植えて三年目、桃栗三年柿八年というが、植木市で買った時、そもそもあの木は何歳だったのか?
昨年は、期せずしてたくさんの実を付けた。
配偶者は大の柿好きで、彼女の強いリクエストで植えたのだが、そんなだから、今年を大いに期待したのだが、今現在、数えてみると七つだけ実を付けている、残念な出来具合だろう。
そろそろ、食べ頃になる。
熟しすぎて、地面におちる実は、今年に限っては、まずあり得ない。
烏にも喰われずに、最期まで枝に張り付いていたとしても、熟しきった柿は地面に落ちる、これは定めだ。
で、ボクがそこ「土に音して」というのが、ちょっと身にしみる。
ベチャ?ボショ?グチャ?・・、どんな音がするかは分からない。
でも、無音ではないはずだ。
まあ、そこが哀しい、すべからく
中には、こんな風に軒先に干されて、喰われてしまうこともある。
ね。
by ribondou55
| 2016-10-29 23:14
| 読み捨てご免
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